安眠と変局
「ぐぁぁぁああぁあぁあ!!!」
セミナは頭を抱え、苦渋と痛みに満ちた表情で絶叫していた。
身体部分は無傷だが、内部から苦しむ様は狂っているのかと、勘違いしそうになる。
這いずるように【溟孔龍】から離れようとしているが、精神から直接叩いてくる痛みにより、視界も朦朧で霞みがかっている。
神々からの加護と祝福も意味を成さず、自身では守れない部分に何かしらの悪い影響を与えてくる。
「か、神よ、! お、だすけ、くだ、さい!!」
自力では泳ぐ事もできずにいるため、激痛に支配された意識の中で必死に言葉を作り、神に救いを求める。
詠唱にもならない、願いだが、直接的な加護を与えられた身であるため、痛みが減り視界が鮮明になっていく。
セミナは同時に達成感に満ちた笑みを浮かべ、握る赤槍を杖にして、立ち上がる。
「ついに準備が整ったのですね!!」
絶痛の余韻が頭に残るが、実る喜びが響かせる。
セミナを纏う加護が【溟孔龍】の全長を完全に覆う巨大な結界へと変化する。
「ぐっ!!」
一気に今まで纏っていた膨大な力が抜け思わず尾を曲げてしまう脱力感と敏感になっていた神経を撫でるような軽い痛みが走る。
だが、セミナは【溟孔龍】から目を離さず、今後の展開に目を見張る。
【溟孔龍】を包む結界がそこの空間に穴が空いたように真っ黒に染まり始める。
これは完全に三次元的な空間が結界を堺に隔絶されため、光も音も匂いも何もかもから離され閉じ込められたからだ。
そしてパッと【溟孔龍】を包む結界はその場から消える。
【溟孔龍】がいた空間に何も存在しない大きな場所が生まれたため、大量の海水が流れ込み、嵐流が発生する。
「やっと封印を開始し始めたか」
ラテマアの町がある方向を見つめる。
「意外と呆気ない。もっと抵抗すると思ったら、特に何かするわけでもなく」
【溟孔龍】と相対して守護神達が封印の準備を整えている間に引き付けと足止めをしたが、高位存在らしく全てを吹き飛ばすようは事はしなかった。
ただただ、自分の攻撃を受け続け激しい抵抗は見せずにいた。
比較的に薄く柔らかい目を潰してもだ。
セミナの正直か感想は戦っているとは思えなかった。
「意思の無い災害のようだ」
ただ自然の猛威を振るうだけの災害。
「かの存在は何が目的なのだ?」
不明な点が多すぎる相手であった。
「…………そういえば最後に後ろに視線を向けていたな」
魂が抜けそうな脱力感で鮮明には憶えてはいないが、鮮やかな紺碧色と瑠璃色をした瞳は後部へと視線を向けていた。
「何かあるのか?」
セミナはあの【溟孔龍】が見つめていた先に視線を向ける。
そして、その視線の方向へと素早く泳いで行く。
視線の先には【溟孔龍】が意識を向けた物の正体を探りに。
◆◆◆
暗い海中の中にメラトリオが身を削って放った光がサリアスが待っている場所にまで届く。
破壊的な威力は無く、一瞬の明滅であったが、サリアスは確かに認識をした。
「何かしら」
日の出が一瞬出て一瞬で沈むような不思議な光景に視線が向く。
暗い海中に唐突な強い光が生まれるのは、不吉でもあり、吉兆でもある。
常に光源は海上にあるため、本来あり得ない光が海中に出現するのは異常ということだから。
この異常を特別と見て幸運の兆しと見るか、理解不可能と見て不幸の闇と見るかは個人の自由だ。
「……不吉な」
サリアスは不幸の印に見えたらしい。
先程から予定通りにならず、【溟孔龍】と直接交渉するという計画も中断している。
現在の嫌な流れを象徴するようであった。
サリアスはレイムの体に背を預ける。
人肌の温かみと柔らかさを感じないが、背を遠慮をせずに預けられるという点は頼りになる。
「少し疲れたかも」
眠気があるというわけではないが、目蓋に力が入らず活力を失ったような感覚を覚える。
「……アナタの上の部分柔らかそうね」
上を見上げると花弁のように揺れる透けた膜のような物が目につく。
何枚にも重なった薄布のような物は確かに柔らかそうだ。
嫌悪感を抱かせる潤滑性の液体は確認できないため、触り心地も良さそうである。
サリアスは軽く泳ぎレイムの上の部分に浮く。
地上にある花が時折、海に流され花弁が海流に揺らされるような様であった。
そして、サリアスはレイムの中心部分に降り、横になる。
埋もれるように沈み込み、包み込むように何枚にも折り重なる花弁のような膜がサリアスを覆う。
柔らかく、思わず気が緩んでしまうような感触を懐かしく思い微かに笑う。
「フフ、眠たいから少しだけ体を貸して」
意識を沈ませる瞬間、何か視線を感じた。
レイムは意識があるが働きはしないという植物人間のような存在へと変わっている。
だからと言って意識が目覚めないわけではない。
しかし、完全に人時代の完全な個としての意識は体の構造上かなり薄くなっただろう。
意識が覚醒しても眠る瞬間と起きた瞬間の朧げな感覚に近く、自分の認識は極めて薄い。
本能と今までの記憶と経験から行動を決めている。
そしてレイムはサリアスが自身に触れた瞬間目覚めた。
偶然か必然かどうかはわからないが、白く染まった意識がレイムを動かす。
どこか疲労感が香るサリアスを自身の妻と認識しているかは怪しいと言えるが、何をすべきかは迷いなく薄い思考の中から導き出された。
体温を僅かに上昇させ人肌よりやや低めに設定をする。
サリアスが横になり、接地している部分を反発性を持たせ、柔らかさはありつつ押し返すような感触へと変える。
『●』
曖昧で一つにまとまった感想を呟く。
『▽★!!!』
レイムの意識の中に突如、波乱する感情が多く含んだ大声のような信号が響いた。
◆◆◆
【溟孔龍】を閉じ込めた次元的な結界が圧縮されたラテマア中心部に転移する。
一般的な鯨のサイズである家一つ分となった【溟孔龍】に向かい神々を縛る鎖が向かう。
微動だにしない【溟孔龍】は突如、鮫のように大きな口を全開に開き、世界を揺らすような大声を放つ。
「■■■■■■■■!!!!」
【溟孔龍】周りに纏う妖精が轟音と共にざわつき、【溟孔龍】の霊光の光度が増す。
「次元の壁をもっと厚くしろ!!」
鎖がピンと強く張り、本来弛んで余裕のある鎖は大きな負担がかかる。
「できん!」
封印の檻と蓋である次元の壁、階層の壁に穴が開くような感覚が封印術式の行使者である守護神達に伝わる。
破られた先から新たな封印の檻を作り上げ、封印が解かれぬようにしてはいるが、常に莫大な力を消費してしまう。
なるべく永遠に封印をしておきたいため、この方法で封印をし続けるのは現実的ではない。
「誰かが楔になるしかないだろう!」
完全な密閉型の封印では力づくで破られてしまう。
故に釘や杭となり繋ぎ止める存在が必要となってしまった。
「じゃあ、今すぐ見つけて来い!! 俺達は封印の仕組み上無理だぞ!」
守護神自体が封印の楔だが、役割としては封印の機構の維持である。
封印対象そのものの楔は用意していない。
結果的には容易く破られたように見えるが、短い時間と数多の犠牲によって製作された封印であるため、仕方なかろう。
「……! あなた! それは生贄を用意しろということなの!」
守護神達は【溟孔龍】を封じ込む杭にはなれないため、必然的に別の存在に頼る必要がある。
第一候補は人類であるが、高位存在と比べて器の強度が低いため、命をかけなくては楔として発揮しない。
「そうだ! それしかない!」
時間は無い。
更なる被害を生み出す前に一人だけの少ない被害で抑えるべきだと、言外に伝える。
砂を主成分とした体の高位存在はガラスのような瞳に強烈な光を宿し、メラトリオを睨みつける。
「くっ……! ……っ! ……わかったわ」
僅かな間でも美しい顔貌を様々な感情に歪ませる激しい葛藤がメラトリオには流れたが、覚悟のある決断をする。
セミナに声を送る。
◆◆◆
高速に進む二つの流れを生み出す物が一つの物体を挟みかち合う。
「深淵の怪物!!」「英雄ユーンベクル!!」
レイムとサームを挟み隙間から見える姿に互いに驚きと共に強い警戒心を表に出す。
睨み合い、微かな隙を見せないハントとセミナはサリアスの静かな気配に気づく。
「貴様、今すぐここから退け」
「それが人に頼む態度ですか。不快ですからお断りさせていただきますよ」
命令とは完全な上下関係が決まっていて、始めてできる物だ。
「まぁ、いい。結局は離れてもらうからな」
「えぇ、用が済んだら離れますよ」
敵同士だから当たり前だが、二人は気が合わなさそうに互いな険悪な態度を隠しもしない。
「ほぅ、用とはなんだ? まさか、この二つの深淵の怪物と中にいる同胞に何かするわけではないだろうな」
セミナは長年の経験で【溟孔龍】が見詰めていた先にあるのは目の前にある二体の深淵の怪物と一般女性であると、確信している。
「そうですよ。邪魔ですから離れてください」
それだけを告げて早速作業にとりかかろうとするハントの首元にセミナの槍が添えられる。
「私もこれには用があるのだ。貴様は邪魔だ」
「そうですか」
添えられた穂先を一瞥したハントは何事も無かったようにレイムとサームの元へと向かう。
セミナは無言で槍を間違い無く貫くであろう、向きと速度でハントに向かい繰り出すが、ハントの結界に阻まれる。
阻まれと認識瞬間流れるように術式破壊の技を打ち出し、結界を破壊しようとする。
「物騒な」
流れるように避けセミナの上へと移動するハントは冷めた視線でセミナを見下ろす。
「お前達は死すべき存在だ」
忌み嫌いながら攻撃態勢に入る。
「我々は決して悪い存在では無いですよ。ただ血族を増やす一心ですから」
宿命に満ちた拳を目前で握りしめる。
握りしめた手を開き、笑みを浮かべながらセミナに差し伸べる。
「その血族を増やすという目的のせいで、我々は決してお前達は許せない程の被害が生まれているのだ」
差し伸ばされる手に対して伸びたのは怒りを象徴するような赤い槍であった。
セミナは英雄として崇められているが、セミナ本人から言わせればやるべき事をやっていただけに過ぎないのだ。
「逆に聞きましょう。血族の誘いをなぜ断る? 家族を想い合える素晴らしい関係を作れるのですよ!」
親愛に満ち溢れ互いを愛し合う関係はどう考えても恥ずべき事の無い極めて素晴らしい関係だ。
──なぜだ! この世の全ては至高を目指す事が存在意義のはずだ!
「お前達はこちらの事を理解しようとせずに己の信義を押し付けてくる! こちらばかりに理解を求めるな!」
満足していた今を更なる幸せだとか言い、波乱の渦の中に巻き込む。
我々には確実な平和があった、安心があった。
──お前達は幸せだが、私達は不幸だ! 理不尽なお前達が憎たらしい!
「それはあなた達が怠惰で向上心の失せた存在だからです! 人類の誕生から今まで、何度このような人間関係による争いがあったか。我々の血族になれば醜い争いに終止符を打てる! 偉業は達成すべき物です!」
「争いなど無かった! お前達が争いを作った! 人類はお前達の助けが無くとも協力し合う! 関係の無い貴様らが関わってくるな!」
感情が互いに昂りどちらも一歩も引かぬ姿勢を見せ、逆に前に踏み出し叩き切ってやろうとする姿勢が顕著に出ている。
「争い? あなた達が我々の誘いを断らなければ争いなど生まれない」
「尊厳と誇りという物を知っているか? 化物」
「みんなが幸せであった方が良い。方法は我々の仲間になる事です」
「そんな方法を取らなくとも個々を尊重し合えば必然的に平和は得られる」
「完璧とは程遠いですね」
「それはこちらのセリフだ」
この時点で二人は互いに分かり合えないと悟る。
属性に命令が与えられ、術式を組み立てている時に一つの気配が臨戦的な空気を割る。
サリアスが起きたのだ。




