家族の化身
亡都ガレテには多くの深淵の怪物がまだ彷徨っている。
特に人の姿が少なくなり、皆無になると代わりのように深淵の怪物がいた。
その中を心地良さそうに泳ぐハントと若干怖気づきながら泳ぐ新母親がいた。
(何者なの? この人は)
深淵の怪物が隣にいる中、襲われることもなく泳げている事に深い疑念を持つが、その内聞かされる事だと思い黙ってついて行く。
「うんうん、私も思うよ」
襲われる事が無いばかりか深淵の怪物はハントに近づいて、ハントの口調から親しげであった。
「皆、用があるからどいてくれ」
申し訳無さそうに言う一言でハントの周りにいる深淵の怪物は名残惜しそうに離れる。
ハントの言う事を素直に従う様子は、新母親にとって深い衝撃を与える。
そして、明かりがついている少し大きな建物の中に案内される。
新母親が予想していた多くの人々がいるわけではなく、誰もいない閑寂とした場所であった。
「ここは溟孔教の拠点の一つのような物です。最近できた宗教ですから、誰もいない事は気にしないでください」
寂しい空間だが、掃除などはされており、フジツボなどの海底文明では厄介者な貝類は貼り付いてはいないようだ。
「なるほど」
「まぁ、それはともかく、私の正体についてですが、率直に言えば貴女達が深淵の怪物と呼んでいる存在です」
さらりと何事も無さそうに発された事は新母親にとって驚きはするが、思考が停止する程の物ではなかった。
「深淵の怪物が貴方と仲良くしている時からなんとなくは深淵の怪物だろうな、とは思っていましたから、驚きはしませんよ」
新母親の一つの不安が取り除かれたから少し表情が明るくなったように見える。
「聞きたい事があるでしょう? 答えられる物は全て答えますから、どうぞ質問なさってください」
文明を破壊して滅ぼした張本人である恐ろしい深淵の怪物は優しげな声で、質問を促す。
ハントから恐怖せし者に手を前に出し歩み寄った。
「私の夫、息子はこれからも一緒に共に暮らせますか?」
最も重要であり、ハントの誘いに乗った理由でもある事を聞く。
この時ばかりは、新母親は先程までの冷静さを崩し焦燥感のような圧力による生まれる熱を帯びていた。
「はい、暮らせます。方法としまして貴女が深淵の怪物になれば」
相変わらず、優しげな声で衝撃的な答えと後の方法が告げられる。
「家族を深淵の怪物から元の人へと戻すという方法は無いのですか?」
「進化する事はあっても元の姿になることもないですから」
誰一人も深淵の怪物から人へと戻れた者はいない事を思い出す。
逆に深淵の怪物は次々と進化をしていき最適化されていく。
「……」
新母親は不幸の根源である深淵の怪物になるという考えは衝撃的であった。
憎しみや怒りという攻撃的な感情が生まれはするが、時間が経てば強い感情は落ち着く。
せいぜい今は気に食わない存在だ。
「私は深淵の怪物になっても良いと思っています」
声は落ち着いていつつも、拒絶するような感情が沿うように含まれていた。
しかし、次の声を出す時は感情を表に出し、決して嘘をつけない気迫のような物を放つ。
「しかし、深淵の怪物になって一番恐れているのが理性を失い、獣に成り下がってしまう事です」
深淵の怪物の多くが、人程の知性が多く無くしてしまい、同胞であった者達に躊躇なく襲いかかってしまう。
強固な肉体を得ようとも、賢い頭脳が無くなるのは許容はできない。
人類は他の動物とは異常とも言える差はこれであろう。
強くなればそれで良いではない。
「……えぇ、同じ存在でも私のように人と変わらぬ姿と知恵を失わずにいる者や貴女達から見て怪物になってしまう者がいます」
ハントは憂うようだが、一人一人の血族を思い出すように言っている。
「何か法則性でもあるのですか?」
「いえ、ランダムだと思いますよ。割合的には知性ある者達が増えていますけどね」
「そう……」
残念ながら、期待していた回答は返ってこなかった。
「全ては主である【溟孔龍】の御心のままにです」
我々には何者になれるかの選択肢は無いと、遠回しに伝える。
新母親は求めぬ回答が返ってこないため、ハントのこの一言は皮肉なのではないかと思ってしまい、目つきに僅かな鋭さを含ませる。
「……そもそも【溟孔龍】とはいったい何なのですか?」
【溟孔龍】だけは深淵の怪物の中でも明らかに別格の存在だ。
深淵の怪物の主とは聞いているが、実際のところは何もわかってはいない。
「【溟孔龍】とは、龍に分類される高位存在です。そして、我々の創造主です」
龍の特徴である、あらゆる生物の特徴を有した体を持っていることは見ればわかる。
胴体だけで、甲殻、鱗、ヒレなど様々な生き物の一端が多くある。
「何が目的で、この地にやってきたのでしょうか?」
「わかりません。もしかしたら興味本位のままかもしれませんし、明確な目的があるのかもしれません」
要領の得れない回答ばかりで、新母親は言葉を詰まらせる。
「……じゃあ深淵の怪物は何を目的としているのですか?」
【溟孔龍】は高位存在だ。
人知では測れぬ存在の一つであるため、考えても今は無駄であると判断した。
【溟孔龍】よりも身近で恐ろしい深淵の怪物の方を考えた方がためになる。
「それは血族を増やすことです」
はっきりと断言したと認識できる力強い声で回答をした。
「血族?」
「家族とも言い換えれますね。種族以上、血の繋がり以上の絆が我々にはあります。家族を増やし、全世界の全てが同じ家族になれれば、良いと皆思っていますよ」
血縁関係を元にした集団、共同体を民族と呼ぶが、その上位互換に似た集団である。
まとめるならば侵略的な超巨大で強力な家族である。
「それじゃあ【溟孔龍】は貴方達の家族の一人なのですか?」
血族を増やすという事に利益に繋がるということは仲間のような物を求めていると思われる。
「いえ、かの存在は創造主です。我々に真の平和と安堵を与えてくださいました。貴女も親愛というのを理解できるでしょう? 家族がいれば、辛い事にも耐えられ幸せが生まれると」
「はい、それは実感しています」
現在進行系で家族がいる強さを身に纏って、本来は敵であるハントと相対して話せているのだから。
「その感覚が我々という存在です」
一族と絆の化身それが深淵の怪物。
「……なるほど、貴方達は私達と同じ感覚を持っているのですね」
新母親にとって深淵の怪物とは諸悪の根源であったが、ハントと色々話し認識が少し変わって来た。
深淵の怪物達の間には非常に強い絆があるというのを知った。
それは親愛によって作られたどんな愛よりも崇高な関係である。
共感が深淵の怪物と新母親が繋ぎ始め、認識は柔らかくなってきている。
少なくとも敵対的な感情は薄くなった。
「貴方も我々の家族になれば、多くの新しい家族が増えますよ」
「でも、私の家族は貴方達を家族だと思っていないようですよ」
深淵の怪物の姿を取ったとしても、精神的な部分までは深淵の怪物になっておらず、正気であった。
それがあるから新母親は強い希望を持っていられる。
「……うーん、それについてはわかりませんね。変身の選択権や決定権は我々が所持しているわけでもないですし。基本的に一度変身したら、心も体も最後まで変化します。いわゆる貴方の家族は例外とか特別と言えますかね」
「……わかっていない事ばかりですね」
「いやはや、言葉が出ないです」
全く困っていなさそうに苦笑する。
彼らにとっては自分自身よりも血族全体の方に意識が向いており、優先すべき事項なのだろう。
故に自分が何者なのかは重要ではない。
「元の人であった頃に戻ろうと思わないのですか?」
新母親は深淵の怪物に対して自分自身が得体の知れない存在である事に忌避感は生まれないのか疑問に思う。
様子を見たところ記憶は残っているようなので、その記憶の自分と今の深淵の怪物の自分の大きな差に違和感を持たないのだろうか、と。
「いえ、全く。そういう風に思うようにできているからかもしれませんが、メリットを並べると強力な自己と親愛溢れた関係を得られるのですから、悪くは無いと思いますよ」
「…………私は深淵の怪物になるデメリットがメリットを上回ることは無いと判断します」
ハントから様々な深淵の怪物についての話を聞いたが、ハントが言うように本質は決して悪い存在ではない。
その上で判断をする。
「なんとなく予想はできますが、教えてください」
ハントは悟ったような表情をしつつも新母親の声に耳を傾ける。
「こちらの許可無く強制的に変化させられるデメリットがあります。なんの理解も無く唐突に支配させられるのは非常に不愉快ですから」
例えると見知らぬ他人が予兆も無く家の中にいて、自分を犯して子供ができて強制的に血が繋がり、なぜか愛が芽生えるに近い。
家族は奪われる。
屈辱的で激怒と血を滲ませるような悔しさを生み出させる
「……えぇ、それは申し訳ないと思っております。私はまだ倫理観が残っていますが、だいたいの血族は結果的には幸せになれるから、いいじゃないかという思考です」
悲しそうにハントは外にいる深淵の怪物達に視線を向け目を伏せる。
そして、静かに手を広げ穏やかな気配を燃え上がらせながら宣言をする。
「だから、私は溟孔教を作り、新たな血族になる可能性の窓口を作ろうと思ったのです」
怒りにも似た興奮を声に含ませながら、自身の信念を高々に告げる。
「……な、るほ、ど……」
信念の威圧のような物を感じ取り、新母親はハントの事を本気だと認める。
「互いに信頼し合った、良い関係を良い感情で築き上げていきたいと思っております。ある意味『互いに信頼し合う』というのが教義ですね。個人的には家族というのはこれが最も大事だと考えております。貴女はどう思いますか?」




