後始末
指揮官は二つの槍を手に構え、両側から渦を巻く程の高速度で深淵の怪物を突く。
細い穂先が腕の触手を貫き、穴を開け、太い部分が穴を広げる。
穂先が胸へと一直線へと向かい、槍を止める障害物は無く確殺が約束されると思われる。
確かに胸に槍は刺さったが、刺さった瞬間に体は左右に二つに別れ、包み込もうと全方位から這い寄ってくる。
指揮官は地面を尾で蹴り、距離を思わず開けてしまう。
(包まれたら、深淵の怪物になっていた……!)
直感があの瞬間で己が深淵の怪物になっていた光景を映し出していた。
自分が自分ではなくなる可能性の姿を。
肌触りは滑らかとはなったが、目の前の深淵の怪物とおなじように関節は消え去った姿を。
そして、あまりにも鮮明な光景が映し出された事に強力な違和感を感じ、何かの干渉を感じる。
深淵の怪物を中心に大きく弧を描きながら泳ぐ。
魔術器官のおかげで陸のものにとっては邪魔にしかならない水の抵抗さえも推進力に変えて泳いで行く。
水中は動き方が空中と似ているが、液体抵抗があるため、あらゆる力にブレーキがかかっている。
しかし、この水の抵抗を上手く扱えば素早く自由に空を泳ぐように移動ができる。
指揮官は加速したスピードを利用しながら、強力な突進による攻撃を仕掛けた。
槍も特殊な形状をしており、水の抵抗を上手に反らせるような仕組みがあり、殺傷力と扱いやすさが両立している。
槍を先頭に深淵の怪物を串刺しにしようとし、勢いそのまま深淵の怪物を地面に縫い付ける。
そして、止めとしてもう一本の槍を煌めかせた。
「な!? 強い!」
先程よりも長く太くなった腕の触手が槍に絡み振り落とされた槍の穂先が刺さる事はなかった。
明らかに先程よりも強くなった触手に驚きを隠せず、予想外の成長に思考が刹那、空白が生まれる。
空白に指揮官の体が支配された間に触手は指揮官の尾に絡みつき抱き寄せようとする。
バランスを失う自分に指揮官は焦りを覚えながらも巧みに尻尾を動かし、僅かにできた隙間をからタコのように抜け出す。
しかし、吸盤がついた一本の触手が指揮官の固い鱗に張り付き、吸盤の触手を起点に次々と触手が伸びまた指揮官を捕らえようとしていた。
槍を横に振り、触手を切り裂こうとするが、瞬間的に貝殻のような甲殻物が現れ刃が通らず、更に心拍数を加速させる焦りが強くなる。
魔術を行う時間も無く、刻一刻と迫る敵の触手。
既に仲間であった深淵の怪物の大きさは人よりも大きく膨れ上がり、複数の口のような器官もできていた。
かつての仲間の手がまるで、こちらに来いと唆られているような気がしたが、同時に押し飛ばすような強い衝撃が想像の海に浮かぶ。
(痛ぅ……!)
一枚の鱗が力づくで剥がし、赤の肉が僅かに付いた鱗を視界の隅に入れながらも中央は皮ごと持ってかれた部分を見つめていた。
鱗一枚再び生やすのにも時間が変わり、運が悪ければその部分の鱗だけ色違いという場合もある。
現在の人魚界隈ではなるべく統一感を持たせた方が美しいとされている。
(……鱗一枚の犠牲。……まだ大丈夫だ)
陸に住む人で言うと束になった髪の毛を引っ張られた物であり、所詮は死んだ細胞が体から離れただけの事だ。
しかし、次は大事な場所かもしれない。
綺麗なお目々、脆そうな指などが失った姿が一瞬垣間見え、一層警戒心が張り詰める。
(避難か撃退)
距離を取り槍を〈念動力〉で操り、牽制をしながら泳ぎこれからの行動について考えを巡らせる。
(既に自爆兵器は起動している。すぐに退避用泡道を通っても良いが、追ってくる可能性が大きい。皆に被害をかけ迷惑をかけるわけにはいかないしな)
深淵の怪物と長く戦ってきて怖気付くという段階はとうの昔に超えたため、恐怖という感情が伴わない明確な理性による判断をしている。
実力は拮抗する程の差は無く、先程は少し油断をしたが、十分に勝てる。
一番最悪なのは自分が深淵の怪物に破れ、深淵の怪物が泡道を通りガレテへと向かってしまい、何らかの被害が出る時である。
最悪の可能性は目の前の深淵の怪物を討てば全て解決できる問題だ。
(憂いなく、後始末だ)
一つの槍が海中を自由自在に泳ぎ、加速によって生れた威力が強化された深淵の怪物を穿つ。
そして、指揮官はもう一つの槍に付与魔術を行い手放し、現在泳がせている槍を手元に戻す。
水中で水を切る音が加速と同時に大きくなると同時に空気を弾いたり切り裂いたりするような音が槍から聞こえる。
明らかに指揮官の手元にある槍が泳いでいた時よりも速く泳いでいた。
高温の魔術が付与された槍は周りの海水を沸騰させており、気体となった水分が高熱を宿す槍を包む空気の膜となっていた。
空気の膜が水の抵抗を弾き、抵抗をほとんど滑らせていることにより、槍の高速機動が実現していた。
だが、物理的な干渉ができるようにした魂力で物体を掴み操作する〈念動力〉で操る方法では高速移動をする槍を操るのは非常に難しくなった。
水の抵抗は失せたが、強力な前に進む力が生まれているため、急カーブなどの前方向とは離れた力を与え、影響を及ぼさせるには強い力が必要となるからだ。
最短経路での強襲は難しくなったが、一撃必殺の威力を兼ね備えた物になる。
爆発音にも似た圧力的な音が深淵の怪物と衝突した瞬間に響き渡る。
人で言うと心臓があった場所に槍よりも大きい穴を開けたが、生命活動を停止させるような様子を見せない。
「よりにもよって特殊なタイプか」
深淵の怪物は基本的に魔物、危険生物程度のスペックを持った動物てはあったが、時たまに他とは異なる特徴のある深淵の怪物がいた。
何かしら特殊能力を持っている可能性があるから指揮官は次のアクションを警戒する。
この深淵の怪物が無数に生やす柔らかな触手の一本が硬質化すると、深淵の怪物は硬質化した触手を指揮官の方へと向ける。
指揮官の予想から鑑みた行動と数秒後の光景が乖離があったため、指揮官は数秒後真っ赤に染まらずにいた。
ちなみに乖離しなかった場合、指揮官の胸は見るも無惨な大きな穴を開けていた。
深淵の怪物は多くの触手を硬質化して、少しの時間が空くと指揮官へと向かい矢となった触手が指揮官へと向かい勢いよく射出する。
指揮官は結界を触手矢の進行方向を逸らすように展開し、逸れた触手矢は水の抵抗が働き速度と威力を消失していく。
(距離があるようでは防ぐのが手一杯か)
次々と襲いかかる触手矢の防御に指揮官の攻撃の手である〈念動力〉で操る槍の操作が疎かになっている。
(突っ込むか)
結界の術式を解いて、解いた分の処理容量で衝撃波を放つ。
触手矢は機動が乱され、水の抵抗を強く受ける体勢となり失速する。
指揮官はこの僅かな隙を狙い、深淵の怪物に急接近をする。
深淵の怪物も多くの触手を束ねて迎撃をしようとするが、上から高熱を纏う槍が襲い、束ねられた触手を切り離す。
そして、魚の群れが通るようなさみだれ突きを行い、深淵の怪物が反撃の触手を繰り出そうする。
しかし、既に攻めと守りの立場を決める段階は過ぎ去った後であり、指揮官は的確に触手を切り落とし、深淵の怪物の攻めの手を減らす。
攻めの手とは反撃の手でもある、それがどんどん減っていき、ついには体中を穴だらけにする。
そして手を添えると同時に海水は固体へと変わる。
止めの氷が深淵の怪物を包み込もうとしていた。
「ゴホッ!?」
突如背中に衝撃が貫く。
指揮官は口から血煙を吹き出し、己の腹に視線を向ける。
同胞の手が見えるが、さらけ出す気配が深淵の怪物と同等な物であった。
腕が引き抜かれると、倒れ込む。
視界に映り込む人の形をした深淵の怪物の目と合う。
残った意識と力を合わせ声を出す。
「なぜ我々を襲う?」
「襲ってはないよ。私達は家族になるための工程なの」
「家族? 愛の欠片のない? それは家族とは言わない」
「私達は愛しているよ」
「相互的な愛がある関係を家族と言うのだ」
「大丈夫、最後は私達は家族になれるんだから」
「そ、う、か、だが、憶えて、おけ。過、程なき、結果はも、ろい、と」
その言葉を最後に瞳に光を失い、虚理階層に旅立つ。
そして、生命階層で存在を深淵の怪物に変えられ、精神階層も体に合わせて変質する。
「ほらね。私達は過程なんてなくても家族になれる特別な存在なんだから」
器である物理階層と虚理階層がシステムの階層にも合わせて形を変えて行く。
そして、壊れたハードは治りとソフトが編集し終わる。
蘇生もしたが、変質の割合が高い結果となり亡き指揮官は深淵の怪物として復活をする。
そして、亡き指揮官を殺めた深淵の怪物は体をタコのような巨大生物へと変え、【溟孔龍】の方へと向かい泳いでいく。
◆◆◆
「3・2・1──」
核反応によって引き起こされるエネルギー放出量にも匹敵する爆発が城壁要塞から引き起こる。
都市ガレテ周辺は位相を少し変える特殊な結界を張り、あらゆる影響から逃れていた。
「まぁ、使うだろうな、とは思っていたから驚きはないけどな」
都市上層部の一人が爆発の泡立ちを見て、そう呟く。
間違いなく陸には津波が押し寄せているだろう。
「確かにそれは言えてますね。しかし、こんな爆発を起こせるとなると、守護神様達から叱りの言葉が来るのでは?」
守護神は環境を整えたりすることで国家に豊穣をもたらしている。
そのため、海溝の穴が更に広げてしまっている爆発に怒りを表すのは容易に想像できる。
「結果良ければ全て良しだ。あんな意味わからん敵が突然出てきたのだぞ。正体なぞどうでもいい。一刻も早く討ち倒す。それだけだ」
事態の終決こそ一番求めるものなのだ。
危険をとってまで調べる価値は無い。
「で、倒せそうなんですか?」
「さぁ、倒せなかったら、都市ガレテは終わりということだ。あれ以上の兵器は世界探しても少ないし、手持ちがアレ一個だから、頼むから死んでくれという感じだな」
本当の最終兵器を使ったのだから、切実な思いとして敵の死を心の底から強く望む。
「非常に不安感を誘う言葉ですが、確信はしないんですね」
「……深淵の怪物化してしまう兵士がいただろう? 原因を調べてみたんだ」
「いつの間に……」
「原因はわからずじまいだったが、怪物化する過程はある程度観測できた。怪物化は肉体と精神を改変してしまっていた。少なくとも精神階層まで干渉する術はある。今は生物のみだが、物質の階層にまで干渉できるのも時間の問題だろう」
「物質に干渉できると、どうなるのですか?」
「石を生命体に変えるとかできるな」
人を肉体、精神共に化物に変化できるのだから、無機物を作り変えるくらい容易なはずだ。
「じゃあ、もし【溟孔龍】が理性を持たずに深淵の怪物を生み出していたら、世界は深淵の怪物に包まれてしまうじゃないですか」
「過去の事例からそれはないだろうね」
自身以外の物体の階層に干渉できる存在はおり、珍しい存在ではない。
「【溟孔龍】が怖いのは圧倒的な干渉力だ。まるで穴を開けられるように階層の壁を消してくる」
「防ぐ技術はないですかね」
「今の技術では虚理階層を少し触る程度が限界。観測はある程度できるけど」
「そうですか。ならば、もし生きていたらどうするか考えなくてはなりませんね」
直接的に防ぐ事は不可能だと判断すれば、次はいかに被害を最小限にするかだ。
「市民全員逃げるに決まってるだろう」
難題は即答によって返された。
「いや、そうですけど、なんかあるじゃないですか」
「災害相手に勝てるか! 皆で避難。これしかない」
高位存在は災害と同一視される。
それは比喩でもあり同じである事を表している。
「成功しますかね?」
何万人という人々の避難は困難を絶する大事業だ。
「お前は何年ここで働いている。いいか? 行政というものはな、やったことにしなきゃならないんだよ」
成功か失敗かの結果論ではなく、最初に行動を移したか移してないかが問われるのが行政である。
無駄な事でも対面上は一生懸命やりました、という体は見せておかなければならない。
「はぁ。……私、こういうところ嫌いです」
「それは嫌い。でもそれは必要。めんどうだ」
「『政府は市民のため、国家のためにある。故に全体的な利益を追求する。我々公務員の仕事とは社会貢献である』ですか」
人のため、世のための仕事。
それこそが公務である。
「まぁ、市民は納税さえしてくれればそれで良い」
良き納税者に育てる事も公務の一つである。
政府は市民と国家は同じくらい大切な物だ。
「そんな愚民はいりませんよ」
「いや、あいつら少し賢くなったら、権利だけを求めて政府に文句言ってくるから、嫌だわ」
賢さは必ずしも自制や清貧に繋がらない。
賢愚共によく繋がるのは自分の欲望のレベルに沿って求めてくる事だ。
そして、爆発の泡立ちの中から【溟孔龍】の霊光が鈍く漏れ出していた。
「…………愚かな市民達をまとめ導くのも公務だ。仕事に取り掛かるぞ」
「生きていました、か……」
見つめる先には【溟孔龍】が悠々としている。




