嵐流
ラテマア町の調査隊が竜巻のように激しく流れる海流と目と鼻の先に流れていた。
「来るぞ! 嵐流!」
嵐流とは嵐のように四方八方から荒れ狂う激流のことだ。
急激に生まれた低水圧に周りの相対的な高水圧が流れ込むことにより生まれる海洋現象だが、深淵の大穴ではあり得ぬことであった。
深淵の大穴は常時大量の海水が流れ落ちているため、基本的に高水圧な環境を持っている。
だから常に安定した環境はずなのだ。
不安定の極地のような場所しか生まれぬ嵐流は本来なら生まれるはずがなく、生まれても極めて小規模な物しかな生まれない。
現在起きている嵐流は広大で強力な物であった。
「手を離すな! 荷物に近い奴は荷物にしがみつけ。絶対に離れるなよ!」
水の壁で押さえつけられ、叩かれるような混沌とした海流の中、調査隊の隊長は指示を出す事と鼓舞を止める事無く発していた。
最外部に耐えている隊員の握力が緩んだ瞬間を見逃さずに隊長の大きな体で手を掴み必死になってフォローをしていた。
隊員達も隊長と同じように平衡感覚が意味をなさない海中を歯を食いしばり体力を持つ限り耐えている。
「う、ぐぅ、う、ぅ」
人の軋みであるうめき声が海流に薙ぎ消される。
ラテマア町に住んでいる人々は基本的に激しい海流に襲われることは無く、自然災害とは縁が細い生活をしていた。
そのため、現在のような自然災害を直撃することは無く慣れていなかった。
経験不足が更に色々と状況を悪化させる物となっていた。
自然の猛威に思考はシェイクさせられ混乱し、もしかしたら死ぬんじゃないか、と希望が見えぬ未来が調査隊の人々の心情を染めていた。
可動部が大きい折れやすい首が折れぬように体を縮こませたり、しがみついているものに付けて支えたりするなどをするが、それでも首は揺らされ骨にも筋肉にも強力な負担がかかり続ける。
筋肉を収縮するということは筋肉を硬直させるということである、普段は弛緩させている筋繊維が張り負担がかかる。
そして、多くの負担がかかると、筋繊維は切れ炎症を引き起こす。
筋肉を動かすたび痛みが走るようになる。
そして、筋肉に負担がかかり続けると、どこかで攣る。
特に普段運動をしていない者は。
「うっ!!」
悲しい事に真ん中にいる学者の一人が攣った。
そして文字通り芋づる式になって捕まっていた隊員達は攣った学者を最後に投げ出される。
この時の学者の顔は攣った痛みと取り返しのつかない大失敗を犯した罪悪感が漆黒の暗闇の中でもよく見えた。
そして、剥がれ穴が空いた部分に海流が代わりに埋まり込む。
海流は個体ではないので力を与えやすく、その力の影響が固まっていた調査隊を砕く。
調査隊は固まっていたたため柔軟性など無く、一度欠けたら容易く壊れバラバラになっていく。
一人一人が暗闇に飲み込まれ気配を感じなくなる。
遠ざかる、遠ざかる、仲間が、希望が。
調査隊の隊員達は全員、魂が抜けるように生を手放す事を止められずにせめてでも死を覚悟した。
◆◆◆
学者マーク・カイカが意識を取り戻す。
朧げな脳内が意識を落とす前の直前の記憶をみせる。
その情報は溶け込むような暗闇を予想していたが、瞳を開けると眩む程ではないが、目を凝らせばよく見える程の明るさがある景色が目に入った。
覚醒したばかりの瞳に優しい光が入って来て、気持ち良さを感じるが、その幸楽に浸っている程、朦朧としていない。
「ここは、大深層か?」
深海の奥深くには包み込むような光が漂う幻想郷があると、言い伝えられている。
だが、正体は海底火山である場合が多く幻想郷どころか、地獄谷である。
しかし、広がる光景はどこからともなく光が満ちており、決して溶岩などが流れてはいなく、決して水の沸点を超えた海水ではなく、冷たい深海の水で包まれていた。
学者マークはこの場所を知っていた。
深淵の大穴、大深層。
今はただ、発見されただけの場所であり、存在だけ確認している以外の情報が無い領域だ。
学者であるマークでも未知な領域であった。
「興味深いが、まずは皆を探さなくては」
背負っている鞄から仲間を探知する魔術道具を取り出す。
正確には同じ識別番号の魔術道具を探知して、居場所の方向を教えてくれる物だから、所有者を探すわけではない。
薄い筒の中にある転がる玉が筒の傾きと逆らい磁石が引き寄せるように特定の方向へと転がり、停止をする。
そして、その中には僅かに動いているものあり活動が確認できる。
「良かった」
マークは安堵して緊張していた尾ひれから力を抜く、仲間がいるというのは心強いことなのだ。
「結構動いているな。とりあえず距離的に一番近い隊員の元へ向かおうか」
遠くなればなるほど玉の動きは激しくなる。
遠ければ僅かな動きでも大きな影響を残すからだ。
だから、小さく動く玉が一番近いのだ。
ヒレを左右へ曲げようとした時に鯨に似たの響く声が聞こえる。
「近い!」
マークは勢い良く振り返り、鳴き声が聞こえる方向へと耳を澄まし、目を凝らす。
音響からわかる情報から方向と距離間をだいたい測る。
そして、音響が近づいてくると、音感が明確になっていく。
その声はまるで赤子や子供が寂しく泣いているような決して恐怖与える威嚇では無いことがわかる。
(どうする? 仲間と合流するか、今の内にこの鳴き声の正体を知るか)
知識と未知を追い求める学者心が己の背中を押すが、調査隊の一人としては真っ先に隊員と合流すべきだ。
悩んでいても後者が正しいはずなのに、動かぬ時点で既に選択は決まっているような物だった。
学者が深淵を目の前で背を向けるなど、言語道断。
学者は深い闇が先にある深淵の向こうへと向かって行く。
音響が近づく程、海の妖精が増えていく。
様々な種類の魚を形をした、輝きを放たない色のついた影を肉体とした妖精が漂うように泳いでいた。
海の妖精は頭部についている目と鼻などは消えており、口の穴だけとなり、鱗の凹凸感は無くし一枚の皮膚のようで一枚の鱗のようであった。
マークは見慣れた海の妖精をあまり刺激しないように、ゆっくりと慎重に泳いで行く。
マークは暗い景色の中、瞳を輝かせており心臓の鼓動と共にその輝きは海草が揺れるように金粉を舞い散らせている。
水にも伝搬する心臓の脈拍がマークを慎重にしつつも頭に流れる液が期待感を体に染み込ませ、加速と停止を繰り返している。
もう知る事こそ正義という段階にまで至った探究心が引き返す事はできない状態にまで身を蝕んでいた。
同時に視線らしき物を感じ、どこに眼球が有るか
「?」
学者マークは何か落ちたような感覚が突如襲われる。
自分というか、自身というか、己というか、そんなマークの細胞全体を支え、直立させる地面が突如無くなったかのような喪失感があった。
だが、微かな違和感程度の刺激であり、三次元的に常に行動をしており落ちるという感覚には慣れているため、気の所為だと判断する。
「gjmwpkdmtpgam」
物理階層の音では無い、異次元の音が聞こえる。
この音の波長を調べたら、波型の形をしていないだろう。
虚理階層の法則に則られて発された音である。
虚理階層で波長を調べたら波型を確認できるかもしれない。
波長が途切れる。
次に現れる異変にはマークは気づかないが、自身の体が無数の残像が残るようにマークと瓜二つの姿したマークが重なっていた。
芽吹くの産声、初々しい若葉、貫禄の幹、曲がる枝、散る枯れ葉、と様々な時代、可能性のマークが現在のマークの後や前に横と平面上に泳いでいた。
残像らしきものから残像らしきものが生まれ縦に出現して重ねる。
次の異変は重なる残像のような物が様々な形へと変わる化物から小魚までと多種多様な姿を重ねており、元のマークの姿は確認しづらい。
それでもマークは自身の変化には気づかない。
いや、認識できないのだ。
絵画の中の人々がこちらの作家の世界を認識できないように。
マークの視界の中は変わらず澄んでいるだろう。
そして、渾然としたマークが一体と化し一つのマークへと集まる。
「apjpjdgd-mgwqmg」
剥き出しになったマークという知性体を形成する精神物は汚染される。
脳が麻薬などに侵食されるように、神経回路が変わり果てていくように変わっていく。
そして、汚染は外側にも広がり人魚の美しい尾は刺々しく鱗が鋭角状となり、上半身は魚に近づき鱗が生え始め、知能も鱗が増えると共に低下していく。
最終的には胸ビレの代わりに腕が生えた半人面魚が組み合わさったような悍ましいマークだった魔魚に変わった。
人の赤い唇と魚の青白い口が混ざりあったような口をパクパクとしながら進行方向を変えて行く。
学士マーク・カイカはここで死んだ。
魔魚マーク・カイカは誕生した。
「うおっ! こんな化物同然の魚がいるとは……」
仲間を探知する魔術道具を持ちながら歩いて来た隊員が魔魚マークに出会い、正気が削れ心臓が強力に拡縮して体も飛び跳ねる。
魔魚マークはまだ、学士マークの精神が僅かでも残っているのか隊員に近づく。
「怖い、怖い、怖い、怖い」
身を重くさせてくる恐れではなく、身を震えさせる怖れが隊員の体を走らせ、速く逃げようときびすを返すが、魔魚マークについている鞄を見て体を硬直させる。
「カイカ学士の……」
マークだった魔魚には人であった時の装備品がついていた。
なぜ? こんな化け魚がなんでカイカ学士の荷物を持っている。
「偶然だな」
まさか、この化け魚が元マーク学士とは思いもしないだろう。
欠片は残るが原型は残してはいない、原型を残さなければ連想もしづらい。
隊員はそう納得して目の前の化け魚から、マークの荷物だけを器用に取り回収をする。
そして、仲間探しを再開しようとした瞬間に鯨のような重く甲高い声が聞こえる。
隊員はキョロキョロと辺りを見回し音源を探る。
音源を探り当て、その方向へと視線を見つめると魂が引き込まれそうな引力を感じ、あの世の楽園が脳裏に映される。
「まぁ、いいや。隊長は生きているといいのだが」
甘美な誘いがよぎったがこの隊員は興味無さげに仲間の探索を優先する。
なにせ、この隊員は今を楽しんでいるからだ。向こうの景色もおもしろいが、愉悦の笑みが生まれるのは現在である。




