ガルトの冥界
乱気流で激しく流れる雲の中のような光景が広がる冥界にファーレンとルアザは歩いている。
「まだ、歩くのですか?」
ここ数時間ただ右足左足を交互に前に出しているだけしかしておらずルアザは退屈そうにしていた。
「まだだ。まだ」
ファーレンはルアザの何度目かの同じ質問に律儀に返す。
「物理階層の実体が心配ですよ」
物理階層の体である実体は水に浸かっているため、体を冷やしているのではないかと心配になる。
「安心しろ。虚理階層の幽体と離れたわけでは無い。何かあったらすぐに実体に戻れる」
「ここ虚理階層じゃなくて煉獄階層では?」
「半分くらいはそうだな」
「どうりで」
煉獄階層。
この世の物理階層とあの世の物理階層を繋げるための境界の階層。
物理階層であって虚理階層というわけでは無く、二つの階層を連結するために存在する独立した階層だ。
「さて、ルアザ。走るぞ。三・二・一・」
ファーレンがルアザの背中を押して、二人共曖昧で柔らかい地面を掴むように強く蹴り出す。
そして、百歩程地面を蹴ったときに地面は土へと変わり、景色も青く深い森へと変わる。
「ふぅ、ここは?」
突如、景色が世界が大きく変化したため、思考の隙を突くような驚きを持たざるおえない。
一瞬、幻覚にかかったと思ったが、森から漂う特有の匂いと土の質感や空気の気温などから現実だと認知し直した。
「虚理階層のザレト森林だ」
「へぇ」
言われるまで気づかなかった。
「ドルイドの里があった場所に本拠地があるから、そこへ行く。距離はあまり離れてないからすぐに着く」
森の中を歩いていると、虚理階層特有の景色が広がっている。
〈死叫花〉などのあの世の生き物達が多く咲いており、ルアザは物珍しげに周囲を眺める。
次に虚理階層に訪れる時は本当に死ぬ時以外なさそうだから、ルアザは死後の世界を今のうちに満喫しておく。
虚理階層は物の輪郭が影で黒く染まらず逆に白く見えるなど夜に似た特徴があった。
そのためか、日光の煩わらしさが無くルアザは少し気分が良かった。
満喫しつつも、油断の無い鋭い視線を瞳の奥に隠しながらルアザは周りを観察していくと、何かに視線が留まり手の内から剣を作り出し構える。
製作完了すると、空気を切り裂きながら小さく振る。
何か当たった音が響くと、ルアザは足元に視線をやると矢が地面の上に転がっていた。
ファーレンと自分を結界で包むと広範囲の爆破魔術を準備し始める。
「……三・二・一」
吹き飛ばされたくなければ姿を現せ、と全存在共通言語=暴力で話す。
「待て、ルアザ。味方だ」
ファーレンは味方の拠点に大穴を開ける気でいるルアザを焦って止める。
「信じましょう」
冷酷な声で爆破魔術だけは解いて、結界魔術を強力にして感知魔術を展開させる。
全く言葉通りの行動をしない我が子にファーレンは少し苦笑する。
「ファーレンだ。そして、息子のルアザだ。家長就任の儀式をするために来た。無礼な真似を辞めろ」
若干怒気が含んだ、迫力のある声で警告をする。
そして、遠くに木の上から一人の弓使いが降りてきて、頭を深く下げる。
「許す。気がたっているのはわかるが、最低限の事はしろ」
厳しく威圧的に叱責すると、弓使いは頷き下がる。
「アレは?」
「後で話す」
ついにガルトの冥界の中心部に着く。
そこには都市が広がっていた。
中心部には要塞としての役割を持つ巨大な城があり、高く厚いが都市の周囲を隙間無く建てられていた。
ロゼリア帝国で見た城塞都市そのものであった。
「神が作りあげた冥界の都へようこそ、ルアザ。」
「神が制作者のわりにロゼリアよりは小さいんですね」
感想はこれである。
「ロゼリアは規格外だ。一緒にするな。この都市でも十分大きいんだから」
首都ロゼリアと一緒にされては困る。
ロゼリアに勝てる都市など無いと言っても良いだろう。
せいぜい、歴史の長さでは文明の始まりであるマリシャが立つくらいだ。
巨大な門が外側に開き、二人は中へと入っていく。
中は活気溢れる現世の都市と同じではなく、要塞と識別させられる軍事的な構造をした都市であった。
もし、都市の中に敵が侵入されても迷いやすいようになっており、魔術を無効化する領域になっており、感知結界が何層にも展開されている。
建物もほとんどが軍事的な施設なのだろう。
「物騒ですね」
荘厳とした厳粛な雰囲気が満ちており、戦時の重々しい空気が流れている。
「少し色々あってな」
門のすぐ近くにある建物に入り、その建物の中には空間が歪んで景色の色が混ざり合ってできた波打つ黒い穴と色とりどりの光が点滅する歪みがあった。
二人が現世いる建物は転移門を管理する建物だ。
二人は転移門の中に入っていく。
「そいつがお前の子か、ファーレン」
一人の男が転移門の向こう側で待っていた。
悲しげな声で。
「えぇ、我が息子、ルアザです。家長就任の儀式を行うために冥界へ足を踏み入れました」
「なんだ、良かった! お前が言っていた希望の子供が死んで冥界に来たかと思ったぞ!」
虚理階層に行く方法は一般的に死ぬ以外は無い。
今回のルアザはかなり例外的か方法で訪れたため死亡した虚理階層に逝ってしまった、と勘違いされてもおかしくはない。
「ルアザ、紹介しよう。軍神ヌァザ様だ」
片腕が銀色の義手をつけた、かつてはダーナ神族の王である軍神が堂々とした姿で笑みを浮かべながら立っていた。
「……! 名高き英雄神にお会いでき光栄です。ファーレンとエウレアの子ルアザ・ミラレアです」
ルアザは真っ先に義手の銀腕に視線が一瞬向かいすぐに戻した後に礼儀正しく自己紹介をする。
「よろしく、ルアザ。む、我と同じく片腕が無いのか。そうだ、我の予備をやろう」
ヌァザは握手しようとするが、ルアザには腕が無い事に気づく。
「良いんですか!?」
「構わん、ずっと倉庫に眠らせているからな。それに肉体の欠損があると、家長にはなれないからな」
「聞いた事あります。たしか、それで暴君ブレス神が王位に就いてしまったんですよね」
ルアザは暗に家長就任の条件について反省しないのか、と遠回しに伝える。
ヌァザ神に伝わったかはわからないが。
「ハハッ、ルアザは例外的な状況で就くから大丈夫だ」
ファーレンはルアザ安心させるように言う。
「あぁ、間に合って良かった。色々と託せる」
ヌァザもファーレンの軽快な笑み共に笑う。
「とはいえ、儀式とは言っても我が就任者を認めるだけで終わる物だがな。今は暫定として認めよう。近いうちに皆の前で宣言して正式に就任だ」
統治者に必要なのは強力な力ではなく、まともで心構えができているかだ。
統治者自身が強くとも、だいたいの時間は統治勤務に振られるため、使う機会は無い。
対処しきれず困ったらヌァザなどの高位存在に頼れば良いのだ。
そしてもう一つ必要なのは正当性だ。
統治というのは何万人ものの人々の人生を左右させるため、人々はこの人なら大丈夫だ、という明確な根拠が欲しいのだ。
力だけの存在では、不安と不満が生まれる。
意味の無い儀式は存在はしないのだ。
「疲れただろう。少し休むと良い。部屋を一つやろう」
「いや、早めにお願いします。物理階層の実体が心配なので」
「安心せよ、虚理階層の時間と物理階層の時間は違う。物理階層に帰って来る時は物理階層から見れば時間は全く変わっていないように見えるだろう」
「そうでしたか。ご配慮ありがとうございます」
◆◆◆
城の一部屋を与えられたルアザは窓から月のような太陽が浮かぶ夜のように暗く昼のように明るい空を見つめる。
本で読んだ虚理階層の特徴と同じなため、本当に虚理階層に来たのだなと思った。
「父さんだ。入るぞ」
扉の向こうから、ファーレンの声が聞こえるとファーレンはドアを開け入っていく。
「何を見てるんだ?」
ファーレンはルアザの隣に行き、窓の縁に肘をつく。
「冥界の景色を」
「想像と違ったか?」
「はい、もっと魑魅魍魎とした魔の世界だと思ってました」
あの世と聞くと、想像するのは血と悲鳴で構成されていそうな世界というのが真っ先に想像できる。
だが、実際はそれほど現世と変わらず、むしろ心地よいと感じるかもしれない。
「かつてのガルトの冥界はそんな物騒な物は少ないさ。ロゼリアやマリシャのところはルアザの想像通りの冥界かもしれないけれどな」
物騒な冥界と平和な冥界を分ける物は物騒な物がその冥界があるか、ないか、である。
ロゼリア、マリシャ神系の冥界は色々と度し難いものが多く収容、封印されているため魑魅魍魎としている。
「なるほど。……そういえば、母さんやクラウはここに来ましたか?」
「いや、来てないな」
「そうですか」
特に波を立たせない抑揚の無い声で反応する。
死者が生き返るはずは無いのだからもう二度と会えないと理解して納得していた。
偶然にも冥界に訪れる機会があったため、聞いただけであった。
期待はしたが、そよ風のように気まぐれな風向で風が吹いただけだ。
「本来はここに来るはずなんだよ。人生の半分をガルト地方で過ごしたから、ガルトの冥界と結びついているはずだ。だが、来ない」
「幽体も破壊されたんじゃないんですかね。高位の魔神ならできなくはないでしょうし」
虚理階層の体である幽体を破壊する方法は有り、虚理階層に干渉できれば難しい事ではない。
「それしかないだろうな。悲しい事だが、エウレアとクラウは完全に消滅した。自然の輪廻へと戻ったのだ」
二人共そこに悲痛な声は無い。
既に終わっていると知っており、経験しているのだ。
絶対に二度と再会はできないことを覚悟をしているからだ。
「そして、二人を殺害した魔神は【演劇の魔神】魔王の癒しだ。他人の姿に変身するという点とクズの行動から魔神魔王の癒しの特徴と一致する」
「有名な魔神なんですか? 正直聞いた事が無い魔神ですが」
「魔神魔王の癒しは暗躍を得意する。個人の意思関係無く奴と深く関わった奴は必ず破滅する。いや、させられる。魔族達がよくやる事だが、魔王の癒しはプロだ」
魔族は他人を陥れる事に関しては腕が良い。
だが魔王の癒しは更に上手く、惨たらしく破滅させる。
「確かに破滅させられましたね」
唯一の親とルアザにとって世界の全てだった自然だけの故郷などの、ルアザを形成してきた大半を滅ぼされたのだから、破滅と言ってもいいだろう。
「しかも、方法がかなり悪どい。魔王の癒しは標的の人物を定めると、その人物の最も親しい、近い人を操り、破滅させる」
家族、親友、恋人などの最も信頼している人物を使うのが魔王の癒しの方法であった。
「僕の場合は化けていましたね」
「奴のせいでガルト人々は仲間を信じることができず、疑心暗鬼になってしまい、あらゆる面二おいて後手に回ってしまった」
「厄介すぎますね」
想像してみよう、昨日まで仲良くしていた友人が次の日に自分の妻を寝取っている明朝を。
友人は敵へと変わり、妻には殺意を向けるようになり、仲間殺しが躊躇いもなく行えるようになった状況を。
友人と妻を唆した魔王の癒しはそれを高みの見物で眺め爆笑しているのだ。
「あって欲しくはないが、ロゼリア帝国にも魔王の癒しの魔の手は伸びているのだろうな」
人を陥れ醜くさせる最低なクズがガルトだけで満足しそうにもない。
我が身をもって体験した事だから、鮮明に想像できてしまう。
「暴力を振るうだけの魔神よりもたちが悪い。ルアザ、魔王の癒しを見つけたら即座に殺せ」
憤怒に満ちた、感情が圧縮された濃度がある声でルアザに言う。
感情で力を込めすぎて、声帯が痛いほどであった。
魔王の癒しは精神を殺す方法を長けている魔神だ。
教唆から洗脳までと悪業こそが魔王の癒しの真骨頂だ。
魔神だから一定の暴力も持っているのだろう。
「……わかってます。ですが、周りを巻き込んでまでは相対しません。僕は復讐に狂った復讐者ではありませんので。理性をもって奴を討伐します」
魔王の癒しにとって復讐心は容易く行える都合の良い教唆対象にすぎないと予測する。
「そうだ。それで良い。心が燃えてる者では魔王の癒しは倒せない。虫を潰すように、何の感情も抱かなく殺れ」
【演劇の魔神】魔王の癒しは燃える心を持つ者を狂わせ放火魔へと変える事が得意であり、逆に凍傷を負わせる事も得意だ。




