無音から大音へ
門を通り抜けたルアザ達は周りの静寂さに驚きを隠せない。
「静かすぎる……」
まるで虚無がそこにあるかのような波長一つも存在しない空間が広がり、ルアザの小さな呟きは響く事も無かった。
外に広がる強烈な存在感を放つ【溟孔龍】の気は門の内側に入ると、外側とは真逆に儚ささえも感じる波紋が一つも立たない、場所であった。
妖精が泳ぎ舞っている。
だが、明らかに目立つ点がある。
だが、異物感と言うべき物は感じず、属性的には神殿内に似た点であった。
金色は黄金色とだいたい同じだが、黄金色の方がなぜか輝いて見えるような感覚に近い。
ルアザ達は目立つ点に向かい進んでいく。
そして、目立つ点の正体が【溟孔龍】であると予想もできていた。
ゆっくりと時間を稼ぐようにルアザは一歩一歩足を進めていく。
内心に宿る休まらない緊張と冷静であれと叫ぶ理性が渦巻く混沌とした心情でも、己の役割を綱にして表へ中の荒れを出していない。
そして、【溟孔龍】を認識すると、空間は途切れ、次の一歩目を踏み出した時、ルアザは環境の変化からラテマアから離れた事に気づく。
「!!? ……ユーンベクルさん! いますか!!?」
すぐに振り返り、仲間の安否を確認しようとする。
振り返る勢いでフードが取れてしまったが、そんな事は些細な事だ。
今は一刻も速く確認しなくてはならない。
「最悪だ……!!」
後ろには誰もおらず、自分だけが佇むだけである。
脳裏に急速に浮かぶ吐き出しそうな程の苦い想像。
まさか、死んだのでは? 敵に囲まれているでは? もしかしたら──。
自分にも当てはまりセミナにも当てはまる想像が次々と出てくる。
視野をどんどん狭くする焦燥感が自身を包み込むのに気づいたルアザは一度周りを見渡す事により、視野を広くして落ち着きを取り戻す。
「〈世界録〉で確認しよう」
情報という点では最高の書本を開き、現在の状況を確認をする。
(ユーンベクルさんはラテマアの神殿には、まだいる。だけど、すぐにでも暴れ出しそうだ。すぐに戻らなければ)
現在のセミナの様子はルアザの突然の消失により、【溟孔龍】及び深淵の怪物への完全敵対ともいえる猜疑心に支配されていた。
(ここは深淵の大穴の深部か……。そして階層が曖昧になっているせいで、深部階層が近い。だから浅部階層が見えてしまう)
ルアザの視界には暗いと表現できる程の僅かな明るさがある景色を映していた。
だが、光は一筋も通らない完全に真っ暗な深海のはずなのに周りを視覚で認識できる程の光度があるのだ。
「うーん。上に昇るだけで帰れないか……」
現在ルアザがいる空間は別の階層が同時に存在し合っているため、亜空間とも言うべき状態なのだ。
そして今回の亜空間の性質として、空間の底が空間の天井と繋がってしまっているため、ループ状態にも似た一種の隔離状態であった。
「……文句をつらつらと流したくなるものだ」
ルアザが今頭を抑える原因としては単純かつ唯一の帰還方法である浮上ができず、ルアザにはまだ、空間を飛び越える技術も無いため、端的に言えば絶望的な状況であった。
「どこか隙間は……、やっぱりある」
この亜空間が全部が全部同じ性質しているわけではなく、粗も多い不安定ぎみな空間である。
そのため、ルアザが〈世界録〉を通して外へと繋がる穴を探したのだ。
早速ルアザは〈世界録〉を片手に穴へと向かい素早く泳いで行く。
ルアザが進むルートは俯瞰的に見ると、真っ直ぐ進むと思いきや大きく曲がったり、辿った道を戻ったり、暫くの間その場で止まったり、時折ワープもしている。
(時間が許すなら、ここをじっくりと研究したいものだ)
ルアザは〈世界録〉に描かれる地図を鑑みて、安全な空間と階層がある場所を選びながら進んでいた。
(ここにいるだけで階層への理解が深まる。空間や次元の魔術を扱う何時かの日が縮まったかもしれない)
複雑で危険だが識見を広げるには丁度いいサンプルが目の前に多く広がっているのだ。
〈世界録〉を読めば、ほとんどの事がわかるとはいえ、本物でしか得られない特有の迫力は理解の質が大きく違う。
「どれ?」
ルアザは目の前にある非常に脆く柔らかい空間に干渉し、指で線を描くと、カーテンが開くように景色は流れる。
時空や次元に関わる属性の一端を短時間で掴んだルアザは波打つ景色の向こうへと進む。
◆◆◆
セミナは前を進むルアザが突如消える事に驚愕と同時に手に持つ赤槍を構えながら、深淵の怪物から距離を取る。
「何をした!!?」
「自分は何もしていない。【溟孔龍】様が何かなさったのだろう」
セミナはすぐに【溟孔龍】問いただそうと向かおうと尾ビレに力を込める。
「!!!」
体の向きを変え視界に写った者を見ると、鋭くなった視線と目つきが万全に警戒線を張った領域に予兆も無く入り込んだ時と同じ驚きをした顔色に入れ替わる。
「主様。御用で?」
セミナの視界と警戒心を支配するのは【溟孔龍】であった。
セミナはすぐにでも胸ぐらを掴んでルアザの行方を知ろうとする。
(動かない……!)
だが、体が凍ったかのように、どんなに意思を神経に走らせようとも指一本動かせず、魔術や魂力操作さえも全く行えない。
「来なさい……」
【溟孔龍】は二人を軽く一瞥した後、背を向ける。
「はっ……」
(私の体に何が!?)
深淵の怪物は【溟孔龍】の背を追う。
セミナは体が自分の意思に反して勝手に【溟孔龍】について行く動作をしてしまう。
そして【溟孔龍と二人は景色が割れた間に入ると、ラテマアから姿を消す。
(眩しい)
転移した先は漆黒の世界である深海深部では少ない、明確な影ができる光が存在していた。
セミナは声は出せないが、一瞬にして移り変わった環境に適応できずに、目を細める。
「セミナ!!」
光が視界を支配する中、何度も聞き崇め奉る神の声が己の名前を呼ぶ声が聞こえる。
光が慣れた時に強力な息吹が場を支配し、殺気が【溟孔龍】へと向かう。
視界が鮮明になると、今どこにいるのか、どんな状況なのかをすぐに確認する。
焦燥と緊張に溢れた戦神メラトリオが自身の固有空間を操り封印の鎖を【溟孔龍】を囲むように回転をしながら向かっていた。
(メラトリオ様!)
明らかの強襲を【溟孔龍】は常に浮かべている涼しげな顔をして、少し動き回る鎖にピントを合わせると支配権をメラトリオから奪い、地に落ちる。
「落ち着きなさい……」
若干弱々しい印象のある清流のような澄んだ声であるが、その一言は魂を干渉し絶対的な命令となる。
(なっ!?)
セミナ同様、メラトリオも体が動かず次の攻め手を打てず、ただ力の差を見せつけられるだけであった。
【溟孔龍】の手がメラトリオに向かい伸びる。
一見、細く石がぶつかったら容易く折れそうな青白いと言える白い手が伸びているだけに見えるが、メラトリオとセミナの手には恐ろしい怪物の手に見えた。
「…………! ぬァァァァあぁ!!!」
メラトリオは仮にも神と呼ばれる高位存在。
意地という物がある。
【溟孔龍】の拘束を弾き飛ばし、鎖は生き返り牙を向く。
「フゥン……」
【溟孔龍】は始めて興味を示し、目を細めた。
ここはメラトリオが作った固有空間。
当然、空間の主であるメラトリオが全て有利に働くようにできている。
(何も対策無しで踏み入れて来た外敵を環境の力を以て、今ここで磨り潰す!!)
メラトリオはやや指を曲げた手を上下平行に合わせ、力を込めながら回転させる。
【溟孔龍】の周りが捻じれ、深淵の怪物を椅子に優雅に座る【溟孔龍】が回転し始めるが、傾いただけである。
本来なら捻じられて、絞られて、終わる。
メラトリオの手元の空間から剣が生成され、完成の途中で小振りの一閃が薙ぐ。
だが、生まれる斬撃は背を超える大剣の一撃になり、放たれた強力な攻撃は距離を無視して【溟孔龍】に直撃する。
必中効果を鎖にも与え、メラトリオの決めた事が新たな自然法則となる。
鎖が巻き付くのでは無く突き刺さされ必ず捕えるという結果が法則に則り作られていく。
鎖は【溟孔龍】の首胸腹手足を貫き全身を貝壺にいれたかのようにすきま無く重厚に巻き付く。
「冥界、開門」
地が裂け見えざる世界の扉が開く鎖が繋がる先は虚理階層の亜空間である冥界。
冥界が開く裂けた地の一面から鎖が生え【溟孔龍】にマグマが吹くように一勢に襲い掛かる。
鯨の鳴き声のような音が響いた。
「来るわ! 構えなさい!」
セミナの拘束が一瞬弱まるのを感知し、人数的有利を生み出すためにセミナの拘束を解く。
セミナはメラトリオの命令の理由をすぐに察し防護結界を何重にも構築し、これから襲い掛かる衝撃に備える。
【溟孔龍】を包む鎖の空間が錆びたように赤褐色に変わると、鎖はパーツ単位で砕け散る。
「……その程度で私を縛れると思うの……?」
【溟孔龍】は何も変わらぬ態度で挑発するような物言いをする。
「それなら! 手加減無しで消し飛ばすのみ!」
両手に持つ二刀を頭上に交差させると目を焼く光が放たれ破壊光線が放たれる。
「──」
セミナには効果無効させ、必中効果が残る【溟孔龍】は喉を震わせ、音を発するだけで破壊光線の脅威を防ぐ。
無音の気配と共に【溟孔龍】の背へと位置につき、静かで迷いの無い赤槍の突きが向かう。
「させぬ」
【溟孔龍】の椅子となっていた深淵の怪物が枝を伸ばしセミナの赤槍と衝突する。
(硬い!)
指程度の太さしかない深淵の怪物から生える自在の操作が可能な枝がへし折れない事に警戒共に驚いた。
一度、セミナは距離を取りメラトリオと【溟孔龍】を挟み込む陣形を作る。
燦然と輝く光が薄くなるのと同時にセミナは光を奪い白色が微かにも存在しない、漆黒の世界を作り出す。
(同時に行く)
(承知しました)
現在セミナはメラトリオから固有空間の干渉権限を貰っていた。
メラトリオはセミナとの連携を強めるために口に出さずとも、念じるだけで情報の受け渡しを可能している。
セミナとメラトリオは転移して移動時間を消し、攻撃モーションへと入る。
メラトリオの双剣が上段から振り落され、【溟孔龍】を叩き殺そうとする。
セミナの赤槍は斧が振るうように砕き潰そうと薙ぎ振るう。
水中にて火花が散る時、【溟孔龍】が化物である事を一人と一柱は思い出す。
耳まで裂けた口と恐ろしい歯でメラトリオの双剣を火花が散る程強く噛み、メラトリオの赤槍が食い込んだ腕で防いでいた。
「まずっいっ!!!」
【溟孔龍】の絶世の美貌から花が咲くように皮膚が裏返り真紅の花を咲かせ、目玉の実がよく目立つ。
真紅の花は双剣を養分に急速に成長し、メラトリオに噛みつかんとしていた。
同じようにセミナの方も槍の赤色よりも赤くどす黒い血のウツボが牙を向いて口を大きく開けていた。
「ハァあ!!!」
慄くメラトリオとは違いセミナは襲い掛かる血のウツボを手刀で切り落とし、血のウツボが再結合する前に手刀した拳を握り込み、【溟孔龍】を殴り飛ばす。
「くっ……!」
セミナは拳が衝突した瞬間【溟孔龍】の反撃により自身の血で赤く染まった手を抑える。
だが、視線は【溟孔龍】から一切離していなかった。
「今治すわ」
メラトリオはセミナの手を過去の無事な状態に置き換える。
「…………そういえば貴女、私に傷をつけたわね」
揺れるように立ち上がる【溟孔龍】は殴られた部分を優しく擦りながら、過去の記憶を思い出す。
「私達の害となるなら、何度だって攻撃を仕掛け、傷をつける」
槍の穂先を向け英雄としての勇姿をその身に纏う。




