後日談 シュバルツ国にて
蛇足ですが、サーシャとエリアスの卒業後の話です
(どうしよう……緊張してきたわ)
王都を出発して5日目、ようやくシュバルツ国の王都に到着する。それはシュバルツ国王並びに王妃殿下に拝謁することを意味していた。
「サーシャ、どうした?」
優しい手つきでサーシャの髪を梳いていたエリアスがサーシャの内心を感じ取ったのか、案じるように声を掛けてくれる。
「いえ、何でも……その、少し緊張しています」
気持ちを伝えてから、サーシャは少しずつエリアスに思ったことを素直に口にするようになっていた。思ったことを伝えずにいるとエリアスはサーシャに我慢をさせていると思うらしく、甲斐甲斐しく世話を焼いたり、寂しそうな表情を浮かべるのだ。大切な人にそんな表情をさせるのはサーシャとしても本意ではない。
サーシャの言葉に一瞬嬉しそうな表情を浮かべたエリアスは、少し困ったような表情でサーシャの頭を撫でる。
「王宮内に住むことになるが、父上と母上には無理して会わなくてもいいんだぞ」
「緊張しますが、お会いしたくないわけではありません。王族の方々に拝謁する機会などそうそうございませんし、非礼な真似を仕出かさないか心配なだけです」
しかもサーシャは子爵令嬢という貴族としては低い身分であり、元平民だ。通常なら王族と婚姻を結ぶことなどあり得ない。番が絶対的な存在とはいえ国王陛下や王妃殿下には受け入れがたいことだろう。
「サーシャなら大丈夫だ。……ああ、ただ母上についてはあまり取り合わなくていい。できるだけ距離を置いたほうがいいかもしれないな」
「エリアス殿下、そのような物言いは誤解を招きます。サーシャ様、王妃殿下はお優しい方でございますのでご心配なく」
気配を殺すように静かに馬車の反対側に座っていたレンが苦言を呈する。基本的に会話に参加することなくエリアスを見守っているレンだが、必要な時にはしっかりと意見を伝える侍従の鑑だ。
(どんな方々であってもエリアス様のご両親だもの。良好な関係を築けるように頑張らないと―)
城に到着してからは休む間もなく入浴、マッサージ、着替えが待機していた侍女たちによって行われ、若干げっそりした気分になるが国王は既に待機しているという。待たせるわけにはいかず迎えにきたエリアスにエスコートされて謁見の間に向かった。
「サーシャ、すごく綺麗だ。…正直、誰にも見せたくないから謁見はまたの機会にしないか?」
しばらく控えめだった溺愛発言は、自分を気遣ってのものだろうとサーシャは思った。
「ありがとうございます。エリアス様、私は大丈夫ですわ」
「ああ、そう取ったか。……まあいいが、本心だからな?」
扉を開ける前に深呼吸すると、サーシャは覚悟を決めた。
「そなたが息子の番だな。面を上げよ」
「ランドール国ガルシア子爵家のサーシャと申します」
最上級のカーテシーと苦手な令嬢スマイルを浮かべて、サーシャはエリアスの父であるシュバルツ国王に挨拶する。
「……番なんだよな?」
戸惑ったようなその言葉はエリアスに向けられているようだ。
「はい、サーシャは正真正銘私の唯一である番です」
ちらりとエリアスを窺えば、笑顔なのだが怒っているような気配がある。
(エリアス様の番なのに私の容姿が平凡なばっかりに、陛下も困惑していらっしゃるのではないかしら?)
眉目秀麗なエリアスの隣には容姿端麗な女性がお似合いだ。申し訳ない気分で視線を戻すと、王妃殿下と目が合った。眉をひそめた王妃殿下はサーシャから目を逸らすと、傍に控えていた侍女に何事かを囁いている。
「そ、そうか。疲れているだろうから、もう下がっていいぞ」
そのまま二人で辞去しようとする前に、王妃殿下が口を開いた。
「私はサーシャさんとお話がしたいわ。お茶会の準備をしているから、この後一緒にいかがかしら?」
「サーシャは旅に不慣れな上、他国に来たばかりで疲れております。数日は休ませてやりたいのですが」
「ええ、女性同士でしか話せないことなどありますもの。ゆっくりしてもらうためにお茶の席を設けたのよ。エリアス、貴方は同席しなくていいわ」
「サーシャを一人にするわけないでしょう。何を企んでいるのですか?」
丁寧な言葉であるものの険悪な空気が漂いつつある。国王も間に入るべきか躊躇しているようだった。
「企むなんて酷いわ。サーシャさん、貴女はどうなの?私とのお茶会は嫌かしら?」
「母上!!」
エリアスが首を振るものの、王妃直々のお誘いを断るなどできない。
「ご招待いただき光栄でございます。ぜひご一緒させてくださいませ」
招かれたのは王妃殿下の私室であった。王族の私的空間に足を踏み入れるなど滅多にないことだと思っていたのだが、国が変われば慣習も異なるのかもしれない。
「サーシャさん、よく来てくれたわね。レン、貴方は下がっていいわ」
「王妃殿下、どうかお許しいただけませんか?本来はエリアス殿下自身が付き添いたいと主張していたところを私が代理ということでご納得していただいたのです。決して邪魔をしないとお約束いたしますから」
レンが告げると王妃もそれ以上言葉を募ることなく、あっさりレンの滞在を許した。
勧められて椅子に座ると、一人を除いて侍女たちを下がらせる。人払いをされたことで何が起きるのか、サーシャは緊張と不安で心臓がうるさいほどだ。
「サーシャさん……うちの愚息が申し訳ないことをしてしまいました。本当にごめんなさい!」
テーブルに触れんばかりに頭を下げられてサーシャは激しく混乱した。
「王妃殿下、どうか顔をお上げください!何も謝罪をされるようなことなどございません」
「でも番だからと無理やり他国に嫁がされたのでしょう。他国とはいえ王族からの命に逆らえるわけないもの。それに、その色々と強引な行為だって…」
「さ、されてません!」
「え……?」
悲愴な面持ちだった王妃が目を丸くしてサーシャを見つめる。
「王妃殿下、エリアス殿下は無実ですよ。求愛行動はしていましたが、それも一応常識の範囲内で収まっております」
「…だって、番よ?」
何となくサーシャは察してしまった。初対面の時のエリアスの過剰な求愛行動は貴族社会で受け入れられるものではない。あの時の状態が続いていれば拝謁の場だろうが、人目を憚らず抱き寄せられていただろう。国王陛下の困惑した様子も番に対する執着が感じられなかったからではないだろうか。そして王妃殿下も恐らく陛下に同じようなことをされたため、親として息子の行動に対して謝罪をしたのだ。
(多分このお茶会もそのためにわざわざ準備してくださったのだわ)
そう思った途端、目の前のきりっとした美しい女性が優しく可愛らしい女性に見えてくる。
「王妃殿下、多大なご配慮ありがとうございます。最初は戸惑いましたが、殿下は私の気持ちを尊重してくださっていますし、私はエリアス殿下をお慕いしております」
最後のセリフは恥ずかしかったが、きちんと伝えておきたかった。王命だから嫁ぐわけではなくエリアス自身に惹かれていることを、育ててくれたご両親には分かって欲しいと思ったのだ。
「……そうなの。良かった……っ」
涙ぐむ王妃殿下にハンカチを差し出すと、目元を抑えながらも穏やかな微笑みに変わった。
部屋に戻るとほとんど間を置かずにエリアスがやってきた。
「サーシャ、大丈夫だったか?母上に酷いこと言われなかったか?」
ぎゅっと抱きしめられ、質問を口にする間も頭や額に唇を落とされるとふわふわした気持ちになる。
「大丈夫ですよ。王妃殿下は私のことを心配してくださっただけです。とても優しい方ですね」
あの後王太子妃教育についても話してくれたのだが、結婚してから何と3年間公務がないという。それは番の本能を落ち着かせるために必要な期間として認められており、準備する時間はたっぷりあるから焦らなくていいと教えてくれたのだ。
「……父上と母上の話を?」
暗い声音に顔を上げると辛そうなエリアスの表情が浮かんでいる。その言葉でエリアスがサーシャを王妃と会わせたくなかった理由が分かった。
「はい。王妃殿下から伺いました」
王妃殿下は元伯爵令嬢で婚約者がいたが、陛下が視察で訪問した際に番だと認識された。強引に婚約破棄させられた上に陛下と結婚させられ、2年ほど離宮から出ることは叶わなかった。
『今でこそ仲睦まじい夫婦だと言われるようになったけど、あの人が過去にしたことは完全に許していないの。だからエリアスにも散々番を求めてはいけないと言い聞かせていたけれど、サーシャさんがあの子を愛してくれて本当に良かったわ』
「サーシャを番として認識した時には母上の過去も忠告も吹き飛んでいた。……詫びて済むことではないが、本当にあの時はすまなかった」
王妃殿下があれだけ親身になってくださったのは過去の自分と重ねたから、そして自分の息子が父親と同じ過ちを犯すことを恐れていたからだろう。
「エリアス様、確かに最初は驚いたしちょっと怖かったです」
聞こえてきた呻き声に、肩に回された腕に手を添える。
「でもエリアス様はきちんとお話を聞いてくださいましたし、番に抗おうとしたり私を護ってくださいました。過去は変えられませんが、そんなエリアス様を私は好きになったんですよ」
王妃殿下に続いてエリアス本人にも気持ちを伝えることになったが、恥ずかしさより理解して欲しいという欲求が勝った。
「サーシャ」
くるりと向きを変えられて熱のこもった瞳と目が合った。目を閉じると柔らかい感触が唇に触れる。徐々に深くなる口づけにサーシャは付いていくのが精一杯だ。
「愛している。一緒に幸せになろう、サーシャ」
どちらかだけではなく、互いの幸せを願う言葉が嬉しい。この国で一緒に歩んでいく未来が見えた気がしてサーシャはエリアスに微笑んだ。




