⑰領地への訪問
王都から領地まで馬車で半日ほどかかる。寮から直接向かうほうが早いためシモンと二人で向かうことになった。それほど長い時間をシモンと過ごしたことがなかったため始めのうちは不安だったが、学園のことやシモンの研究について話しているとあっという間に時間が過ぎた。
食堂で昼食を摂った後に馬車に揺られていると眠気がやってきた。気晴らしに窓の外に目を向けるが、代り映えのない田園風景は眠気覚ましには不向きである。
「サーシャ、眠っていいよ。誰も見ていないし実は僕も昼寝がしたいと思っていたんだ」
シモンの言葉は自分を気遣ったものであることは明らかだ。これまでのサーシャなら使用人の立場でそんなことはできないと突っぱねただろう。だけど今の自分はシモンの義妹として領地に向かっている。何よりシモンの好意を無駄にしたくない。
「…ではお言葉に甘えて少し休みます」
そう言うとシモンは嬉しそうな顔で頷いた。
目を瞑ったものの母以外の前で眠るなどは初めてのことだ。眠れないかもしれないと思ったのは一瞬で、馬車が大きく揺れたため意識を取り戻した。
「すみません!急に獣が飛び出してきたので。大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
御者の声に答えるシモンの声が近いのは当然で、サーシャの目の前にはシモンのシャツが広がっている。
(えっと、これはつまり――お義兄様に抱きしめられているの?!)
「サーシャ?怪我はないね?」
こくこくと頷くと、シモンはサーシャの肩に回していた手を離して元の位置に戻った。
「折角ぐっすり眠っていたのに起こされてしまったね。……少し休憩を取ろうか?」
「いえ、大丈夫です。――あの、もしかして眠っている間、支えていてくれたのですか?」
それだけ熟睡していたのなら、窓に頭をぶつけていてもおかしくないのに痛みはない。それどころか頭の部分に、何か柔らかいものが添えられていたような感触が残っていた。
ずっと頭に手を添えていてくれたから、急な揺れにも間に合ったのだろう。
「平坦な道ばかりではないから、念のためにね」
ご迷惑をかけて申し訳ございません――そう口にしかけたが、実際に出てきたのは別の言葉だった。
「気遣ってくださってありがとうございます、お義兄様」
「これぐらいかわいい妹のためならお安い御用だよ」
慈愛に満ちた眼差しでシモンは微笑んだ。そこには邪な思いが一片たりとも混じっていない妹を想う兄の姿があった。
「サーシャ、屋敷に着く前に話しておきたいことがあるんだ」
どことなく和やかな雰囲気の中で、躊躇いがちにシモンは口を開いた。
「ユーゴ様がサーシャと話をしたいそうだ。サーシャに訪問する許可をもらえないか訊ねて欲しいと言われた」
学年は違うがシモンは今年から生徒会に所属しているため、ユーゴとの接点はある。一方的に関わるなと告げたサーシャを尊重し、あれ以来ユーゴと話すどころか顔を合わせることもなかった。代わりにシモンに言伝を頼んだからといって、責められることではない。
「ユーゴ様にサーシャを何故知っているのか尋ねたら、サーシャの許可なしに話すことはできないと断られたよ。できれば僕はその理由を知りたい、兄としても子爵令息としても」
高位貴族である侯爵家との繋がりは有益、不利益どちらに転がるか分からない。ましてや学園で関わりのある先輩と義妹に接点があると聞いたシモンはさぞかし驚いただろう。
「お義兄様、恐らくお父様と奥様は知っている話だと思います。ですからお話ししても構いませんわ。ただ、私はそのことで何も影響を受けておりませんし、心配する必要もございません。それをご承知おきくださいませ」
優しい義兄がこれ以上過保護になっても困る。そう思ったサーシャがあらかじめ釘を差す。シモンが頷いたのを見て、8年前の誘拐事件のことを話し始めた。
「サーシャ……」
話し終えると気遣うような表情で何かを言いかけたが、最初に念を押されたことを思い出したのか、そのまま口を噤んだ。
「ユーゴ様は責任感の強いお方ですから、学園で再会した私のことを気に掛けてくださったのですわ。ですが、私はこれ以上噂を立てられるようなことを避けたかったので、ユーゴ様とお会いすることはご遠慮させていただきました」
「ユーゴ様がいたく気にしていらっしゃるようだった。あの人から家族について訊ねられることなどなかったから驚いたけれど、そういうことだったんだね」
ちくちくと罪悪感が胸を刺す。あの時はレイチェルのことで悩んでいた矢先、見知らぬ上級生から不快な言葉を掛けられ苛々していたのだ。
普段だったらもう少し言葉を選んだのに、さっさと立ち去りたいとユーゴの気持ちを慮ることなく関わり合いを避けてしまった。
「サーシャが会いたくないなら断りの連絡を入れるよ。……どうしたい?」
「少し考えるお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
シモンの承諾を得ると、外の風景を見ながらサーシャは考えを巡らせる。
関わらないほうがいいのは分かっているが、どこか傷ついたようなユーゴの表情が気にかかっていた。
(それに距離を置こうとしてもいつ強制力が働くか分からない。それだったら事前準備をして会っておいたほうが安全かも。だけどそれが好感度を上げるきっかけになったら?)
堂々巡りするサーシャの思考をよそに、馬車は領地へと順調に歩を進めていった。




