⑬過去の慢心
すぐそばにいる黒髪の少女が苦しそうに身じろぎしたのを見て、ユーゴは思わず声を掛けた。
「おい、起きろ」
軽くゆするとその瞼がゆっくりと開かれたが、どこかぼんやりとした様子だ。この状況を理解していないのかもしれない。
「大丈夫か?ぐったりしていて動かなかったがどこか悪いのか?」
「あ、ごめんなさい。たぶん大丈夫」
少し掠れていたものの、受け答えはしっかりしていることにユーゴは安堵した。幼い子供は言葉が通じなくて苦手だが、この少女は見かけによらず随分と落ち着いているようだ。
少女は周囲を見回すと少し考える素振りを見せて、しゃくり声を上げながら涙をこぼしている幼い少女の前に座った。少女は怖がらせないようそっと手を伸ばして、頭を優しく撫でながら話しかけた。
「私、サーシャっていうの。あなたは?」
そう言ってみんなの名前を訊ね、手を握ったり抱きしめたりしていると怯えと緊張に満ちていた空気が少しずつ和らいでいく。
その様子を見ていたユーゴは足元がぐらつくような衝撃を受けた。
攫われて怖い思いをしているはずなのに、そんな素振りを見せずに周囲を気遣う優しさと強さ。そして自分よりも幼い少女がそれを行っているのに、年上であり貴族として常に振る舞いを求められているにも関わらず何もできないことへの無力感。
周囲から年齢よりも落ち着いた言動を褒められることが多く慢心していたことにユーゴは気づいた。大人の、評価する者の目がなければ自分は行動しようとしなかった。子供が苦手であっても、民を守るのが貴族の務めであるのにそれを放棄した自分が恥ずかしいとユーゴは思った。
そもそも慢心していたからこそ、護衛を撒いていつもなら行かない路地に入りこむような愚行を犯したのだ。親切そうな大人に騙されて攫われたのは自業自得、それでもまだ父や護衛が助けに来てくれると安心しているからこそ取り乱さずに済んでいる。権力や身分に守られていない平民の子供はどれだけ心細いだろうか。
ユーゴは逡巡したものの、サーシャの傍に行くため立ち上がった。
きょとんとした表情を浮かべるサーシャの頭を撫でる。嫌がられたらどうしようと思うと心臓が早くなり、サーシャから目を逸らしてしまった。
「ありがとう」
嬉しそうな声にほっとしてサーシャを見ると、労わるような優しい笑みを浮かべている。
まるで天使のようだと思った。
この子を絶対に守ろうとユーゴは心に決めた。救出される瞬間までユーゴはその小さな手を握りしめていた。
(――まさか8年前からフラグが立っていたなんて!)
そんな昔に攻略対象に会っているなど誰が想像できるだろうか。そもそもあの時は膨大な記憶の整理と現状把握で頭がキャパオーバーだったのだ。混乱する中気づけば狭い牢の中に押し込められていて、身体的には自分と同じぐらいの年頃の少年少女を見た瞬間、記憶について一旦先送りにすることを選んだ。
余計な情報は脇に置いて、無事に逃げ出すことと子供たちを安心させることに集中していた。前世である大人の記憶が幼い子供たちは守らなければという使命感を掻き立てたからだ。その中で貴族の少年は子供ながらにサーシャを気遣って、頭を撫でてくれたような記憶がぼんやりとある。
(幼い頃に出会った少年少女の再会、対象が自分でなければユーゴ様ルートは応援したくなるぐらい純愛かつ王道の展開なんだけどね)
驚きはしたものの、胸が高鳴るようなときめきはない。やっぱり自分はヒロインに向いていないようだ。
「その節は侯爵家のご令息とは知らず、大変失礼いたしました」
あくまで礼節を保ったまま距離感をほのめかすような言葉を口にすると、ユーゴは眉をひそめた。
「サーシャ嬢、私は君のおかげで自分の傲慢さに気づくことができたんだ。感謝こそすれ詫びられることなど何もない」
「私は何もしておりません。何がきっかけであったとしても、全てユーゴ様が努力された結果ですわ。――それでは失礼いたします」
「―っ、また会えるだろうか?」
切実さを感じさせる声音に罪悪感を覚えるが、サーシャに出来ることは一つだけだ。
「申し訳ございません。……ユーゴ様は私の噂をご存知ですか?」
その質問にユーゴは気まずそうな顔を見せたことが、答えになった。
「私は平穏な学園生活を望んでおります。もしユーゴ様が幼い頃の私に僅かでも感謝の気持ちを抱いてくださったのならば、どうかお聞き届けくださいませ」
今度こそ背中を向けてその場を立ち去るサーシャに掛けられる言葉はなかったが、背中に感じる強い視線は廊下を曲がるまでずっと続いていた。




