プロローグ
サーシャは駆け足で路地裏を走り抜けていた。暗くならないうちに帰ってくるよう母親にきつく言われていたのに、気づけばすっかり日が傾いていた。いつもなら大通りを通るけど、路地裏を通ったほうが近道だ。
あと少しで家に着く、その安心から少しスピードを落として数歩踏み出した途端、視界が暗くなった。驚いて上げた悲鳴は覆われた大きな手に遮られる。
「騒げば命はないぞ。大人しくしろ」
横道に引きずりこまれたのだとサーシャが理解した頃には、荷馬車に放り込まれていた。
幌がしっかりと閉められると荷馬車は勢いよく駆けだしていく。
薄暗さに目が慣れればそこには縛られ、ぐったりした様子の数名の子供がいた。恐らく自分のように攫われたのだろう。
その中で一人だけ目の引く子供がいた。繊細なデザインと明らかに上質な衣服、整った顔立ちに綺麗に手入れされた髪は貴族の子供。
(貴族の子がいるなら、身代金目当て?でも私たちみたいな平民も混じっているなら奴隷として売られるのかも)
自分の思考にぞっとした。もっと気持ちが前向きになることを考えないといけない。
(大丈夫、誘拐の成功率ってものすごく低いんだから。確か95%ぐらいは失敗するってテレビで言って……)
――どうして自分はそんなことを知っているのだろう?テレビって何?
そう疑問に思ったサーシャの頭に凄まじい勢いで情景や言葉が浮かんでくる。それに耐えきれず、サーシャはそのまま気を失った。
サーシャ7歳、誘拐されたことで前世を思い出してしまった。
その後サーシャたちは無事に救出された。一緒に攫われた少年が有数の貴族令息だったことが迅速な対応に繋がったということを大人たちの会話から察したが、サーシャはそれどころではなかった。
「これって異世界転生になるのかな?」
母アンヌに泣きながら叱られた翌日、サーシャは部屋で呟いた。
前世の生まれ育った日本では異世界転生は流行で、漫画や小説の題材として数多く取り扱われていた。サーシャ自身も好んで読んでいたが、そこに書かれていた内容が現在のサーシャの状況と非常に似通っているのだ。
「事実は小説より奇なり、いやどちらかと言えばこれは鶏が先か卵が先かの話なのかな」
異世界転生の王道は冒険者か聖女として世界を救う系が多かったように思う。
若干の期待を込めてサーシャは例の言葉を言ってみた。
「……ステータス」
目の前に何も表示されず、室内は静まり返っている。
(恥ずかしい!!)
誰も見ていないにも関わらず、サーシャはベッドで転がりまくった。何だか厨二病ぽかったし二度としないと心の中で決意する。
「転生者が全員主人公なわけでもなかったし、使える知識は使って静かに暮らそう」
それ以上サーシャは転生先であるこの世界について考えることを止めてしまった。既に運命は回り始めてしまったのだとサーシャが気づいたのは、2年後のことだった。