7絶望の朝
朝目を覚ますと部屋はまだ薄暗かった。カーテンが閉められたままだったからだ。母はもう起きていたが布団の上で座っている。何かが変だ。その異様な雰囲気に『お母さん?』と母に声をかけるが何も反応がない。母に近寄り再び声をかけた。すると母は小さく『うん』と返事をした。母は二枚の千円札と紙切れを握っていた。『トミタのおばちゃんは?』と母に尋ねた。母は『男の人とどっかに逃げた』と言った。続けて『起きたら居なくなってた。ごめんって書いてある。これからどうしようね、、、』
ほとんどの子供にとって親や大人は絶対的な正義であり強い象徴である。私にとってもそうだった。しかしこの出来事によってそれは覆された。今まで家族の様に一緒に暮らしていたトミタのおばちゃんは二千円だけを残し私たちを置き去りにした。そして母と私の前から突然居なくなった。母は困り果て途方に暮れていた。それまで私の中で母はスーパーマンのような存在だった。いつも母は私の前では強い人だった。でも今私の前にいる母は小さくか弱いただの女だった。正直トミタのおばちゃんが居なくなったことよりも私はこの母の姿に衝撃を受けていた。母も人間であることをこの時知ったのだ。そして自分が信じた正義は揺らぎ理不尽な裏切りや大人の汚さと人間の弱さを目の当たりにした。とてもドロドロしたそれは幼い私の心に大きなトラウマを植え付けた。私はふと広島の街中に置き去りにされた時のことを思い出していた。そして母の気持ちを察し、ただ静かに寄り添うしかないことを悟っていた。
ヒロシマは私にとってトラウマの街だ。以降思い出すだけで心が沈んだ。自分が望んでもどうにもならないことがある。友達になりたいと思っても拒絶されればそれまでだし、どれだけ信頼していても朝起きれば跡形もなく消えているのだ。人間関係を構築するうえで自分の気持ちよりも相手の気持ちがいかに大切かというのを思い知らされた。どれだけ信頼していようが相手が自分と近しい温度でなければ人間関係に歪みが生まれそれが裏切りになるかもしれないし別れに繋がるかもしれない。私が相手の気持ちを見誤ればその先には悲しい結末しかないのだと結論づけた。そして予期せぬ災難や困難はいきなり降りかかる。それは自分に落ち度があろうがなかろうが関係ない。病気と一緒で災難や困難も人を選ばない。誰にでもやってくるものだ。しかし幼い私には到底理解出来るはずもなく無意味にただただ自分を責めていた。友達が出来ないのもトミタのおばちゃんがいなくなったのも私が悪い。理由なんてわからないけど悪いことが起きるのは自分が悪いから。でないとこの状況が説明出来ないし理解も出来ない。この頃、私は何か事が起こると、何故そうなったかを考えた、そしていつもその答えを探していた。そして手っ取り早い答えが自分のせいにする事だった。答えがみつからないよりも自分を悪者にする方がよかった。答えがわからず自問自答し続ける苦しみを知ったから。不安や苦悩と戦う為の私の唯一の術だった。しかし今ならわかる。全ては置かれた環境のせいだったのだ。母の娘だったから。幼い私に落ち度なんてなかった。あの頃の私に会えたなら、ギュッと抱きしめひとつひとつ諭すだろう。あなたは悪くない。と。
絶望の朝だった。朝という記憶はあるが思い出されるその朝の印象は暗くとても重たい雰囲気を纏っていた。その朝のことは幼い私にとって人生で初めての衝撃だったし母にとっても衝撃的な出来事だっただろう。そしてそれは私達親子にとっての転機になった。それから夜の引越しや車中泊などを繰り返し、流れ流れて私は養護施設に預けられた。ついに母までも私の前からいなくなってしまった。