5原爆ドーム
しばらく歩いた。とても楽しい時間だった。目に入る色々なものがいつもとは違って見えた。いや、いつも気にもとめないような物でも子供だけでいると何か面白い物のような気がしてただただ楽しかった。路面電車が走り、たくさんの人が行き交う街中を子供達だけで闊歩する感覚はそれまでに感じたことのない高揚感を私に与えていた。しかし突然、コミュニティは私に牙を剥くのだ。『やっぱ来ちゃいけん。ここで待っとって』とリーダー格の子供がいきなり私に告げる。そしてコミュニティはその場から立ち去った。待っててと言われたが待ったところで誰も迎えに来ないことは何故か自ずと悟っていた。ただ私を排除したいから待っててと言われたのだと。どうしよう。そう思った。私は自分1人で帰れる自信がなかった。そんなことお構いなしにコミニティのだんだんと小さくなっていく背中。私は広島の街中に1人置き去りにされてしまったのだ。たくさんの行き交う人々や車、何本も通り過ぎて行く路面電車をしばらくの間ぼーっと見ていた。ひとりぼっちの私。流石に寂しかった。不安だった。さっきまであんなに楽しかったのに。だけどこの状況を受け入れるしかないこともわかっていた。だからゆっくりと歩き出した。そして私は平和記念公園の原爆ドームの前にたどり着いた。たどり着いたというよりか私のいた所から見えた原爆ドームを目指して私は意図的にこの場所に来たのだ。原爆ドームは私の中の知っている場所の1つだったからだ。いきなり知らない街中で置き去りにされ、家に帰りたくても帰り道がわからない私はせめて自分の知っている場所に行きたかった。それが原爆ドームだった。私の通っていた小学校には授業で国語や算数と同じ並びで原爆の時間という授業があり、その原爆の時間はその名の通り原爆について学ぶ時間だった。被爆者である老人が講師として招かれ被爆直後の広島の様子など当時のことをありのままに話すのだ。しかし私や他の同級生もまだ幼く感情移入が出来ない為にその生々しい話を聞いても正直心には響かないのだ。爆風で腕が飛ぶとか痛そうだな。とか親とか兄弟とか原爆で死んじゃって可哀想だな。とかそういうペラペラの感想しか浮かばないのである。しかし原爆の時間の授業が幾度も繰り返されるうちに原爆はダメ戦争はダメということが幼い子供であっても深層心理にガッツリ刻まれていくのである。いつの間にか原爆や戦争がいつも使っているランドセルや筆箱のように身近に感じていた。だから街中に1人置き去りにされて途方に暮れ不安な私は安心を求めて原爆ドームに来てしまったのだ。原爆ドームの周りには原爆で犠牲になった方を供養する為なのか至る所にお花と線香が年中供えられていた、私はジリジリと短くなっていく無数の線香をただ無心で見つめていた。さっきまで緑色だったのに燃えて灰色になった線香の先端は風が吹くと粉になってサラッとどこかへ消えてしまった。まるではじめから存在しなかったみたいに。『痛っ』私の頬に線香の燃える先端がプスっと刺さってしまった。私は夢中で線香をみるあまり顔を近付け過ぎてしまったのだ。あまりの痛さに思わず涙が出てしまった。痛くて痛くてたまらない。しかしその痛みが私の心を占領していた寂しさや不安を嘘のように消してしまった。あまりの痛さにそれ以外はどうでもよくなっていた。心と頭の中がクリアになっていた。私はコミュニティ達と来た時を思い出しながら記憶と街の景色を照らし合わせゆっくりと来た道を戻った。不思議ともう道に迷うことはなかった。