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4ヒロシマ

はっきりと覚えてはいないが土壁の家で数週間は暮らしたと思う。その後また夜の引っ越しがあり新たな新居に移るのだがそこでの記憶がこれまたほとんどない。家の雰囲気さえも覚えていない。唯一覚えているのは家の前の砂利道で遊んでいると母親が帰ってきて家の中に私を連れて行き、そして外で遊ぶなと言った。姿を見られてはいけないと。何故かコソコソと暮らさなければいけなかったのだ。そこから記憶はぷっつりと途絶え次に思い出すのは小学校の入学式だ。私はそこで自分と同じ名前の女の子に出会った。私たちはすぐに仲良くなり毎日のように遊んでいた。ある日その子が友達を私に紹介してくれた、そして一緒に遊ぼうと言ってくれたのだがその友達は私とは遊ばないと言った。なんで?と尋ねると『だって幼稚園の時いなかったし仲間じゃないから一緒には遊べない』と。子供は残酷なのだ。しかし私はそっか、じゃあしょうがない。とすんなりそれを受け入れると同時に自分だけがよそ者だということを知った。同じ地区に住んでいれば同じ幼稚園に通っていてそのまま同じ小学校に入学する。それは世間一般では普通のことだ。しかし各地を転々としていた私にとってはそれが普通なんてこの時まで知る由もなかった。つまり既存のコミュニティによそから流れ着いた私が加わろうとしたところで仲間には入れてもらえないということを実感したのだ。しかし全く仲間に入れてもらえないわけでもなかった。ドッヂボールや鬼ごっこなど人数がいた方がいい遊びの時は私もコミュニティに入れたが、今日はダメと言って仲間外れにされる日も頻繁にあった。その都度私は悲しみも怒りもせずに、今日はダメという言葉を素直に受け入れ1人コミュニティから離脱した。また別のある日、その日は私がコミュニティの中にいてもいい日らしく数人の子供で集まり話していた。そしてある1人が街に行こうと提案したのだ。私が住んでいた地域は広島の中心地で少し歩けばたくさんのショッピングモールや百貨店があった。子供だけで街に遊びに行くといってもショッピングなどませた事をするわけではない、ただ子供だけで街を歩くそれだけなのだ。しかし子供だけで街に行くという事自体が子供にとってはワクワクする冒険そのもである。そのコミュニティにとって冒険は遊びの選択肢の1つであるらしく、慣れた感じでみんなが街の方へ歩き出した。しかし私の頭にあることがよぎった。それは母の言葉である。私は母から家の近所から離れてはいけないと言われていた。それは何故か。別に私の母が特別過保護なわけではなく私に問題があったからなのだ。私は学校から下校する際に家への帰り道がわからなくなり度々迷子になっていた。その都度母親が学校まで迎えに来たり、学校の職員によって家まで送ってもらったりと色々と面倒をかけていた。しかしボケ老人でもないのに何故家への帰り方がわからなくなるのか?理由はとても簡単だった。それは短期間に何度も何度も繰り返された夜の引越しのせい。前の家と今の家の記憶がぐちゃぐちゃになり学校から帰ろうとすると一体どの道が正解なのかわからなくなってしまうのだ。幼い私の頭はキャパオーバーを起こしていた。だから母は私を案じ家の近所でしか遊んではいけないという決まりを作ったのだ。しかし今日はコミュニティに私がいてもいい日。楽しい日なのだ。母との決まりがあったとしても私のなかに行かないという選択肢はなかった。そしてコミュニティの最後尾にピッタリと金魚の糞みたくついて歩き出した。

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