1はじまりの物語
16歳の夏、私は男と2人で暮らしていた。その男は激昂しながら私に言った。『こんなの家族じゃないだろう、見てみろ』そう言ってカレンダーを指さした。そしてこう続けた。『◯の日はちゃんとお前が帰ってきた日、△の日は帰りが遅かった日、×の日は帰ってこなかった日だ』私は今まで感じたことのない気持ち悪さを感じた。そして私はこう言った。『お義父さん寂しい思いさせてごめんなさい。私が悪かったです。』この当時の私は謝ることによって家族であることを保とうとした。今思い出すと謝ってしまった自分に腹が立つ。私はこの男のせいで散々な目にあった。警察の世話にもなってしまったし、私の思春期は汚された。私はいつも考えていた何故こんなことになってしまったのか始まりは何だったのか?それまでの私の人生は突然の別れと異質な日常と母の選択によって構成されていた。
1992年春、保育園でヤヨイちゃんと喧嘩した。桜の花びらを2枚横に並べたところがリボンの様で、私はそれをセロハンテープで自分の髪に貼り付け『リボン!可愛い桜のリボン!』と言ってはしゃいでいた。ヤヨイはそれがゴミに見えたらしく『あ!ゴミついてる!』と言って私の髪から剥がしポイっと捨てた。私は自分が可愛いと思っていたものをゴミと言われた事に腹を立て怒ってしまった。ヤヨイからすれば理不尽な話だ。ゴミが髪に付いていたから親切でとってあげたのに、いきなり怒られてしまったのだから。しかし子供ながらに私もその理不尽さには気がついていた。だけど怒った手前、あとに引けなかった。意地になってしまったのだ。数日が過ぎヤヨイがいきなり私にむかって『リボン捨ててゴメンネ!』と大きな声で謝ってきたのだ、すかさず私も大きな声で『怒ってゴメン!』と返した。今思えば驚きである。ヤヨイは理不尽な理由で私に怒られた。なのに私を怒らせてしまったことに対して先に謝ってくれたのだ。そしてヤヨイは『仲直りしたから一緒に遊ぼう』と言い私は『いいよ。ヤヨイちゃんにも桜のリボン作ってあげるね』と言って2人で保育園の中庭の桜の木の方へ駆けていった。その時私を呼ぶ声がした。振り返ると母が立っていた。私は母に駆け寄り『今ねヤヨイちゃんと仲直りしてね、桜のリボンを一緒に作っておそろいでつけるの』と母に言った。母は『こっちおいで。帰るよ。』と私の手をひいて保育園の出入り口に向かった。そこには母の赤い軽自動車が停まっていた。しかしいつもと様子が違った。私が座るはずの助手席には母の友人であるトミタのおばちゃんが座っていた。そして後部座席に座るよう母に言われるのだが驚いたことに後部座席には沢山の荷物が積まれていた。子供の私でも少し窮屈なスペースしか空いていなかった。この異様な状況に子供ながらに異変を感じ不安になったのを今でも覚えている。車はそこから何時間も走り続けた。私は2度とその保育園に行くことはなかったし、ヤヨイに桜のリボンを作ってあげることも出来なかった。私は人生で初めての友との別れを経験させられたのだ。母達の夜逃げによって。