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Foregone Conclusion  作者: 六条 庶片
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Epi-000 Untitled

 時間とはそこに当たり前に存在するものだと僕たちは認識している。

 過去、現在、未来へと移っていくフローのようなものだと僕たちは認識している。

 「死」というものは、その時間の流れのはるか上流から現在へと辿り着く結末だと、そう思っているのではないだろうか。

 しかし、時間というものは過去、現在、未来を含めた全てが同時に存在している。


 未来とは既に確定されて揺るがないものである。

 例えば、何か行動を起こした結果として未来が変わったとしよう。

 だがそれは既に行動を起こすと確定された現在から生じただけであり、最初から未来がそのように帰結することは決められていたのだ。

 これは「宿命論」と呼ばれる考え方であり、人がどのような努力をしようと未来は変えられないとするものである。

 宇宙全体を支配する宿命ニヤティの存在によって世界は決められた方向へ進む。


 行為には未来を変える力はない。

 故に行為に善悪はなく、報いも然るべくしてありはしない。

 何かを成す時、或いは成せぬ時はなるべくしてなったに過ぎず、これは死すべき時もまた同じである。


「人はいつの日にか必ず死が訪れるということを知らなければ、生きているという実感を得られることもできない。」


 時の哲学者、マルティン・ハイデガーの言葉である。


 生きるということは即ち実感するということであり、生命としての活動を維持している状態のことだけとは限らない。

 何の目的もなく、死なないために生きている。

 そんな人間というのは最早、生きていると呼んでいいのだろうか。

 そのような定義で考えるのならば、僕はもう、遠い昔に死んでしまっていたのかもしれない。

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