俺と真由美
「はっきり言わせてもらいますけど、先輩って馬鹿ですよね」
久しぶりに会って早々、辛辣なことを言う俺の後輩、本山真由美は不機嫌そうな表情を隠そうともしない。
俺は事前に用意していた感謝の言葉だったり、謝罪の言葉だったりを言うことができなかった。
「こんな危ない目に遭いながら、逃げることもできないなんて、馬鹿としか言い様がないですよ」
何も言えない俺に追撃する真由美。
「まあまあ、真由美。結果として無事だったんだからいいじゃあ――」
「兄さんも黙りなさい。勝手に霊鏡を渡したりするなんて。どうかしてます」
どうやら、あたるにも怒っているらしい。
とりあえず、状況を説明すると、現在の時刻は朝の十時くらいで場所は武蔵清涼社の境内。
その本殿の前で、俺とあたるは正座をさせられていた。
地面の下に直に座らされている。
真由美の顔を見てみる。
鋭い目の形をしていて、右目の下に泣きぼくろ。黒髪がなだらかに美しい。
そんな美人が怒った顔をしているのは、化け物とは違ったベクトルで怖い。
「いいですか? 今こうして無事だったのは偶然なんですよ? もしかしたら、死んでいたのかもしれないんですよ?」
説教が始まって一時間が経とうとしている。
俺はいい加減痺れてきた脚をなんとかしたくて、説教を止めさそうと試みる。
「だいたい先輩は――」
「悪かったよ。真由美。俺が悪かった」
俺は真由美の言葉を遮って頭を下げた。
「俺が何も考えずに下宿を決めたのが悪かったし、怪奇現象や化け物が出てくる前に逃げれば良かった。それができなかったのは、いろいろ理由があるけど、そんなの関係ないよな」
「…………」
真由美は黙って俺の話を聞いていた。
「あたるにも迷惑かけてしまった。それも反省する。このとおりだ。許してくれ」
「……分かってないですよ」
真由美の声が震えている。俺は顔を上げた。
真由美は――涙目になっていた。
「私が怒っているのは、先輩が危ない目にあったことですよ」
真由美の言葉に気づかされる。
本当に危険だったのだと。
「先輩、今は五体満足ですけど、もしかしたらどこか大怪我したり、最悪だと死んでいたのかもしれないんですよ? なんで自分を大切にしないんですか? なんで自分を大事にできないんですか?」
責めるような口調だけど、本心から心配しているのだと分かる。
「そういうところが――たまらなく、嫌いですよ。たかしさん」
最後に恋人同士だった頃の呼び方をされるのは、精神的にきつかった。
しかも、こらえきれずに涙を流している。
「真由美――」
「嫌いです。先輩なんて、大嫌いです」
俺は間抜けなことに、慰めることができなかった。
だから、俺の代わりに、あたるが真由美の肩に手を置いて、慰めるように「僕のほうもごめんな」と言った。
それから、真由美が泣き止むまで、俺たちは黙っていた。なんて声をかければいいのか分からなかったから。
こういうとき、慰めの言葉も思いつかないのが、俺の悪いところなんだろうな。
かける言葉も、見つからない。
「それでは、除霊について話します」
泣き止んで、しばらく経ってから、真由美はようやく説教をやめて、本題に入る。
「先輩が珍しいことに他人のために除霊を依頼する。霊現象よりレアなことですね」
それでも皮肉を言う真由美だった。
「僕もそう思ったけど、詳しくは聞けなかったから、今ここで話を聞いておきたい」
あたるも同調して言うものだから、俺は理由を説明せざるを得なかった。
「単にさ、ムカついたってこともあるんだ」
俺は『住人のため』という建前の理由から本音で話すことにした。
「あんな怖い目に遭わせた悪霊共に仕返ししたい気持ちが八割。次の住人のための気持ちが二割ぐらいだな」
「……結局は自分の為なんですね」
真由美はなんとなくがっかりしたような顔をした。
どうやら期待していたらしい。俺が他人のために除霊したいと思いたかったみたいだ。
「そのとおり。俺は自分のためしか動かない人間だよ。真由美、お前だって分かっているはずだったろう」
開き直って、俺は肩を竦めて告白した。
「俺は他人の困った顔が好きだし、他人を困らせることが大好きだ。その点は裏野ハイツの悪霊を変わりはないさ。だけど――」
俺はそこで言葉を切って、そして言う。
「だけど、人を壊したり殺したりするような残虐なことをするヤツとは俺は違う。そんなヤツを見過ごしておけない。許せないんだ」
他人を困らせるのが好きな俺だけど、俺を困らせるヤツは大嫌いだ。
正直に言うと真由美は「まあ納得しました」と言う。
「先輩が正義感で依頼するのが信じられないと思いましたけど、やっぱり自己本位だったんですね」
「そうだな。またがっかりしたか?」
「いえ、分かりやすい理由だと思いました」
そこで真由美は笑顔を見せた。
俺の大好きな、真由美の笑顔だった。
「そういう自分に正直なところは、好感を持てますよ」
「そうか? まあそれが俺の魅力でもあるからな」
照れ隠しでそういうと真由美がくすくす笑った。
俺も釣られて笑った。
「……兄の前で妹といちゃいちゃしないでくれよ」
あたるの声に、真由美は顔を赤くして「いちゃいちゃしてないです」と言った。
そういうところが可愛いなあと思った。
「それより、本題に入ります。最初に言っておきますけど、私は除霊するのであって、成仏させるわけではありません」
「うん? どういう意味だ?」
除霊と成仏の違いなんてあるのだろうか?
「成仏は仏教の領分、お坊さんの役割です。それに対し、私たちは霊を祓い、敬うことが専門になるんです」
まるで外国語をヒアリングしている気分だった。つまり情報が入ってこない。
「悪霊や怨霊を神として崇めることになりますね。これから祀っていくことになるんですよ」
「ふうん。つまり、あの家から霊がいなくなるってことだろう? まあ結果が変わらなければなんでもいいさ」
「……そうですね」
「それで、いつ除霊するんだ?」
多分時間がかかるだろうと思っていたが、その予想に反して、真由美は「今日中に行ないます」と言った。
「今から準備すれば夜には間に合います。夜に出るってことですしね」
「……そんな簡単にできるものなのか?」
心配になって訊ねると、あたるが「大丈夫だよ」と気軽に答えた。
「餅は餅屋って言うだろう? 我が妹に万事任せれば解決さ」
「……あたるがそう言うなら、一応信じるけど……親父さんの都合はどうなんだ?」
「お父さんは二日酔いで休んでいるので、私だけで行ないます」
とんでもないことをさりげなく言う真由美。
「おいおい、信用していないわけではないけど、大丈夫なのか?」
「さっきも言ったじゃないか。真由美はその道のプロなんだから」
あたるがどうしてのん気なのか分からないけど、任せた身としては不安を禁じえない。
「とりあえず、どんな怪奇現象が起きたのか、教えてください」
俺は真由美にこれまで起きた現象を話した。
バチバチっと鳴る家鳴り。
腕だけの化け物。
赤く染まった浴槽と腕。
夢で見た男と殺人。
床に生えた無数の腕。
そして本当は居なかった住人たち。
真由美に脚色なく話すと「分かりました」と言った。
「それでは準備してきます。時間まで神社に居てください」
俺は頷いた。そしてホッと息を吐いた。
これで解決されたと思ったからだ。
しかし、本当の恐怖はこれからだった。
悪霊を祓う。
その意味を俺は履き違えていたのだ。