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俺と住人たち

「なあ、たかし。ここに引っ越すのやめないか?」


 春休みの休日のことだった。


 件の不動産屋さんを紹介してもらった、親友の本山あたるから、そんな言葉を聞いたのは、引越しも終わって、夕食を食べている最中だった。


 もっと描写するなら、場所はもちろん裏野ハイツの203号室で、デリバリーのピザと、あたるが持っていた缶ビールとおつまみをチビチビ食べている途中だった。


「はあ? お前何言い出すんだよ?」


 少しお酒を飲んで気が大きくなっている俺は、あたるに対して強気の姿勢を見せる。


「ていうか引越しの終わった後に言うなよ。言うなら引越しの始まる前か、せめて引越し作業のときに言えよ」


「…………」


 あたるはそれに答えることなく、沈黙を返した。俺もそれに黙って応じる。小学校からの付き合いで、あたるはあまり結論を言わないことを知っている。沈黙は何か大切で大事なことの前兆なのだ。


「なんか、ここの雰囲気が悪いって言うか……夜になってから分かったって言うか……」


 ぼそぼそと言うあたる。


「……それって、霊感関係か? お前の第六感的な何かが言っているのか?」


 我慢できなくなって追及すると、あたるは「うーん、分かんないや」と言ってビールをあおる。


「なんとなく、嫌な予感がするんだよ。首筋がヒリヒリする感覚というか、血が寒くなるような感じかな」


 ……それって結構やばくね?


「まあでも気のせいかもしれないしな。僕は妹よりそういう力はないから、はっきり言えないけどな」


 あたるの妹は本山真由美と言う。


 俺の元彼女である。


 ……そう。別れてしまったのだ。


「おいおい、振られた俺に元カノの話持ち出すなよ。デリカシーないなあ」


「親友の妹を恋人に選ぶお前のほうがデリカシー無いと思うよ」


 そう言われてしまったら何も言い返せない。


「……で? お前の嫌な予感はどれくらいの精度で的中するの?」


 分が悪いので話を戻すと、あたるはしばし沈黙した後「三割ぐらいだな」と言う。


 三割か……野球選手だったらかなりいい打率だ。


 いや、野球選手に例える必要はないけど。


「ふうん。でもよー、もう荷物も運んだしなあ」


 それにハイツの隣人たちに挨拶もしちゃったし。


 引越しは朝から行なって、昼ぐらいに作業を一旦中断した。ハイツの住人に引越しそばを渡すためだ。


 ハイツは六部屋あって、その一つは俺の部屋なので、全部で五部屋に配ったのだ。


 まず初めに隣の202号室に配ろうとしたけど、あいにく居なかったので、201号室から配った。


 このとき、あたるは部屋で休んでいた。同行しなかった。体力のないあいつは疲れて寝ていたのだ。


「あらあら。どうもありがとう」


 チャイムを鳴らして出てきたのは高齢のおばあさんだった。おそらく七十代。人の良さそうな表情を浮かべている。


「いえ、つまらないものですが――」


「あなた203号室に新しく入った人でしょ?」


「はい、そうなんです。なのでご挨拶を――」


「まあなんて律儀な人なんでしょ! こちらこそよろしくねえ」


「ええ、よろしく――」


「何か困ったことがあったら言ってちょうだい。力になるわよ」


 俺が言葉を言い切らないうちに話すものだから、やりにくくてしょうがなかった。見た目よりもせっかちな人なのだろうか。


「ありがとうございます。あの、202号室の人は――」


「ああ、あそこは挨拶しなくて結構よ」


 おばあさんは俺の言葉をぴしゃりと遮断するように言った。


「それってどういう――」


「いいのよ。あまり構わなくても。ああ、私が代わりに渡してあげてもいいわ」


 おばあさんは厚意で言ったみたいだけど、なんだか嫌な感じがしたので「いえ大丈夫です」とやんわり断った。


 その後、俺とおばあさんは互いの素性を明かしあった。まあたいしたことじゃないけど、おばあさんに孫が居ることだけは分かった。


 違和感を覚えたのは、見せてもらった孫の写真がボロボロだったことぐらいか。


「困ったことがあったら、いつでも言っていいのよー」


 それを最後に、おばあさんは自室に戻っていった。


 俺は一応、下の階の住人にも引越しそばを渡しに行くことにした。前の下宿先は人間関係が希薄だったから、今度は上手くやらないといけないと思ったからだ。


 まず俺は101号室を訪ねた。


「いやあ、新しく入居してくる人が大学生だとは思わなかったよ」


 愛想の良い笑顔で俺を迎えたのは、五十代くらいの男性だった。おそらくサラリーマンだろう。


「どうして、大学生じゃないと思ったんですか?」


 気になったので一応訊いてみた。


「ここって古いし、あまり良い物件とは思えないでしょ? それにいくら大学に近いと言っても、今まで入居してくる人は居なかったから」


 気さくな感じで話すおじさんに、俺は良い人そうだなとぼんやり思った。


「まあ家賃が安いですからね」


「そうだねえ。安いことは良いことだ。タダの次に良いことだ」


 よく分からないことを言って、おじさんはニコニコ笑った。


「とにかく、おそばありがとう。二人で食べるよ」


 そう言っておじさんは部屋の中に入っていった。


 二人? 同居人でもいるのだろうか?


 疑問に思ったけど、深くは詮索しないことにした。どうせいつか会えるだろう。


 次の102号室は、なんだかよく分からない人だった。チャイムを鳴らして、出てきたと思ったら会話もそこそこに引きこもってしまった。さっきのおじさんより少し若い。まあ若いと言っても四十代くらいだけど。


 最後に訪れたのは、103号室だった。


「ありがとうございます」


「今どき珍しいくらい礼儀正しい青年だね。ほら、お前も挨拶なさい」


「……こんにちは」


 出迎えてくれたのは三十代くらいの夫婦に小さな男の子だった。


「いえ。当然のことですから」


「その当然のことのできる若者は、昨今珍しいからねえ」


 自分だって三十代で若々しいのに、老人のようなことを言うお兄さんだった。


「何か困ったら言ってください。私たちが力になりますから。末永いお付き合い、よろしくお願いします」


 奥さんに頭を下げられたので、俺も慌ててお辞儀を返した。


 良い人そうで良かった。心からそう思える夫婦だった。


 子供もおとなしそうだけど、育ちと躾が行き届いている感じがした。


 そして一応はご挨拶を終えたので、部屋に戻ると、あたるが「何してたんだ?」とのん気なことを言っていた。


「ああ、ご挨拶したんだよ」


 そう言うと、何故か不思議そうな顔をした。


 それから荷物を整理して、現在に至るのだった。


「なあ考えてみてくれよ。家賃が四万九千円だぜ? こんな安値の物件、他にあるか?」


「ないと思う。だけど、僕は嫌な予感がしてならないんだよ」


「はん。もしかしてオバケが居るだなんて言うんじゃないだろうな」


「いや、そういうんじゃないけど――」


「居るなら居るって証明してみろよ――」


 そう言った瞬間、家鳴りがバチバチと鳴った。


「…………」


「……なあ、たかし。今のって――」


「家鳴りだ。家鳴り以外の何物でもない」


「いや、家鳴りにしては電気がバチバチ鳴った感じがしないか?」


「うるせえ。気にすんな」


 俺はそう言ってビールを流し込む。


 こんなときは酔うのに限る。


「まあ真由美から聞いたけど、たかしには霊感がないから平気だろうね」


 あたるはピザをかじりつつ、そんなことを言う。


「霊感ねえ。俺は一度も幽霊とか見たことないから、いまいち信じられないけどな」


 二十年近く生きているけど、幽霊だとかオバケだとか、そんな不確かであやふやなものを見たことは幸いにして皆無だった。


「あたる。幽霊ってどんな感じだ?」


「そうだな。存在感があるようでない感じだな」


 訳の分からない、矛盾するようなことを言うあたるだった。


「それはつまり、どういうことなんだ?」


「うーん、肉体がないから存在感はないだろう? だけど、恨みだとか怨念だとか、そういった現世に留まりたいって思う力が強いから存在感があるんだよ。なんて表現していいのかな? まあ霧の天気かな例えると。手で切り払えるけど、視界は見にくいだろう? そんな感じだな」


 例えが分かりづらい。でも幽霊ってそういう言葉で説明できるものではないしな。


「流石、神社の跡取りだな」


「関係ないさ。いや、関係があるのは真由美だな。あいつ、かなり凄いから」


 それは付き合ってて分かることだった。


「ともかく、ここに住むことはオススメしないぜ。さてと、そろそろ僕は帰るから」


 そう言って、いそいそと帰り支度をするあたるだった。


「おいおい、もう九時だぜ? 泊まっていけよ」


「確実に幽霊の出るところに泊まれないよ」


 さっき三割って言ってなかったか?


「それに、妹が寝た布団で寝られる訳ないじゃん。気持ち悪い」


「じゃあ俺の使えよ」


「それもなんか嫌だ。とにかく、こんな幽霊屋敷に泊まれるか! 僕は自分の家に帰る」


 後半はふざけて言った感じだった。


 結局、あたるは帰ってしまった。見送りはしなかった。


「……さて、寝るか」


 俺は片付けもせずに帰ったあたるの分まで、掃除をしなくていけない現実と戦いながら、とりあえずゴミの分別をしようとしたときだった。


「うん? なんだこれ?」


 あたるの忘れ物だろうか? ビニール袋の中に横幅に長い封筒のようなものを見つけた。


 一応、中を確認しよう。


「……お札、だよな?」


 赤い墨汁、朱墨で書かれた呪文らしきお札が一枚に、『先輩へ』と書かれた茶封筒を見つけた。


 とりあえず、お札を机の上に置いて、俺は茶封筒の中身を覗いた。


 そこには見慣れた文字で書かれていた。


『先輩へ。引越しをされることを兄から聞きました。それを聞いて嫌な予感がしたので、父と作ったお札を同封します。枕元にでも置いてください。嫌な予感が杞憂でありますように。本山真由美』


 元カノの真由美からだった。


 ……なんだか複雑だなあ。


 俺は名前呼びから『先輩』となった距離感の開け方に寂しさを覚えつつ、言われた通り、ベッドの上にそのお札を置いた。


 兄妹揃って、嫌な予感って……


 なんだか怖くなった俺は、ベッドにもぐりこんだ。


 目を瞑って、静かに呼吸を整える。


 ビールのせいか、引越し疲れのせいか、すぐに眠りにつくことができた。


 そうして、朝までぐっすりと眠ってしまった。


 夢は、一切見なかった。


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