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「君は、呪われているらしいな」
薫子の言葉に陽人は体を強張らせた。
それは、内容が唐突過ぎたせいでも、少しばかり電波を受信していそうだったからでもない。
「(何で、どこでそれを!?)」
陽人はその言葉をよく知っていた。嫌になる位、耳にした事がある言葉だった。
──呪われている。呪われている。呪われている。
その単語は、陽人にとって忘れたい言葉だった。
その言葉自体とあの事を知らない筈の人間から発せられたという事と頭を占め、同時に体も硬直して動けない中、薫子は手元の資料に目を落としたままだ。
陽人が乗車した時には既に薫子が持っていた紙束にそんな事が書かれているなんて、誰が予測出来ただろうか。
「将棋倒しになった階段下に居たが唯一軽症。掃除中にふざけた男子生徒が箒の柄で割った窓ガラスの下にゴミを捨てに偶然通りかかったが軽症。通学中に乗っていたバスが接触事故を起こしたが、これもまた軽症で済んだ。他にも最近──」
「だまれ!」
次々と上げられたのは、確かに実際に起こった事ばかりだ。
それ以上聞いていたくなくて、陽人は耳を塞ぎ身を屈めた。
けれど、薫子はそんな陽人の様子を然程気に止めていないようで、チラリと一瞥しただけでまた資料へと目線を落とした。
「──これら全てに、常にすぐ側に誰かが居合わせており、その者は大抵が重症。或いは軽症でも比較すると負傷度合いは常に相手の方が重い」
手元にある資料には各々起きた“事故”がどれくらいの規模で負傷者の数、その負傷度合いに、治療に当たったであろう病院名や医師の名まであるが、特筆すべき事ではないだろう。
薫子は既にもう記憶しているそれらを眺めるだけに止め、今度こそ陽人の方を見やった。
「耳を塞ぐ行為は勿論、身を屈め背を丸くするその姿勢は防御体制の一つだな。君は余程これを知られたくなかったらしい」
“これ”を強調し、これ見よがしに資料をぺらりと音を立てて揺らして見せる。
耳を塞いでいるため聞こえてはいなかったけれど、視界の端に映ったそれに陽人は目を見開き身を乗り出して手を伸ばした。
「!?それを渡せ!」
「良いとも。もう内容は全て記憶しているしな」
薫子があっさりと資料を渡すと、陽人は強く掴みすぎたのかクシャリと紙が歪んだ。
「それに、所詮は写し(コピー)だしな」小さく呟いた為か、それとも資料に意識が向いている為か、或いは両方故か。
その言葉が陽人に聞こえていた様子はない。もし、聞こえていたとすれば更に取り乱していただろう。
けれど、冷静になって考えれば資料が現物しか無いとは限らないという事に気付けただろうに。まあ、今見るかぎりの様子では無理もないだろう。
薫子は陽人の様子をつぶさに観察し続けていた。その間、相手が予想以上に取り乱した事に驚きはしたものの、薫子は始めと変わらず冷静だった。
――これが、相手が取り乱していればいる程、自分の方は冷静になっていくというやつなのだろうか。体験するのは初めてだ。
そう、考える程には余裕があった。
けれど、お互いに次の予定があるのでいつまでも観察している時間はない。なので、本題に入る事にした。
「そんな、呪われている君にお願いがあるんだ」
少しばかり意識して薫子が声を上げれば、陽人の肩がピクリと震えた。一応反応はあるようだ。
陽人がこちらの言葉を聞いているのを確認した薫子は続けた。
「もう一度言おう。オカルト研究部に入部して欲しい」
「……」
またも唐突に戻った内容に眉間に皺を寄せた陽人のいぶかしむ視線と薫子の視線がかち合った。
その視線はすぐに陽人の方から反らされたけれど。
「……それは、脅しですか」
「いや?純粋なるお願いだが?」
「これの、どこがっ!」
間髪入れず、悪びれた様子もなく只首を傾げた薫子に陽人は憤り立ち上がった。
「これのどこが脅しじゃないって!?突然、誘拐紛いに車に押し込められたかと思えば、よく分からない部活に入れと言う。ここまでなら百歩譲って許せるけど、これはっ!人の事をこそこそ探って弱味を握ったつもりだろうけど、言い触らしたいなら言い触らせばいい。俺は呪われてるって!俺の側に居ると大怪我をするってな!それでどうなるかなんて慣れてるからな!」
声を張り上げたせいで肩で息をする陽人は今まで反らしていたのが嘘のように目を鋭く尖らせ薫子を睨み付けた。
けれど、態度を豹変させた陽人に対して薫子が怯んだ様子はない。
「ふむ。それはつまり、入部しないという事で良いだろうか」
「これのどこを聞いてたら入部するって言ってるように聞こえるんだよ!」
「入部してはくれないのか?」
「しつこいな!しないって言ってるだろ!」
「……そうか、残念だ」
小さく息を吐いた薫子の眉尻が少し下がる。
始終変わらなかった薫子の表情がそこで初めて変化を見せたけれど、そんな些細な事に陽人が気付く様子はなかった。
反らされる事のない視線に薫子はもう一度小さく息を吐くと、今度は薫子の方から目を反らし壁に備え付けてある受話器を手に取った。
「用は終わった」
そう一言告げただけで受話器を置いた薫子はまた視線を陽人の方へ向けたけれど、既にその目は別の方向を見ており合いそうにない。
そうして沈黙が車内を占め始めて数分後、体が揺れた感覚で車が殆ど音もなく突然止まった事に陽人は気が付いた。
今まで一度も止まった事がなかった事からの変化に、内心動揺した。
──断ったからリンチにされるんだろうか!?
薫子の権力は、最近この街にやって来た陽人でもよく知っている。
さっきはつい勢いで断ってしまったけれど、やっぱり不味かっただろうか。
「降りたまへ。そろそろ行かねば遅刻させてしまうしな。ちょうど良い」
けれど、そんな陽人の思いは杞憂に終わったようで。
促すように動いた薫子の手に釣られるようにして、自動で開いたドアの方を見てみればそこには見慣れ始めた校門の姿が。
本当に降りても良いんだろうか。降りても良いんなら降りるけど。
流石にこんな他の人が居るような所でリンチにするとは思えないし、ここで降りて大丈夫だろうか。
そんな葛藤を抱いてしまったせいで降りるタイミングを逃してしまう。
「どうした。降りないのか?」
「いや、降ります。……それでは」
最初の降りるタイミングを逃してしまった陽人にとっては有難い一言だった。
これを逃してはまた降りられなくなると思い、鞄を抱え直し軽く会釈をして足を踏み出した。