公衆電話の有効活用法【後編】
ジョウと関原は警視庁まで戻ってきていた。誘拐事件とやらで人手が足りないようで、一課の部屋には二人しかいない。
二人はテーブルを挟み、遅めの昼食を取っていた。
「余辺響子の時間割りはこんな感じでしたね」
カップラーメンを啜りつつ関原がメモ帳をジョウに突きつけた。
15:37 ジムに到着。
17:10 ジムを出る。
17:23 スーパーに到着。
17:42 スーパーを出る。
18:30 夫が三人の同僚と共に帰宅(この時には既に帰ってきていた)。
余辺響子の供述は正しかった。ジムには監視カメラも付いており、更に入る際には機会に会員カードをスキャンしなければ入れてもらえない。出るときもまたしかり。
スーパーの監視カメラにもエコバッグを持つ彼女の姿が映っていた。
同僚に尋ねたところ、昨日撮ったという彼女が映った写メを見せてきた。そこから日付と時刻も確認できた。
「で、容疑者とガイシャの表はこんな感じです」
14:00 本郷町子が秋野智の家に到着。
15:00 星野ひかるの家に友人が来る。
15:30 竹中直美が自宅から二十分の美容院に着く。
15:37 余辺響子が自宅から車で十五分のジムに到着。
16:00 星野ひかるの家から友人が帰る。
16:48 星野ひかるがスーパーに到着。
17:00 本郷町子が秋野智の家から出る。
17:00 竹中直美が美容院から出る。
17:0~ 死亡推定時刻(始)。
17:06 星野ひかるがスーパーから出る。
17:10 余辺響子がジムから出る。
17:18 竹中直美がスーパーに到着。
17:20 星野ひかるが学校からの電話に応答。
17:23 余辺響子がスーパーに到着。
17:30 竹中直美がスーパーを出る。
17:40 竹中直美が宅配便を受け取る。
17:42 余辺響子がスーパーを出る。
18:00 星野ひかるの家に家族が帰宅。死亡推定時刻(終)
18:30 本郷町子と余辺響子の家族が帰宅。
19:~ 竹中直美の家族が帰宅。
竹中家~事件現場まで徒歩五分。
星野家~事件現場まで徒歩七分。
余辺家~事件現場まで徒歩七分。
スーパー~事件現場まで徒歩三分。
スーパー~竹中家まで徒歩二分。
スーパー~星野家まで徒歩十分。
スーパー~余辺家まで徒歩四分。
関原のメモ帳を見たジョウは溜息を吐いた。
「誰にでも犯行は可能だな……」
「そうなんですよねぇ……」
関原もつられて溜息を吐く。
「迷宮入りだな……」
ジョウがぽつりと呟いた。
「いや早いですよ。全員アリバイ成立ならわかりますけど、全員アリバイ無しですから」
「そうは言ってもなぁ……。やっぱ二人じゃ限界なんだよ」
「もうちょい頑張りましょうよ。特命係だって、いつも二人で捜査してるじゃないですか」
「そうさなぁ……。まだ誘拐事件は終わらないのか?」
「まだみたいですよ。……だけど、もう少しで終わると思います」
「どうしてそう言えるんだ?」
「揖斐さんがスマホを片手に、」
『お願いだから五万で勘弁してぇぇぇぇ』
「って、言ってましたから」
「……なる」
揖斐とは女刑事の名前である。彼女がスマホで誰かとお金の話をすると、事件が瞬く間に解決してしまうのである。
「確かゴールデンウィークの事件を解決したのもあいつだったな」
「そうでしたね」
そこまで言って、関原は何かピンときたようだ。
「もしかして、ですけど……」
「何だ?」
「この殺人事件……誘拐事件が関係してるんじゃないでしょうか……?」
「どうしてそう思うんだ?」
「いやミステリ小説のノリで」
ジョウは一瞬考えたが、
「まぁないだろ」
「ですよねぇ……」
関原は呆然とメモ帳を眺める。そこで思い出した。この事件の――おそらく犯人に直結しているだろう重大な謎を。
「そういえば、どうして遺体は公衆電話の中にあったんでしょうか……?」
「それなぁ……」
「あそこで殺害されたとして、どうしてガイシャは電話ボックスの中にいたのか。別の場所で殺害された後あそこに運ばれたとして、どうして犯人はあんな場所に遺体を置いたのか……」
「謎だよなぁ……。あっそうだ」
「何か思いつきました?」
「こういうのはどうだ? まずガイシャは誰かに電話をかける用事ができた、または思い出した。しかし電話番号がわからない。そんなとき、公衆電話が目に飛び込んできた。公衆電話に電話帳はつきものだからな。そして電話ボックスの中に入って、電話帳に手を伸ばしたところで、突然扉が開き、ガイシャは後頭部を殴られて殺された。中にあったという八カ所の指紋は事件当日の物ではなく、ずっと前に彼女が公衆電話を使ったときに付いたものだった……。どうよ? これなら説明がつく」
関原は腕を組み、顔をしかめた。
「納得いかねえか?」
「いや……まぁ確かに、説明はつきますけど……。なんか釈然としない感じがするんですよね」
「何でだよ! 水も漏らさぬ完璧極まりない推理じゃねえか!」
「いや、住宅街ですよ? 人に見られる可能性が大いにあるのに、そんな無計画なことしますかね。頭に血が上って思考能力が低下してガツン……なら、わかるんですけど」
「じゃああれだ。扉を開けてガイシャと口論して頭に血が上ってガツンだ」
「テキトーですね……。だいいち、指紋が事件以前のものだととしても、ただ電話目的に入っただけで八カ所も別々のところに指紋がつきますかね。それに電話帳を使ってまで電話をかけたい場所なら、当然スマホに入ってると思いますよ」
「人じゃなくて店かもしれんだろうが」
「店ならネットで調べられます」
「データ通信量がやばかったとか」
「なわけないでしょう!」
ジョウは頭を掻き毟る。
「違うか……。ガイシャが入った可能性はやっぱり限りなく低い、か。なら運ばれたことになるが……。そうだ、現場に引きずられた形跡はなかったんだよな?」
「あるなら言ってますよ。……あっ!」
ジョウがニヤリと笑う。
「ガイシャが運ばれたとして、引きずられたのではなかったなら、担ぎ上げられてきたということになる。しかし容疑者は全員女性。そいつはなかなか難しい。……ただ一人を除いて、な」
「ジムに通っている余辺響子!」
ジョウは頷く。
「つまり犯人は……」
テーブルに置かれた余辺響子の写真を指差した。
「余辺響子……あなだ!」
関原の顔に光が宿る。ただし一瞬だけ。
「……ん? 結局どうして電話ボックスの中に遺棄したんですか?」
「知らん」
二人して溜息を吐く。
「もうやめだやめだ。こんなもん!」
「刑事の言う台詞じゃないですよ」
「もういいよ。あれだ、犯人は、はらたいらさんだ」
「いや、はらたいらさん何にも関係ないでしょ。クイズじゃないんですから」
「事件なんてクイズみたいなもんだろ?」
「だから刑事の言う台詞じゃないですって!」
完全に投げやりなジョウに、関原はつっこみまくる。しかし実際のところ、関原もはらたいらさんに五千点くらいあげたい気持ちだった。
お互いに黙り込み、重い沈黙が空間を支配した。すると不意に、ジョウが財布を取り出した。カード入れから一枚の名刺を引き出す。
「最後の手段を使うか……」
漠然と呟いた。
関原がその言葉に反応して、ジョウの方を見る。目が見開いた。
「その名刺……」
二週間前。公園の女子トイレで出会った探偵の名刺だ。美人の癖にデリカシーがなく。割と辛辣なことを言い。しかしトイレの個室で話を聞いていただけで犯人を一気に絞り込んだ。
名刺には手書きでこう書かれていた。
月代探偵事務所 所長 月代蘭丸
◆◇◆
自分の中で最も偉大な人物は誰か。そう考えたことはないだろうか。この議題の回答は人の数だけ存在する。有名な偉人を答える者も入れば、家族や肉親、はたまた恩人の名前を出す者もいるはずだ。ちなみに私は偉人の名前を真っ先にあげる。
私が最も偉大だと思う人物。それは……ジョン・ゴリーとウィリス・キャリアである! 今、誰だそいつ、とか思った奴。もう二度とエアコン使うな!
まぁ、とりあえず何が言いたいのかというと、エアコンって偉大だわぁぁぁぁ……。
平日の昼間からパジャマ姿でソファーに寝そべってエアコンから吹き出る冷たい風にあたる……。ああ、何て駄目な私。神様、こんな私を許して。
いや、まぁ、平日の昼間と言っても依頼がこないからしょうがないだけだし。逆に依頼さえあれば休日の朝っぱらからだって働くし。パジャマ姿なのは別に寝起きってわけじゃなくて、単に昨日の五時頃降った夕立に干してた洗濯物を全滅させられただけだし。エアコンの風にあたっているのは暑いからしょうがないだけだし。……ああ、駄目だわ私。
下半身を床に降ろし、上半身を上げる。一あくび。
どうも、見た目は美人、名前は男の、月代蘭丸です。
少し喉が乾いた。私はソファーから立ち上がるとキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。開けてびっくり何もない。飲み物どころか、食べ物すらない。
仕方がないのでお手紙書いた……じゃなくて、仕方がないのでコップに水道水を注ぎ、ごくりと飲む。味しないね。最近、ヨーグルト味の水にはまってたからがっかりである。
私の職業は探偵だ。とある雑居ビルの一室を事務所兼家として使用している。ただし最近は十日前に迷い猫の捜索依頼を受けたくらいで、ろくな仕事がきていない。浮気調査とか人捜しはちゃんと従業員を雇っていて、人手がある大手がかっさらっていってしまう。零細探偵事務所ほど悲しいものはない。
まぁ私の場合、副業でイラストレーターの仕事をやっているため、生活面はちょっと厳しいくらいで、絶望するほどではない。ちなみに、私は割と人気のイラストレーターだったりします。もうこっちが本業みたいなところがある。
私は再びソファーに腰掛け、テレビをつける。取り溜めてた推理ドラマでも見よ……。
DVDプレイヤーの電源を入れようとしたところで、不意に大きな電子音が鳴り響いた。突然びっくりする。
――なにっ!? いったい何なの!?
プルルルルル。プルルルルル。プルルルルル。
電話か……。久しぶりだったからびっくりしちゃった。
リモコンを机に放って、事務机に置かれた白い電話の受話器を取る。
「こちら月代探偵事務所です。新聞社なら切ります」
『警視庁捜査一課の関原と申しますが、月代蘭丸さんでよろしいでしょうか?』
「私は何もしてません」
『わかってます。ちょっと殺人事件の解決を依頼したんですが、よろしいでしょうか?』
殺人事件の? 解決? 何じゃそりゃ。
「いや、ちょっと待ってください。警察なんですよね?」
『はい』
「それが何で民間人であるわたくしめにそんな依頼を? バカなんですか?」
『あっ、忘れちゃってました? 二週間前に会ったじゃないですか』
二週間前……。警察……。捜査一課……。思い出した。
「女子トイレの……」
『そうですそうです』
二週間前。私が女子トイレで便秘に悩んでいたところ、隣の個室に死体があったらしく、そのまま警察が来てしまったのだ。トイレの中で話を聞いて、的外れなことを言う刑事に協力した。……ここだけの話、多少は推理したけれど、ノリと勢いと当てずっぽうが多分に含まれた推理だった。犯人は逮捕されたし、自供をしているらしいからいいんだけど。
『実はですね。北見良町の公園で女性が遺体で発見されまして』
「ああ、何かお昼のニュースで言ってました」
北見良町といえば隣町だ。
『その事件を是非、蘭丸さんに解決していただきたいと』
「はぁ、まぁ別にいいですけど……。じゃあ事務所にきてください。場所わかりますよね」
『はい。では後ほど』
久々の仕事が殺人事件だなんて……。何円もらおう。
◆◇◆
三十分ほどで二人の刑事が到着した。
一人はめっちゃベテラン感を醸し出している中年刑事――ジョウ。
もう一人はとても新人感が溢れ出ている新人刑事――関原。
女子トイレのときと同じ面子だ。
「いやぁ、助かったぜ。今誘拐事件が起こってて人手が足りなくてよぉ」
「そうなんですか」
ジョウが得意げに言ってきた。その情報言っていいの?
疑問に思いながらも口には出さず、二人に水道水を差し出した。
関原は水には目もくれず、メモ帳を取り出してきた。
「ええっと……まず被害者は……」
「ストップ! その前に、成功報酬について、お話を」
二人は顔をしかめた。関原が口を開く。
「やっぱりいりますか?」
「そりゃ、まぁ、一応生活かかってるんで」
「報酬は出ない」
ジョウが固い声で言った。
「それじゃあこの依頼は受けるわけにはいきませんよ」
「いいや受けてもらう」
「それなら――」
「報酬は出ない」
「なに支離滅裂なこと言ってるんですか」
「いやさぁ、これは支離滅裂でもなんでもないんだよ」
私は眉を顰める。
「どういうことです?」
「なぜなら、市民は警察に協力する義務があるからだぁ!」
「巻き込まれてるだけなんですけど」
「巻き込んでなにが悪いぃ!? ちょっとくらいは世間の役に立ったらどうだぁ!?」
「出てってください」
「落ち着きましょうジョウさん」
関原がジョウを宥めに入る。
「で、蘭丸さん」
何で下の名前で呼ぶのだろうと思いつつ、私は関原に視線で返事をする。
「報酬は何円くらい……?」
「そうですね。三十万円はほしいです。本当は五十万円くらいはほしいんですけど、断腸の思いで、四十万円に」
「三十万はどこに?」
つっこみは無視する。
二人はお互いに顔を寄せて、こそこそと話し始めた。私は聞き耳を立てる。
〈四十万って、経費で落とせますかね?〉
〈そうだなぁ……。電車やら新幹線やらに乗りまくったことにするか〉
〈何て言い訳します?〉
〈ガイシャか容疑者の親族にどっか遠くに住んでる人の二人や一人いるだろ。その人に会いに行ったことにするぞ〉
〈了解です〉
関原は私に向き直り、いい笑顔で答えた。
「わかりました。四十万円ですね」
最低だこいつら。
それから私は事件の概要を聞かされ、被害者の本郷町子(故)と容疑者の顔写真を見せられ、関係者の行動が書かれた表を提示され、すがる目で見つめられた。
「ふぅむ……」
一通り聞き終わった後、私は低い声で呻いてしまった。
「どうかしたか?」
ジョウが尋ねてくる。
「全員犯行が可能なんですから、もうちょっと自分たちで調べればよかったのに……」
「めんどくさくなっちゃったんだよ」
刑事だよね、この人。
「どうですか?」
関原が期待を込めた視線を投げてくる。
「犯人はわかりません」
「そうですか……」
肩を大きく落とし、あからさまに落胆してみせてきた。
しかし私の次の台詞。
「ですが、犯人を特定する方法ならわかりますよ」
「え!?」
「なに!?」
二人してオーバーリアクションだこと。
私は二人に断ってソファーから立ち上がると、スマホを片手にキッチンへ向かった。知り合いに電話するためだ。
スマホを片耳に押しつけ、人が出るのを待つ。数秒後に人が出て、あることを調べてほしいと頼み、電話を切った。
ソファーへと戻る。
「誰に電話したんだ?」
「大学時代の先輩です」
しばらく雑談を交わす。その途中、私の好きな特捜○隊デカ○ンジャーのオープニングテーマが鳴り響いた。私は手元のスマホの画面を確認し、素早く通話状態にする。何故か関原も自分のスマホを確認していた。
「もしもし。……はい。……はい。……ありがとうございます。助かりました」
電話を切り、私は二人にニヤリと笑いかける。
「犯人がわかりました」