公衆電話の有効活用法【前編】
とある市の住宅街にある公園。……と、言ってもブランコが二つ並び、大して高さのない滑り台、そして今時誰も使わないであろう公衆電話が隅っこに設置されているだけの、寂れて古ぼけた場所だ。
そこそこ背の高い植え込みに囲まれ、道路に面している一カ所だけが開けている。一目で入り口だとわかる。そこ以外は全て民家に面しており、植え込みは民家と公園を区切る役目を担っているのだろう。
そしてまだ朝が早いというのに、うだるように暑い夏のある日、いつものように『彼ら』が『アレ』をしに公園にやってきた。
お年寄りたちと小学校低学年くらいの少年少女たちが、少し湿った公園の大地に立った。お年寄り男性の一人は、CDプレイヤーを手にしている。
――ラジオ体操。
夏休みの伝統行事を行うため、彼らは彼女らはやってきたのだ。……しかし、そこで起こった。
「中山さん……」
一人の女の子が男性の裾を摘まんだ。
「どうしたんだい? 美代ちゃん」
「あんなところで女の人が寝てるよ」
男性は彼女が指差す方向を見やる。公衆電話ボックスがあった。そしてその中に、一人の女性が肩を壁に預け、背を向けた状態で倒れ込んでいた。
男性は恐る恐る近づく。その様子を察知してか、他の人々も後に続く。
ボックスの目の前に来たところで、男性は気がついた。女性の後頭部に――血液が付着していることに……。
――7:08分、警察へ通報。7:13分、警察到着。
◇◆◇
バリケードテープで封鎖された公園の周りには、大勢の人々が集まっていた。主婦もいれば通勤途中に寄ってみました感全開の男性、夏休み故か若者の姿もちらほらとあった。
そしてその奥から一人の中年の男が、某刑事のように自転車でやってきた。真夏だというのにやたら丈の長い漆黒のロングコート、寝癖とテンパで凄まじいことになっているボサボサ髪、そして無精髭……。推理小説や刑事ドラマなら間違いなくやり手刑事と思われる風貌だ。
男は自転車を人垣のすぐ後ろで停めると、颯爽と降りる。その衝撃で自転車が横転するも、一瞬見ただけでどうでもよさそうに人垣を割り、警察の制服を着た青年に警察手帳を見せてバリケードテープを潜った。
公園内は多くの鑑識員が何やら色々とやっている様子だった。男は死体が発見された、公衆電話ボックスに赴こうと足を出すと、
「ジョウさん」
背後から声をかけられた。振り返ると青年の刑事がいた。
「よう関原」
ジョウと青年刑事――関原は並んで歩き出す。
「何か最近、この音白市で殺人多いな」
「そうですね。二週間前とゴールデンウィークにも起きましたしね」
「ゴールデンウィークの事件はあれだったか、廃工場で男が刺されたってやつ。確かこの町だったよな?」
「ええ、北見良町ですね。でもまぁ、あの事件は正当防衛だったんですけどね」
雑談を交わしつつ、二人は開けっ放してあった電話ボックスの前に立つ。
狭いボックス内に茶髪の中年女性が倒れていた。グレーのTシャツと黒い長ズボンを穿いている。
関原が被害者の情報を喋り始める。
「ガイシャの名前は本郷町子。四十四歳。近所に住む主婦です。後頭部を鈍器のような物で一発殴られて即死しています」
「……なる。死亡推定時刻は?」
「昨日の夕方五時から六時の間です」
ジョウはそこに眉をひそめた。
「この住宅街で、」
腕時計を確認する。
「十時間以上も発見されなかったってこたぁ、殺害現場はここじゃねえのか?」
「わかりません。ボックスの壁を調べても、ルミノール反応が出ませんから」
ルミノール反応とは、刑事ドラマでよくある薬品を吹きつけてブラックライトを当てるあれである。
ジョウはこめかみ部分を抑えた。
「あのなぁ……ルミノール反応が出てないんなら、血液が飛び散ってないんなら、殺害現場はここじゃねえってことだろ」
「わかりませんよ。ボックスが開けられている状態で後ろを向き、外から殴られたとしたら、血は外に――犯人に飛び散りますから」
「可能性はあるが、今の今まで遺体発見者がいなかったのなら――」
「それなんですけど。ちょっと付いてきてください」
言われるがまま、ジョウは関原の後を追って公園を出た。植え込みに沿って電話ボックスの前に立つ。
植え込みはジョウの胸辺りまであり、電話ボックスの下部を隠してしまっている。
「……なる」
「わかりました? 植え込みがブラインドになって死体が見えないんですよ。公園に入れば丸見えなんですけど」
ジョウは公園を囲っている民家に目をやる。入り口から見て右側にある家の二階の窓が公園側に取りつけられていた。それ以外には、公園を向いている窓はない(向かいの民家にはあるが、植え込みでみえないだろう)。
ジョウはそこを指差した。
「あの窓なら、電話ボックスの中も見えるんじゃないか?」
「あの家の住民、三日前から旅行でワイハーに繰り出してるみたいで」
「……なる。つまり、ここが殺害現場の可能性も、別の場所で殺害された後ここに運ばれた可能性もあるってことか……」
ジョウと関原は踵を返し、入り口に向かう。その途中、
「何か盗られた物はあったのか?」
「今確認中ですけど、少なくとも財布はありました。八千円入っていましたので、金銭目的の犯行ではないかと」
「……なる」
二人は再び電話ボックスの前に立つ。
「そういや、ゲソ痕はどうなった?」
「遺体発見者たちが一斉に集まってしまったので、分別不可能になってしまいました。今も……」
関原はジョウの足元に目を落とした。ボックスの扉の前を思いっきり陣取っている。ジョウは一歩右にずれた。
「ガイシャはケータイを持っていなかったのか?」
電話ボックスの中で死んでいるのだから、その疑問を口にするのは当然と言える。
「スマートフォンを所持していました。充電もたっぷりと残っていました」
「……ん? それじゃあやっぱり、死んだ後ここに運ばれてきたんじゃねえか? スマホ持ってんならこんなとこ入る必要はねえからな」
ジョウのその言葉に関原は顔を歪めた。
「最初はそう思ってたんですが……」
言いながら、関原は指を差していく。
「この扉にガイシャの指紋が残っていました。殺されて運び込まれたんなら指紋があるはずありません」
「犯人が死体の手を使ったんじゃねえか?」
「この扉の他にも、中に八つ指紋がありました。いくらなんでもやりすぎだと思いませんか?」
「確かになぁ……。じゃあ公衆電話を使うために入った際に殺されたのか……? スマホがあるのに?」
「それも不自然なんです。受話器にもボタンにも、ガイシャの指紋がないんです。そりゃ、公衆電話なので、色んな人の指紋はありましたけど、彼女の指紋は出てきませんでした。今会社に問い合わせて通話履歴を調べてもらっているところです」
ジョウは唸り声を上げながら無精髭を撫でた。
「奇っ怪だな……。公衆電話を使ったんじゃなければ、どうして彼女はボックスに入ったんだ? 殺害現場が別として、どうして犯人はこんなとこに死体を遺棄したんだ?」
「謎、ですよねぇ……」
狭く小さな箱の中に転がる死体を、二人はしばらくの間眺めていた。
「こんな状況、前にもあったよな」
ジョウが思い出したように呟いた。
「ありましたね。二週間前の女子トイレですよ」
「あれといいこれといい、どうしてこんな変な場所で死体が見つかるんだよ」
呆れ混じりに呟いた。
「容疑者とか不審者とかは目撃されてるのか?」
「捜査中です」
「この状況で出来る限りの推理をしなくちゃいけないってことか……」
「何かありますか?」
ジョウは腕を組んでひとしきり考え、
「とりあえず、二つのパターンで考えてみよう。被害者がここで殺害されたパターンと、別の場所で殺害され運ばれてきたパターンだ」
「いやさっきからその話をしてたんでしょ」
「だからより詳しく考えるんだよ」
「じゃあ自分、別殺パターンを考えます」
「なら俺はここ殺パターンな」
しばし二人で脳を捻る。
数分後、ジョウがここ殺パターンの可能性を口に出した。
「被害者が公衆電話に通話目的で入ったのではないとするなら、考えられるのはただ一つ。……それ以外の目的で入ったんだ」
「そりゃそうでしょ」
「では何のために入ったのか……それは、」
ジョウは電話ボックスの中ある、とある物を指さした。
「電話帳を見るためだ!」
「電話帳にガイシャの指紋はありませんでした」
「先に言え」
「すみません」
ジョウは頭を掻き、
「わかった。電話帳にガイシャの指紋がないのは、犯人が拭き取ったからだ!」
「電話帳には他の人の指紋がぺたぺたと付いていました」
「だから先に言えよ」
「すみません」
ジョウは溜息を吐くと、関原にバトンを渡した。
「僕が考えた別殺パターンなんですが……。犯人は理由があって、死体を今日の七時頃に発見させたかったんじゃないでしょうか?」
「どういうことだ?」
「この公園では夏休みの間、七時頃からラジオ体操をやるんです」
「彼らが見つけたんだろ?」
「そうです。この電話ボックスならさっき言った通り、通行人からは死体を隠せます。ですが、公園に入れば一目瞭然なんです」
「つまりラジオ体操が始まれば自然と死体は発見される……。でももし違うタイミングで死体が発見されたら?」
「それは知りません」
ジョウはジト目を関原に向ける。
「いやまぁ、こんなクソみたいな公園、誰も来やしませんよ」
「けど、百パーじゃない。百パーセント勇気じゃない」
関原は頭を捻り、
「……わかりました。きっと死体を運び込んだのは、人通りの少ない深夜なんですよ」
「ああ、なる。……いや、それなら別に電話ボックスに入れなくてもよくないか? 植え込みのすぐ近くに置いておけばいいんじゃないか?」
「電話ボックスに指紋を残して、運び込んだと思われないようにするためでは?」
「それなら受話器やボタンにも付けるだろ」
二人の間に沈黙が発生した。
「そもそも、どうして犯人は死体を七時に発見してほしかったんだ?」
「……わかりません」
同時に溜息を吐くのだった。
◇◆◇
警視庁――それは東京千代田区にたたずみ、日々東京に住むみなさまの平和を守らんと奔走している組織である。
警視庁内にある会議室では、さっそく電話ボックス殺人事件の捜査会議が開かれていた。
この事件の指揮を取る風原警部がホワイトボードの前で喋る。
「知っていると思うが、ガイシャの名前は本郷町子。主婦だ。家族は夫の電力会社に勤める達夫、高校二年生の達寿、チワワのミー、インコのベネズエラだ。自宅は現場の公園から徒歩七分の場所にある」
風原はホワイトボードに町子、達夫、達寿、ミー、ベネズエラの写真を貼りつけていく。
「ガイシャは死亡推定時刻の昨日の五時前に現場から徒歩約五分の場所にある、友人――秋野智の家に昼間二時頃からいたそうだ」
「その友人のアリバイは?」
関原が質問を飛ばす。
「取れている。秋野智の家にはガイシャの他に二人がいたんだ。ガイシャがその家を出たのは、死亡推定時刻の五時ちょっきりらしい。他の二人は三十分までいたようだ」
「つまり死亡推定時刻は、五時ちょい過ぎ以降から六時ということですか?」
「その通りだ関原」
死亡推定時刻には多少の誤差があったりするのである。
しかしジョウは釈然としないようだ。
「その三人が共謀してガイシャを殺害した可能性は?」
「それはない。その時二階には智の息子がいたんだ。一階のリビングから、絶えず話し声が聞こえていたそうだ」
「庇ってるって可能性もあるだろ?」
風原は首を横に振る。
「彼の友人もいたんだ。裏は取ってある」
「その友人たちも共謀したという可能性は――」
「キリがない」
「だよな」
風原は話の腰を折るなとばかりにジョウを睨みつける。
「とりあえず、秋野智たちが犯人という可能性は低い」
「では容疑者は?」
「三人ほどピックアップした」
風原はホワイトボードに三人の女性の顔写真を貼りつけた。
「ガイシャは音白市北部にある南沢高校のPTAに所属していた。二日前にあったPTA会議でガイシャは、」
差し棒でペシペシペシと写真を叩く。
「この三人と大喧嘩をした。自分たちの子供の中で誰が優秀かって理由で、相当揉めたそうだ。目撃者の話では、三人はガイシャに今にも殴りかかりそうだったという」
「容疑者の名前はなんていうんだ?」
ジョウが質問を挟む。
「今言うとこだったんだよ」
ジョウと風原は同期である。しかし、ジョウは昇格にあまり興味がないようで、階級は巡査部長でとまっている。
「容疑者は名前は――こいつは星野ひかる。こいつは竹中直美。そしてこいつが余辺響子」
「……なる」
ジョウは神妙に頷いた。
「お前たちには、この三人のアリバイを調べ、あわよくば犯人を特定してほしい」
二人は頷いた。が、すぐに関原が、
「え? 二人でですか?」
「他に誰がいる?」
だだっ広い会議室には現在この三人以外いない。
「あの、何で僕らしかいないんですか?」
「立て込んでんだよ。今誘拐事件が起こってて、みんなそっちに行っちまってる。俺もすぐに行かなきゃならん」
「ちょっと、こっちは殺人ですよ。もう少し人を貸してくださいよ」
「誘拐事件が終わったらな。今はとりあえず、この三人を調べるだけでいい」
「不審者とかどうするんですか?」
「それは鑑識に聞き込みするように言ってある」
「鑑識を何だと思ってんですか……」
関原は呆れたような声を出した。
ジョウは腕を組んで考え込むと、思い出したように言う。
「そういえば、公衆電話は使われていたのか? 確か会社に問い合わせていたんだったよな?」
「あの電話が最後に使われたのは、五ヶ月前だった。ガイシャは、間違いなく電話目的で入ったのではない」
「……ふむ。じゃあ、盗られた物は?」
「わからないが、遺族曰わく、多分ない。だそうだ」
「……なる」
「まぁそういうわけで、頼んだぞ」
二人は仕方なく立ち上がるのだった。