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第七十話 最初の仕事




 昨晩は最後にどうなったかは自分でも覚えていない。自力で戻ったのか、誰かに担がれでもしたのか、気がついたら宿の自分の寝台で横になっていた。


 すでに陽も高くなっている、こんな町にこれ以上の長居は無用と、さっさと準備を整えていたら、さあ出発という段になって大将軍自らが再び接触を求めてきた。


「見送りに来させてもらった、それと――」


 一夜明けて、その態度は堂々としたものに戻っているのだが、これがあの酔っ払いと同一人物であると思えば、笑いを我慢するのも一苦労だ。


 それなりに大人数やって来たが、用事というほどのこともない、単なる挨拶でもないだろう、要するに――、


「……すまなかった、夕べは醜態を見せてしまった」


 口止めに来たということだ。あんな失態をおもしろおかしく言いふらされては、乙女ならば王族でなくても被害は大きい。ただ驚かされたことには、


 ――お姫様ともあろうお方が頭まで下げるかね! 俺みたいなもんに!


 お姫様のつむじのある場所を見せてもらう、というのは、髪結い番のメイドでもなければあまりない経験だろう。以前パンジャリーのアメリディ姫のも見たことはあるが、あれは身長差がありすぎただけだ。


 軍中にあっては身分の違いなどいちいち気にしていたら始まらないのだろうが、王族と傭兵だ、その差は天地といっていいほどの開きがある。これも先の大将軍とやらか、その薫陶を受けた者たちの影響なのだろうか。


「そのような! 頭をお上げください、けして口外などいたしませぬからご安心を」


 悪かった、その程度の言葉さえあれば、笑って済ませられることで、大仰な謝罪など必要なかった。ただ誰かに話すネタとするには、この先しばらく困ることはない貴重な経験だったのだが、こうも恥ずかしそうに恐縮されては、そう約束せざるを得ない。


「そう言われると助かる。昨晩の過ちは忘れてもらえるとありがたい」


 ――あやまちて、その言い方はおかしいだろ。


 別に色っぽいことも艶っぽいことも、なにひとつ起こらなかった。無理やり飲まされながら叩かれたり耳を引っ張られたり、おぼろげな記憶では目つぶしや金的までくらったような気がするだけだ。


「……いえ、もう何も覚えてはおりません」

「そうか。では、そなたらの旅の無事を祈る、達者でな」


 去り際のふわりとした笑顔だけは、堂々たる様子を少し外れ、いたずらを許された少女のものであったように思えた。


 町を出てから、それにしても、と考えた。昨日褒美をもらうのを固辞してここを離れていたら、エルメライン殿下に対する印象はずいぶん違ったものになっていただろう。


 ただただ、なかなか立派な連中を相手することになった、そう思っていたはずだ。


 凛々しいとか、堂々とした、という形容は、人を寄せつけがたい、ということでもある。


 酒癖が悪い、などというのは、人にはままあることだ。


 王族としての威厳は少々割引されるのは間違いないが、きずというほどのこともない、それを人間らしい可愛げと見れば、人としての魅力は増すのではないかとも思う。


 いや、ジンブラスタ将軍などはまさにそう思い、大っぴらに吹聴されるのでなければ、ぼんやりと漏れることぐらいは望んでいるのかもしれない。


 そもそも仲間内では彼女の酒癖など周知のことであるだろう、それを知られたくないのなら、初めから酒席に部外者を引きいれたりはするまい。


 軍としては、欠点とも言えぬ彼女のちょっとした弱みを、あえて人前に晒すことによって、畏怖されるばかりではなく、愛されもする王として擁立しようとしているのかもしれない。


 侮られる、ということと隣り合わせではあるが、この場合それは適切であるように思える。


 なぜなら、少なくとも俺自身が、


「あいつらとはあんま敵対したくねえなあ」


 そう考えるぐらいには効果があったからだ。あちらさんが最初からそこまで狙っていたわけではないにしてもだ。


「なかなか気持ちのいい連中だった、戦場で会ったらちょっとは手加減してやってもいい」


 このあたりティラガも同感であるようだ、こいつも昨晩はタダ酒をたらふくご馳走してもらってご満悦の様子だった。


 こちらの雇い主とはまだ会ったこともなく、その思惑も定かではないが、町での捕り物のことといい、今回の仕事は、そういう庶民からの人気取り合戦の側面もあるようにも思えた。


「そういやお前ら、メンシアード軍に来い、とかそんな話はされなかったのか?」

「ああ、ちょっとだけ言われた、だが断ったらそんなしつこくはされなかった」

「俺は誰かに使われるのは好かん」


 とは、同じように勧誘されたヒルシャーンの言だが、それはまさしくその通りなのだろう。今は同じ方向に轡を向けているが、これは義と利で結びついた持ちつ持たれつの関係だからであって、俺自身も一方的にこいつを使えるとは思っていない。


 考えてみれば、こいつはついこないだまで大将軍でも王子様でもあったといえる男だ。品も柄もあのお姫様とは比較にならないほど悪いわけだが、凛々しさぐらいは同じか、ちょっと勝っているかもしれない。


「ティラガの気が乗らないなら、あのジンブラスタとやらは、俺が任せてもらって構わんな」

「う……、いや、やっぱり俺もやりたい」

「……まあ、どっちでもいいけどよ」


 こいつらとジンブラスタ将軍の馬上での一騎打ち、それも見てみたくはあるが、できればそんな機会は巡ってこないほうがいい。それは俺たちがあれらと野戦で対峙するという意味になる。


「それから、戦場でまみえたならば、女とても容赦せん」


 獅子欺かざる。


 冷徹なようだが、強き者だけに王たる資格がある、それがこの男の生きてきた草原の掟だ。


 最近は子供を喜ばせてやるようなことも覚えたようだが、それで何か本質が変化したということもなく、ヒルシャーンは俺の知っている誇り高いヒルシャーンだった。




 ……それから十日ほど経った後、俺たちは誇り高いとはとても言えないことをやっていた。


「野郎ども、抜かるんじゃねえぞ」


 とある町の外、騎馬隊を前にそう言った俺の顔は、誰だかわからないように布ですっぽりと覆われている。


「ははは、本格的に悪者になったみたいだ」


 その声はのちに合流してきたディデューンのものだが、こちらもその顔は見えない。自分だけでなく、隊長格は全員が同じように素顔を見せてはいなかった。


「……余計なこと言うな、馬鹿」


 気を取り直し、くぐもった声でそのまま攻撃開始の号令をかけた。


「行くぞ!」

「「おう!」」


 ここもまた小さな町で、周囲を城壁に守られているわけでもない。


 まずは鎧袖一触で門を守る数名の番兵を蹴散らし、およそ八十の騎馬隊は喊声とともに町の中に躍り込んだ。この機動を阻むことのできるものは何もなく、逃げ惑う住民を尻目に、俺たちはたちまちその役場へと迫った。


 事前に教えられた情報によれば、守備隊は町全体を合わせても百人に満たず、しかも前触れのなかった襲撃である、それらはまだ集まりきってもいなかった。


 その場にいたのは辛うじて三十人というところか。


 兵力差は倍、さらには速さが違う、門を閉ざして立てこもる暇も与えず、騎射による攻撃が開始されると、彼らは早くも抵抗の意思を失い、散り散りになって遁走する。


 隊長らしき人物の怒声だけがむなしく響いたが、それもまたすぐにいなくなった。


 反撃の可能性に備えて、隊の半数を周囲の警戒にあたらせ、俺は残りを率いて役場の内部に侵入し、それに隣接する倉庫に向かった。


 むろん目的はその中身だ。役人を脅して奪い取った鍵で、その扉を開く。


「金目のものを運び出したら、建物に火をかけろ」


 いちおう指示だけは出してみたものの、こんなことをわざわざ言おうが言うまいが同じことだ、ウルズバールの連中も、もとからの団員たちにとっても略奪なんか慣れたもので、それを指揮する自分が一番不慣れなのだ。


 これはもう誰がどう見ても完全なる盗賊に他ならず、とうとうここまで落ちたかとか、ついこの前まで、自分たちがそれを取り締まる側であったとか、人の世の栄枯盛衰を儚んでいても仕方がない。


 ――それでも、自分でやると決めたことだ。


 不本意ではあるが、これも仕事で、仕事ならば本気でやらなくてはならない。


 本気、ではあるのだが、やはり傭兵の統率は難しかった。俺の本気と団員たちの本気とは、少しばかり違う、視界の端に捨ててはおけないものを見つけたのだ。


「やべ」


 事前に因果は含めておいたはずだが、何かの手違いか、役場の敷地内には逃げ遅れた下働きの女が残っていた。行きがけの駄賃とばかりに、それに向かって手勢の何人かが殺到しようとするのを慌てて止めに入った。


「こら、女は攫わんでいい」

「えええ、せっかくの女じゃないすか」


 逃げ出した女の背中が小さくなっていくのを見ながら、子分たちが不平の声を漏らす。


「や、あんなの若くもねえし、美人でもねえ、文句言うほどせっかくでもねえだろうが。あとでちゃんと金を渡すから、どっかで買え」


 女子供に手出しはしたくない、それもあるが、俺の気分とは関係のないところで、絶対に手出しをしてはならない理由があった。


 守備兵に対して襲いかかったのは、一片の曇りもなく真剣にやったことだが、それ以外の役人やここに勤める者にとっては、これは八百長芝居のようなものでなければならないのだ。


 金庫の金は一切合財をかすめ取ったが、穀倉に蓄えられていたものまでを運び出すとなると、エルメラインの本隊が来て追撃を受けるおそれがある、気は咎めたが、これは全て焼き払った。


「官倉を襲ってください」


 メンシアード王都到着後、俺たちに与えられた最初の命令はそれだった。




 当初の予定より少しだけ遅れてレギンに到着したあと、そこに集結した全員を待機させ、俺は単身メンシアード王都に入っていた。


 城門から王宮への道々、


 ――大国の首都にしてはいささか荒れている。


 そんな印象を受けた。すでに政局の変化が影響を及ぼし始めているのだろうか。


 建物の大きさだとか、整備や掃除が行き届いていないだとか、そういう部分ではなく、荒れているのはその空気だ。それに、町の規模に比べて出歩いている人間の数が少ないようにも見える。


 そう思ったのは間違いではなかったようで、王宮の門にてカルルックに出迎えられたときに、その理由を説明された。


「……衛兵の数が足りておりません」

「なるほど、やはり治安が低下していますか」


 政府と軍とが完全に決裂し、いざ武力でもって雌雄を決するとなれば、衛兵を再編成し、それを主力としてあたらせるのが当然だ。門番の様子もどことなくぎこちなく見えるのは、新たに徴募された新兵だからなのだろう、緊急事態とあれば、このような場所に熟練兵を配置しておくのはもったいない。


 だが、続く言葉は俺の予想を超えて悪いものだった。


「多くの者が本来の職務を離れ、エルメライン様の下に集っております。今はレギンからプリスペリア様の私兵を呼び寄せて、なんとか賄っている次第でして」

「……どうしてそんなことに」


 軍権と警察権、その境界はあいまいだ。ビムラがそうであるように、大抵の国では通常の兵士と治安を司る衛兵の区別はついておらず、一括して軍権の支配下にある。


 ただ、ここメンシアードにおいては例外で、警察権は文官のもので、衛兵はその支配下にあるはずではなかったのか。


「いえ、命令権者は文官でありますが、衛兵自体は徴募も教育も軍の管轄で行っておりました。その影響下から完全に離れているわけではございません」

「……そうですか」


 衛兵たちも、上司の意に背いてエルメライン派に合力したということか。この感じからすれば、どうもこの国の文官優位の風潮は、現場の軍人たちから相当嫌われていたようだ。文官偏重というよりは、武官蔑視であったのかもしれない。そういった不満はエルメラインらとの酒席でも、なんとなく伝わってきてもいた。


「ではそちらの主力は」

「……プリスペリア様の私兵が一〇〇と、あとはわずかな新兵のみになります」


 ――それのどこが主力だ!


 山猫傭兵団ウチで連れてきた団員のがよっぽど多いじゃねえか。


 最初に傭兵ギルドで会った時、この男が最初に言ったこと、それが現実味を帯びてきている。


「……本気で我々が五〇〇〇の人数を相手できるとお思いですか?」

「まさか。事態がそこまで窮迫すれば我が君と、ついでに私を連れて逃げる仕事をお願いします。ですが今は、そうならないための手段を考えることにいたしましょう」

「……前向きで結構かと」


 まさしくこいつの言う通りで、敗北がたちまち危険に繋がるのは、俺ではなくこのカルルックと、その主君である内親王殿下だ。


 しかしこの男の様子を見れば、余裕綽々とまではいかないものの、切羽詰った感じでもない。その理由はまだまだ起死回生の策が残されているからか、それともいまだ劣勢とすら思っていないからなのか、どちらにしても俺があたふたするようでは、肝の据わらぬことこの上ない。


 王宮前での立ち話はそれで終わり、俺はその内部、最奥に近いところにまで案内された。


「中で我が君がお待ちです」


 そこは国王の執務室、病床の王に代わって、現在のここの主はプリスペリア内親王殿下であるらしい。すでに王となったつもりなのか、それとも束の間の儚い天下を楽しんでいるのか、などと考えるのは少々意地悪だろうか。


 扉を叩くと、それは従者の手によって内側から開かれた。


 カルルックとともに中に入り、恭しく一礼をする。


「山猫傭兵団団長ウィラード・シャマリでございます。お召しにより参上いたしました」

「ようこそいらっしゃいました、この度の参集に応じてくれましたこと、嬉しく思います」


 それに応えたのは、プリスペリア内親王に他ならない。


 ――こりゃ エルメラインあっちの方が全然それっぽいな。


 それが、俺がこのお姫様に抱いた第一印象だった。






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