第六十八話 巨頭との接触
「俺たちはビムラから出ていってやる、喜べ」
その程度の憎まれ口は叩いてやりたいところだが、まさかこの通りに言うわけにもいかない。カルルックとの会談から数日後、その主旨をビムラ中央会議に伝えに行ったときには、すでにウルズバールの集落、その撤収は完了していた。
三〇〇の馬と五十の精鋭はメンシアード国内への移動を始めていて、これを補佐する形で百名ほどの傭兵が付き従っている。
こちらの動きに対して、ずっと見張りがつけられていたことは知っていた。あるいはその後背を襲われる可能性を警戒していたものの、表面上は穏やかなもので、武力の行使がなされるような様子は最後まで見られなかった。
まあ今回の仕事が隣国の政府からの依頼であることは、傭兵ギルドを通じてちらりと漏らしてある、これを妨害するような行為は敵対とも捉えられかねない。騎馬軍団の脅威は去った、ひとまずはそれでよし、ビムラ政府からはそう判断されたと思っていいだろう。
ただ、団員のうち三〇〇人ほどは居残りになる。彼らについては、後で呼び寄せることになるだろうが、その時期が来るまでは、これまでと同じようにこの町で傭兵仕事をしていてもらわなければならない、そのための事務方として、イルミナは残してあった。
心配ではあるものの、単に仕事を回すだけなら、あいつと見習いどもでこなせるようには仕込んできた、意趣返しの嫌がらせなどをされない限りは、今なら何とでもできるはずだ。
メンシアードでの成算が立つまでは、こちらでは何も起こってほしくなかった。
「国王陛下の健康不安に乗じ、軍部の不満分子が陛下の姪であらせられるエルメライン内親王を担ぎ上げ、その後継者とするよう迫っております」
カルルックによれば、これが現在の彼の国の差し迫った内情である。
現在の王位継承権第一位は、国王の長女であるプリスペリア内親王、彼女がカルルックの直接の上司でもあるらしい。ただし、どのような事情があったのかは知らないが、彼女はいまだ正式に太子とは定められていなかった。
あるいはメンシアード国王か、その宮中に、王位継承権第二位である彼女の弟君にその地位を継がせる、といった思惑でもあったのかもしれない。
これに対して、自分たちへの冷遇に業を煮やした軍部が、これに同情的なエルメライン内親王を次の王とすべく、行動を起こしたという図式である。
「今の時点で軍が実力行使に出れば、そこで詰みです」
さらにはそのような説明も受けたが、それはエルメライン派にとっても、最終手段である。武力による王位簒奪までは容易だが、例えしぶしぶでも文官たちの賛同を得られなければ、あとの運営が成り立たない。恫喝だけでおとなしく承認してもらえるに越したことはないし、いざとなれば王宮の占拠ぐらいいつでもできる、という自信もあるのだろう。
現体制派は、その要求を受諾するつもりは当然ないものの、いまだ対決姿勢は明確にはしていない。
前向きに検討する、時間をくれ、調整中だ、そのような言葉を使いながら、密かに、静かに対抗策を準備中、とのことだった。
山猫傭兵団のこともその一環で、確かに、この政局が他国に知られること、反抗の意図を相手陣営に悟られること、いずれも彼らにとって望ましいものではない、これを聞いた以上は必ず協力しろ、と言いたくなる気持ちは理解できた。
そうして、俺たちはビムラ~メンシアード間の国境を越え、目的地に向けて移動していた。
ディデューン、サファゾーンら、仲間内でも比較的気の利く連中を先行させ、俺の同行者はティラガ、ヒルシャーンら総勢六名、馬十二頭で殿からの出発、これが一応本隊とはなるのだが、見ての通り人数はかなり絞っている。
本隊だけでなく、騎馬隊はすべて十頭程度に分散し、それぞれが馬商人などに扮してメンシアードに入っていた。しかも半数以上はビムラより直接入国するのではなく、他国からの迂回路をとっている。これもなるべく相手側に動向を察知されないためだ。
その行き先はメンシアード王都ではなく、プリスペリア内親王の領地であるレギン、ここならば王都にも比較的近く、エルメライン派軍部の立ち入りも制限できる、俺たちが潜伏し、事あれば立ち上がるには絶好の場所になる。
もらった地図によれば、明日にはそこに到着するだろうか。陽は中天に達し、そろそろどこかで昼食を摂ってもいい頃合いで、隣で馬を走らせるヒルシャーンが声をかけてきた。
「オデ、ハラヘッタ、ニク、マルカブリ」
「……なんでそんな言い方する」
ウルズバールの連中もこちらの言葉にはずいぶん慣れてきている。いかに異民族とはいえ、普通に勉強していれば間違ってもこんな人喰い人種のような話し方にはならない。
「ビムラで牧場をしていた時に、こんな喋り方をしてやったら、ガキには受けた」
「……お前、そんなんだったか?」
こいつは狷介というほどでないにせよ、相手が子供であっても厳しく、その機嫌を取るような男ではないと思っていたのだが。
「まあ族長の息子なんてしていたら、舐められるわけにもいかないしな。こっちに来てからそういうのがなくなった、これはなかなか気楽でいい」
――さようですか、よかったですね。
こっちは思いあまった挙句に団長なんか背負い込んでしまったというのに、なんとなく理不尽な気もする。
「……そろそろ町が見えてくるはずだ、そこで飯にしよう」
俺たちは通りすがりの町の入り口で馬を降りた。
ビムラにいると忘れがちになるのだが、街道ならともかく、平民が町中で騎乗することは、多くの場合ご法度とされる。
俺がこれまで町中で堂々と馬を乗りまわしていたのは、町の代表とされる中央会議議長、長老会会頭、大将軍、そのいずれもが平民とされ、王侯貴族というものが存在しないビムラだから許されていたのであって、他の国でそのようなことをすれば、悶着の種にしかならない。あえて明文化されていなくても、それは身分のある者のみにしか許されない特権なのだ。
身分といっても、それなりの貴族ともなれば、騎乗の権利は当然にあっても、よほど武門の家でもない限りそれで出歩いたりはしない、ここでいう身分とは、騎士階級、あるいは軍の将校のあたりを指す。
俺たちが今度相手にしなければならないのは、自らの立ち位置を腕っ節に頼る、そういう連中だった。
「む、マズったかな」
町に一歩足を踏み入れれば、そこにはおそらく普段とは異なる空気が流れていた。初めて来た町の普段の雰囲気など知る由もないが、こんな空気があたりまえであるはずがない。
要塞機能を有しているわけでもない、小さな辺境の町にしては、兵士の数が多すぎるのだ。
その入口のみならず、そこから見える範囲の辻々にも、何名かが固まって見張りをするように立っていた。
ただ、それらの警戒は俺たちに対しては向けられてはいない、十頭を超える馬の列は少し目立つが、何だこいつらは、といった一瞥を与えられただけで、それきり彼らはこちらへの興味をなくしている。
ここで回れ右をして町から出ようとすれば、そちらのほうが余計に怪しまれてしまいそうだ。仕方なく当初の予定通り、町の中で飯の食えそうなところを探し歩く、だが町の中心部に近づくにつれ、兵の数は増し、おそらくは野次馬なのだろう人間の数も増えてきていた。
「何があるんだ? 教えてもらえるとありがたい」
俺は近くにいた野次馬の若い男を捕まえて尋ねた。
「捕り物だ、ちょっと見ものだぜ」
その顔はいつにない催し物に胸を躍らせているように見える。
「捕り物?」
「ああ、この町の代官ってのがイヤな奴で、税は搾るわ子分を使って弱い者いじめはするわ、賄賂も取り放題の最低の人間でよ、その証拠を国軍が掴んだってので、こうして成敗に来てくれたってのよ」
「なるほど、この町の住民としてはスカッとするわけか」
「おうともよ」
遠目に見えるのがこの町の役場になるのだろう、その建物の前に二十名ほどの兵と、将校らしき者が数名、中央に縄を打たれて座らされているのがその代官とかいう奴か。
そしてそこかしこにある町の喧噪は、その子分どもが追われているということだった。
「悪い役人を退治するってんなら、こいつら、ひょっとしたらいいものなんじゃねえか?」
いいもの、悪者で判断する、まことにティラガらしい感想なのだが、俺はそう単純にも考えられない。
ここの代官とやらが嫌われていた、ということには疑問はないが、たった一人の言い分を聞いただけでは、果たしてそいつがそれほど大きな悪であるかどうかまではわからない。役人とは得てして嫌われたり妬まれたりすることが多い、しかも代官といえばいわば徴税役人で、これはもうよほどの人物でないと嫌われない方が難しい。
この逮捕劇は、民衆に対する点数稼ぎではないか、という気がしないでもない。政府と軍とが断絶状態に近い中、これはもしかすると軍の越権行為にあたるのではないのだろうか。
それに単に不良役人を断罪するならば、こうも衆目が集まるような方法をとらなくてもいい。不良役人の存在は国の恥で、本来は軍にとっても恥である。それをこうもあからさまにするということは、通常ならば体制が一新されたという示威、今回はそうではないので、これは、我々国軍は政府とは違い民衆の味方なのだ、ということを示すためかもしれない。
単なる義憤や正義感に駆られただけという線もないではないが、どちらにせよこれは、メンシアードの軍が官僚支配に対して叛旗を翻そうとしている、その象徴のようにも思えた。
――見物、していってもいいんだが。
俺の予想が正しければ、ここにはこれから戦わなければならない、それなりの人物が来ているはずだ、そいつの顔を拝んでいっても損にはなるまい。だが、
「いや、飯にしようぜ」
「オデモ、メシ、クイタイ」
「それはもういい」
同行者たちの生存本能がそれを許さなかった。まあ自分としても空腹ではある、無理をしてまで我を張るつもりもない。しかし、これからお裁きが始まるわけで、ならばこのまままっすぐ人込みと兵士たちをかき分けて、役場の前を突っ切るわけにもいかない。
「じゃあ回り道……」
「ちょっと待て」
「…………うええ」
迂回しようとするのを、兵士の一人に見咎められた。どうにも間が悪い、こんなことならすきっ腹を抱えて見物していたほうがマシだった。
こいつらは町の入り口や途中に配されていた連中とは違い、騒動の中心部に近いだけあって、いささか殺気立っている。結果、人ごみの中心でこちらとほぼ同数の人間に取り囲まれることになった。
ひょっとすると見咎められたのは俺たちの振る舞いではなく、馬腹に吊るしてある長柄であったのかもしれない。人数分用意されたそれらは、歩兵の遣う短槍の倍ほども長い。俺たちのような傭兵が、馬上での戦闘を想定した武器を所持しているのは、怪しいといえば確かに怪しい、どこかでパクってきたと思われても致し方ない部分がある。
ゆえに向こうの意図するところはわかる、簡単な取り調べぐらいなら応じなければならないだろう。だから俺もおとなしく立ち止まり、敵意はありませんよとの返答をする。
「なんだよ?」
「お前ら、逃げようとしなかったか?」
「してねえよ、俺たちは馬を運んでる最中で、このまま真っ直ぐ通れなさそうだから、迂回しようとしただけだ」
「その横にぶら下げてあるのは槍だろう、お前らが使うのか?」
さて、どう答えればいいものとか迷う。
これも頼まれ物と言えばいいのか、それとも護身用と答えればいいのか、まさかただの物干し棹です、……そんな言い分が通してもらえるはずもない。
などと少々考えている間に、さっきまで遠くにあった喧噪がだんだんと近づいてきていた。囲みを破った賊の一部がひと固まりになって、こちらに向かって逃げてきているのだ、さらにその後方から兵が追いかけてくる。
「ちょ、ま、おい、あっち!」
俺はその方向を指さし、兵士たちに向かって注意を促した。俺たちに気を取られていると、こいつらは本命を取り逃がしてしまう。
兵士たちが背後に向き直る、その隙にとんずらを決め込もうと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。こちらに走ってくる数名、その先頭の奴が、
「おおい、お前ら、いいところに、助けろ!」
俺たちに向けて大声でそう呼ばわったのだ。
似たような風体である俺たちを仲間だと思った、そうではあるまい、これは包囲の兵を混乱させるための機転だったのだろう。咄嗟に思いついたのならなかなかあっぱれな策だが、巻き込まれるこっちとしてはたまったものではない。
賊に向かうはずの兵が再びこちらを向いた、今度は武器まで構えている。
「やっぱり貴様ら!」
「違えよ!」
反論してみたが、俺の同行者たちは武器を突きつけられてまでおとなしくしているような連中ではなかった、ヒルシャーンはすでに徒歩で遣う用の短槍を構えていた。気持ちはわかるが、こんなことをされては俺の言い分に何の説得力もなくなってしまう。
「兄弟、やっちまうか?」
――やっちまうか、じゃねえだろ。
どう見てもやりたくてたまらないのである、こういう権高な連中の鼻っ柱をへし折るのは大好物なのだ。
「やめんかい!」
そう言おうとして、やめた。
「お前もやりたいか?」
ヒルシャーンではなく、ティラガのほうに訊いてみる。こっちもやりたそうにはしているが、なんとまあ立派なことに背中の大剣を抜き放つのは自重していた。
「あ、ああ、やっていいなら、やるぞ、いや、やりたい」
正直で結構なことだ。
「じゃあ、やれ。ただし――」
俺は対峙する兵士たちではなく、さらにその向こうを指さした。
「やるのは向こうの連中だ」
他人を巻き込むのはいい判断だが、そこはそれ、あいつらはツイていなかった。巻き込まれたのが俺たちでなければ、全員とまではいかずとも、あいつらの何人かは逃げおおせることができたのかもしれない。
もう賊と俺たちの間に距離はほとんどない、このまま逃がしてしまえば、この兵たちは自分たちの無能を棚に上げて、俺たちの責任を追及してくるに違いない。
「防備だけ固めてくれ、この二人があの連中を捕まえる、それなら俺たちがあいつらと関係ないってわかるだろ」
俺は兵たちに説明した。
「………………」
どうしたものかと迷っているようだが、返事は待たずに両名の手綱を手放した。
「……なるべく殺すなよ」
「任せとけ!」
そう言ったのはティラガ、
「勝負だ!」
ヒルシャーンが言ったのは、賊どもにではなく、ティラガに対してだ。どちらがより多くの相手を倒せるか、そういう意味だ。
兵たちの隙間から飛び出した大剣と短槍、その切っ先に迷いはない。
瀑布のような弧の動きと稲妻のような線の動き、この大陸に冠絶するであろう武勇を持った勇者二人、それがこの日、初めて実戦の中で共闘を果たした。
ただし、それはごくわずかな時間。
相手の人数が偶数だったのは幸いだったのだろう、二人仲良く五名ずつ、都合十人を叩きのめすのに要したのはわずか一呼吸の間。揃って息継ぎをする頃には、向こうは全員が地に伏し、立ち上がる力を根こそぎ奪われていた。
「ってことで、もう行かせてもらっても構わねえか、ちょっと腹が減ってんでな」
「……あ、ああ、ご苦労だった」
いかに大国の正規兵とはいえ、ここまでの技量はそうそうお目にかかれまい、唖然とする兵たちの了解を得てこの場を立ち去ろうとする、だがそれもまた許してはもらえなかった。
「まあ待ちたまえ」
声をかけてきたのは、役場のほうから賊たちを追いかけていた一手の将らしき人物だった。
「ジンブラスタ将軍!」
兵たちが姿勢を正し、その男に向かって敬礼をする。
――……マジかよ、やっかいなモンに目をつけられたかもしんねえな。
こいつの顔は、遠目から見るだけで良かったのだ。
ヴェルギア・ジンブラスタ。その名前だけはカルルックから聞いていた。
メンシアード武官の最高位は大将軍で、十年前まで先の王太子がその地位にあったが、それが出奔後、その地位は長らく空席になっていた。
一年半ほど前に、その娘であるエルメライン内親王が新たに大将軍に就任したが、これは女性でしかもまだ二十歳をいくつか超えたばかり、どう贔屓目に見てもお飾り以外のなにものでもない。
メンシアード軍を実質的に支えているのは、このジンブラスタ将軍といま一人、ブレア・カーンという年配の将軍だった。
東パンジャリーでいえば、パラデウス将軍とハーデオンのようなものになるか。
――こっちのほうがハーデオンより随分迫力があるのな。
あの男と比べるならば、年恰好はどちらも同じぐらいなのだが、大国の将と小国の将の格の違いのようなものを感じてしまう。どう言えばいいのか、ハーデオンは押しも押されもせぬ将軍格ではあるのだが、出会い方に難があったとはいえ、申し訳ないが俺の心の中ではあいつは呼び捨てなのだ。
こちらのジンブラスタ将軍の重厚な甲冑を軽々と着こなすさまは、その内部にそれに応じた筋肉が詰め込まれていることを容易に想像させる。身長も体重も、ティラガほどではないが、巨体といっていいだろう。力強い眼光も、常人の放つそれではない。
だが気圧される、ほどではない。そういう教育は受けてきていない。王立大学院にあったのは、こういう男と対等に渡り合うための教育だ。
エルメライン派の巨頭の片割れ、俺に話しかけてきたのは、そういう人物だった。




