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第六十七話 メンシアードの使者



 前置きなどほとんどなかった。


「そちらにお相手していただきたいのは、我が国の正規軍およそ五〇〇〇、ということになります」

「はあああああ!!!」


 と叫びそうになるのを飲み下せたのは、我ながら頑張った方ではないだろうか。


 今や山猫傭兵団は一介の傭兵団とは呼べず、どこからもある程度特別視されるようになっている。


 もはやガイアスバインの時代ではない、ウィラード・シャマリの時代だ。


 その責任を預かる者として、初対面の人間に会うときは舐められないようにしよう、という段階は自分の中では終わっていて、畏まった場でなくとも、なるべくかしこそうに思われるようにしよう、そう自分に誓った直後のことで、そうでなければこの叫びは必ず口から漏れていた。


 ――五〇〇〇て。


 少々の不利、そんなものはもとより覚悟の上で、それを覆してこそ俺たちの存在価値だ、そんなふうには思っていたが、さすがにそこまでの戦力差は想定していなかった。


 しかも自分のところの正規軍を相手にしろとは一体どういうことか。


 傭兵ギルドの応接室、俺の正面に座る男はまだ若い、俺より三つばかり年上で、この場に立会人としているソムデンと同じぐらいといったところか。


 彼は隣国メンシアードに所属する、カルルック・メドウズと名乗った。


 しかるべき立場の人間、それが誰かということはまだ語られてはいないが、メンシアード中枢からの委任状を携え、その身分が騙りではないことは、ソムデンが、ひいては傭兵ギルドが保証している。


 部屋の外には本国から連れてこられたのだろう何人かの兵士が待機していて、先に言われていた通り、俺が詳細を聞いた後にこの依頼を断れば、身柄を攫われることになるというのは、あながち嘘でもないのだろう。




 昨日は人質救出後、その足で伯母さんたちを家まで送り届けることにした。


 ――この人たちにも、護衛をつけなきゃなんねえな。


 この度の脅迫が失敗に終わり、間を開けず同じことをやってくるとも思えないが、絶対にないとは言い切れない。それとも本部のすぐ近くにでも住んでもらうか、あるいは別の町にでも引っ越してもらったほうがいいだろうか。


 そんなことを考えながら、伯父貴に尋ねた。


「他に隠し事はねえだろうな?」

「ねえよ」


 あっさりと言われたが、そんな言葉に信用が置けたものではない。後から二号さんだの隠し子だのが出てきたところで、もう驚きはしない。


「ディデューン、お前も心当たりはないか?」

「……ん、ちょっと思い浮かばないな」


 そこで今度は、伯母さんの方に話しかけた。


「お初にお目にかかります、お話には聞いているかもしれませんが、私は伯父上の甥にあたります、ウィラードと申します。この度はとんでもないことに巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」

「い、いえ、こちらこそ助けにきてくれて、ありがとうございました」

「ちょっとお聞きしたいのですが、このところ伯父上が体を悪くしている、そんな様子はありませんか?」


 俺自身そんな兆候は見たことはないが、ただあるとすれば、そんなところだと思った。


「おい、やめねえか」


 伯父貴が割って入ろうとするが、伯母さんの返答ははっきりと聞き取れた。


「……時おり、おかしな咳をしたり、血を吐いたりしているのは知っています」


 ――やっぱりか。


 今回、伯父貴は自分が死ぬことを決断した、それ自体に大きな疑問はない、思考の紆余曲折を経て、そのような結論に達したとしても、伯父貴らしいともいえる。だが、それにしても少しばかり諦めが良すぎるようにも思ったのだ。


 年齢のこともあるし、その病気が治るものなのか、死ぬまで進行するようなものなのかまではわからない。だが本人が先行きに不安を覚えていたのであれば、納得もできる。どうせ先のない命だと思えば、それほど悩む必要もなかったのだろう。


 だから、言ってやった。


「伯父貴、隠居しろ」


 半分は本気、もう半分は、せめてちょっと休んでろ、ぐらいの意味だ。


「……っ! なんで手前にそんな指図されなくちゃなんねえんだ!」

「どうせ死ぬつもりだったんだから、いいじゃねえか。あんたの人生はさっきので終わって、ここからはオマケと思ってせいぜい嫁さん孝行でもしてろ」

「余計なお世話だ! 手前みてえな小僧が団を仕切っていけると思ってんのか!」

「何言ってやがる、さっきまでそうさせるつもりだったくせに」


 自分が団長というにはまだまだ貫目が足りないことは承知の上だ。


 だが山猫傭兵団ウチをこんなところまで引っ張ってきたのは俺で、他の誰でもない。もう他の奴に団長をさせる、などという後ろ向きなことは考えられない、やりたいやりたくないではなく、俺がやらなければならない。


 決して諦めたわけではないが、もう王立大学院アカデミーのことも、仕官のことも後回しだ。


 ごねる伯父貴を無視し、しゃがんで子供の方と目を合わせた。向こうっ気の強そうな顔つきは父親とよく似ている、これならコブつきの未亡人をもらったというわけでもなさそうだ。


「お前、名前は?」

「……ガレスバンドラス」


 ――なんちゅう名前だ。


 このガイーンときてバーンとした感じ、間違いなく父親の趣味でつけた名前で、しかもあっちは芸名みたいなものだが、こいつにつけられたのは本名だ、気の毒にもほどがある。


「……ん、あー、ガレス、俺はウィラード、お前の従兄弟だ。初めましてだが、これからは俺のことを兄貴だと思ってくれていい、何でも遠慮せずに言ってこい」

「……あ、ああ、うん」

「勉強も剣も、馬術だって教えてやるが、将来は傭兵になんか絶対なるんじゃねえぞ」


 頭を撫でながら言ったそれは、年長の親戚としての正直な希望だった。もしこいつの出来がいいんなら、大きくなったら今度は俺が大学の費用を都合してやらなけりゃなんねえし、その時は絶対に傭兵団の事務長なんかさせてはいけない。


 伯母さんの住まいに到着すると、伯父貴の身柄はそのまま家の中に押し込んだ。


「あとでイルミナを寄越すからじっとしてろ、それから医者も近いうちに手配する」


 これでおとなしく引退を承知するとも思えないが、この家に護衛をつけるにしても、そんなのは無料タダではないのだ、ならば養生を兼ねて、普段から遊んでいる人間がやればいい。そうしていられるのも、どうせあまり長い時間ではないのだから。




 誰に言うべきことでもないが、山猫傭兵団オレたちのビムラでの勝負は、自分の中ではすでに敗色濃厚になっていた。


 本来の勝利条件はビムラ中央会議や独立軍を屈服させることではなく、自分たちが勢力を保持したまま、この町で共存するのを認めさせることだ、それがもう、予測した以上の速度で破綻に近い、というより、突然均衡を崩された感じか。


 それが中央会議の意思か、独立軍の先走りか、はたまた一部の先鋭的な勢力による独走かまではいまだ判断がつかないが、いかんせんつつかれた場所が悪すぎた。


 今朝一番に独立軍の詰所、それに城門を探りに行かせたところ、そこにはすでに慌ただしさと、ものものしい雰囲気が溢れていたということで、それが俺たちの報復を警戒してのことだというのは明らかだった。


 これに対して然るべき報いをくらわせてやらねばならん、そう思うのはやまやまだが、報復のその先は泥沼にしか通じていない。


 防備は固めているだろうが、今の段階で向こうからの先制攻撃、その可能性はまだ薄い。どちらから仕掛けても、もう片方が一方的に降伏でもしない限り、この町は地獄になる、それは誰にとっても本意ではなかった。


 それでもビムラに拠点を置き続けることはできないだろう、このままではいずれそうなる未来しか待ち受けてはいない。完全に撤退することはないにしても、軸足だけは移動し、またそう見せなければならない。


 だから今日の話は、不測の事態が起きたから延期、などと言っている場合ではなく、むしろよほどのことがない限り乗る、と決めてきていた。


 ――よほどのことがあったわけだが。


 メンシアードは、ビムラの西方やや南にある。この近辺ではアーマと並んで屈指の大国だ。


 そこが俺たちを必要としてきたということならば、本来ならもろ手を挙げて歓迎してもいいはずだった。


 ――五〇〇〇て。


 頭の中で、もう一度同じ数字をくりかえす。


 ビムラの二五〇〇を相手に尻尾を巻こうとしている山猫傭兵団ウチが、それだけの軍勢に勝てる、このカルルックがそんなふうに考えるような馬鹿には見えない。それが本気なら、俺たちはここに留まって喧嘩をした方がましだ。


「……我が国は伝統的に文官の力が強いのです」


 この男の言うように、近隣諸国で唯一大学を持つメンシアードが、官僚機構に支えられるいわば文官の国であることは自分でも知っていた。


 建国したばかりの国であれば、その功労者である武官が力を持っていることもあるが、時が経つにつれ、彼らは次第に権力を失っていく。次に来るのは、強大な王権であったり、貴族支配であったり、国によってその様相はまちまちだ。


 元帥、大将軍、上将軍、武官の最上位の呼ばれ方は様々だが、各国の組織図でいえば、国王に次ぐのが宰相、その下の大臣級の一人としてそれがある、というのが一番多い。次に多いのが、宰相と大臣級の間にその地位があるものだ。宰相と大将軍が並び立つようなものはぐっと数が少なくなる。


 しかしメンシアードの場合、大臣級の軍事部門の長は軍務卿で、これは文官になる。その下にも何名かの役職者が連なり、他国で大将軍級とされる地位の者はさらにその下の扱いとされていた。


 それが一概に悪いともいえない。


 現にメンシアードはそれで大国としてやってこられたわけだし、メンシアード軍がことさらに弱い、という話も聞いたことはない。


 自分としては、そんなに文官の待遇がいいのなら、と王立大学院アカデミー卒業後の進路として考えたこともあったし、伯父貴に勧められたのがメンシアード大学であったならば、俺はもしかすると今ごろその王宮勤めであったのかもしれない。


「シャマリ殿が王立大学院アカデミーのご出身であることは存じております」


 俺のことは単なる傭兵とも一介の武弁とも考えていない、だから今回、山猫傭兵団ウチに白羽の矢が立ったのだと、カルルックは言った。ありがたい言いようだが、鵜呑みにして浮かれたりはしない。こんなのはただの社交辞令だ。


「そして……」


 そこで彼は言葉を止め、俺の意思を確認するかのように目を合わせてきた。どうやらここからが、彼の国の機密にあたるようだ。この先を聞いてしまえば、後戻りは難しくなる。


 俺が、十倍の兵力差で勝負なんかできるか、そう早合点するようならば、この男にとっては大いに期待外れではあるのだろう。


 どういう事情でそんなことになるのかまではわからないが、そこから勝算を積み上げて、この男か、あるいはその上の人間にとっての窮地を脱しようとしているには違いない。


「その前に聞いておきたい」


 カルルックは俺の質問を待っていた。こいつも慌てて全てを喋ってしまうつもりはないようだ。


「そちらは今の自分たちの状況を危機だと思っているのか?」

「もちろん危機です、国家存亡の、とまではいきませんが、それなりには。ですが、あなた方に力を貸していただけるのであれば、そう難しい事態でもありません」

「我々が協力しないとどうなる?」

「それは……困りますね。メンシアードの国がなくなる、などということはないでしょうが、現在とはずいぶん違ったものになるかと思います、おそらくは悪い方に」

「正義はそちらにあると?」

「いえ、正義はどちらにもあるのでしょう、ですが、向こうには国を導く力はありません」


 ――なるほど、大体は読めた。


 彼が向こう、と呼ぶのは、今のところそれは推測するしかないが、軍を掌握する何かか、あるいは軍そのものによるクーデターか、いずれ文官対武官の権力争いの構図であるのだろう。その現体制側、文官側とでも呼ぶべき者が戦力として山猫傭兵団ウチを欲している、そういうことだ。


 その状況がどこまで緊迫しているかはわからないが、そうであれば彼らが本来すべきことは傭兵なんかに頼ることではなく、自陣営を固め、相手陣営を切り崩すことで、それは当然行われているのだろう。


 実際は彼の言う通り、俺たちだけで五〇〇〇を相手に戦わなければならない事態は起こるまい、そうなる前にどこかで白旗が上がるはずだ。山猫傭兵団ウチが期待されているのは、やはり自陣営の戦力の上積み、それは騎馬隊の規模に見合った武力と、そしてこの後に雇用されるであろう傭兵部隊の仕切りだと考えてもよさそうだ。


 ただ見えるのはまだ表層的な部分だけだ、背後関係から何が飛び出してくるかまでは予測できない。


 しかしそれは後でもいいことだ。受ける、そう決めてしまえば、俺が拘束されることもない。報酬については慌てて詰めなくても、そう悪い話にはならないはずだった。


 こいつが全ての事情を語らず、それが理由で俺たちが途中で投げだすことになっても、それは直ちに契約違反とはならない。この場にはソムデンもいる、こいつが証人になってくれる。


「わかった、受ける。詳しい話を聞かせてくれ」


 途中に挟むべき会話をずいぶんと省略したが、それをしてもしなくても、結論は変わらない。その速さにカルルックは少しだけ驚いたが、


「ただいま、わが国王陛下は病により明日をも知れぬ命となっております」


 それが、メンシアードの隠された機密だった。






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