第六十六話 人質返還交渉
ここのところ、俺自身のことは警護を固めてきたが、団長については、本人がそれを嫌ったこともあり、わりあい自由にさせていたし、それで身辺に危険に及んだこともなかった。
だから、ある程度は安心していた部分もある。
――しかし、ここまでしてくるとはな。
俺としても、自分が知らないことまで守ることはできない。
向こうが団長の秘密を突き止めたのはちょっぴり評価してやるとしても、その後の手際は雑で褒められたものではない。何のひねりもなくまっすぐに人の弱みをついてきただけで、それほど練り上げられた策ともいえない。
それでも、効果がないとまでは言えないのだ。
状況的には独立軍の仕業だと考えるのが当然だろう。現時点でここまでの強硬策を商工会が許すとも思えず、おそらくは独立軍の独断専行なのだろうが、向こうは向こうで、山猫傭兵団と完全に決裂する覚悟を固めたのか。
さすがに、すぐに背後関係が割れるとまでは思えない。あそこにいる覆面のどれかをとっ捕まえて拷問したとしても、果たして独立軍の名前が出てくるかどうか。よしんば出てきたとしても、おそらく法的に関連性を認められる証拠とは公に認めてもらえまい。
であれば、成功すれば丸儲け、万一失敗に終わったところで、知らぬ存ぜぬを決め込めると高を括っているのか、報復をしようとしても、こちらに大義名分はない。
別の考え方をすれば、俺たちと独立軍、あるいはビムラ政府との関係を悪くする離間策の可能性もある。が、一体どこの誰が、何のためにそれを、などと推測する材料は現時点ではどこにもない。
――まあ、それを考えるのは後回しだ。
俺は伯父貴に向き直った。
「あんたは自分が死ねば片付く、そう思ったわけだな」
「ああ、そうだ。俺が死ねば人質の値打ちもなくなる、そしたら嬶も倅も解放されるだろうし、手前もはした金で馬を売らなくても済むだろうが」
ここで馬の半数を手放すことになれば、確かに大打撃だ。独立軍との力関係的にも、ビムラで浮かび上がる目は絶望的になる。それでも、
「あんたの命に代えられるか!」
「馬鹿野郎が、親分が子分の足引っ張ってどうするよ。こいつは俺のしくじりだ、手前が命懸けてやってきたことを、俺のことで不意にできるか」
だから俺は、あの連中の前で死んでくる、伯父貴はそう続けた。
「ま、団のことは放っといてもうまくやってくれるんだろうが、最期にここで会ったんなら、あの二人のこともついでに頼んどくぜ、ちょっとでいいから、気にかけてやってくれ」
「待てよ、これで連中が人質を放さなかったらどうすりゃいいんだよ」
ここでこうして知ってしまった以上、奥さんのほうはまだ知らない人だと言い張れても、その息子については確かに俺の血縁者であり、その命は無価値ではなくなった。向こうが駄目元で脅迫の対象を俺に変えてくれば、ご自由にどうぞと言うことはできない。
「あ、んん、そりゃ考えてなかったな」
「考えとけよ!」
そこで伯父貴は思案するそぶりを見せたが、それも長くは続かなかった。
「じゃあその時は見殺しでも仕方ねえ」
「よくねえよ」
「だって仕方ねえだろうがよ」
「こっちだってそうと知っちまったからには、あれは俺の伯母さんで従兄弟だろうが、知らんぷりなんてできるか」
「しろよ、悔しいがそこまでやってくんなら、あいつらが死ぬのも運命ってなもんだ、馬鹿な旦那と親父を持っちまったと諦めてもらうか、でなけりゃ恨んでもらうしかねえ。手前はあとでできれば俺の分まで合わせて仕返しぐらいやっといてくんな」
「そんなんじゃ、あんたが先に死ぬ理由もねえよ、生き残って自分で仕返しすりゃいいじゃねえか」
「何言ってやがる、親父が女房子供のために先に死ぬのはあたりまえだろうが」
口は勝手に説得を続けているが、頭の中では言っても無駄だとはわかっている。伯父貴の中では、自分が死ぬのは決定事項で、これまで山猫傭兵団団長ガイアスバインの通してきた筋で、生き様そのものだ、それは言葉だけで覆せるほど軽くはない。
しかしこんな無法は到底許されるものではない。誰が許しても、この俺が許さない。
伯父貴は再び、木の陰から広場の様子を窺った。
「時間がねえ、向こうさんも焦れてやがるから、もう行くぞ」
そう言って踵を返し、自分の死に場所に向かおうとする。
ここで無理にでも止めて、行かさなければどうなるか、それも考えたが、人質は二人もいる、脅しではないぞ、とここでどちらかが殺されることは充分にありえた。
それはガイアスバインの魂の敗北を意味するし、なおかつ団としての危機も続く、最低の悪手だった。
――仕方ねえ、一か八か、やってみるしかねえ。
「なあ伯父貴、介錯は俺でいいか?」
「お! やってくれんのか? いやな、死ぬのはいいんだが、できれば一発で首を落としてもらった方が、苦しまねえで済む分ありがてえと思ってたんだ。手前の腕は信用してるが、一回ぐらいなら失敗しても痛いのは我慢してやる、だから二回目で必ずスパッとやってくんな」
俺たちは二人並んで覆面たちの待つ場所に歩み寄った。
自分は抜き身の剣を携え、伯父貴は両手を後ろに組んで、あたかも虜であるかのように構えて見せている。
「ガイアスバインだ、来てやったぞ」
「一人で来いといっただろうが」
伯父貴が大声で呼ばわると、向こうからも偉そうにこちらを批難する声が返る。
向こうは全員が全員、顔を隠しているので誰が頭目なのかもわからない。それぞれが手に持った得物を見れば、今返事してきた奴が持っているのが一番上等そうだ。ならばそいつをとりあえず代表だと見なすしかないだろう。
「やかましい、そうそうお前らの言うことなんか聞いてられるか」
伯父貴に続き、俺は剣を掲げて言い放った。
「今からこの親爺の首を斬る、そうされたくなかったら、その二人を放せ。おとなしく解放すれば、今回のことは何にもなしで許してやる」
「ん? 何だ? どういうことだ?」
向こう側の陣営に微妙な動揺が走る、が俺の言ったことをこいつらは正確には理解できなかったようだ。まあこちらも一度で理解されるとは初めから思ってはいない。
「いいか、お前らのせいで、山猫傭兵団団長ガイアスバインはここで死ぬ。殺すのは俺だが、そうさせたのはお前らだ。そうなればお前らは完全に俺たちの敵だ、お前らがどこのどいつかは知らねえが、草の根分けてでも探し出して、お前ら全員どころか、女房子供はもちろん一族郎党隣近所、ちょっと喋ったことがあるだけの奴まで含めて皆殺しだ」
念入りに説明をしてやる。
もともとこいつらは、馬の契約書が欲しいだけで、伯父貴の命なんか欲してはいないし、もらったところで迷惑にしかならない。この場に堂々と顔を晒した奴がいるんならまだしも、そうでないなら、こいつらに命令を下した奴も、まさかいきなりそんな抜き差しならない事態になるとは考えてもいないだろう。
お前らのいいなりになるぐらいなら死んでやる、とは伯父貴が勝手に先走っただけなのだ。
――まあそんな覚悟をさっさと固められるこの親爺がどっかおかしいんだが。
その上で、俺は相手が予想しえないさらに上まで乗っかって見せたということだ。向こうも抵抗されることぐらいは想定していても、逆に脅迫されるとは考えていなかっただろう。あいつらにとって何の値打ちもないおっさんの命を盾にとって、そいつが死ねば自分たちも道連れ、とはでたらめにもほどがある。
「ま、待て、こっちはそんなことは望んでいない、この契約書に名前を書きさえすれば、人質はこの場で解放する!」
その手にあるのはさっき見た契約書の原本になるのか、覆面の頭目は狼狽しつつ、静止を求める声をかけてくるが、それを無視し、二人してゆっくりと近づく。
こいつらはまだわかっていない、それに同意するのかしないのか、そんな次元はとっくに過ぎ去っている。選択をするのはすでにこちらではない、お前らの方だ。
「待たん!」
とは言ってみたものの、実際は考える、というか、折れるまでの時間をくれてやらねばなるまい。こいつらがこんな急激な状況の変化にすぐに対応できるわけがなく、結論を出すのにも少々の時間はかかるに違いない。
そのままじりじりと距離を詰める。
「来るな! こいつらがどうなってもいいのか!」
覆面たちがそれぞれの人質の喉元に刃を突きつけるが、構ってはいられない。
「勝手にしろ、それをする前にこっちがこのジジイを殺す」
「誰がジジイだ」
伯父貴が空気を読まない不平を小声で漏らした。
「……余計なこと言うな」
これが博打であることは否めない。
人質の二人が死ぬところは、伯父貴の父親としての誇りに懸けて絶対に当人に見せるわけにはいかず、そうなる前にこの皺首を落とさなければならない。その後に訪れるのは、決定的な破局で、それを甘んじて受け入れることは、もう決めていた。
この手で伯父貴を殺すことになれば、俺は復讐の鬼になる。
この町全部を敵にはしないにしても、少なくとも独立軍と商工会に連なるものは皆殺しだ。彼我の戦力差など知ったことか、共倒れになったとしても、その報いだけは必ずくれてやる。それだけの覚悟は見せつけてやらなければ、絶対にこの賭けは成功しない。
そう、思い返せば少し形は違うが、これはブロンダート殿下護送時の奪還作戦で、ハーデオンがブロンダート殿下の命はなきものと切って捨てた、あれに似ていた。
あの時、その選択を突きつけられた俺は、殿下の命を奪うことなく、ハーデオンに対して斬りかかった。
それにはそうしなければならない理由があったからで、こいつらが俺たちに対して斬り合いを挑んでくる可能性は極めて薄い。第一そんなことをしても何の意味もない。連中が冷静さを失って損得を考えられなくなればその限りではないが、逆に言えばそこまで追い込んでしまう前に、決着をつけなくてはならない。
「どうする? 人質を放して何もなかったことにするか、俺にこの親爺を殺させて、手前らも地獄行きか、ふたつにひとつだ、好きな方を選ばせてやる」
互いの間合いは充分に縮まり、そこで止まった。ここまでくれば、向こうが退却を決断したとしても、人質を連れて逃げるようならすぐに追いつく、そういう距離だ。
この交渉、向こうは団長が一人で来ることを要求していたようだが、伯父貴がそうしない可能性も充分に考えられた。
人質に危険が及ぶことを顧みず、団員たちを引き連れてくるようなことがあれば、脅迫者たち自身が窮地に立ってしまう。そうならないためにも、必ず退路は確保しているはずだ。
――剣は、動かすな。
それを掲げる手に、神経を集中させる。
一度でも剣が動けば、それは確実に伯父貴の命を刈り取らねばならない。
少しでも躊躇を見せてしまえば、もはや脅しとして通用しない。
これが単なる脅しなのか、それとも完全に覚悟を決めてしまったのか、自分でもわからなくなるぐらいでなければ、こちらの本気は伝わらない。
覆面たちもすでに、事態は自分たちの手に負えないところに来ている、ということはわかっているだろう。しかし、人質を置き去りにして逃げる、そこまで決断させるためにはさらにもう一手、もうひと押しが必要だった。
そしてその一手は、すでに俺たちの背後にまで来ていた。
姿は見えずとも、その足音が迫ってきているのはわかる、だが俺は、それを敢えて無視して見せている。相手側からすれば、前方よりまた別の人間が近づいてきているのはとっくに丸見えのはずだが、緊迫した対峙の最中、そちらの相手までする余裕はない。
「あれ、君たち、何をしているんだい?」
その人物は誰に対しての敵意も殺気も見せないまま、俺たちを追い越し、そのまま覆面たちに向かって話しかけた。実にわざとらしい演技だが、わざとらしいのはいつものことだ、そんなことができる奴は他の誰でもなく、ディデューンに決まっている。
「状況が膠着したら、弛んだ空気を持ってきてくれ」
ここに出て来る前、俺はそう頼んでいた。
「……ウィラードは難しいことを言うな」
「難しくねえよ、お前は後から普通に出てくりゃいいだけだ」
その約束通り、奴がこうして満を持して登場したのだ。
だが俺はいまだに、その人物をこの場にいないものとして、覆面たちと睨みあっている。
こいつらがディデューンのことを、俺たちの一味として見知っているかどうかまでは知らないが、突如現れた闖入者、しかも季節にあまりにそぐわない珍妙な薄着をした人物の持つ雰囲気は、今現在俺たちが纏っているものとはかけ離れすぎていた。例え頭でわかっていたところで、俺たちが同じ陣営に属する間柄だというのは、感覚的に結びつかない。
「え? あ? お前は誰だ?」
だから向こうもそんな間抜けな受け答えをするのが精一杯になっている。
「こら! 人質を放すのか放さないのかどっちだ!」
それに被せるようにして怒鳴りつけたのは、相手の混乱をさらに増幅させるためだ。
「まあまあ、何があったかは知らないが、悪いことは言わない、ここはお互いに一旦剣を引いてみてはどうだろうか」
自身が全くの第三者であるかのごとく、ディデューンはここにいる全ての人間に対して宥めるように言うと、そのまま人質たちの所にまでするりと近寄り、その首に突きつけられていた短剣の向きを逸らせた。
「こちらもこのような物騒なものはしまっておくといい」
手首を翻して覆面たちの鞘に納めさせる。あっけにとられた連中はなすがまま、その手の動きに抵抗することはなかった。
その仲裁に従うようにこちらも剣を納めると、向こう側には安堵の空気のようなものすら流れ始めている。
その心理的な間隙の中、ディデューンが自らの剣を抜き放ち、人質たちを縛っていた縄をすっぱりと断ち切った。
その剣が再び腰に戻るのと同時に、女性の肩が軽く叩かれると、彼女は弾かれたように子供を抱いて立ち上がる。
ディデューンがこちらを振り返って、
「こんなところでどうだろうか?」
そう言った時すでに、こちらに向かって走ってきた二人は、伯父貴に守られるようにして、その背中に逃げ込んでいた。
「上出来だ」
上出来どころではない、誰が見ても出来すぎで、ここまでやれとは言ってない。
――さて、あちらさんは、まだやり合う元気が残ってるかな。
「な、何しやがる!」
仲裁かと思われた人間の突然の行動に、中途半端にいきり立ってはみたものの、さっきまで張り詰めていた緊張の糸は、いまだ混乱と動揺の中に沈んでいる。
これを拾いあげて再び張ってみたところで、それで一体何をする、という話ではある。
向こうは十人ばかり、もう一度気合を入れ直して、力ずくで人質を奪い返そうとしてくるならば、やってやれないことはないだろう。こちらは三人で、しかも女子供を守りながらになるのだから、少々分が悪い。
だが、そんな気分になどなれないだろう。何ならこちらから人質を引き渡して、改めてさっきの問答をやりなおしてみるか、と尋ねてやってもいいぐらいだ。
「……ひ、引き上げだ」
覆面の頭目に並の頭があれば、諦めて退却の号令を出すのは当然だった。
連中がわらわらと走り去ったのは、俺たちが来た方向とは反対側、こちらにはそれを追いかける戦力はないし、理由のほうもあまりない。
勝った、わけではないだろう。
手元に残ったのは、ももうここには長く留まっていられない、そんな未来予測だけだ。
せめて新しくできた親戚については、歓迎する方向で考えよう、そう思った。




