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第六十五話 ないしょのお手紙




 傭兵ギルドでの用を終え貝殻亭に戻ると、あまり見ない光景に出くわした。


 食堂の隅で伯父貴が何か手紙のようなものを読んでいたのだ。いかに無学な人間の集まりとはいえ、傭兵団の団長ともなれば完全に文盲ではいろいろと不都合もある、この親爺も長らくそれを張っているわけだから、それほど難しい内容でなければ手紙ぐらい一応読めるのだろうが、それにしても異例で、ちょっと気持ち悪い。


「お、珍しいな、何読んでんだよ」


 近づいて話しかけるが、正面からではその書かれている内容は見えない。


「お、おう、ちょっとな」

「わかんねえ字でもあるんなら、代わりに読んでやるぞ」

「あ、ああ、大丈夫だ」


 伯父貴はそう言いながら、手紙を無造作に懐にしまい込んだ。常に単純明快を旨としている山猫傭兵団の団長様にしては、返答にも妙に歯切れの悪いところがある。


 ――何だよ、気になるな。


 ぷんぷんと隠し事の匂いは漂ってくるが、詮索まではしない。誰にだって内緒にしたいことぐらいはあるだろう、俺もそれぐらいは弁えている。あれが借金の督促であれば普段なら代わりに払ってやるところだが、懐に余裕のない今は勘弁してほしい。


「俺はちょっと部屋に戻る、あとでイルミナを寄越してくれ」


 そう言い残して伯父貴はそそくさと立ち去った。


 言われた通りにイルミナに伝え、自分も自室に戻って仕事をしていると、それほど時間も経たないうちに部屋の外がどたんばたんと騒がしくなるのが聞こえてきた。


「うるせえな」


 一体何を始めたのかは知らないが、こんなことをされていては仕事にならない。


 ちょっとこらしめてやらねば、と扉を開けて廊下に出ると、伯父貴が身支度を整えてどこかに行こうとしていた。


 それを行かせまいとしているのか、腰にはイルミナがしがみつき、ずるずると引きずられながら、うーうーと泣いていた。


「……何してんだよ、あとイルミナを泣かせてんじゃねえ」

「泣かせてねえよ」

「…………泣いてません」

「泣いてるよ」


 ――しかしまあ、同じ泣くにしても、もうちょっとやりようってもんがあるだろうが。


 もっとこう女の子らしく、しくしくとか、めそめそとか、そういうふうにはやれんのか。うーうーって、まんま子供みたいな泣き方で、とっくに成人している女性のものとはとても思えない。


「おう、ちょうどいいや、こいつを引きはがしてくれ」


 その言葉を聞いて、イルミナはいやいやをするようにふるふると左右に首を振った。


 だからそれが子供っぽいってんだよ。


「……うぅ、ウィラード様、団長を止めてください」

「イヤだって言ってんじゃねえか、どこ行く気だよ」


 きまり悪そうな伯父貴の返答は、俺の常識を少しばかり超えていた。


「あ、あー、ちょっと死んでくる」

「はああ!?」


 ――ちょっと、ってどういうことだよ。

 意味が分からない。


 人ってのは一回死ねば終わりで、ちょっと死んだりいっぱい死んだりはできないようになっている。


「後のことは頼んだからな、まあ達者でやれ」

「達者でやれって、おい!」


 腰を掴んでいる力が緩んだと見たのか、やにわに伯父貴はふんふんと腰を左右に振ると、イルミナの拘束から逃れて自由になり、そのまま貝殻亭の外に走り去って見えなくなった。


 伯父貴の後を追って、俺も慌てて貝殻亭の外に出てみるが、すでにその姿は見当たらず、左右どちらの方向に向かったのかもわからない。


「私にも、死ななきゃならない用事ができた、とだけ」


 中に戻って取り残されたイルミナに事情を尋ねてみたが、こいつも詳しいことは教えてもらってはいなかった。


 まさか馬鹿は死ななきゃ治らない、殊勝にもそう考えて今さら治療しようとしているわけでもあるまい。


「形見分けだ、と言って、こんなものをくれました」


 そう言って団長の部屋からイルミナが持ってきたのは、おそらく銀貨、もしかすると金貨の入った袋、それから服と髪飾り。花嫁衣裳というほど派手ではないが、あるいは嫁入道具として、いつかこいつにそんな日が来るのなら、そう思って用意されていたとしてもおかしくないような、値の張りそうな品だった。


「ウィラード様の分も部屋にあります」


 とりあえず行って見てみると、そこにはこれといったものはない、伯父貴の私物が雑然と積まれているだけだ。洗濯してない衣類も紛れ込んであって、不愉快この上ない。


「これは全部ウィラード様に遺すと」

「いらねえよ!」


 こんなのは形見分けでも遺産相続でもなんでもない、単なる後始末のゴミ掃除だ。


 ――イルミナとの間にずいぶん扱いの差があるのな。


 そう思ったが、まあ女の子優先なのはあたりまえで、俺でもそうする。この文句を口に出してしまえば俺の値打ちが下がる。


 仕方なくガラクタの山と向き合うが、これをかき分けるのは、ちょっとでも金になるようなものはないか、などと思っているわけではなく、伯父貴の行先の手がかりになるものを探すためだ。


 だが少々漁ったところで、書置きや遺書に類するものは出てこなかった。


 しかし伯父貴が死んでくる、と言った以上、死にに行ったことを疑う余地はない。ここまで手の込んだことをしておいて、冗談や何かの比喩というわけでもないだろう。


「どこに行ったか想像つくか?」

「……つきません」

「じゃあ手分けして探すしかねえな」


 俺は貝殻亭にたむろっていた団員たちに号令をかけた。今の段階で団長が死ぬかもしれない、と軽々しくは言えないが、緊急の用事だと伝え、二人一組でその足取りを追わせる。もちろん自分たちも捜索に加わった。


「伯父貴は歩きか」


 あの親爺も馬には乗れるが、隣接する厩舎に繋いであった馬は、三頭のまま減ってはいない。これなら追いつけなくはないようだが、このこともまた、伯父貴が死ぬ、と言ったことを裏付けているように思えた。


 馬に乗っていった状態で死ぬのなら、馬だけが帰って来るということはないだろう、それは野良馬にでもなって、そのうち誰かにガメられるだけだ。これは団に対して極力損害を与えまいとする心遣いなのかもしれない。


「くそったれが」


 ――迷惑な話だ。


 迷惑ではあるが、死んでほしいほど迷惑なわけではなかった。


 迷惑をかけられながらも、元気でいてくれるのは当たり前だと思っていた。


 どうせ死ぬならそれに相応しい場所というものがある、こんな何もわからないままで、突然いなくなることなど想像もしていなかった。




 手掛かりも心当たりもない以上、闇雲にいくしかない。


 だが、イルミナと並んで馬を走らせ、通りすがりの人間にも聞き込みをしつつ伯父貴の姿を探したが、その行方は杳として知れなかった。


 捜索を始めてから一時間ほど経過しただろうか、路上で発見したのは例のごとく女の子たちに囲まれているディデューン、その集団に横から割り込んでこいつにも尋ねてみる。


「おい、団長を見なかったか?」

「ん? 見てないけど、団長さんがどうかしたかい?」


 かいつまんで事情を説明すると、


「ふむ、そういうことなら、末期の水でもとっておられるんじゃないかな」

「……ありそうだ」

「行きつけのところなら心当たりがある、付き合おう」


 名残惜しそうにするお嬢さんたちを置き去りに、三人でもと来た道を戻り、ディデューンの案内で酒場を何軒かあたる。三つ目の店を外から覗き込むと、予想した通り、はたして伯父貴はそこにいた。カウンターに座り、その前にはほとんど空になった瓶が置かれていた。


「トマスク産の十二年ものか、なかなかいいのを飲んでおられる」


 酒の銘柄はよくわからないが、こいつがいいと言うならば、いつもの安酒ではなく、この世に思い残すことのないような贅沢とみていいのかもしれない。


「団長!」

「待て、逃げられると厄介だ」


 イルミナがまた泣きそうな声を出して中に入ろうとするのを、手で押しとどめた。


「俺たちがこれから伯父貴の後をつける、お前は馬を連れて帰ってろ」


 まさかこんなところで死のうというわけではないだろう、この後どこか別の場所に移動するはずだ。ここで焦ってどういうことかと問い詰めたところで、強情な伯父貴が口は割るとは思えないし、逃げないように捕まえようとしても、下手をすればそのまま喧嘩になる、ならば行先を突き止めて、言い逃れのできない状況にもっていったほうが得策だ。


 そして尾行に気づかれないようにするためには、馬は邪魔だった。


「むー」

「むーじゃねえよ」


 それから感情的になっているイルミナも何をしでかすかわからない。こいつは前にジョエルズやフーデルケンを独断で殺しにかかった前科もあるし、変に状況を引っかき回されないよう離しておいたほうがいい。一緒に連れていくならあまり物事に動じないディデューンのほうが適任だ。


「うー」

「うーでもねえ。団長はちゃんと連れて帰るから聞き分けろ」


 意味のある単語を一言も発さずにごねる、という不思議な芸当をするイルミナをなんとか宥めすかせて帰らせる、その間に、伯父貴は勘定を済ませて表に出てきた。


「やべ、隠れろ」


 ディデューンと二人して物陰に身を隠すまでには間一髪のところだった。


 少しだけ顔を赤くした団長の後ろを、そのまま気づかれないように尾行する。


 とはいえ、それはあまり難しくはない行為だった。気づかれるも何も、伯父貴は自分の後方を一度たりとも確認するようなそぶりは見せないのだ、これは大胆なのか何も考えていないだけなのか、それでも一定の距離は保っている。


「へくしっ」


 ディデューンが場もわきまえずくしゃみをした。


「静かにしろ」

「……少し寒いんだが」

「我慢しろ」


 白地に金の刺繍、ディデューンのきらびやかな上着は脱がせていた。尾行とは目立たずにするもので、こいつが下に着ていた上等の肌着はそれでもまだ派手なぐらいだが、これ以上やると上半身が裸になってさらに人目につく。


 町の中を二十分ほど歩き、伯父貴は中央公園の方に入っていった。


 ここは市民の憩いの場であり、中にはビムラ大劇場などもある。しかし今日は特に公演などもなく、この肌寒い季節にそろそろ日の入りかという時間帯であれば、そこにいる人間の数はまばらだ。


 伯父貴は公園の広い敷地の中でも、劇場とは反対側、さらに人気のない森の方に進んでいった。その先は、確か少し開けた広場のようになっていたはずだ。


 そこに足を踏み入れる直前、追跡対象は広場の中を窺うようにして足を止めた。


 おそらくそこが目的地になるのだろう、そこで誰と会い、そして何が行われるのかは知らないが、この期に及んでもはや逃げ隠れはできまい。


「どういうつもりか、話してもらうぞ」


 もう距離を詰めるのに躊躇はなかった。


「げ、来やがったのか」


 伯父貴が驚くのと同時に、ゴーン、と公園の鐘が夕方の定時を告げた。


 もしかするとこれが、待ち合わせの時刻であったのかもしれない。


 伯父貴がそうしたように、自分も木の陰に隠れるようにして広場を覗きこむ。少し離れたその中央にいたのは、覆面をした十人ほどの男たち、そしてそれらに囲まれるようにして四十過ぎかと思われる女性と、十歳ほどの少年が拘束されて座らされていた。


 ――ん? 状況的には人質、なんだろうが、一体誰だ?


 その答えは、俺の隣でそれを見ているディデューンによって直ちにもたらされた。


「ああ、あれは団長さんの奥さんと息子さんだね」

「は?」


 ディデューンの顔、それから伯父貴の顔を交互に見比べた。


「おう、俺のかかあせがれだ」

「はああ!?」


 伯父貴は臆面もなくそれを認めたが、そんなことは初耳だった。


「あんた独り身じゃなかったのかよ! しかもガキまで!」

「んあ? 言ってなかったっけかな」

「しらじらしいこと言ってんじゃねえ!」


 思わず怒鳴りつけてはみたものの、冷静に考えればそれを内緒にしていた理由はわからなくもない。人に恨みを買うことの多いこの稼業で、妻子の存在はおのれの泣き所にしかならない。まさに現在のような状況にならないために、おそらくそれは秘匿されてきたのだろう。


 それから、男やもめばかりの団員たちに気を遣った部分も少しはあるだろうか、あの女性は俺からすればかなり年上だが、伯父貴の嫁さんとしては二十ほども下で、ずいぶん若い。独身をこじらせた年嵩の団員たちが羨んだりいじけたりするぐらいはありそうだ。


 ――それでも俺ぐらいにはあらかじめ教えとけってんだ。


 まあ団長の妻子ならば、俺にとっても血縁であるわけで、もしその存在を知っていたならば、それは俺自身の行動も束縛することになる、伯父貴はそれを憂えたのかもしれない。


「それからお前も何で知ってんだよ!」


 ついでにディデューンに対してもどやしつけておく。


「ああ、団長さんはちょくちょくいなくなるからね、それが気になって以前暇な時に後をつけたことがあるんだ、その時に知った。それから、隠れ家のような店もいくつか教えてもらった」

「知ってたんなら言えよ!」


 そりゃお前は俺と違って暇な時ぐらいいつでもあるんだろうがよ。


「いやいや、私もまさかウィラードが知らないとは思わなかった、てっきり知っていて黙っているものかと」

「ぬ…………」


 たまに伯父貴がいなくなるのは、どうせ飲み歩くかはたまた妓楼か、馴染みの女までなら予想もしていた。それを放っておいたのを怠慢とまでは思わないが、手抜かりではあったのかもしれない。


 ――それより、これからのことだ。


 あれが伯父貴の家族であるならば、ここで何が行われようとしているのか、大体は想像がつく。


「おい、ありゃ何だ?」


 そう言って、伯父貴たちの背後を指さした。


 それにつられて二人が振り返った瞬間、俺は伯父貴の懐を探って件の手紙を掏り取った。


「おい、てめ、こら、返せ」


 気づかれたところでもう遅い、ざっと目を通しただけで、その内容はおおよそ把握できた。


 手紙は二枚、うち一通は脅迫状と呼んで差し支えないだろう、それほどあからさまな書き方ではないが、要するに女房と子供を助けたかったら一人で指定の所まで来い、というやつだ。


 もう一通は、売買契約書だった。


 取引相手として買主の欄に書かれている名前には心当たりはないが、これはどうせ全くの第三者に近い人間か、そうでなければ架空の名義だろう。問題は売主の欄、ここはいまだ空白になっているが、ここに伯父貴が自分の名前を書いて、隣に拇印でも捺せば、山猫傭兵団ウチの所有する馬の半数を、金貨百枚で売り渡すという契約が成立してしまう。


 そうなれば山猫傭兵団オレたちには履行の義務が生じ、法律上はこれを拒むことはできない。最悪、官憲が出張って強制執行される羽目になるだろう。その場合こちら側に主張できる正当性はない。あくまでも抵抗するなら、悪名を背負っての喧嘩勝負になる。


 一五〇頭もの馬を金貨百枚、これだけでもありえないくらい安い金額だが、これが銀貨百枚や無料タダ、とかでないのは、それ以上安くすると、あまりに法外すぎて契約書として法的に通用しなくなるおそれがあるからだ。


 いくら契約書としての体裁が整っていても、紙切れ一枚銅貨一枚で一生奴隷労働、そんな契約までまかり通るようなことは、大抵の国の法律は許していない。


 ――ま、思った通りか。


 あの集団の覆面を剥がせば、その下から現れるのは下っ端の衛兵か、それとも雇われた傭兵か、どちらが出てきたとしても、いずれビムラ独立軍が俺たちから馬を奪うために仕組んだことであるのには間違いないだろう。






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