第六十四話 騎馬軍団販売中
まだ春とは呼べない早春の草原、近づいてきた馬蹄の響きが、地面を揺るがせながら目の前を通り過ぎる。
騎手たちはそのまま馬を走らせながら、それぞれに弓を構え、弓弦の音高らかに的をめがけて次々と矢を放った。
放たれた十数本、その全てがど真ん中を射抜く、とまでうまくはいかず、適当に散らばりはするものの、的を外すものは一本もなかった。
――まあ、大きめに作ってはいるんだが。
なるべくならいいところを見せておきたい。ここで繰り広げられているのは、二十騎ほどによる騎兵の演習で、ビムラの郊外、ウルズバールの集落には、この日珍しい客人が訪れていた。
「……ふむ、大した、ものだな」
騎兵たちが列をなして平原を縦横無尽に駆け抜け、軽々と障害を飛び越え、あるいは走りながら伴走させた空馬に飛び移って乗り換える曲芸にも似た技術を見せる、その姿を見ながら、東パンジャリーの重臣リリアレット・スマイユの唇から感嘆の呟きが漏れた。
「こんなものが、さらに十倍となるのか」
「騎兵だけで二百だ、すげえだろ?」
とは言ってみたものの、実際のところその数字は少しばかり盛っている。今馬に乗っているのは向こう側から連れてきた連中で、もともとの団員は仕事の合間をぬって騎兵の技術を仕込んでいる最中だが、まだまだ両者の力量には天地の開きがある。
最精鋭と呼べるのは相変わらずウルズバールの五十騎、ある程度形になっている奴を含めれば八十騎、見た目だけで揃えるなら最大で百二十騎というところか、それが現在運用できる我が騎馬隊の最大戦力だった。
「それで、これを使ってみる気はないか?」
ビムラの隣国、パンジャリーが東西に分裂して一年半、大規模な軍事的衝突は最初のスカーランでの一戦以降、行われていなかった。
しかし現在もなお両国は対立したまま拮抗している。山猫傭兵団が力を貸せば、その均衡状態は一気に突き崩せる、かどうかはわからないが、使い方次第で突き崩せるような気はする。
以前俺たちが参加した時の戦いにこの戦力があったならば、政治的には無理としても、戦術的には緒戦で片が付いていたのではないかとは思うのだ。
だから、ブロンダート摂政殿下に対して、しばらく前から自分たちの方から売り込みをかけていた。それに応じてこの日、リリアレットが視察に派遣されてきていたのだ。
「……残念だが、それはできん」
だが彼女は、俺の提案を即座に断ってきた。
「無駄足を踏ませたかな?」
「いや、そんなことはない。そなたからの手紙を見て、殿下は興味を示していたし、自分もこれを見るだけで来ただけの価値はあったと思う。使えるものなら使いたいし、このようなものを敵に回すのは恐ろしい。しかし殿下は、今は兵を起こそうと思ってはおられん」
パンジャリーの統一を諦めたわけではないが、可能な限り平和的に解決したい、それがブロンダート殿下の意思で、武力ではなく外交や政略でそれを成し遂げようとしている、とのことだった。
「今だけでなく、将来にわたって武力を使わずに済むのであれば、再統一に十年、二十年をかけても構わないとの仰せだ」
「……殿下らしい仰りようではあるな」
戦争などは膨大な国力の浪費であって、戦わずして勝つ、それが可能であれば、しないに越したことはない。
そう理念通りにうまくもいかないのは世の常ではあるが、相手にその気もないのに、俺たちを儲けさせるために戦をやってくれ、などという話が通るわけもない。時にそれを行使せずとも、威圧のために武力が必要な場合もあるが、今この時期に俺たちを自陣営に引きいれることは、単に騒動の火種となるだけかもしれない。
「ま、俺だってそっちには恩も義理も感じてる、ここで断られたからって、向こうに売り込みに行こうとは思っちゃいねえけどよ」
だが、もし西パンジャリーの方から俺たちを雇いたい、という話を持ってくれば、待遇によってはそちらに与することも考えなければならなかった。
何しろ、金がないのだ。借金だって、すでにしている。
当初想定していた三倍の規模の馬を養っていくことは、現状ではやはり困難だった。
騎馬隊自体は金食い虫だ、盗賊退治の仕事は順調といえば順調で、成果自体は出ている。だがそれによって得られる報奨金は大した額ではなく、それにわずかな観光収入を加えても、全ての馬を維持していくことはできない。
傭兵団本業での収益で補填してもまだ足りない、以前していたようにモグリの商売にも着手しているが、こちらもまだ、うまく軌道には乗っていなかった。
旅立つ前、モグリの商売に関する痕跡は消したつもりだったが、商工会によってその何割かは探り当てられ、再開できないようにルートが潰されていた。
あちらとすれば、俺たちの取引相手が特定できれば、べつに非合法な手段や強引な方法を使わなくても、多少の圧力をかけるだけで、
「ギルド破りになるので、今後山猫傭兵団さんとのおつきあいはできません」
そう言わせることは難しくはない。
これを敵対してきた、とまでは言えないだろう。商工会からすれば、自分たちの権益のために組織として当然為すべきことを為しているだけで、これまでが甘かった、とも言える。この期に及んで山猫傭兵団に対して商工会が商売上で遠慮する必要はない。だがいきなり追い込みすぎると、こちらも窮鼠になって噛みつかざるを得ない、そうならない範囲で、締め上げてきているように思われた。
「持て余しているのなら、馬をこちらに引き渡せ」
ビムラ独立軍からは、そんな要求も再三にわたって行われてきていた。
当初は半分を無料で寄越せ、などという馬鹿げた話だったため、返事もせずにほったらかしていたが、回を重ねるごとに書面の内容が丁重になり、頭数や金額が常識的なものになってきていた。
これはおそらく、初めグリッセラーあたりが勝手にやっていたものの、後になって商工会と歩調を合わせるようになったから、と見ていいだろう。
もちろん、その話に儀礼的に返事はしても、応じることはできない。
騎兵だけで編成された部隊、これは俺たちより全ての面で勝るビムラ独立軍に対して、唯一有利がとれる部分なのだ。それをみすみすと手放せるはずがない。
こうして種明かしをしてしまった以上、向こうが真似をしてこようとするのは仕方がないが、少々の金で馬を譲り渡すことは、自分たちの首を絞めることにしかならない。
独立軍に騎馬だけで編成された部隊ができてしまえば、俺たちはただでさえ邪魔者であるのに、完全に用済みになってしまう、そうなれば排除の方向に動いてくるのは火を見るよりも明らかだ。
軍ではなく民間に売却することも、また難しい。
俺たちが所有する馬は、どちらかといえば早く走るための馬で、農耕馬や荷駄馬にもできなくはないが、向いてはいない。早馬としての需要もあるにはあるが、やはり軍馬としての適性が高く、結局は転売されて独立軍の手元に行くことになるだろう。
リリアレットに対し、そういう事情をすべて語れるわけではないが、自分たちがあまりいい状態にないことだけは、何となく悟られてしまったようだ。
「いや、もしそなたらに対してあちらからの要請があるようなら、その時はこちらにも連絡をくれ。悪いようにはしない、必ず厚遇をもって迎えさせてもらう」
「ああ、よろしく頼む」
――じゃあ手付けとしていくらか払っといてくれねえかな。
とは、少し思っただけだ。もし言えばくれるのかもしれないが、まだ完全に切羽つまった段階でもない以上、そこまで要求するのは脅迫かあるいは乞食か、いずれにせよろくなものではない。
とにかくこのままでは、再度のパンジャリー遠征は、しばらく実現しないようだった。
捨てる神あれば拾う神、というわけでもないだろうが、リリアレットが帰って数日後には、引き合いのようなものが訪れた。
ぼんやりと待っていても、騎馬隊求ム、などという募集が傭兵ギルドの掲示板にかかることはない、そういったものとは別口で、ソムデンが各国に対し密かに営業をかけてくれている。
これは厚意でもなんでもなく、大口の商談がまとまればこの支部の成績向上に繋がるわけだから、感謝はしても、へいこらしてありがたがる必要まではない。
「ああ、ウィラードさん、よくいらっしゃいました、ちょうどこっちから人を向かわそうとしてたとこなんですよ」
俺が傭兵ギルドに足を踏み入れるのとほぼ同じくして、ソムデンの方から目ざとく寄ってくるのはいつものことで、連れの小僧どもは階下に残して、俺だけがそのままソムデンの仕事部屋まで案内された。
「とってもいいお話があるんですが、聞いていかれますよね?」
「……うえ、聞きたくねえ」
こいつも普通に切り出してくればいいものの、とってもいい話、などという表現は嫌がらせ以外のなにものでもない。たぶんわかって言っているし、言われてしまえば、こちらも身構えざるを得ない。
「まあそんなこと言わないでください、このお話は請けていただかなくてもいいんです、ただ先方さんのお話を聞いていただけるだけで報酬が発生しますから」
「余計に聞きたくねえよ!」
話を聞くだけで報酬がもらえる、そんなうまい話に裏がないわけはなく、一体どこをどうすればそんな気持ちの悪い発想が出てくるのか。
――……………………気になる。
そんな話には絶対乗りたくはないが、どういうことかは知りたくもある。たぶんソムデンはこっちの懐具合とか、俺の天邪鬼な部分であるとか、好奇心などを勘定に入れて遊んでいやがるのだ。
「気になりましたね?」
「………………なっていないけども」
「この案件は、どこの国、とはまだ言えませんが、やんごとないお姫様からのご依頼、と言っても差し支えないかと思いますよ?」
確かにその情報だけでは、依頼元を推測する手掛かりにはならない、どこの国にだってお姫様ぐらい何人かはいる。しかもその言い方では、お姫様から直々にご依頼をいただいた、というわけでもなさそうだ。
「お姫様なんかに用はないんだが」
今となっては、そんなことは俺を釣るための餌とはなりえない。
ちょっと前までは、将来自分がどこかの官僚になれたら、お姫様やいいところのお嬢さんを妻に迎えたい、そんな野心も持っていたが、もうなくなった。
厳密にはお姫様ではないものの、そう呼んでも問題ないものを袖にして、なおかつ恋だの愛だの、そういうものまで説かれてしまったのだ。やはり政略結婚など自分には向いていない、そう痛感したところから、まだそれほど日にちも経っていない。
お姫様といっても年齢も容姿も人間性もまちまちで、あれよりいいものに再び巡り合う可能性は、確率的に考えてありえない。
「そんなんじゃなくて、単純に武張った話でいいんだよ」
騎馬隊の売先を探すのに、ロマンスの要素は必要ない、どこかに敵味方に別れて争っている奴がいればそれでいいのだ。
同じ新たな出会いというのなら、利害損得を離れた場所で、もっとこう野に咲く花のような可憐な少女との出会いを期待したいところで、その斡旋までは傭兵ギルドの職掌にはないだろう。
「荒事をご所望でしたら、そのご期待には沿えますよ」
ここで俺たちの前に、コーヒーが運ばれてきた。マイアさんが儀礼的に頭を下げると同時に、視線だけで『やっほー』というような挨拶をした。
「この件は一国の機密に関わるようなお話です」
互いに一息入れたところで、ソムデンはようやく本題に入ってきた、前置きが長いったらありゃしねえ。
「ですから、どこにも漏らされるわけにはいきません。詳細を聞かれた以上は依頼をお受けいただくか、もしくは事態が収束するまで、然るべきところでウィラードさんの身柄をお預かりすることになります」
「聞くだけでもらえる報酬ってのはその不自由の代償かよ」
「はは、そういうことになりますね」
――やっぱろくでもねえ話じゃねえか。
そんなことになるのなら、少々の金が支払われたところで割に合わないどころではない。損得云々ではなく、俺の不在はたちまち山猫傭兵団の運営を麻痺させることになり、事態が収まって娑婆に出てくる頃には、たぶんものすごく厭なことになっている。
「しかし、そんなものかもしれませんよ」
「……まあ、わかる」
東西パンジャリーのように睨み合っている国が、先を争うようにして俺たちの力を欲しがる、初っ端からそんな状況になると考えるのは、想定としてやはり甘い。
今の俺たちは、一山いくらの代替性の高い戦力を売ろうとしているわけではない、その実力はいまだ誰にも見せてはおらず、自分たちですら未知数のところもあるが、それでも推測できる限り、それは強大な武力とは見えるはずだ。
そんなものを、たとえ味方につけるとしても、何の保障もなしにとはいかないだろうし、話を聞いた後で、じゃあ敵に回ります、となられてはたまったものではない。
ソムデンのところに話を持ち込んだのがどこだかはわからないが、それが誰であろうと、またそいつがどれだけ危機的状況にあろうと、慎重に慎重を重ねて何ら不思議はなく、まずはその程度の条件、そしてさらなる条件もつけてきて当然だった。
「あんたはこの内容は――」
「ほんのさわりだけは聞いています」
むろん、この男がそれを漏らすことはない。
「……返事はいつまでだ?」
「早いに越したことは。ただ使者の方は、まだこの町にいらっしゃいますから、二、三日でしたらお引き留めしておくこともできるかと」
それがどれほど離れた場所にあるかは知らないが、使者が自国に戻った後にこちらから連絡をするとなると、結構な時間の浪費になってしまう。
「そういうことなら、明日にでも一度会いたい」
とりあえず会うだけならば問題ないだろう。相手に機密だという部分を喋らせなければ、いきなり俺が拘束されるような事態にもならないはずだ。
「わかりました、手配しておきます」
少々怪しげな部分があったところで、もともと詳しい話を聞かない、という選択肢はない。そのあたりの呼吸は、俺たちの間ではもはや通じている。
そして、会談する中で勝算が見えたのならば、それは引き受けるべきだった。




