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第六十三話 セリカ・クォンティ



 身分や権威というものを軽く考えるのは、幼稚なことだと思っていた。


 王立大学院アカデミーにも、王も貴族も先祖が偉かっただけで、今そうである連中は単に地位や財産を受け継いだに過ぎない、力さえあれば、自分が新たに王なり貴族なりになれるのだ、などと豪語する平民出身の学生はいたが、内心でその主張に嫉妬ややっかみのような薄暗い感情が纏わりついているように思い、同意することはできなかった。


 あえて反論をしなかったのは、生まれや育ち、血統や伝統というものを詳細に解体していけば、何が現れるのかまでは自分でも定かではなかったからだが、それらには力だけでは覆せないものが、確かにあるようには感じていたのだ。


 しかしセリカ・クォンティ、彼女はどうだろうか。


 血統的には名家の遠縁とはいえ、その程度ならばもはや平民と変わらない。


 かつては母一人子一人の決して裕福ではない境遇であったらしいが、そこから抜け出せたのは、ひとえにその才能がすべてだった。


 それでも成り上がりものという感じは全くしない。貧富の別なく誰からも愛され、そこにいて、そう扱われて当然の場所に納まっているとしか思えない。


 おそらく彼女はどこに生まれたとしても、やはり歌姫となる、そんな宿命を背負っていたようにも思える。それこそが、本当に生まれ持った身分というものではないだろうか。


 しかし、俺と歌姫様とでは住む世界が違う、というのは所詮比喩表現に過ぎないのだ。


 そのことを、完全に失念してしまっていた。


 物理的に違う世界に住んでいるわけではない以上、会おうと思いさえすれば、いつでも会いに行ける。もちろん、お互いがそれを希望して、どこからも邪魔が入らなければ、という条件はつくのだが。


 彼女が普段どこにいるかまでは知らないが、もし今もムーゼンの屋敷に住んでいるのなら、そこまでの距離は馬で一時間もかからない。


 しかし、俺自身そんなことは全く希望していなかったにも関わらず、その機会は突然にして巡ってきた。




 この日もまた、俺はビムラ政庁を訪れていた。


 半月ほど前にエルツマイユのところに押しかけて以降、ここに来るのはもはや特別なことではなく、通常の業務の一環として、三日に一度は顔を出すのがあたりまえになっている。そう毎回偉い奴と会わなければならない用事はないが、事務手続きや報酬の受け取り、情報収集その他根回しなど、ここでなければできないことは多い。


 顔見知りになった役人たちといくつかのやり取りを済ませ、さあ帰ろう、とした時、玄関からロビーに向かって、十人ほどが固まってぞろぞろと入ってくるのが見えた。


 漂っている雰囲気からして、単なる職員の集団や陳情団などではなく、誰か偉い奴が来た、ということだけはわかったが、それが近づくにつれ、その中央にいるのがムーゼンであるのが見て取れた。道理でジジイの歩みに合わせて動きがゆっくりなわけだ。


 ――マジかよ……。


 あの老人がここに来ることは普通だ、毎日ではないにせよ、珍しくもなんともない。黙って通り過ぎるのも不躾な話で、用はなくても挨拶ぐらいは、と思ったが、それを躊躇させる事情がそこにはあった。


 傍らにあるのはセリカ・クォンティの姿、これには虚を突かれた。


 ムーゼンは老人とはいえ、介助が必要なほど耄碌もしていない、しかしセリカはその足元を気遣うようにして、すぐ隣を歩いている。二人の周囲にいるのはムーゼンの秘書かあるいはセリカの付き添いか、さらにその外側には護衛と思われる連中が取り巻いていた。


 ――迂闊、だったかな。


 セリカ本人がそれをすることもないだろうが、歌舞音曲に芝居や手品、それら興行の申請や施設の使用許可もこの庁舎内で手続きをするわけで、営業の一環として彼女がここを訪れるというのは普通にありうる話だ。ましてや彼女はムーゼンの養女であるのだ、ビムラ中央会議との関係は浅くはないはずで、こんな事態は想定して然るべきだった。


 ――いや、想定していたからといって、それがどうだというんだ。


 そんなこと俺には関係のない話、というふうに簡単に割り切れるものでもない。


「ふわ、セリカ様だ」


 俺の左右から溜め息にも似た感嘆の声が上がった。


 こちらも一人ではなかった、ミルキアックら見習いの小僧を三人ばかり連れてきている。


 現状で俺に万一のことがあれば、ビムラの政局はさらに混乱するだけなのだが、相手がそこまで読める奴ばかりとは限らない、誰か、あるいはどこかの組織が短絡的に刺客を送ってくる可能性はまだまだ充分に考えられた。


 こいつらを自らの護衛と呼ぶにはいささか心許ないが、一人きりでいるよりはましで、最近はこうして単独では出歩かないように心掛けていた。


「うわ、こんな近くに、すごい、事務長、セリカ様ですよ」

「見たらわかるわい」


 歌姫様の姿を思いがけず間近で拝むことになったガキどもは、それだけでいっぺんに浮足立ってしまっているが、俺も別な意味で浮足立っていた。


 ――どうするよ……。


 ガキどもを相手に、俺はあの娘からほっぺにチュウされたこともあるんだぞ、などとくだらない自慢をしている場合ではない。


 正直なところ、このまま顔を合わすのは気まずい。気持ち的には回れ右して逃げだしてしまいたいのだが、一人でいる時ならまだしも、こいつらが見ている前で、年下の女の子を相手にそんなうすらみっともない真似ができるものか、かといって、不義理を恥じることもなく堂々とふんぞり返るのも反対方向にみっともない。


 ――……会釈でもして通り過ぎるか……。


 うん、それがいい、そうしよう、それが大人の態度というものだ。というか、それ以外の方法など思い浮かばない。


 外見上は平静を装い、このまま何事もなく、と心の中で祈りながら歩を進めていたが、すれ違うまであと十歩ほどの距離で、セリカがこちらの接近に気づいた。


「あ! ウィラード様!」


 互いの目があった瞬間、まるでいいものを見つけた、と言わんばかりにセリカの表情が輝き、ムーゼンの側を離れて俺の行く手を遮るように小走りで駆け寄ってきた。


 ――マジか!


 こうなればこちらも立ち止まらざるを得ないが、そんな展開は予想していなかった。いや、俺の期待に反していただけで、それは当然にありうることなのか。


「お帰りなさいませ、ウィラード様」


 そう言いながら、セリカは女優のような優雅な立ち振る舞いで深々と頭を下げた。


 俺がビムラに戻ったのはもう一月以上の前の話で、今さらお帰りなさいでもないのだが、そうと指摘するほど野暮ではない。彼女の表情から察するに、それはこれまで言いたくても言えなかった言葉で、永遠に言うことがなかったかもしれない言葉で、思いがけず巡ってきた機会なのだ。


 こちらもつられて頭を下げる、だが口にした言葉は、


「……あ、ああ……うん……ただいま」


 全く気の利かない芸のないものにしかならなかった。


 ――何を言っとんだ、俺は。


 おかえり、ただいま、ってそんなのは子供でもできる挨拶で、変にぎこちなかった分だけ子供にも劣る。


「お嬢様、困ります」


 セリカの突然の動きに一瞬だけ戸惑いを見せたものの、すぐに我に返った護衛の半数が自分たちの仕事を全うしようと追いついてきた、といってもたかだか数歩を移動しただけなので、たちまち俺たちを取り囲む格好になる。


「……む、ウィラード・シャマリ……」


 どれも見たことのない顔だが、向こうは俺を知っているのだろう。こいつら本来の職務ならばこの状況、セリカの心情も斟酌せずに問答無用で割り込んで二人を引き離すところなのだろうが、そうはしてこない。この場合いきなりそれをしてもいいのかどうか、直ちには判断がつかないようだ。


 ――いや、引っぺがしてくれていいんだよ。


 こちら側の元婚約者という事情を汲んでいるのか、あるいは渦中の人物と揉め事になるのを憚っているのか、どういう気の回し方かは知らないが、いずれにせよ余計なお世話で、俺としては催促まではできないが、さっさと回収してもらえるとありがたいんだが。


「………………」

「………………」


 睨み合いとまではいかないが、俺と護衛たちとの間で微妙な視線の交錯が続く。見習いどもはチビばかりなので、その間には挟まってはこられない。


 セリカもセリカで、いざ俺の前に出て来たはいいが、その後の言葉を続けようとはしない。


 ――おい、何とか言ってくれよ。


 そう思ったが、彼女もまた、何も言わないのではなく、何も言えないのだ。初めから『お帰りなさい』以外に言うことなど何もなかったのだろう、先の行動もどうやら反射的にそうしてしまっただけで、後先のことは何も考えてはいなかったのだ。


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


 それぞれがめいめいに適切な言葉を探してはいるようなのだが、口を開くものは誰もいない。その間、客観的な時間はそれほど経過していないと思われるが、主観的にはえらく長いように感じられた。誰かが何かを言わなければ、状況は硬直したままどこへも動くことはない。この沈黙は俺にとって針のむしろでしかない。


「婚約の話を台無しにしてしまって、申し訳ない」


 こんな場所でそんなことを言ってしまうのは、絶対の絶対に適切ではない。

 適切ではないが、このいたたまれなさにも耐えきれない。決して言わないようにしようと思っていた言葉、それが危うく口をついて出ようとするのをせき止めたのは、しえしえしえ、という歯のない笑い声だった。


「おう、お主か、元気でやっとるようじゃな」

「……お蔭さまで……」


 置いてきぼりにされていたムーゼンが、護衛の半分とともに追いついてきたのだ。


 別にどこかへ行っていたわけではなく、初めからずっと見える範囲にしかいないのだから、追いついたというのもおかしな話ではあるのだが、気持ち的には、やっと来てくれた、としか思えない。


 しかし続く言葉は、俺を救うものでも何でもなかった。そもそもムーゼンは俺の味方ではなく、セリカの保護者だ。彼女に対して愛情があるのかどうかまではわからないが、どちらにせよ俺を助けるような義理はなく、少しでもそんなことを期待するのはどうかしていた。


「おう、ちょうどええ。儂は少しくたびれた、ちょっとそこの椅子に座って休憩しようと思うゆえ、お主、しばらくセリカの面倒をみてやってくれんか?」


 面倒をみる、そんな言葉通りの意味でないことは明白だ。セリカの周りにはお付きも護衛もいくらでもいるし、お守りが必要な歳でもない。


「特別に二人きりにしてやる」


 この爺さんはそう言っているのだった。


 ――どういうつもりだよ。


 情勢を鑑みて一度は引っ込めたが、ムーゼンは俺とセリカをくっつけるのをまだ諦めたわけではないのか、それとも他に狙いがあるのか、あるいは純然たる厚意なのか。


 だが、あくまでも厚意の体裁をとっている以上、俺がこれを完全に無碍にすれば非礼だし、ちょっと急ぎの用事が、などとヘタレた返事をすれば、内心を見透かされておのれの器量を下げてしまうことにもなるだろう。


「……お嬢様をお預かりいたします」


 どうにでもなれ、どうなっても知らんぞ、そんな気分で、渋々ではあるが、この提案は受け入れるしかなかった。


 こうして、ビムラで最も愛される重要人物と、最も危険視される重要人物は、再び言葉を交わす機会を強引に与えられたのだった。




「とりあえず、歩くか」


 どこへ行くあてもないが、いつまでもお互いの護衛に監視されるようなのも勘弁と、政庁の中庭に出た。この辺ならば、おかしな奴が出る心配はまずない。


 二人きりになった時点で、セリカが手を不自然に上げたり下げたりしていたが、いくら俺でもその意味がわからないほど石仏ではない。まあこれぐらいは、とその手を繋ぐと、向こうからもおずおずとした力で握り返してきた。


「……あは」


 彼女自身はこの状況を喜んでいるようだが、それが表面だけそう取り繕っているように思えてしまうのは、俺自身の後ろめたさによるものか。


 そのまま並んで遊歩道を歩く。そこは綺麗に整備され、冬の花もちらほらと咲いてはいるが、どう考えても庭歩きに適した季節ではない。我慢できないほどではないが、時おり吹く風は冷たかった。


 いつの間にか、冬になっていた。彼女と初めて会った時も、季節の変化に気づく余裕すらなかったことを思いだした。


「……寒いな」

「……寒いです」


 四方に風よけの壁が設けられた東屋のベンチに並んで腰を下ろすまでは、それ以上会話は弾まなかった。


「………………」

「………………」


 座ってからも、それは変わらない。


 無言でセリカがぴったりと体を寄せてくるのは、寒いからではないだろう。それを拒みはしないが、肩に手を回すほどは開き直れない。


 居心地がいいとも悪いとも言えない中途半端な状態で、なんならこのまま時間切れでも構わない、とも思っていた。


「あ、あ! あの!」


 しかしそうはならず、ようやく話の取っ掛かりを発見したセリカが声を上げた。沈黙から一転のことで、その声は歌姫らしからぬ素っ頓狂な感じになってしまっている。


「こ、この前ウィラード様の牧場を見てきました、すごいですね!」

「ありがとよ」


 彼女が指しているのは、厳密にはもちろん俺のでも、牧場でもない、ウルズバールの集落のことだが、そこにはしばらく前から多くの見物人が集まるようになっていた。


 盗賊退治に出払っている分を除いても、そこにはまだ二百頭以上の馬がいるわけで、その使い道が決まるまでは、ただ遊ばせているのも勿体ないと一般に解放し、料金を取って乗馬をさせたり、屋台を出すのを許可して場所代をもらったりしていた。


 それで採算が見込めるほど儲かりはしないし、見物客の中によからぬ連中が紛れている可能性は充分にあるが、それを織り込んでもなお、町の住民たちに対して俺たちに害意はない、ということを見せたほうが得策と判断したのだ。


 そこに近づくのは危険だ、とさえ思われなければ、観光名所として一見の価値はあるものにはなっている。とはいえ、まさか彼女までがお忍びであれを見に行っているとは思っていなかった。


「ウィラード様はあれを手に入れようとされてたんですね」

「……そうだ」


 ビムラ中央会議に対抗する力を手に入れる、そのためにこの娘を利用した。立場とか体裁だけでなく、その純情までも踏みにじることになったのは誤算だったが、あの時は後戻りすることは許されなかった。


「……私のこと、気に病んでらっしゃいますか?」


 俺の雰囲気を察してか、そんな図星を突いた質問を投げかけてきた。


 そんなことはない、そう言おうとして、やめた。気を遣って嘘をついてもそんなのはバレバレで、ならば正直に言うほうがましというものだ。


「……あんたに嘘をつくことになったのは、悪かったと思っている」

「……いいんです。あの出発の日には、こうなることはわかっていましたから」


 俺が帰ってきても、その時は婚約者ではなく、ただの一個人同士に戻る、あの時二人きりで、俺は確かにそう宣言した。だからといって、これで許された、などと思えるほど、自分に甘くはないつもりだ。


 あれからセリカがずっと俺のことを想い続けていたとして、この局面で今さら妻として迎えるようなことはできるわけがない、ムーゼンの言ったように、のちに改めてそれをする、というつもりも今のところない。


「……今後困ったことがあれば、何でも言ってくれ、できる限り力になる」


 それでも、もし他にできることがあるならば、罪滅ぼしぐらいはさせてもらいたい。例えそれが彼女のためでなく、自分の自己満足にしかならなかったとしても。


 その言葉に、彼女はちょっと困ったような顔をした。困ったことがあれば、と自分で言っておきながらいきなりこれだ、そんなつもりは全くないのだが、俺の言ったことは、またも不用意な一言であったのだろう。


 ひとしきり思案の様子を見せたあと、セリカはさらに別の質問を投げかけてきた。


「ウィラード様は、女の子の一番の幸せって、何だと思いますか?」


 ――よりにもよって、そんなことを俺に訊くかね。


 それは、おそらく俺が一番苦手とする分野だった。


 単純に考えれば、好きな奴と一緒になることか、あるいはそいつの子供でも産むこととかになるんだろうが。ただこんなふうに訊いてくるぐらいなら、そんな簡単な答えではないような気がする。


 わがことながら女心のわからなさには呆れもするが、そもそも『これこれこういう理由だから答えはなになに』みたいな考え方をすることが、女心がわからない、ということなのだと思わなくもない。こういう問題に対しては、頭を捻って答えに近づこうという手段自体が誤りなのだ。


「……あんた、じゃなくて、女の子全部か?」


 思考がどんづまりに行きついた挙句に、そんなことを訊きたかったわけでもないのに、愚問としか言いようのないものを返してしまった。


「私だって女の子ですよ」


 ――そりゃそうだ。


 歌姫様だってただの女の子で、別に天から女神様や天使様が降りて来たというわけではない。


「………………」

「……わかりませんか? じゃあ教えてあげます」


 このままでは、いつまでたっても正解どころか間違った答えすら出ないと思ったのだろう、彼女が勝手に答え合わせを始めたのは、賢明な判断だった。


「女の子の一番の幸せは、恋をすること、です」

「……それが叶うこと、じゃなくてか?」

「もちろんそれが叶うことは嬉しいです、でも叶わなくても、幸せにはなれるんです」


 セリカはそこでベンチから立ち上がり、俺の目の前でくるりと一回転して見せた。


「私は今、恋をしています」


 その相手が誰かなどということは、訊くまでもない。


「だから私は、幸せです」


 その宣言には、嘘や負け惜しみの成分は、少しも含まれてはいなかった。


 むろん、心の中に負の感情が一切ないわけではないだろう、しかし、正の部分にだけ光を当て、そこからのみ発された言葉であることは、心で理解できた。


 歌姫様といえど、万民を傅かせる力があるわけでもなく、自儘にふるまえるわけでもない。暮らし向きは悪くはないだろうが、籠の鳥とまではいかなくても、一般の人間よりも制限された自由の中で生きる一個人に過ぎない。


 ――恋をしているから、幸せ、か。


 そのわずかばかりの自由の中で、本当は恋すらも自由ではなかったのかもしれない。


 そんな環境で生まれた眩い結晶のようなものが、ほんの一瞬でもおのれに向けられたことは、やはり光栄で、幸福なことなのだろう。


「………………」


 しかし女の子の幸せがそうであるならば、男の幸せもまた、一人の女性に惚れて惚れて惚れ抜くことなのではないだろうか。それは絶対の正解ではないにせよ、男の在り方としてはそれほど間違ってもいないように思える。


 それは、妻にするとか、自分の物にするという意味では決してなく、ただ愛する、それだけで、それ以上でも以下でもない。


 俺のセリカへの気持ちは、どの時点でもそこまではまだ達してはいなかった。


 もし、惚れた、と胸を張ってそう言えるのならば、人生の目的のひとつに数え上げても何ら恥ずかしいことではない、むしろ堂々とそうすべきで、それこそ、ビムラ中央会議や独立軍を完全に敵に回してでも、奪い取るべきだった。


 しかしそうでないならば、俺が感じていた罪悪感のようなものは、やはり単なる見栄や損得勘定、執着、未練、そういったろくでもないものの裏返しで、その根底にあるのは、自分が良く思われたい、とか、あわよくば自分のものにしておきたい、そんな助平根性だった。


 そんなものは、彼女の輝きによって、今断ち切られた。


 やはり、ここで俺と彼女の運命が交わることはない。


「あんたは、やっぱり俺には眩しすぎるお姫様だ」


 自分を卑下するわけではないが、口から漏れたのは、本音以外の何物でもなかった。


 そういう扱いをされることを、彼女は決して望んではいないだろう。それでも、覚悟が足りなかったことを自覚した俺には、そうすることしかできないし、そうすることを悪いとも申し訳ないとも、もう思わない。


 この先、こうして会う機会があるかどうかはわからないが、もし彼女に対して惚れた、と思うことがあったならば、その時こそ、互いの運命が交わるときだ。何を敵に回そうが、何を犠牲にしようが、必ずこの腕に掻き抱いて、絶対に離さない


 男が本気で惚れるというのは、そういうことだ。


 いや、彼女ばかりではない、別の誰かに惚れたとしても、同じようにするべきだった。


 それが、セリカという人間が俺に与えてくれたものに対しての、誠実な態度であるだろう。


「今後困ったことがあれば、何でも言ってくれ、できる限り力になる」


 もう一度、さっきと同じことを言った。


 今度は彼女も、困ったりはしなかった。かすかに微笑んだだけで、前回少しだけ見せた涙も、今日はなかった。




 年明け早々に持ち込まれた縁談は、間に激動を挟み、次の年を待たずして、こうして一応の終末を迎えた。


 しかし、それによって起こってしまった激動は、誰にとっても未知の始まりで、どこに向かえば終わるのか、その指針すら示されてはいない。


 この時点でビムラ独立軍は次の動きを画策していたし、西からはさらなる波乱が持ち込まれようとしていた。


 そしてその中心にいるのは、やはり俺以外にはありえなかった。








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