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第三十一話 気づかぬ脅威



 机の上に、初めに転がり出てきたのは、フーデルケンの首だった。


 こちら側に落ちそうになったので、軽く手で受け止める。


 今さら人の首ぐらいで動じることはない。だがこれは、俺の肝が据わった、というよりは、単に心が摩耗してきただけのように思えた。


 ごくまっとうな世界で暮らしている限り、人の命はそんなに安いものではない、これまでの人生ではそうだった。


 だが、俺が今いるこの世界は、そうではない。


 傭兵というものは、一方では危険に敏感で、自らの命ぐらいは大事にしているように見える。だが他方では、つまらない面子や、取るに足らないような損得で、後先を考えずそれを捨てるような真似をする。


 そして他人の命については、さらに冷薄だった。それを奪うことになんの感慨も持たない連中が、いくらでもいた。


 このまま俺も、いずれそうなるのだろうか。


 ――否定できねえ。


 片足は突っ込んでいる。それは自覚せざるを得ない。


 自分に向けられた悪意に対して、あまり躊躇せずに切り捨てられるようにはなっていた。その次は、自分の利益のために、それができるようになるのか。


 人の生き死ににまでは、あまり鈍感になりたくはない。それは俺が将来なりたいと思っている姿には、決して益することはない。


目の前にいる、こいつらのようになってしまえば、それこそ傭兵以外に道はなくなる。


「やめてくれ、机が汚れる」

「ああ、こりゃ失敬」


 さらに中身を取り出して、見せてこようとする、それは止めた。袋の中を全部確かめる必要はない、どうせ全員分の首は、その中に入っているはずだ。それに数が足りなくても、関係ない奴が紛れ込んでいようとも、どうでもいい。


「首は見飽きてるんで、説明だけお願いできるかい」


 そんなのは、年に一度でも多すぎる。二日続けてなど見たくもない。


「こいつらのことは全然知らねえんだが」


 白々しくもそのような前置きをしながら、バイルゾンは話し始めた。


「昨晩この連中がうちに来て、仲間にしてくれって言ってきたんだが、訊けばどうやら、お前さんを殺そうとして、失敗して逃げてきた、って話じゃねえか。芋洗傭兵団ウチとしても、そんな連中を抱え込んで、わざわざ山猫傭兵団そっちと事を構えるつもりはねえ。何よりそんなのは傭兵の仁義に悖る、ってんで、こうして成敗して、わざわざ届けに来たってわけだ」


 バイルゾンの様子には、まったく悪びれるそぶりもない。むしろ感謝すら要求している風でもあった。


 ――何が仁義に悖る、だ。


 俺が昨晩予想したように、こいつらがフーデルケン達を生かしておけば、自分たちの弱味になる、だから消しただけだ。


 そいつらのことについては、自分たちはたまたま逃げ場所に選ばれただけであって、それ以外は預かり知らぬこと、むしろ山猫傭兵団ウチにとっての害虫を、代わりに駆除してやったと、芋洗傭兵団は逆にそう言いに来たというわけだった。


 むろんそんな言い分は信用するに値しないが、残念ながら話の体裁だけは整っていた。


 こちらには、フーデルケンらと芋洗傭兵団こいつらの間に、もともと繋がりがあったことを示すような証拠は揃っていないし、死人に口なしだ、これからも揃うことはない。


「そりゃご苦労なことで」


 儀礼上、労いぐらいはする、それでも礼を言わねばならない理由は、何ひとつない。


「だがこいつらは、昨日の時点でうちのモンじゃなくなってるんで、こっちじゃちょいと持て余しちまうな」


 そう言って、やんわりと首の受け取りを拒否してみせた。ただこれも形式的なものだ、本気で突き返せば喧嘩になる。面倒だが、最終的には渋々受け取る形で、こちらで処分するしかないだろう。


 ――可哀想なこった。


 ところどころ血のにじんだ、生首の詰まった袋に目をやる。


 やはりフーデルケンらは必要な人材としては扱われておらず、山猫傭兵団ウチの内部をかき回す道具にしか思われていなかった。


 まあ、道具としても不出来だったんだろうが、芋洗傭兵団むこうとしても、山猫傭兵団ウチで勝手な悪戯をした責任まで、食らいこんでやるような義理はないということだ。


 ――それでもここまですることはねえだろうがよ。


 うっとうしい連中だったが、俺に迷惑をかけない範囲でなら、どこか遠くで暮らしていってくれれば、それでよかった。他人の思惑に乗せられ、調子に乗っただけの末路としては、あまりに哀れだった。


 気に入らない。


 少なくとも俺は、こいつらを処断しようとした時、自分自身の危険を、天秤の反対側に乗せた。それは俺が勝手にそうしようと思っただけだし、結局はイルミナにさせることになったが、それでも勝負の心意気としては対等だった。


 芋洗傭兵団こいつらのように、自分たちに庇護を求めてきた相手に対し、おそらくは騙し討ちのような形で、一方的に嬲り殺しにしたわけではない。


 ――こいつらは嫌いだ。


 そう思った。思ってしまった。


 こちらがそう思った、ってことは、向こうでもそう思ったに違いない。こういうことは、顔に出さなくても、自然と通じ合ってしまうものだった。


 バイルゾンは少しだけ嫌そうな顔をしたが、それもすぐに隠した。


「そうかい、そっちの落とし前はもう済んでたか。余計なことしちまったかな」

「まあ、持って帰れたあ言わねえよ、置いてってくれりゃ、こっちで片づけといてやる」


 つまらないことだが、貸しにしてみる。


「そりゃ悪いな。じゃこいつは手間賃だ、取っといてくんな」


 向こうは向こうで、借りを作るつもりはないようだ。そう言いながら、何枚かの銀貨を懐から取り出し、投げるように机の上に置いた。


 それは、教会で適当に礼拝をし、墓地に埋めるだけの最低の葬儀代、七人分の代金としては、半分ぐらいにしかならない金額だった。


 フーデルケンらが連中に保護を求めていった時には、大した所持品もなかっただろうが、それでも無一文だったわけではないだろう。それを身ぐるみの一切合財を剥ぎ取った上で、後始末の代金までケチってくるとは、がめついにも程がある。


 ――馬鹿にしてんのか。


 とも思ったが、その通り、馬鹿にする意図もあるのかもしれない。


「足りねえから、もっと寄越せ」


 あんな乞食に金を恵んでやるような振る舞いまでされて、そんなことを言えば、こちらの面子が立たない。


 正直、受け取りたくない金だった。だが突き返したら突き返したで、また角が立つ。この場は何でもないように受け取って、それでお仕舞にするしかない。


「預かっとこう」

「用件はこれだけだ、邪魔したな」


 バイルゾンが、最後ににやりと笑い、立ち上がった。負けてどうということはないが、くだらない駆け引きは、少しだけ負けた、という気分だ。


 同時に後ろに居並ぶ面々も立ち上がり、バイルゾンに続いて、出口に向かって動きはじめた。


 これで終わりか、そう思った時、


「お客さんが来てんのか?」


 ミルキアックに呼んでこられたのだろう、ティラガ、イルミナ、ディデューンが、その他何名かと連れ立って、表から入ってきた。


「遅い、もう帰るとこだ」


 そう言おうとする前に、その場の雰囲気が一変した。


「――――!」


 イルミナ、ディデューンが素早く一歩下がり、腰に手をやって、いつでも抜剣できる体勢になった。


「くっ!」


 逆にティラガはぐいっと前に出て、威圧する姿勢になる。


 突然血相を変えた三人に対し、芋洗傭兵団の面々もやおら身構え、双方が睨み合う形で、状況が固まった。


「な!?」


 何が起こったのか、全くわからない。俺と、それまで中にいた山猫傭兵団ウチの連中だけが、出遅れた格好で硬直した。俺にわかったのは、あいつらが入ってきた瞬間、食堂の中の緊張が一気に高まった、それだけだ。


 それでも対峙は、数秒もなかった。


「何でもねえよ」


 警戒は解かないまま、バイルゾンは両手をあげ、ひらひらと掌を振って見せる、敵意はない、との動作だ。それから何事もなかったように歩きだし、貝殻亭を後にした。他の連中もそれに倣い、ぞろぞろと出ていく。


 三人ともしばらくは目でその後ろ姿を追ったが、結局は何も起こることはなかった。


 完全に気配が去った後、弾かれたように、無言でイルミナが駆け寄ってきた。俺の体を見回して、怪我などしていないかと心配しているようだが、もちろんそんなことはない。


「大丈夫か」


 続いて二人が近寄ってくるが、何を言われているのか、未だにわけがわからなかった。


「結局彼らは何をしに来たのだ」


 ディデューンのその質問だけは、さすがに理解できた。


 連中が来た理由を、三人にかいつまんで説明すると、


「ふむ、それがあの袋か」


 そんな必要もないのに、ディデューンは中を開けて確認し、それから当然のように嫌そうな顔になった。


 続いてティラガが質問を投げかけた。


「それで連中は、フーデルケンの首を土産に、手打ちの挨拶に来たってわけでいいのか」

「いや、手打ちじゃねえな、表向きはそんな感じだが、むしろ脅しか、宣戦布告だ。あとは敵情視察も兼ねてるのかもな。たぶんこれからも、なんかやってくる」

「だろうな、そんな雰囲気だった」


 それから今度は、こっちが聞く番だった。


「おい、そんでお前らは、何をそんなに血相変えるようなことがあったんだよ。もう喧嘩が始まってるとでも思ったか?」


 しかし三人は、顔を見合わせて不思議そうにするだけだった。


 ――ちょっと待てよ、何だってんだよ。


「あんた、本当に気づいてなかったのか?」


 どうやらティラガが代表して答えてくれるようだ。


「何をだよ」

「あの中に、凄え奴がいたぞ。いや、凄えといっても、俺ほどでもないが」


 しかし、凄え奴、そう言われてもピンと来るものは何もなかった。


 バイルゾンはそれなりに強者の雰囲気はあったが、せいぜいが町の腕自慢、程度だと思った。やって勝てるかと問われればそれはわからないが、むざと負けるようにも思えない。もちろんティラガには及ぶべくもないだろう。


「いや、あの一番前にいた奴なら、そんな腕でもねえだろ」

「違う、そいつじゃない、後ろから三番目にいた奴だ」

「……んん?」


 そう言われれば、確かにこの三人は、あの時違う方向を意識していたような気もする。しかしその場所にどんな奴がいたか、全く印象に残っていない。バイルゾンの他は、デブしか覚えていなかったし、そのデブのことも、デブだったことしか覚えておらず、顔までは思いだせない。


「わからん。そんな奴いたか」


 いあまあ、後ろから三番目、というなら、いたことだけは間違いないんだが。

 マジか、とティラガが頭を押さえた。


「ああ、あれは強いぞ」


 ディデューンが口を挟んできた。


「強さでいえば、パンジャリーでの夜襲の、あの髭の大男ぐらいかと」


 さらにイルミナが聞き捨てならないことを言った。


「マジかよ……」


 今度は俺が驚く番だった。


 あの髭の大男、それは火神傭兵団のギリスティスのことを差しているに違いないが、そんな化物があの中に紛れてたってのか。


「気づいてなかったんですね……」


 いや、それでも呆れられるのは何か違う気がする。


 こいつらが来るまで、山猫傭兵団ウチの連中は誰もそんな警戒はしていなかったわけだし、俺がことさらに鈍かったとは思えない。どちらかといえば、こいつらがそういうものに対して鋭いのだ。


「まあ人には向き不向きがあるからな。それより無事でよかった」


 ティラガが慰めのように言った。その後、何か下手な説明をされたが、どうやらこいつの感覚では、そういう強者の気配には、陰性、陽性のようなものがあるらしい。ギリスティスが陽性なら、さっきまでここにいた奴は、どうやら陰性ということらしかったが、そんな説明をされてもわからないものはわからない。


「向こうがその気なら、今頃ウィラード様は死んでました」


 それでもイルミナにこうまで言われてしまうと、やはり心胆寒からしめるものがある。


 ここで何かを仕掛けてくるはずがない、と思い込んでいた。もちろんそれは誤りではなかったのだが、ギリスティス並の奴を近づけて、その気配に気づかないというのは、そうと指摘されてしまうと確かに恐ろしい。危険に対する嗅覚がこれではいけない。


「ふむ、ウィラードは鍛えなおす必要があるな」


 ディデューンの提案に、他の二人も同意した。


「………………」

 絶句したが、異を唱えることはできない。


 この先、芋洗傭兵団とことを構えるのは、確定的といってよかった。


 今日互いの顔を合わせた機会に、それを避ける道があったとも思えない。こちらにその気はなくとも、向こうは完全にそのつもりだった。ならばこいつらがいたという、その化物と再び対峙することは、必ずあるはずだ。


 少々鍛えたところで勝てるとは思えないが、その存在にいち早く気づいて、逃げ出せるぐらいにはなっておかないと、これはもう本気で命が危ない。


「……よろしく頼む」


 仕事が忙しい、などと言ってる場合ではなかった。それに稽古をしている間は、一人にならなくて済む。


『それからウィラードさん、あなた今、自分で思っている以上に重要人物ですよ、身辺には気を付けてくださいね。あんまり一人で出歩くのは感心しませんよ』


 以前ソムデンに言われた言葉が蘇ってくる、あいつが注意してきたのは、そういうことだったのか。


 少なくとも今後しばらく、単独行動をする勇気は、湧いてきそうにはなかった。






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