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13日のチョコレート

作者:

 真紀が店を出ると、街にはカップルが溢れていた。クリスマスほどではないものの、今日は恋人たちの日だと言わんばかりに、人目も気にせずくっついている男女が普段より多い。先程までいた店には赤やピンクのハートがたくさん飾られていて、甘い匂いがそこかしこに漂っていた。

 今日は、バレンタインだ。

 お菓子作りはどうも苦手だからちょっと高めのチョコレートを買ってきた。本当はもっと前に買って準備していたかったが、仕事が忙しく、結局当日になってしまった。真紀はこれから修吾の家に行くことにしていた。昨日、彼のほうから「家に来て」とメールをくれたのだ。

 無意識のうちに駆け足になりながら、真紀は修吾の部屋のチャイムを鳴らした。

「あ、やっと来た。どーぞ」

ガチャリとドアが開き、修吾がニコッと笑って部屋に入れてくれた。彼の部屋は、男性の一人暮らしにしては綺麗に片付いている。決して物が少ないわけではなくて、クローゼットには服がたくさん入っているし、棚にもさまざまな物が並んでいるのに、いつこの部屋を訪ねても、それらの全てが収まるべきところに収まっている。

 だが今日は、テーブルの上に色とりどりの箱が、数えきれないほど置かれていた。

「これ……どうしたの?」

「ん? ああ、なんか、昨日会社の女の子たちに貰っちゃって。俺の誕生日、夏なんだけどなー。それに、中身全部チョコだし」

修吾はのほほんと笑っている。よく見ると、確かにどの包みも開封された痕があった。

「全部食べたのっ?」

「まさか。手作りのやつは腐りそうだから食べたけどね。昨日から甘いもんばっか食べ過ぎて気持ちわりーのに、まだ半分以上も残ってるんだよ?」

修吾は、テーブルから無造作に一つ包みを手に取り、

「これ、食べない? 真紀、甘いもの好きだし」

と私に差し出した。

 まさか修吾は、今日がバレンタインだということを忘れているのだろうか。

「ねえ、修吾、今日……」

言いかけた途端、修吾に抱き寄せられる。引っ張られるようにして二人同時にソファに座りこむと、首筋に顔を埋められる。

「くすぐったいよ」

ふわふわした髪を首筋に感じながら言うと、修吾は真紀を上目遣いで見た。

「やっぱ真紀が一番。安心する」

「……また?」

「誘われたら断らない主義だし」

「……女の子に誘われるようなこと、自分からしてるくせに」

その言葉に修吾は顔を上げ、真紀の頭を片手で支えた。軽く口付けながらもう片方の手で髪を梳く。

「そんな顔すんなって。今回はこれしかしてない」

唇を離し、じっとこちらを見つめる目は真摯に見える。でも、実際は……。

 真紀はふっと目線を逸らした。その途端テーブルの上のチョコの山が目に入って胸がきしむ。

「あ、チョコ食べる?」

無邪気な声で言い、彼の手がテーブルのほうに伸びる。真紀はその腕を思わず掴んだ。

「何? チョコ食べたくない?」

きょとんとしている顔から察するに、彼は本当にバレンタインを忘れているらしい。真紀はため息をついた。

「修吾、今日が何の日だか知ってる?」

「今日? バレンタインでしょ?」

「えっ、知ってたの?」

思いがけない返答にすっとんきょうな声をあげる真紀の頭を、修吾は優しい手つきで撫でる。

「お前なー、いくら俺でもバレンタインくらい知ってるって」

「じゃあなんで、チョコもらったの?」

「え?」

修吾が首をかしげるので、真紀はテーブルの上のチョコの山を指さした。

「昨日もらったんでしょ? どう考えてもバレンタインのチョコじゃない!」

思わず叫んで撫でる手を振り払う。修吾は驚いた顔をして、振り払われた手と彼女を交互に見た。

「なんで? バレンタインは今日で、昨日じゃないじゃん」

普通なら、そんなことも分からないのかと怒鳴りたい。しかし彼はこういう男なのだ。真紀は軽く深呼吸して怒鳴るのを自制した。

「今日が休みだから、みんな昨日くれたんでしょ」

「ああ……そういうことか、あのチョコ」

修吾は納得したというようにのほほんと笑っている。真紀は諦めてぐったりとソファに体をもたれさせた。

「……怒った?」

悲しそうな表情を作ってこちらを覗き込んでくる。悔しいけれど、そんな表情をされると、許さざるを得なくなってしまう。

「……怒ってた」

「今は?」

不本意だが、ゆっくりを首を振る。すると彼の表情はぱっと輝いた。

「ありがと、真紀好きっ」

強く抱きしめられると嬉しいけれど、修吾のこの行動がわざとだということを、真紀は知っている。

「わざとでしょ」

「ばれた?」

そして、わざとと分かっていても真紀が修吾のことを嫌いになれないことを、彼は知っている。

「むかつく」

真紀がそう言うと、彼はちょっとだけ体を離した。

「そうだ、チョコちょうだい」

「……え?」

「チョコ。バレンタインだし、用意してくれてるんでしょ?」

真顔でそんなことを言う彼に、自意識過剰と言い返せない。でも、それは不愉快なだけではなく、ちょっと嬉しさも感じる。

 真紀は鞄に手を伸ばし、さっき選んできたチョコを差し出した。

「甘いもの食べ過ぎて飽きたんじゃないの?」

嫌味も込めて言い返すが、修吾はきょとんと真紀を見つめる。

「会社の同僚から何でもない日にもらったチョコと、真紀からバレンタインにもらったチョコじゃ、意味が全然違う。だから、味も違うよ」

そう言うと彼は、真紀が差し出したチョコを奪った。素早く、しかし包み紙を破かないように丁寧に開封して、きれいに並んでいるチョコの一つをぱくりとほおばる。

「ほら、このチョコなら飽きない」

修吾はそう言い、無邪気に笑った。

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