呉秀三博士、『Hypochondrie』を訳す。
筆者はヒポコンデリー(Hypochondrie)のことを「心気病」(訳注:現代では通常「心気症」と訳す)と訳しているが、これは有名な本間棗軒『内科秘録巻五』に「心気病」と題して次のように書かれていることに基づく。
心気とは、『素問』に「心気痿」、『金匱要略』に「心気不足」とあるのがはじまりである。『左伝』には「心疾」、唐や宋の医学書では「心風」「心恙」などと名付けられている。
これは脳の病気で「癇」(神経過敏で怒りやすい性質)の変種と考えられる。初めは心気だったのが後に癇の症状に変わってゆく場合がある。今は医者も通俗的にも正式名ではなく「気病」「気癖」「癇症」「血症」と呼んでいる。
癇と心気の区別は、筋肉のけいれんや麻痺などの外的な症状があるかないかで、あるものを癇としている。心気は、さまざまな感情の働きが通常と異なるだけであって、外部からわかる客観的な症状がないものを言う。
精神的な消耗によって起こるもので、黙々と部屋に一人で引きこもっているのを好むようになる。しかも明るい窓のある部屋は避けて、暗い部屋にばかり閉じこもる。心配に及ばないことを心配し、悲しむほどのことでもないことを悲しみ、やたらと驚いたり怖がったりし、過去を後悔したり未来を心配したりして、ただじっと考え込んで人に相談することもない。極めて小さなことを大事のように考えてしまい、何かと死を意識するようになる。どんなことにも敏感になり、凶事を見聞きすればすぐにさめざめと泣き、他人事なのに自分のことのように悩んで長いこと忘れられないのだ。
体が強健であっても虚弱だと思い、病気などないのに病気だと思い込む。もし眉毛一本でも抜けたりしたらハンセン病を疑い、風邪で咳をしても結核と考え、下あごの濾胞(リンパ腺に液が溜まってできる膨らみ)に気付けばこれまた頚部リンパ腺結核を疑い、わざわざ自分の喉を探って軟骨に触れただけで腫瘍ができたと言う。男女とも自分の性器を眺めては「色や形がおかしいのではないか、これは梅毒だ」と医者に訴えたりする。医者もまた梅毒でないことなど分かっているのに、代金目当てに薬を出してやる拝金主義の者がいる。だがもちろん治るわけがない。最初から病気でもなんでもない性器の個人差に過ぎないのだから。かえって薬の副作用によって生じる諸症状のため、やはり梅毒なのだとますます悩んだりする。
患者の訴えには他にも「体中が熱っぽくていつまでも治らない」「ヘビやムカデが自分の皮膚の中を這いまわっている」「腹の中から声がする」などがある。
人からハイキングやお花見、観劇やコンサートなどに誘われても行こうとせず、ひどい場合は家族や友人にさえ会うことも嫌がるようになる。この病気は寝込んでしまった場合でも、診察ではなんら外見的病状はなく、正常である。なのに起きられない。髪もとかさず顔も洗わず爪も切らない。夏に張っていた蚊帳を秋になったので取り外そうとすると、風に当たると悪化すると言い張っていつまでも外させてくれない。寝床を掃除しようとしても病に障るといって拒否する。そうして全身真っ黒になって塵や埃にまみれて寝たまま3~4年もそうしている。ひどいと6,7年にもなる者もいるのだ。
心気病の症状は非常に多彩なので枚挙に暇がないが、ここまで挙げたところから察していただければ、世の中にある様々な奇病と呼ばれるものが、実は「心気病」という一つの病気の一種であることが分かるだろう。
以上が本間氏の記述である。
本間氏は心気病を、不眠症・狂・邪祟などと比較の上、これらとは別の項目として記している。うつ病一般を指しているようでもあるが、ヒポコンデリーの症状とした方がより正確なので、筆者はこの「心気病」をヒポコンデリーの訳語として当てるのが適切であると思う。