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呉秀三博士、『食欲の異常と倒錯』を語る。

 食欲にかんして、特定の物を偏好することを偏味とよぶ。

 これは日中とも書物に例が多い。

 日本では筑紫の押領使だったある人が、大根を万病薬のように言って、毎朝2本も焼いて長年食べ続けていたという。この押領使が奇襲に遭ったとき、どこからか兵隊が二人出てきて、奮戦して敵を退けたが、彼らはふだん食べていた大根の精だったという。『徒然草』にある話だが、同書に因幡の坊さんの娘の偏食についても書かれている。栗ばかり食べて米の類をまったく食べなかったので、非常な美人で度々プロポーズされていたにもかかわらず、母親が「こんな異常な娘は人に会わせられない」と頑として許さなかったという。

 さらに同書と『扶桑陰逸伝』にも登場する盛親和尚という人は、才智豊かで卓抜不羈の人だったが、芋頭(サトイモの親イモ)が大好物であった。和尚は人と喋る時も大鉢にうず高く芋頭を盛って膝下に置き、食べながら話していた。病気になると7日あるいは27日間、部屋に一人こもって自ら選んだ良い芋頭を食べるだけで、どんな病気も自分で治してしまったという。

 『続奇人伝』には永田観鵞という書家が、豆腐好きのあまり「黎祁道人」(黎祁とは豆腐の別名)と呼ばれていたことが書かれているが、逆に糠漬けが大嫌いで、同席の人まで食べることをはばかったとされている。ある高貴な身分の人が、ちょっとした悪戯心から糠漬けを包んだものを手渡しで下賜したところ、観鵞はたちまち真っ青になって、糠漬けを放り投げて走って行ってしまったとある。じつに好き嫌いの極端な人である。

 さらに『杏林内省録』にも、さる備前侯がミカンを非常に好んでいたことが挙げられている。


 中国の書物にはこんな例がもっと沢山ある。

 趙崇絢『鷄肋記』は、「文王は菖蒲、武王はアワビ、呉王僚は焼き魚、屈到はヒシ、曾晳はナツメ、公儀休は魚、王莽はアワビ、王右軍(書聖・王義之のこと)は牛の心臓、宋の明帝の鱁鮧(アユの内臓と卵)の蜜漬、斉の宣王は麺餅(パンケーキのようなもの)と鴨肉のスープ、高帝は肉のなます(刺身)、陳の後主はロバ肉、斉の蕭穎冑は白肉のなます(三斗=約6リットルほども食べたらしい)、後魏の辛紹先は羊の肝、唐の魏徴は醋芹、陸羽は茶」と、歴史上の人物の色々な好物を書き連ねている。

 『雲仙雑記』によれば、吐突承灌はハマグリの汁を好み、金網であぶった鹿角にかけて食べたという。『続予章記』には陳蕃が客を接待する際、飯に鹿の乾し肉をまぜ、牛の乾し肉のスープを出したが、別にイカモノ扱いはされなかったことが記されている。『世説』には范汪が梅を好み、1斛(約20リットル)生で贈られたのをたちまち食べ尽くしてしまった話もある等々、食物に偏好がある人は少なくないことが分かる。

楊貴妃が茘枝を非常に好んだことについては、杜牧が有名な七言絶句を残している。


  長安回望繍成堆, (長安を振り返れば、稜線が幾重にも重なっている)

  山頂千門次第開。 (その山々に設けられた門が次々に開いてゆく)

  一騎紅塵妃子笑, (一騎兵の巻き起こす紅塵に楊貴妃が微笑む)

  無人知是茘枝來。 (誰も知らないだろうが、茘枝が届けられたのだ)


 さて、まだまだこんなものは大した偏りではない。

 劉邕はかさぶたを好んで食べ、アワビに味が似ていると言っていた。彼が孟霊休という病人を訪ねたとき、灸のあとのかさぶたが床に落ちていたので拾い喰い、ついにはまだ剥がれていないかさぶたまで毟り取って食べ尽くし、孟霊休を全身血だらけにしてしまった(『世説』)などという話は「食欲倒錯」の範疇であろう。

 清朝で国子祭酒(最高学府の長官)をつとめた劉俊という人がミミズを好んだ(『紀録彙編』)という話と、唐代に東川の節度使(辺境地域の警備隊長)だった鮮于叔明が「臭い虫」を好み、人に命じて採集させて5~10リットルくらい貯まると、バターと各種調味料を加えて煮て食べたという話はよく似ている。

 福建の知事であった權長孺が、人間の爪が好きで、切った爪を贈られれば千金の恵みを受けたように喜んで掴み取っては食べたという例も負けてはいない(唐温庭筠『乾噀子』)。

 清の名僧、泐季潭が大便の中のゴマや雑穀を好み、常にこれを探し求めて、薄い粥を作って食べていたというのは嗅覚の倒錯もあったのであろう。

 同じく清の時代に、南京の宮廷官吏であった秦力強が胎盤を食べることを楽しんだ(『紀録彙編』)のにはカニバリズム的な残忍性を帯びており、数多くの侍女の腕を刺しては吸いついたと伝えられる東丹王耶律倍の吸血趣味(『五代史』)を彷彿とさせる。両方とも食欲だけでなく、性倒錯をも兼ねていたのだろう。やはり清の、駙馬都尉という官職についていた趙輝という人物は、女性の体液や経血をうまいうまいと好んで嘗めたという(『紀録彙編』)。これはさらに性倒錯の傾向が強い例である。


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