門前の論争
外に出た瞬間、ベルガがフレイラへ向け高圧的な声で呼びかけた。
「お前は?」
「キュラウス家次女、フレイラ=キュラウスと申します」
対するフレイラは物腰柔らかく応じる。ユティスとしてはずいぶんと低姿勢だと思った。
「キュラウス家か……両親はどうした?」
「先に到着しております」
「となれば、一人で来たのか? 親と随伴していない以上、呼ばれたわけではないのだろう?」
「別の用がありまして、私一人が遅れまして」
――実際の所は、両親から来なくていいと言われたとユティスは聞いている。
「と、待て」
そこで、ベルガはユティスに気付く。
「ユティス? なぜお前がここにいる?」
「あ、えっと――」
「式典に出席しろと言われたわけでもないだろう。兄弟の邪魔になるだけだ。消えろ」
鋭い物言い。これにはユティスも閉口する。
「言っておくが、これは善意で言っているのだからな? もし式典で倒れられたりでもしたら、私の友人であるお前の兄や姉が泥をかぶることになるだろう。そうした危惧を防ぐために、お前は式典に参加しない方が――」
「私が無理矢理連れてきたのですよ」
ここでフレイラが口を開く。そして、
彼女はユティスに近寄ると、おもむろにユティスを手で示した。
「ご両親に是非、仲を認めてもらわなければなりませんから」
「仲を……」
聞き返したその瞬間、悟ったベルガは目を丸くした。
「ちょっと待て、ユティスをか?」
「ええ」
「……正気か?」
半ば小馬鹿にするような態度。それに対しユティスはこれまでの経緯から仕方ないと考えてはいるのだが――フレイラは違った。
「正気とは、どういうことですか?」
「……どういう経緯なのかは知らないが、ユティスは式典にも満足に参加できない虚弱体質だ。そんな人間を婿にして……なんの意味がある?」
「こういう感情に、理屈というのは必要ですか?」
(……なんて切り返しだ)
ユティスはフレイラの発言に驚愕と不安を同時に抱いた。あくまで彼女は演技をしている。しかし式典がある以上、それが既成事実化してもおかしくない。本当に彼女はそれでいいのだろうか――
「……ふむ、何か策略があるわけではないのか?」
口元に手を当て、確認するようにベルガは尋ねる。
「例えば王家の遠縁と結婚し、中央に近づく目論見があるとか」
「そんなことをする場合、もっと簡単な方法があるでしょうに」
断言すると、ベルガも「確かに」と同意した上で、
「まあいいさ……互いが好きあっているのなら別にいいだろう。これからの人生、頑張ってくれ」
「……頑張ってくれ、とは?」
フレイラが聞き返す。ユティスとしてはベルガが穏当な発言をすることを祈るしかなく、
「いや、単にユティスなどと結婚するのを同情しているだけだ。気にするな」
と、告げたと同時に笑みを浮かべた。その顔には、言葉とは異なる醜悪な色が見え隠れしている。
「どういう経緯で知り合ったのかはわからんが、両親に会うということは見合いなどという話ではないだろう? 両親としてはまあ、ユティスを君に押し付けることができて万々歳だろう」
「……本人のいる前で」
「構わんさ。こいつはそれを自覚しているからな」
ベルガは笑みを浮かべたままユティスに視線を送る。
一方のユティスはただ首をすくめた。実際、馬鹿にするような言動は始終放たれているので、なんとも思わない。ユティスとしては平気だとフレイラに述べたいのだが、
「……なるほど」
意味深な言葉と共に、フレイラもまた笑みを浮かべる。
「そういうことですか……わかりました」
「何がわかったんだ?」
ベルガが訝しげに問うと、フレイラは小さく肩をすくめる。
ここで、ユティスは嫌な予感がした――この光景を、転生前に見たことがあった。例えばそれは、自分の趣味なんかを馬鹿にされ、喧嘩の口火を切るような状況に似ている。
だから、最悪の状況を回避するためにユティスは口を開こうとした。しかし、
「いえ、単にあなたが他者の悪口しか言えない貧相な心の持ち主だとわかっただけです」
この場を凍りつかせるような冷酷な声音が、フレイラの口から漏れた。
(最悪だ……)
馬車の中でしっかりと釘を刺しておくべきだったとユティスは後悔する。一方言われたベルガは、何を告げられたのか一瞬理解できない様子だったが――頭で認識した矢先、顔を歪め怒りの表情を見せる。
「……貴様」
「事実でしょう? あなたは自信が肥大しているのか、それとも目を掛けられて増長しているのか知りませんが、他人を馬鹿にすることで優越感に浸るなど、地位や名声など関係なく、屑で愚かな行為としか言えません」
「……なるほど、お前の言いたいことはよくわかった」
肩を震わせ憤怒の態度を示すベルガ。その反応に周囲にいた兵士達が狼狽え始める。
「どんな方々にも毅然としながら慈愛の態度で接するのが、私達の責務でしょう?」
彼の様子を見ながらも、容赦なく続けるフレイラ。ユティスは胸中もうやめてくれと呟きつつ、結局割って入ることもできず、
「……後悔、させてやるぞ」
呪い殺そうとでもいう雰囲気の状態で、ベルガは静かに剣を抜いた。
「お前の言っていることはわからないでもないが……私に対するその言葉は暴言とみなすぞ」
「――あなたはそんなに偉いの?」
口調すら変化させ、フレイラは問う。ベルガはそれに笑みを応じるが、目の力だけは視線で殺そうというくらいに、強い。
一触即発――加え、この場で誰も仲裁に入る様子はない。兵士達が割って入れば切り捨てられるかもしれないし、かといってナデイルやセルナはいまだ馬車の中。唯一ユティスが仲裁に入れる候補ではあり、むしろ兵士達の目はユティス自身に向けられているが、
(無理だろ、これ)
心の中で断言。今二人の間に飛び込めば、斬られるかもしれない――そんな風に思った時、
横手から、石畳の床を叩く軽快な蹄の音。ユティスが視線を転じると、そこには騎乗した白い騎士服を着た年配の男性が――
「騒動と思い来て見たら、変わった取り合わせだな」
雑談でもするような軽い雰囲気で語る男性――直後フレイラとベルガは同時に振り向き、馬上の相手を見て小さく呻いた。
「――ラシェン公爵!」
そしてベルガが声を上げる。同時にフレイラは姿勢を正し、彼に向き直った。ユティスも名を聞いて無意識に姿勢を正す。それほどの人物が、登場した。
ラシェン=オルドク――王の直轄地に隣接する場所に領地を構える、王のいとこに当たる人物。度々城に出入りしており人望も厚く、城の者達からも信頼され、さらには王自身の相談役となったりするなど、最早王の側近と呼んでも過言ではない存在。
蓄えられた白ひげと優しげな顔つきは、陽の光に照らされて強い威厳を放っている。
「明日は式典に入る。無用な混乱は避けてもらいたいな」
ラシェンは語ると同時に下馬した。ベルガは我に返り、慌てて剣を鞘にしまう。
「申し訳ありません、ですが――」
「ふむ……」
ベルガが理由を話そうとした時、ラシェンはあごに手をやり周囲を見回す。そこで、彼はユティスを見据えた。
「うん? 確か君はファーディル家の……」
「は、はい。ユティスと申します」
緊張を伴い自己紹介。
「体の方は大丈夫なのか?」
「は、はい」
「ふむ、そうか……しかし、先ほども言ったが変わった取り合わせだな。ここで三人が合流したのか? しかし、馬車はキュラウス家とシャーナード家の物だけだな」
「ええ、実は――」
と、フレイラは経緯を説明。途端、ユティスは喋らない方が良いのではないか――などと思ったりもする。
彼ほど発言力の高い人物もそういない。もし下手にユティス達の嘘の関係が広められたりしたなら、厄介な事になるのではないか――
「ふむ、なるほど。用件はわかった。しかし、ベルガ君」
「は、はい」
「許可もなく通すことができないのは当然だ。いくら君とはいえ、無理に押し通るのはやめた方がいい」
「……申し訳ありません」
素直に謝罪するベルガ。これでとりあえず丸く収まった――かに見えた。
「しかし、私を侮辱した事実は許せない」
「あなたがユティスを侮辱していたから、物申したまで」
「二人とも、口論は――」
「ふむ、こうして対立するのは由々しき事態だな」
ユティスが割って入ろうとした矢先、ラシェンは目を光らせた。瞳の奥に一計を案じた様子で、
(あ、マズイ)
率直にユティスは思った。理由としては、ラシェンの趣味――そう、彼は。
「これは、一度勝負する他ないな」
重度の、決闘マニア。
「双方とも、私の言葉で矛を収めるかもしれないが、それで納得するわけではないだろう? 和解してもらうのが一番なのだが、どうやらそういう心持ちではない様子」
「……あの、だからといって勝負する必要はないのでは?」
ユティスがすかさずフォローを入れる。けれどラシェンは首を左右に振った。
「納得すると思うか?」
ユティスは言われ二人を見回す。勝負、という言葉を聞いて双方が笑みを浮かべ睨み合うように対峙していた。
(彼の口から勝負などという言葉が出た時点で、遅かったか……)
肩を落としたくなる衝動を抑えつつ、ユティスはフレイラに告げた。
「あの、フレイラ――」
「もし私が勝てば、今後ユティスを邪険に扱わないようにしてもらえる?」
「いいだろう。しかし私が勝てば、お前は今後私に服従しろ」
「いいわよ」
勝手に話を進める両者――同時に、ユティスはそういうやり方でしたきっと解決できない問題なのだろうと悟った。
「では、移動しようか」
諸悪の根源であるラシェンは告げると、門へ目を移した。
それにより兵士達がにわかに反応。一礼した後門を開けるために移動を始める。さすがに彼ともなると、顔パスで通れるらしい。
「決着は城の中で行おう」
――ユティスとしては、ある種城に入ることができて幸運と思えたが、かといってフレイラ達が睨み合っている様を見ると、これで正解だったのだろうかと不安になる。
二人を他所に門がゆっくりと開き始める。ラシェンはすぐさま騎乗し、先導するように馬を進めた。
「では、行こうじゃないか」
言葉と共に笑みを見せるラシェン。この状況を楽しんでいるのだろうとユティスは確信しつつ、小さく息をついた後馬車へと戻るべく踵を返した。