街の中の騒動
ユティス自身、都に赴いた記憶で良いものが無い。
そもそも都を訪れること自体それほど多くは無かったが、その少ない回数の中で、嫌な思い出は数えきれない程経験してきた。
通常、両親はユティスの体調が良ければ馬車に乗せ都へ赴いていたのだが、領地から都までは馬車でどれだけ急いでも十日はかかる。小さい頃は旅の途上で体調を崩し、結局城の中で無為に過ごすというわけだ。
ユティスにとって都の古い記憶はそれで埋め尽くされ――魔法を学ぶくらいの時期には体調面についてはどうにかなった。しかし体を悪くせずともユティス自身社交界において出番はなく、結局部屋にこもり一日本を読んでいるケースばかりだった。
だからこそ、城の外観を眺めても何も感じない。
「わあ……」
反面、フレイラは初めてみるのか、驚愕しっぱなしであった。
御者台――つまり直進方向に窓があり、フレイラはそこから食い入るように前方を見つめていた。ユティスはそれに対し側面の窓から見える範囲で街を眺める。城壁に囲まれ、丘の上にある城――丘といってもかなり広く、四方が堀と城壁に囲まれた城内には、小さいながら訓練場や厩舎。果ては森や人工物ながら泉まであるような場所だ。
「想像以上に大きい」
そうしたフレイラの感想が聞こえる。ユティスはそれに対し、質問で応じた。
「それは城が? それとも街が?」
「両方」
「首都だからね。領地に見合う街や城となると、このくらいになるのは当然だと思うよ」
ユティスは解説しながら改めて窓の外にある街を眺める――目の前には、ユティスが記憶にある限り最も大きい街が、広がっていた。
ロゼルスト王国首都エルバランドは、丘の上に形成された城を中心として街が円形に広がり、それを城壁が覆うような構造となっている。堅牢な白い壁の向こうに広がるのは、数えきれない程の建物。そしてこの街は、もう一つ大きな特徴を所持する変わった街でもある。
この街の大通りは渦を巻くようにして形成され、城へと向かっている。渦の中心中心――つまり、上に行けば行くほど建物のランクも上がり、城の近くにある建造物はもっぱら貴族の屋敷。上に存在するという事実こそが一種のステータスであり、権威の象徴とも言える。
そうした大通りに対し、渦の外側から内側に進むような縦の道が数えきれないほどあるが、それは狭く、軍用として役目を果たさないような路地となっている。けれど例外もあり、城門から直線的に城へと向かう道――しかし通常は、五重の門によって固く封鎖されている。
街の入口に当たる城門は東西南北合計四ヶ所あり、五重の門も同じ数だけ存在し城へと伸びる――これが大雑把ではあるが、この都の特徴だ。
「フレイラは、都に来るのは初めて?」
訊くまでもないかと思ったのだが、ユティスは尋ねる――名目上フレイラ自身が惚れたという設定であるため、個人的な場ではタメ口で話すよう指示が成されている。
「ええ。ちなみにユティスは――」
「それほど回数は多くない。なおかつ体調と立ち位置の関係から城にこもりっきり……城には行ってもあてがわれた部屋で過ごしていたよ」
「なら、都のパーティーに出席するのは初めてというわけね」
「……本当に、僕も?」
「当然でしょ? あなたのお父様に認めてもらわないと」
そう語りにっこりとフレイラは笑った。
ユティスの『創生』に関しては二人だけの秘密ということになり、あくまで表面上はユティスの両親に認めてもらうために式典へ、ということになっている。彼女の側近であるナデイルは王の危機を知っているのだが、それとは一切関係がない、ということになっている。どこまでそれを信じているのかはわからないが。
そして現状、ユティスは王の危機以外に懸念を抱いていた。もし何も起きずただ両親に紹介だけした場合、本当にフレイラと婚約してしまうかもしれない。
この時点で、ユティス自身もフレイラの生い立ちを概略ながら聞いている。彼女は剣を振り回すのが好きで、社交界に興味が無かったという人物。彼女にも姉が一人妹が一人いるがどちらも妙齢で、都にいる大臣クラスの子息と仲が良くなっているとのこと。一方フレイラは――
(側近のナデイルさんが言うには、外見は良いが中身を知れば男は首を振る……だっけ)
剣を振る女性が好まれない以上致し方ない話なのだが――顔立ちなどは非情に綺麗で、お呼びがかかっても驚かないレベルなのだが、男達が近寄らないのは別に理由があるのか。
ともあれナデイルが言うには、両親はこれ幸いとばかりにフレイラを押し付ける可能性があるらしい。
本当に、大変そうだ――ユティスはため息をつきたい心境を抑えながら、間もなく到着する街を漠然と眺め続ける。
王の暗殺計画が無ければ、この場にいる誰もが都に来ることはなかっただろう――それが嘘であるという可能性を移動途中考えなくもなかったのだが、現状は式典間近であり、挨拶もロクにできない状況。貴族達とコネを得る目的ではないことは、ユティスも移動途中確信していたし、きっと本当のことだろうとなんとなく理解した。
とすれば彼女は「王の危機に率先して駆けつける忠義な騎士」ということになるのだが――ユティスとしては立ち位置がアレなので、どうにも釈然としない。
「城には、どう入る?」
ふいにフレイラが尋ねる。それに対し、ユティスは少し思案した後応じた。
「道なりに進めば到着するけど、時間がかなりかかる。城に直線的に進むことができる門は、一定の許可が無ければ通れないよ」
「……許可は、さすがに持ってないよね?」
「それは、まあ……普段は両親が許可を所持しているから大丈夫だけど」
「……ユティスが王家の遠縁ということで、通してもらえないかな?」
「それで通れるなら、王家の遠縁を自称する人がたくさん現れると思うよ」
「確かに……時間的にギリギリだったのが災いしたかな。城には簡単に入れるから問題ないと思っていたけど、城に到達するまでが問題になるなんて」
途端、フレイラは唸る。
「……大通りを道なりに進めばいいよね?」
「この街の広さを考えるなら間違いなく夜になり、城の門が閉まる」
「そうなると……」
「街のどこかで宿泊するしかないんじゃないかな?」
ユティスの意見に、フレイラは困ったように腕を組んだ。
「まずいことになったかな……ナデイル、何か案とかない?」
「フレイラ様がわからなければ、私も皆目わかりません」
にべもない彼の返答。
「実際、私も都に来るのは初めてですし」
「そうだよね……うー、どうしよう」
「おとなしく宿に泊まるか、つてがあるならその場所に宿泊するしかないんじゃない?」
ユティスが結論付けると――フレイラは小さくため息をついた。
「……けど、宿って」
「こんな上等そうな馬車を停めてくれる場所なんて、そう多くないし……街に入ってすぐ探さないとまずいかな」
言いながら、ユティスは窓から空を見上げた。日はまだそれなりに高いのだが、それほど余裕もなさそうだった。
「フレイラ様、もう一つ問題が」
そこで今度はナデイルが忠告する。
「式典が始まるのは、明日です……さすがに明日の昼馬車を城に向かわせるのは、城側の方々も飛び込みのようで心象を悪くするでしょうし、当日にそんな様子だと最悪式典に出席できないという可能性も。城に入り式典に出席できる刻限としては、門が開く早朝が限界でしょう」
「う、ということは今日中にどうにか体裁を整えないといけないわけね……」
フレイラは覚悟を決めたか、顔を引き締める。
「今日中にできれば城に行きたいけど……それは門を通らないと無理そうよね」
「まあ、それが理想ではあるけれど……」
ユティスが応じた時、いよいよ馬車が城門に辿り着いた。そこで簡単な検査を行った後、特に問題もなく中へと入る。
正面に見えるのは、広い道と坂。そして坂の上には一番目の門が出迎えている。
その周辺には多くの兵士――重要な場所であるため、その分警戒の度合いも強いらしい――
「ん?」
そこで、ユティスは声を上げた。何やら門の周辺で人がせせこましく動いていた。
「どうしたの?」
呟いたことでフレイラが反応し問い掛ける。ユティスは横の窓から見える範囲で正面を眺め、
「……門周辺で、何かトラブルがあったみたいだ」
断じると、フレイラは正面の窓から覗き見る。
「……確かに、何やら兵士達が動き回っている」
「行ってみる? あまり時間もないけど」
「そうね。騒動なら、それに乗じて色々できるかもしれないし」
フレイラは結論付けると、早速御者に指示。馬車は門から真っ直ぐ移動を始める。
やがて、門周辺から声が聞こえ始めた。一人が何やら喚いている様子で、それを取り成す兵士が動き回っている、というのが構図のようだ。
「あー、そういうことか」
フレイラが事情を察したようで声を上げる。
「きっと門を通ろうとした貴族が、なぜ開けられないのかと抗議しているんじゃないかな」
「みたいだね」
ユティスもまた頷いた――その時、
「うわ……」
小さく呻いた。
「ん?」
フレイラが反応。次いで口を開こうとした時、窓の外を見たセルナが言った。
「あの方……ベルガ様ではありませんか?」
「ベルガ? 確か、私と同い年で貴族達から評判の高い……」
「そうだよ」
ユティスは苦い表情をしながら同意した。
――そういう表情をするには理由がある。彼の名はベルガ=シャーナードといい、ユティスと隣接する土地を領土に持つ貴族の嫡男である。武芸に秀でており、特に魔法の中でも『武装式』と呼ばれる技法を習熟し、非常に評判も良く数多くの魔物を倒したという実績もある。
隣同士ということでユティスの領地にも少なからず出入りがあり、兄弟とも親交があった。その中で彼は、病弱なユティスに対し事あるごとに嫌味を言ってきたのだ。
(できれば、会いたくないな……)
このまま素通りしてくれないかと心の中で思っていたのだが、フレイラは興味を抱いたのか、
「降りましょう」
ユティスにとっては冷酷な提案を告げた。
きっと言っても聞き入れてはくれないだろうと思い、ユティスは半ばあきらめた気持ちで「いいよ」と応じる。
やがて馬車は止まり、口論をしている現場をしかと目にできた上、声も聞こえた。
「ですから、どんな方であっても許可なくお通しすることはできません」
門番の兵士はそう告げるのだが、ベルガは不服そうに返答する。
「お前達……私の言うことが聞けないのか!?」
(……これだよ)
ユティスはその一言で彼の傲慢ぶりをしかと思い出す。貴族や、ひいては王族に目を掛けられているため、あらゆる物事が自分の思い通りになると思っている。
「なるほど、ああいう人物なんだ」
フレイラも納得の表情。ユティスは「そうだよ」と答えつつ、改めて彼を観察する。
白い貴族服を着た、金髪の男性――さらに華々しい雰囲気に加え、顔立ちもどことなく気品がある。ここまでくれば文句のつけようもない人物なのだが、言動がずいぶんと高圧的であるため、ユティスは損しているとずっと思っている。
「……ん?」
その時、ベルガは後方にあるユティス達の馬車に気付いた。
「何だ? 式典参加者か?」
あくまで高圧的に告げる彼。それにフレイラは小さく肩をすくめ、
「とりあえず、話をしてみようか」
ユティスの目を見て言った。
「……僕も、出なきゃ駄目?」
「会うのが嫌であれば、私一人でも――」
と、言ったところで彼女の目が鋭く光った。
途端、ユティスの背筋に言いようもない悪寒が走る。もしベルガと正面から話し合わせたとしたら――どちらかが剣を抜いてもおかしくない。
(……仲裁役が必要だな)
ユティスは自認すると共に、彼女へ提案する。
「えっと、彼とは知り合いだから、僕が取り成すよ」
「先ほど嫌な態度を示したということは、あまり良い御仁ではないんだよね?」
確認の意味を込めてか、フレイラが尋ねる。ユティスとしては答えにくかったが、正直に話さないとまずいだろうと感じ、首肯した。
「うん……よく体のことを――」
「馬鹿にされていたと」
「……ニュアンスはちょっと違うけど」
ユティスがそう述べた瞬間、フレイラは笑った。
「わかったわ……とりあえず、相手の出方を窺うことにしようか」
「うん」
頷いたユティスに満足したか、フレイラは一度笑みを浮かべた後馬車を降りた。次いでユティスも地上に降り立った。