彼女の選択
「お姉……ちゃん」
アリスに抱きかかえられながら、イリアは言葉を零す。傍らでユティスはじっと彼女を見据え、どういう結末を辿るのか痛い程わかっていた。
それはアリスの目にも明らかなことで――彼女の瞳は、苦悶に満ちていた。
魔力が消えかけている――今、不死者としての彼女の命が、終わる。そうした中で、イリアは姉へ話す。
「ごめんね……私……」
「イリアは悪くないよ! 悪いのは、全部イリアを操っていた奴じゃない……!」
抱きしめ、アリスは叫ぶ。気付けば彼女の目には涙が浮かんでいた。
「私……本当は、ずっとこうして魔法を使えたの。それを隠していて……結果として、イリアを……」
「……そっか」
姉に抱きしめられながら微笑むイリア。その笑みには一体どんな意味が込められているのか――彼女の優しい表情を見て、ユティスはやるせない気持ちになる。
「本当なら……本当なら、私が、あの時魔女だと言われるべきだったのに……!」
「……お姉ちゃん」
叫ぶ姉に対し、イリアは表情を変えぬまま語る。
「ありがとう……私を救ってくれて」
「違うよ……違う……!」
首を振るアリス。それ以上彼女自身言葉を成すことができず、妹を抱きしめる強さだけが増していく。
やがて、イリアの目が閉じた。力が無くなっていくのがわかったのか、アリスの表情がはっとなった。そして慌てて妹から体を離し、問い掛ける。
「イリア……?」
声が震えていた。だらりと体が傾き、意識を手放したのだとユティスは認識する。
同時に、彼女の体から漏れていた魔力がどんどんと少なくなっていく。もうその体に力は残っていない――その時、アリスが妹を床にゆっくりと下ろした。
なおかつ彼女は涙を拭い、妹を見据える。その所作はしっかりとしていて、ユティスが顔を窺うと決意に満ちた瞳をしていた。
だからユティスは彼女へ呼び掛ける。
「アリス……? どうしたんだ――」
「まだ、終わっていない」
呟くと同時に、彼女は両手を妹へとかざす。そして唐突に詠唱を始めた。直後、彼女の体が魔力が溢れ出る。
所作にユティスは驚く。近くにいたロランや、オックス達もまた驚いたか目を見開き、アリスを注視する。
魔力がどんどんと高まっていく。するとアリスの顔が少しずつ苦しいものへと変わっていく。先ほどの交戦で彼女もかなりの魔力を消費した。それにも関わらず多量の魔力を使う魔法を使おうとしているため、体の底から魔力を絞り出しているのが明確にわかる。
一体何をするつもりなのか――ユティスが声を上げようとした時、
「宿せ――天の魂!」
声に、彼女の両腕に魔力と光が収束する。ユティスはさらに声を上げ、オックス達も何事かと反応を示した時、
光が消える。残ったのは、胸を押さえるアリスの姿。
「……アリス?」
「――駄目、か」
奥歯を噛み締める彼女。呼吸を整え、何も説明しないまま再度詠唱しようと口を開きかけた。
けれど、その寸前彼女は思い直し、ユティスを見る。
「……ユティスさん、少しでいい。私の魔力を、増幅させる魔具を創って」
「え……?」
要求に、ユティスは戸惑う。
「アリス? 一体何を――」
「本来なら、私が魔女だと言われ死ぬべきだったの」
視線を交わす。疲労が色濃い顔の中でも、決意に満ちた瞳は変わらなかった。
「妹は私に間違われて殺され、私と間違われて不死者となった……だから、私がその報いを受けないといけない」
「ちょっと待ってくれ、それって……」
ユティスの言葉に、アリスは瞳の強さを変えずに語る。
「ルエム学院長にお願いした……私は妹を救いたい。私の体や意識はどうなってもいいから、妹の意思を救ってほしいと」
――ユティスは、彼女が心転系の魔法を使用しているのだと察した。
これは禁術の一つに指定されているもの――それほど数は多くないが、他者と意識を逆転させる魔法というものがこの世には存在する。禁止される理由は、魔法を使用した以後反作用などにより人格が崩壊するなどの危険性の他、人格を入れ替えるという手段が非人道的であるという倫理的な観点も存在する。
こうした禁術指定は近年に入ってから。それ以前にはスランゼルにおいて魔法が開発されていた――ここでユティスは図書館で、アリスが魔術師と行動していたのを思い出す。
おそらくあれは、この魔法を憶えるためのものだったのだ。
だがこうした魔法はかなり難易度が高く、魔力の消費も大きい。潜在的に魔力が多いアリスならば魔力が底をつくことはないはずだが、難易度についてはどうしようもない。
そしてユティスはアリスの要求に頷くことができなかった。あくまでこの魔法は他者と人格を交換するだけ。ここに、大きな問題がある。
今回の対象はアリスの人間としての体と、イリアという不死者。ユティスもそう知識があるわけではなかったが、前例がないだろうと思う。そもそも、こうした魔法を扱うにしても人間が不死者と入れ替わるなんて真似はしないはず。だから成功するかどうかわからないし、さらに言えば成功したとしてもアリスは――
「……それは――」
「お願い」
涙を零しそうな表情で、アリスは懇願する。そしてすがりつくようにユティスの袖に手を伸ばし、握る。
「成功するかもわからないのはわかっている……魔術師からも低いと言われた。けど、私は妹を少しでも救うために……こんな、不死者として終わらせたくないの。お願い……」
「――ユティス」
そこに、オックスが口を開く。
「ヤバいことをやろうとしているのか?」
「……人の心を交換する、心転系の魔法だ」
「聞くだけで危なそうだな……つまり、アリスは妹の意識を自分の体に?」
「ああ……でも、それをすれば――」
ユティスはアリスと目を合わせる。痛切な表情を見せる彼女。
だがユティスは承諾できなかった。彼女の考えは理解できる。しかし、成功するということは彼女が不死者の体に移るということになり、それは死を意味する。
だから、ユティスは首を振ろうとした。けれど、彼女はどう応じるのか理解したのか、声を上げた。
「……わかった。もういい」
同時に詠唱を始め、ユティスが叫ぶ。
「アリス!」
肩を掴む。だが彼女は止まらない。今度は内なる魔力を根こそぎ引き出したのか、先ほどよりも明らかに魔力が強かった。
ユティスは止めようとしたが、呼び掛けることができなかった。なぜなのかはわからない。本当ならば妹と引きはがしてでも止めるべきだった。けれど、先ほどまでの悲しげな彼女の表情が蘇り――二の足を踏んでしまった。
その時間で、アリスは魔法を完成させる。手順が飲み込めたためか先ほどよりも収束が遥かに早く、ユティスが止めるべきだと思った矢先、彼女は最後の言葉を告げた。
「宿せ――天の魂!」
絶叫。それと共に再度魔力が彼女の両腕から発せられる――ユティス自身、魔力の多寡によってこの魔法が成功するのかまったくわからない。けれど彼女は、文字通り魔力による力押しで魔法を発動しようとしている。
ユティスはここで止めようとした――が、完全に手遅れだった。
魔法が、イリアへと収束する。それをただユティス達は眺めるしかなく――やがて、
「っ……」
アリスの体が傾く。ユティスは反射的にその体を支え、
「アリス……!」
「……ん」
声を上げる彼女にユティスは顔を覗き込む。目を細め、自身の状況を確かめてているような状況。
次にイリアへ視線を送った。不死者としての体が最早動かず、体の内にあった魔力ももう底をついている。
「……これ」
やがて、アリスが声を出した。ユティスが再度視線を送った時、その瞳がイリアの体に向けられていることに気付く。
「これは……私?」
「え――」
視線の先にある不死者としての体を見て――そしてユティスは、問い掛ける。
「まさか……イリアなのか?」
声に、彼女は体を一度震わせた。
「わた、し……」
ユティスは再度不死者の体を見る。動かない。ここにイリアがいるのなら、アリスはそちらに移った。そしてそれは――
ユティスは体の内に怒りに近い感情が湧きあがった。アリスの望み通り、イリアは姉の体を受けた。果たしてこれが良い結末なのかわからない――けれど、アリスが詠唱を行う間に、もっと、何か方法があったのではないか――
そうユティスが思った時、イリアが突如声を上げた。
「え……あれ?」
「……どうした?」
ユティスが問い掛けると、彼女は戸惑った表情を見せる。
「お、お姉ちゃんの……声が、頭の中から」
「え……?」
ユティスはイリアと視線を合わせる。困惑しきった彼女の瞳。
「アリスの意思も、そこにあるのか……?」
ユティスが問い掛けると、彼女――イリアは、小さく頷いた。
「不死者だから、魔法が成功しなかったのか……? でも、こうしてイリアの意識は移っている……」
これが成功なのかは判然としない。しかし、魔法によってイリアの意識はアリスの体に移り、そしてアリスの意識はどうやらまだ、体の中にある。
姉妹の意識が死なずに済んだと解釈すれば、良い結末なのかもしれない――だが、ユティスは不安だけが残る。人間と不死者が意識交換という前例のない出来事。なおかつ、一つの体に意識が二つあるという前例のない状況。ほんの数秒後、姉妹の体か人格が壊れてもおかしくないのでは――
「……戻ろう」
次に声を発したのは、ロランだった。
「彼女達が至った結末は、ここで検証することはできない……問題があるのかないのか、この魔法に詳しい教授に問うしかない」
「……そう、ですね」
教授でもさじを投げるのではとユティスは思いつつも、ロランの言葉を聞き続ける。
「そしてイリアの体やグロウの遺体は……こちらで処理する。幸い、部下も復活し始めたからな」
ロランは広間にいる面々に視線を送る。倒れていた騎士や魔術師はほとんどが復活し、事の推移を見守るような段階になっていた。
「そして地上に戻り、君の策が成功しているかも確認しないと」
「……はい」
ユティスは頷き、地上のことを考える。まだ大仕事が残っている。
もし――交戦したグロウの弟子の異能が推測した通りであれば、おそらく捕らえているはず。その人物と話をする。もしくは捕まっていないのならば、対応をしなければならない。
「戻りましょう……歩ける?」
ユティスの問い掛けにイリアは頷き、立ち上がる。さらにロランは周囲の騎士達にいくつか指示を行い――やがてユティス達は、移動を開始した。