都へ行く口実
「っ――!?」
フレイラと唇が重なった直後――何が起こったのかユティスには一瞬理解できず、体を硬直させる他なく、
「――フレイラ様、お食事の件ですが」
背後から聞き覚えのある声――セルナがノックもせずにこの部屋を訪れ、ユティスは最悪の状況になったと悟った。
「あっ……」
ユティスには彼女がどういう表情をしたのかは一切わからなかった。けれど、その声音だけで彼女が手で口を覆い、狼狽えている事だけは明確に悟った。
「し、失礼しました~」
彼女は引き下がり扉を閉める――ユティスとしては、唇の感触よりもそちらの方が気になってしまう。
「……ふむ」
そこでようやく、フレイラとユティスの唇が離れる。
「これで契約は終わりだけど、面倒な事態になったね」
告げた直後、ユティスに変化が起こる。指輪をはめた中指が、突如熱を持った。
「え……?」
見ると、埋め込まれた宝石が発光していた。これが、契約の証だろうか。
「契約、といってもそんなに複雑なものでもない。この契約は私があなたに危害を加えることができなくなるのと、特定の魔法を使用した上で指示をすれば、私があなたの命に従うということなのだけれど……」
「あの、なんで……?」
「キスしたかってこと? これが一番拘束力が高くなる方法だから。あなたも魔法が解けにくい方が信用するでしょう?」
語ったと同時に、彼女はユティスを一瞥。
「……まあ、あなたが私に指示をする光景を見られると怪しまれるだろうし、とりあえずその魔法は保留ということでお願いするよ。今は危害を加えないということだけで我慢して」
「別にいりません」
ユティスは断じると共に、小さく息をついた。
「それで……あの……」
「さっきのメイドさんのこと? それはもう、すごい驚きようだったけど」
「……どうするんですか、これ」
「そうね……というか、口実としては良いかもしれない」
「口実?」
「あなたがこの屋敷を離れる口実」
彼女は笑う。ユティスとしては、嫌な予感を抱くしかない。
「そんなに難しいことじゃない。私はあなたに一目ぼれしたということにして、是非ともあなたのお父様に認めてもらうべく一緒に式典を訪れる――」
「ええ……」
思わず声を上げた――が、理由として良いと思ったのか、フレイラは腕を組み何度も頷いた。
「よし、これなら完璧ね……というわけでユティス君。悪いけどこれからそんな感じで頼むね」
彼女は軽快に笑い、ユティスに告げる。
表情は天真爛漫といった様子で、邪気は一切なかった。ユティスとしてはそういう態度だと何も言及できず――ただ、頷くしかなかった。
「と、いうわけで彼を都に連れて行きたいのだけど、いい?」
夕食の折、ユティスは対面で食事をこなす、黒い騎士服姿をしたフレイラの言葉を聞きながら、食事を進めていた。
彼女が話す相手は、ユティスの横に立つセルナと、彼女の背後に立つナデイル。反応としてはセルナが無言と驚愕。そしてナデイルが憮然と呆れ――彼の態度からすると、こういう突発的な行動は日常茶飯事なのかもしれない。
「……私達としては、ユティス様の見解に従う他には」
セルナは困った顔つきでフレイラに返答。当然ながらユティスの世話をする人間とはいえあくまでメイド。主人の意志があれば、それに従うしかない。
「……ふむ」
一方のナデイルはユティスを見ながら表情を戻し、何やら考え始めた――突発的な行動だと考えた後、フレイラの目論見を察したのかもしれない。
「ユティス様は、どうお考えですか?」
その間にセルナから問い掛けが。ユティスとしてはフレイラに請われた以上、式典に行くために同意せざるを得ない。しかし、せめてもの抵抗で消極的な言葉を告げる。
「……彼女は強情のようだし、何より父が許すとは思えないけれど――」
「そうかしら?」
ローストビーフを口に運びながらフレイラは言う。笑みは「何が何でも認めさせる」という強い意志がみなぎっているようにも見える。
(演技なんだろうけど、迫力あるなぁ)
胸中でユティスは思う。まあどういう経緯はあれここまで話した以上引っ込みもつかない。だから、
「……ひとまず、彼女が納得するまで付き合うことにする」
ユティスが述べた。するとセルナは覚悟を決めたのか、
「わかりました。では、こちらも準備いたします。明日に備え馬車の用意も――」
「その必要はないよ。私の馬車で、都まで向かうことにするから。一緒に向かいましょう」
平然と言ってのけたフレイラに、セルナは驚き言葉を止めた。
ユティスとしては事の推移を見守る他ない。セルナとしてはユティス自身の体調面もあるのであまり他人と乗合というのは――と考えるはず。しかし、
「……わかりました」
セルナは小さく息をつきつつ、承諾した。
「ただ私はユティス様のお世話をしていますので、必然的にお付きすることになりますが」
「そうね。馬車の定員は残り三人くらい……二人なら、同行できる」
「では……ユティス様、それでよろしいですね?」
「ああ、いいよ」
ユティスは頷き、話を決する。
(都かあ……)
ユティスは内心、騒動が起こるのではないかと危ぶんでいた――それはフレイラの話す事件に関することではない。もっと、個人的なことだ。
都には現在、両親と出来の良い兄弟達がいる。加え、ユティスの知り合いもいる。こういった面々と遭遇すれば、トラブルになる可能性もゼロではない。
より具体的に言えば、魔術師として学問を学んでいた時の同期生や、領地内で催されたパーティーなどで交流のあった者。さらに屋敷に滞在した貴族などが該当する。ただその全てが他の兄弟より劣っているユティスを見て、関わろうとしなかった。さらに時には侮蔑の対象にすらなった。
王家の遠縁であり出来の良い子供がいるとなれば、やっかみの一つも生まれる――その中で少しでも溜飲を下げるべく存在しているのがユティスであった。さらに言えば病弱で出来の悪いユティスは両親から見れば快く思わない存在であるし、そうした空気が他の貴族達にも伝わっている。結果、他の地方にいる領主の子息などにも影響が出て、ユティスを馬鹿にするような人間も出ているというわけだ。
もっとも、ユティスはそれを苦痛と感じることは少なかった――あきらめにも似た心情で無意識に誤魔化している、と自身では思っている。とはいえそうした人の多い都に行くということは、どこか気が退けた。
けれど今更そんなことを主張しても仕方ないし、だからフレイラが行くのをやめると言い出すこともできない。
「では、そのような形で」
フレイラが締め、話が終わる。後はただ、食事の続きをするだけだった。
けれど、食事の後話の続きがあった。
「ユティス様」
自室でユティスが出発の準備をしていると、ノックも無しにセルナが入って来た。
「セルナ……ノック」
「申し訳ありません。それに、思わぬ光景を見てしまいまして」
少し委縮しつつ話す彼女に、ユティスはなんとなく「今度から気を付けるように」と言うことも躊躇われた。その間に、
「あの、一つご質問が」
「……何?」
そこでセルナは間を置き、話すタイミングを窺うように佇み、
「……どのようにあの方を籠絡なさったのですか?」
――その言葉の瞬間、ユティスは脱力した。
「ユティス様?」
(……大変そうだな、これ)
一目ぼれした、などと理由をつけたはいいが、こういう質問が事あるごとにやってくるのだろう。惚れたという立ち位置となったフレイラに、ユティスは大丈夫なのかと危惧を抱きつつ――この場は、無難な言葉で応じることにしたのだった。