復讐者の要求
「なあに、そう難しい話じゃない。要求さえ聞いてもらえれば、私も手荒な真似をするつもりはない」
ユティス達が戦い出す少し前――グロウはルエムと向かい合ってそう告げた。
「ただ要求を断った場合は……容赦するつもりはない。私の機嫌を損ねるようなことがあれば、君の命はないものだと思ってくれていい」
語りながらグロウは右手に握る白い木製の杖を揺らす。すると、それを見た魔術師の一人が声を上げた。
「その、杖は……!」
「推測通り、学院に眠っていた魔具だよ……早速、一仕事してきたというわけだ」
アリスはその杖を注視。多大な魔力を感じ取ることができた――いや、その表現は少し違うような気がした。
杖の周囲に、淡い魔力を感じ取ることはできる。おそらくグロウがこれ見よがしに杖の力を発揮している――さらに目を凝らすと、杖は周囲に存在する魔力を収束しているように感じられた。
(あの杖は、大気に存在する魔力を集めているとでも言えばいいの……?)
アリスは胸中呟きつつ――思案する。一仕事ということは、彼自身学院に入り込んだ後あれを手に入れるつもりだったのだろう。そして目論見通りそれを手に入れた――その狙いは果たして何なのか。
視線を戻す。現状アリスの目の前には傀儡となった妹がいる。だからこそ迂闊に手出しできない――いや、魔法を上手く使い、グロウだけを倒すことも可能かもしれないが――
「言っておくが、君は手出ししない方がいい」
グロウが話す。名は告げなかったが、アリスに対し警告しているのは間違いない。
「来たとしても、君の妹を盾にするだけだ……負けるつもりもないし、さらに言えば君が本気を出せばルエム達がどうなるのか想像すればいいだろう」
そこで一拍置いた。間違いなく、笑みを浮かべている。
「……下種が」
「そうだな」
吐き捨てるように告げたアリスに対しあっさりとグロウは同意し、改めてルエムへと話し出す。
「さて、まずは簡単な要求からいこう。扉を閉めてもらえないか? 開けっ放しは魔力探知などで気付かれる恐れもあるからな。ここでさらなる邪魔立てがあっても面倒だ」
要求に、ルエムは答えない。するとグロウは杖を振りかざし、
「――お前達、やれ」
そこで指示。魔術師の一人がルエムの指示に従い扉を閉める。
ルエムはさらに視線を厳しくする。一方のグロウは、アリスから表情が見えなくとも落ち着いているのがわかる。
「そういえば、『魔術師殺し』の剣はどうした?」
ふいにルエムが問う。そこでアリスも確認するが、イリアもグロウも握ってはいない。となると、フレイラ達が遭遇した彼の協力者が所持しているのか。
「さあ、どこにやったのだろうな」
肩をすくめるグロウ――次いで、軽く杖を振った。
途端、彼の横に魔力が滞留する。魔術師達が警戒を示した瞬間、それが一気に形を成し、鎧騎士へと変貌する。
「何……!?」
それを見たルエムは、驚愕の声を漏らした。
「馬鹿な……不死者を圧縮する技術だと!?」
「お前達がのうのうとくだらん研究をしている中で、私は大いに進歩したというわけだ」
グロウは愉悦を交えた声で答える。その間に鎧騎士は剣を構えイリアと共にアリス達と対峙する。
「さて……護衛が二人になったところで、私も心置きなく話ができるというものだ。私としては、お前達に感謝しなければならないな」
「何?」
「カールの研究成果の中に面白いものはあったか?」
声に――ルエムは不快の声を漏らす。
「それを訊いてどうするつもりだ……?」
「いや、単に感想を聞きたいのだよ。カールの失態を利用し研究室を荒らしたのだろう? その成果は如何ほどだった?」
問い掛けに――ルエムの顔に、ヒビが入った。
「まさか……貴様」
「カールが出てくるとわかった時点で、それを利用したまでだ」
彼は嬉々として喋る――アリスにとって、ひどく耳に障る声音。
「私達は目的のためどの道実験をしなければならなかった。そうなれば当然、騎士団や宮廷魔術師が動くのは間違いなく、素性を隠し続けていれば最大限の警戒を行い、このスランゼルも厳戒態勢になっていただろう。しかし私という存在が露見し、目的を知れば……不死者しか生み出せない私を甘く見て、学院――というより、ルエム。お前が楽観視すると読んでいた」
言葉に、ルエムは凍りつく。
「そこからの推測は簡単だった。襲撃したとしても問題ないとお前が判断すると思っていたし、実際長であるお前が判断した以上、現在の学院は厳戒態勢と程遠いものになっている。さらに言えば私は、お前達の目の前にカールの研究室という餌を置いてみせた……間違いなくそちらに食いつくと思っていたよ」
つまり、結果として魔導学院側が油断するパターンに持ち込まれたということ――実際、こうしてグロウの侵入を許してしまっている。
「まあどっちにしろ手立てはあったのだがな……お前達の行動力には恐れ入る」
苦笑。対するルエムは歯ぎしりしそうな程に顔を歪ませる。
「手立てはあったにしろ、私の存在が認知されていなければ潜入するのも楽ではなかっただろうな。そうなれば、こうして話すことすら難しかったかもしれん。もっとも――」
と、グロウは両手を広げた。
「お前達がここに城の人間を招き入れる可能性は低いと思っていたが……私としては確実性のある手段として、カールを利用する方を選んだわけだ」
「……何が、目的だ?」
問い掛けるルエム。
「ここまで来て話をする以上、単なる復讐ではなさそうだな」
「まあ、そういうことだ……それだけだと思わせ油断させることも、私の考えの内だったわけだ」
律儀にグロウは答え――次いで両手を下ろし、
「では要求をしよう……地下への鍵を渡せ」
「……っ!?」
その言葉に、ルエムは表情を凍りつかせた。
「まさか貴様……北部の騒動は――」
「そうだ。アレを不死者として復活させるための実験だよ」
アリスにとっては理解のできない会話。けれど、ルエムの声音は驚愕に満ち、なおかつグロウが様々な活動を行った上での要求。どれほどの事なのか、アリスも感覚的に理解する。
「こちらの目的は理解したようなので、再度要求するぞ。鍵を渡せ」
「それは……できん」
ルエムの声。それに対するグロウの返答は、鎧騎士をアリス達に体を向けつつも、一歩ルエムへ接近させることだった。要求を跳ね除ければ、鎧騎士の剣が――
「先に言っておくが、お前がここで渡さなくともいずれは私の手に入るんだぞ? 鍵がここにあるのは私も理解できている。極論、この場にいる者達を皆殺しにして探せばいいだけの話だ。遅かれ早かれ鍵は私の手に渡る……私は探す面倒さを省くと共に、お前に慈悲を与えているのだよ」
「慈悲、だと?」
「そうだ。生殺与奪の権利は私にある……これがずいぶんと面白い」
現状の優位を、楽しんでいる――おそらくルエムが驚愕する表情を見るのも、ここを訪れ交渉する理由となっているのだろう。
「……貴様は、私達を恨んでいるのではないのか?」
「恨んでいるさ。今この場で殺したい程に……だがまあ、カールの件を見て私は思ったのだよ。無様に死んだ姿を見るより、多数の失態で堕ちていく姿の方が面白いではないかと」
そこまで語ったグロウは肩をすくめた。
「お前にとってはどちらの選択も地獄だろうが……死にたくはないだろう?」
「ぐっ……!」
「そうだな、一分やろう。それで結論を出せ」
告げた直後、グロウは左手を動かす。背面しか見えないアリスには何をしているのかわからなかったが、やがて彼の手には懐中時計が。懐から取り出したのだろう。
「ほら、さっさと決断しろ」
声と共に泥のような沈黙が、室内に満ちる。アリスは動きたくともどうしようもない状況であり――ふと、イリアと目が合った。
「……イリア」
「呼び掛けても無駄だよ」
名を口にした瞬間、グロウは振り返る事もなく声を上げる。
「彼女の支配権は私にある……なおかつ以前遭遇した時よりもさらに強固にしてある。何を言っても無意味だ」
グロウはそう語った後、ルエムへ告げた。
「さて、回答を聞こう」
「……ぐ」
ルエムは呻き――そして、
「わかった……渡す」
「賢明だな」
ルエムの言葉に満足したか、グロウは一度振り返りアリス達と目を合わせ、
「そういうわけだ。悪いが君達は――」
告げた直後、ルエムが動いたのをアリスは見逃さなかった。
彼は手を振り、魔法を放つ。光弾であり、無詠唱魔法だとアリスが認識したと同時に、グロウへと迫り――
「予想通りだよ」
声と共に、鎧騎士がカバーに入った。魔法は鎧に直撃し――彼らは無傷。
「交渉決裂だな。お前が堕ちていく姿を見れなくて大変残念だよ」
「ま、待て――」
ルエムが言おうとした直後、鎧騎士によってその首が――飛んだ。
一時、部屋の中が静寂に包まれる。そして次に生じた音は、アリス後方にいる魔術師達の咆哮だった。
だが、次の瞬間イリアが虚無を宿した瞳を向け、腕をかざす。魔術師達が詠唱し魔法を放つよりも早く、その手から漆黒が生まれ、
アリスは直撃すれば死ぬと悟る。
「っ――」
短い声と共にアリスは本能的に後退した。目前の妹の背後には黒い悪魔が立っている気がして、さらに一時愛する妹が悪魔そのものである錯覚を抱く。
次の瞬間、漆黒が放出された。アリスは扉を蹴破り外へと出て、なおかつ自前の結界を張りながら廊下を転げ回った。刹那、虚無がアリスの頭上を通過し――そこで体勢を立て直して学長室の中を見た。
一瞬で全てが終わっていた。漆黒は室内を貫き魔術師は一人として立ってはいなかった。
そしてグロウが鍵を探し動き回る中、イリアと鎧騎士が唯一生き残ったアリスへ首を向けていた。
特にイリア――その瞳に宿す虚無を見て、アリスは歯を食いしばる。
「……必ず、助けるから!」
叫ぶと同時にアリスは背を向け走り出す。自分一人ではどうしようもない。だからこそ、頼れる人物達に伝えなければと思った。
攻撃があってもよさそうなものだがそれもこない。だから無人の野を駆けるようにアリスは必死に足を動かす。それと同時に周囲から魔力が発生する。それを感じ取ると共に悪寒を覚える。
不死者の魔法――それが今学院の中で発動しようとしていた。