正体不明
フレイラ達が下水道で人影を発見したのは、進入しておよそ二十分程経過した時だった。
最初に声を上げたのはティアナ。角を曲がったと同時に一瞬だけ姿が見えたとのことで――次いでオックスが駆けた。
足音は歩いていても下水道内に反響するため、オックスは居所がバレるのを構わず相手を確認することを選択したらしい――フレイラやティアナは一瞬遅れてそれに続く。
フレイラはそこで相手の攻撃を懸念したが――ユティスの『創生』によって生み出した結界の腕輪がある。もし奇襲があっても対応できると思いつつ、ティアナが人影を発見した場所に辿り着く。
周囲を見回してみるが、人はいない。気配を探ってみるがそれもなく、フレイラは息をついた後呟いた。
「学生が、こんな所には来ないよね」
「だと、思います」
反応したのはティアナ。
「……とはいえ、相手の足音なども聞こえませんし……私が見たのも気のせいかもしれません」
「いや、敵がいると考えた方がいいだろ」
オックスが言う。その表情は厳しいもの。
「潜入する以上、音だって何かしら対策を施している可能性も考えられる」
「確かに」
フレイラは同調し、気を引き締める。
「もし敵がここにいるとしたら、やはりここから侵入してきたことになるけれど……」
「ティアナさん、一瞬だけ見た格好はどんな感じだった?」
オックスの問い掛けにティアナは少し考え、
「……おそらく、ローブ姿ではないかと。それと見えた人数は、一人でした」
「グロウならともかく、弟子らしき人間なんかだと上に行けば学生に紛れてわからないかもしれないな……一度報告に戻るか?」
「どうしようか……」
フレイラは呟き――頭の中で思考する。
敵は現在どう動いているのか……もし下水道にいるのが一人であれば、退路を確保している人物だろうか。そうであったとしたなら、グロウは既に学院内に入り込んでいるという結論が導き出され――
「とりあえずユティス達と合流しよう……向こうの調査の方は一度中断して、警戒に当たらないと」
「だな……それじゃあ、行くとするか」
フレイラの言葉にオックスは同調し、三人は動き出す――刹那、
ザアア――と、真正面から水の流れる音。下水道の中ではさしておかしいことではないはずだが、単に水路を流れる音とは違う気がして、フレイラは気になって前を注視する。
正面は右に曲がる道と、水路を左へ横断する小さな橋が一つ。その奥には浄水施設へ流れていく水――そこで一つ、違和感を覚える。
水量が、少なくなっているような気がした。
「……どうした?」
オックスが問う。それにフレイラが答えようとした時――さらなる水音と共に、突如水路から水がせり上がる様を見て取った。
「え?」
ティアナが呻く。同時、水路にある汚水が――フレイラ達へ意思を持つかのように襲い掛かる――
「――守れ!」
反射的に叫んだのはオックス。すぐさま通路一杯に結界を構築し、続けざまにフレイラも叫び二重の結界を成した。
直後、結界に衝突する汚水。それは大蛇のように轟き、まるでフレイラ達を食らい尽くそうと結界の向こう側で蠢く。
「おいおい……水を操っているってことか?」
「どうする?」
フレイラは二人へ問う。
「こうして襲い掛かって来たということは、敵は間違いなく近くにいるはずだけど……」
「敵から仕掛けた以上、このまま戦うのも一つの手だが……」
オックスは呟き思考し始める。対するフレイラは、さらに続ける。
「水はどうやら魔法で生み出した存在ではないみたいだし、さらに魔力で特別な処理をされているわけじゃない……単なる水なら結界でどうにでもなるし、勝機はあると思うけど」
――汚水は今の所結界を破壊する様子はない。これは水が魔法とは異なる純粋な『物質』であるためで、魔力の結界を破るためには魔法で生み出した物質か、汚水に魔力を加える必要がある。
「ここで時間稼ぎをするつもり、なんて可能性は考えられないか?」
オックスが結界を制御しながら問い掛ける。すると今度はティアナが反応した。
「時間稼ぎ……ですか?」
「グロウ達を心の底から警戒している人間というのは、この学院内で俺達だけだろうし、敵もそんな予想をしている可能性が高い。で、下水道を移動している際に俺達と出くわした。敵としては釘付けにしておきたいところじゃないか?」
「確かに……とすると、今遭遇している敵はグロウではないですよね」
「だろうな。グロウであれば、こんな所で引っ掛かるよりさっさと復讐を果たすべく動くだろうし。そう考えると奴の近くにいるアリスの妹である可能性も低い」
そこまで言及すると、オックスは結界越しに轟く汚水を見据える。
「相手は水を操る……戦う気があるようだし、もしかすると時間稼ぎと言わず潰すつもりなのかもしれん」
汚水はなおもうねり、フレイラ達へ襲い掛かろうとしているが、やはり結界を破壊する様子はない。とはいえ結界がなければ、水に飲みこまれ窒息死してもおかしくない。
「敵は、水を操ることができるということでしょうか……けれど、ここまで的確に制御し、なおかつ魔力をあまり感じられないというのは――」
ティアナの発言に、フレイラはとぐろを巻く水を見据える。これは、もしや――
「……ともかく、どう立ち回るかが問題だ」
フレイラの思考を遮るように、オックスが発言する。
「このまま戦うか、それとも一度退き報告やユティス君達と合流するか……どうする?」
フレイラは言葉を聞きつつ結界を維持し、魔法の知識を引っ張り出し思考する。
そもそも物体を操作する魔法というのは、あまりポピュラーではない。なぜかというと物質を操作するよりも、同量の物質を魔力から生み出す方が効率が良く、制御もしやすいためだ。
無論、物質を魔力で生み出す以上、魔法を発動する時点でそれなりの魔力は必要となる。しかし、操作する場合は物質を維持するために継続して魔力を放出する必要がある。魔力により物質を生み出した場合はその物質は術者本人が生み出したものであるため制御も容易い。けれど、外界の物質を操作する場合そう簡単にはいかず、最終的に操作する魔法の方が大量に魔力を必要とする。
結界を維持し阻んでいる現状だが、その間も制御を一片たりとも失わず、水は渦を巻いている――これは術者とすればかなりの魔力を所持していると考えていい。
フレイラはここで背後を確認。今の所挟撃する様子はない。逃げるのであれば、今の内。
「……敵が」
考えをまとめ、フレイラは口を開く。
「敵がこうまで水を制御できているということは、相当な魔力を持っているか、それとも『彩眼』の能力により動かしているか……昨日アージェさんから聞いた念力の話もあるし」
「なるほど、な……それじゃあ逃げるか」
「うん……正直どちらの可能性だとしても、分が悪い」
倒しておくべきではないか――フレイラもその策を検討したが、相手はどうやら水を操ることに慣れている様子。となれば水が潤沢なこの場で戦うのは危険だと思ったし、なおかつ相手の目的もわからない――加え、上の状況を把握する必要もある。
「オックスさんの言う通り、時間稼ぎの可能性もある……引き上げよう」
「よし、丁度逃げ道もある。行くぜ」
オックスの視線の先――通路を多少逆走すると、上へと続く階段が。フレイラは頷くと同時に、結界を維持しながらじりじりと下がり始める。
ある程度距離を置くと結界を維持できなくなる――しかし、結界から離れた分だけ水が迫るまでに余裕ができる。その時間を利用し、一気に走り抜ける。
そして――フレイラは結界が外れると思った瞬間、
「今だ!」
オックスが叫び、同時に結界が解除。水が、襲い掛かってくる。
フレイラ達は即座に走る。ティアナが一歩遅かったため、フレイラは自身の『強化式』の力を利用し、腕に彼女の体を抱え走った。
「っ……フレイラ様!」
「黙って!」
全力で走るフレイラ。もうすぐ出口――そうした時、
正面の通路からも、同じように汚水がせり上がる光景。それはすぐさまフレイラ達へと襲い掛かる。
「ちぃっ……!」
舌打ちしたオックスは、剣を抜くと同時に刀身に炎を注ぎ、走りながら剣を振った。それにより魔法の炎が出現。水と炎は正面衝突し、一時水をせき止めた。
「今の内!」
オックスが叫ぶと同時にフレイラは出口へと飛び込み、階段を駆け上がる。次いでオックスも階段を上り――水は、追ってこなかった。
フレイラは階段を最上段まで上り、扉を目にして小さく息をついた。僅かながら呼吸が荒くなり、抱えていたティアナを横に立たせる。
「ありがとうございます」
「いえ、大丈夫」
ティアナの言葉にフレイラは呼吸を整えながら応じ、視線を下へと向ける。オックスが警戒している様子が見えた。
「……とりあえず攻撃してくる気配はないな。下水道から追い払いたかっただけなのかもしれない」
「けど、どちらにせよ侵入者がいるのは間違いない……合流と合わせ、急いで学院長に報告しないと」
フレイラは言いながら扉に手を掛けた。鍵は掛かっておらずそれを開くと、何もない部屋が一つと、正面に扉。
「さて、ここは一体……」
フレイラは呟きつつ扉に近寄り開ける。そこには廊下が一つ。どうやら建物の中らしい。
「で、ここからどうする? 一度外に出てユティスさんと合流するか? 先に学院長へ報告するか?」
「まずは学院長の方が良いかも」
フレイラはオックスの言葉にそう答え、足を動かそうとした。その時、
「……こんなところで会うとは思わなかったな」
声――視線を転じると、廊下に人。
「……あなたは」
男性の魔術師――銀髪とツリ目が特徴で、やや薄い青色のローブを着込んでいる。
「私はあなたを知っているが、あなたは私のことを知らないだろう」
そう告げた男性は、フレイラへ告げる。
「自己紹介を。私の名はフリード。フリード=ウェッチェンだ」
レイルから聞いた名前――少なからずフレイラは驚くこととなった。