事件前の話と、魔導学院
「――つまり、現状ではどうしても魔力が足りない、というわけか」
どこか鋭い声音で話す男性に――ヘルベルトは、小さく頷いた。
不死者出現の事件が始まる前――場所は拠点にしている屋敷の一室。二人は傍らにある机の上に置かれたカンテラ以外光源のない暗い部屋の中で、話をしている。
ヘルベルトの目の前には男性の姿――なのだが、暗がりで表情をほとんど見ることができず、その口調に反するような小奇麗な旅装姿がずいぶんと奇妙に見えた。
「グロウ教授は目的を果たすために学院に侵入する……その計画はまあいいとしても、そこに到達するまでの準備が難儀だという話だな?」
男性の言葉に、ヘルベルトは首肯した。
「ああ。一番の問題は魔力だ。学院にある魔具……教授の言う通りの物があるなら、それを手に入れて以後は教授一人でも問題なく事は進められるだろう。だが、そこに至るまでをどうするかが問題だ」
「魔石は使えんのか? お前達はそれなりの数を保有していたはずだろう?」
「その中で潜入に使えそうな物はあるが……その魔石はこれから行う実験で消費する可能性が高い。だから迂闊には使用したくないな」
「なるほど、そうなると確かに準備の過程で課題が残るわけか」
男性は肩をすくめる。対するヘルベルトは目を細め、
「再度話を整理しよう。大地に干渉する不死者の魔法により、大地そのものの魔力を変質させる……実験の意味合いもあるが、変質した魔力により遠隔的に不死者を生み出すことも可能だ。これにはスランゼル魔導学院も対処を迫られるだろうから、上手い具合に陽動となる」
「密かにやる、というのは難しいんだな?」
「実験自体どうしても派手になってしまうからな……そうした実験が必要である以上、本来の目的を察知されないよう派手に動いた方がいいだろう」
「なるほど。だが、さすがにこっちの素性がバレるのはまずいだろう? その辺りの対処はどうするんだ?」
男性の問い掛け。彼は闇の中で腕を組み笑っている。
「……教授の正体がバレたとしても、逆に好都合だろう」
「どういうことだ?」
「学院の連中はおそらく逆に甘く見るはずだ。所詮は追いだした死霊術の研究者……潜入に確実性を加えるためにはもう一押し欲しい所だが……これは、状況を見て色々と画策すればいいだろう」
「そうか。で、話を戻すが、目下最大の問題は魔力だと」
「ああ……そもそも土地の魔力を変質させるだけの魔法を使用するとなると、魔石だけでは足りない。膨大な魔力を保有する術者がもう一人はいる」
「以前語っていた生前の姿のまま復活させる不死者の魔法はどうなんだ?」
「高名な魔術師の墓を暴くことも可能ではあるが……魔力の大きさとなると、名声と比例するというわけではないだろう。不死者を復活させること自体は難しくないが、復活させた後補強するにしても魔力を抱える器はできれば大きい方がいい。さらにその魔法を使うにも魔石が必要だが……数を考えれば魔法が使用できるのは一度きり。慎重に行わなければ……」
「そこで、だ。ちょっとした情報があるんだが……」
そうして彼が話したのは魔女の話――それに、ヘルベルトは食いついた。
「なるほど、先天的に魔法を使える人物か……確かに元々の魔力も高そうだな」
「それを復活させた後、どうするんだ?」
「魔力保有量を補強し、後は実験を開始するだけだな……データを取る間に国も動くだろうが、そこは内通者からもらう情報から適宜判断していけばいい」
「なら、決まりだな」
「ああ。教授に報告しよう」
言ってヘルベルトは立ち上がろうとして――それを、男性が呼び止める。
「待った。今一度こっちも確認させてくれ」
「……学院へ侵入する件か?」
「いや、俺達が協力する交換条件についてだ」
「どこかの街で一度は実験する必要がある。その場所で管理する魔具を奪えばいいだろう?」
「一応、候補があるんだが」
「……その力によって、得た情報だな?」
ヘルベルトは問いながら、相手の目を見る。暗がりの中で、ほんの一瞬、自身と同様の『彩眼』を捉える。
「ああ、そうだ」
「聞くだけ聞いておこうか」
――そこから彼らはさらに会話を進め、やがてヘルベルトは部屋を後にした。
そして部屋で一人のとなった男性は、小さく呟く。
「ま……精々頑張ってくれよ」
言葉と共に見せた笑みは――どこか、醜悪なもののようにも感じられた。
* * *
スランゼル魔導学院を遠目から見た第一印象としては、北部の街同様物々しいというもの。次に考え付くのは、大半の人間が『閉鎖的』という言葉だと、ユティスは心の中で思っていた。
原因は、純白の城壁――なおかつ狭い城門は普段閉じられ、物資の輸送を除けば基本的にその門が開く光景を見るのは難しい。
位置は首都から北。街道沿いに進むと横に逸れる道があり、それを少し進むと平原のど真ん中に白い城壁が現れる。周囲の景色とまったく溶け込んでいないその姿に、初めて見た時ユティスは苦笑した記憶がある。
なぜ、こんな辺鄙な場所に学院が建てられたのか。それには理由も存在するのだが、あまり知られていない。おそらく学院側が意図的に広めようとしないのだろうとユティスは心の中で推察しており――
「……あれかあ」
ふいにオックスが呟いた。進行方向が見える窓から外を眺めており、そうした行動をとるのは彼以外にも一人――フレイラだ。
その隣には窮屈そうに座るアリス。ただじっと到着するのを待っている。
またユティスの隣には、アリス同様にじっと座り到着を待つティアナの姿もある。
「……この中で学院に入ったことのある人は?」
ふいにオックスが問う。それに対し、ユティスとティアナが同時に手を上げた。
「僕はそもそも魔法をあそこで学んだから」
「それは理解できるが……ティアナさんも?」
「多少ながら。とはいえ学業を修めるなどというレベルには程遠いですけど」
語りながら彼女は弓を秘める腕輪をユティス達に見せた。
「この魔具について、手ほどきを少々」
「そういうことか」
「見た目はああいう感じですが、中に入ってみると過ごしやすい場所ですよ」
「だろうな。あの中に閉じこもって魔術師は研究しているわけだからな。過ごしやすくしないと逃げるだろ」
オックスの言。ユティスはそれに頷きつつ、
「本来は、非常に堅牢な場所だ……けど、内通者の存在を考えれば、グロウ達には確実にあの門を抜ける手立てがあるのだと思う」
「でないと、あんな宣戦布告はしないよね」
フレイラは言うと、窓から目を離し椅子に腰を下ろした。
「未然に防ぐのが一番だけど……もし襲撃が行われたとしても、できるだけ騒動を大きくしない内に、決着をつけたいところだね」
「うん」
ユティスは頷く――それと共に、あの魔導学院の中をユティスは思い出す。
中は、小さな町くらいの規模はある敷地で、理路整然と道は整い、宿舎や学び舎、そして研究棟など様々な施設が存在する。
それなりの規模であるため、門を入るとまず商店立ち並ぶ大通りが存在する。それを見ると大抵の人間が驚き――ユティスもまた、同じように過去驚いた。
中で暮らす際、不自由のないくらいの施設が揃っているのは間違いない。逆に言えば中に入ればほとんどのことが満たされるため、わざわざ外に出る必要もなく、だからこそ閉鎖的な面に拍車を掛けているということもある。
「で、ここからなんだが……まずカールさんと合流する、だよな?」
オックスが言うと、ユティスは頷き返答する。
「あの人が騒動を色々と引き起こしたわけだけど……それをどうにか挽回するために立ち回っているはずだ」
「できれば戦える態勢を整えていてもらえるとありがたいんだけどな」
「……正直、それは期待薄だと思う」
ユティスは答えながら自身の胸に手を当てた。
現状、リーグネストを離れて以降体に異常はない。けれど、あの城壁を見た途端少しばかり胸が重くなった。
別段、あの学院に嫌な記憶があるわけではない。けれどユティスはあの独特な空気がどうも苦手だった。学院で学んだ期間はそれなりにあるのだが、それでも馴染めなかったのはおそらく空気的なものが合わなかったのだとユティスは確信している。
そういう経緯と共に、ユティスはカールのことを考える。戦う態勢を整えるなどという可能性はおそらくない。むしろ失態のことを考えれば、カールすら門前払いとなる可能性も――と、内情を多少ながら知るユティスは思う。
また、妨害に合う可能性だって否定できない――ユティス自身『聖賢者』入りするとまで噂が立った。学院は現在王宮と深く結びつき権力中枢に食い込もうとしている。そうした中、ほとんどの人物から見ればユティスは邪魔者となれば――
いっそのこと、自分だけは都に戻るべきなのではと胸中で考えた時、
「ユティス」
フレイラから声が飛んだ。
「今回の戦い、どんな状況に陥ってもおかしくない……その中で、ユティスの異能はあった方がいい」
胸中を察したのか、それとも――とにかく、ユティスの力が必要だと言っている。
それはオックスやティアナも同じなのか、頷いていた。だからこそ、ユティスは覚悟を決める。
「わかった」
承諾。それにフレイラは頷き、やがて城門が迫る。
「さて、ここからが本番だな……と、門を抜ける前に確認しておきたいんだが」
「僕の『創生』?」
オックスの言葉にユティスが問うと、彼は頷いた。
「一応俺達は全員、創ってもらった結界の腕輪を身に着けているわけだが……」
事前準備として、ユティスはリーグネストの時と同じように結界を発動できる魔具を創っていた。他にも案はあったのだが、身を守る物が一番汎用性が高いだろうという結論だった。
「他にいるかもしれないだろ?」
「残った魔力はそれほど多くないから、非常時のために残しておいた方が――」
そこまで言った時、ユティスは一つ思いつく。
「あ……そうだ」
「お、何か思いついたか?」
「意味がないかもしれないけど、一応……これはあった方がいいかもしれない」
呟いたユティスは腕をかざし――光を生み出す。そうしてしばし魔力を収束させ、出来上がったのはまたも腕輪。
「それは……」
フレイラが問おうとした時、馬車が停まる。そして御者と城門で見張りをする兵士の会話が聞こえ始めた。
「……とりあえず、活用したら説明するよ」
ユティスは言い、呼吸を整える。空気が張りつめ、ここからが本番だという雰囲気が、室内に満ちた。