触れてはならない領域
地下室の扉を開き、ユティス達は大天使を視界に捉える。全員が配置につき、ユティスは対峙したまま呼吸を整えた。
「それでは……始めようか」
全員が構える。とはいえ、攻撃するのはあくまでユティスの役目、オズエルやイリアが近くにいて、さらにその後方にはフーヴェイがいる。彼は最後まで――それこそ、ユティス達が敗れてもこの場に居続けるだろうと予想できるくらいに、超然としていた。
ユティスはまず、右腕に力を込める。今回使用する魔法は、常日頃使用している光の槍を応用したもの。すぐさま右腕が熱を持ち始め、少しずつ魔力が溜まっていく。
そこでオズエルが術式を解放。それにより大天使が封じられた地下室全域に魔力が滞留し始める。さらにイリアがユティスの魔力を補助し、着実に力が高まっていく。
それを時折見ながら、大天使を警戒し続ける残る仲間達――敵は動かない。より正確に言えば動けないと言うべきだろうが、ユティスは自分達の前の前で何が起きているのか大天使は把握しているはずだと推測している。異変が生じ、即座に反撃してもおかしくはない。
無論、それを防ぐのはフレイラ達の役目――右腕に集まった魔力が、さらに高まる。大天使はいまだ反応はない。
「……ユティスさん」
ふいにオズエルがユティスへ言及した。
「魔法については順調だが……少し、焦っているかもしれない」
「ごめん、収束速度を調整するよ」
指摘を受けて魔力を少し操作。それにより、正常に近い形へと戻った。
やがて光がユティスの腕を取り巻き始める――そこでユティスは腕を掲げ、大天使が眠る器へとかざした。その時だった。
少なからず、魔力に揺らぎが生まれた。それは間違いなく大天使の反応。ユティス達の所業を感じ取り、とうとう封印された大天使が反応を始めた。
「……いけるか?」
「変化は限定的だ。仕留めるに足る力の収束は、いけると考えていいだろう」
答えはフーヴェイからのものだった。知識を利用してユティス達へ助言をくれる。そこでユティスは「わかった」と短く応じた後、いよいよ光の槍へ注がれる力がピークを迎える。部屋全体――ひいてはオズエルの術式により吸い出した大地からの魔力。それらが一挙に細腕のユティスへと注がれる。体に似つかわしくないような槍が生じ、重さがあればユティスはその場で倒れていたに違いなかった。
一度呼吸を整える。失敗すれば、世界各地に被害が拡散し、無茶苦茶になるだろう。とはいえもうここまで来てしまった。後は、
「やるだけ、か」
「不安か?」
オズエルが問う。そこでユティスは、
「いや、大丈夫……もちろん不安はあるけど、ここまで準備をしてきたんだ……絶対にいけると思わないといけないかな」
「気迫で負けないように、か……ま、そうした感情をも飲み込み、大天使に挑む……そんな風に解釈して良いかもしれない」
そうした会話を繰り広げる間に、とうとうユティスの魔力収束が終了した。準備は整った。後は通用することを祈るのみ。
ユティスは一度フーヴェイへ視線を移した。彼が小さく頷くのを見てから、大天使へ視線を戻した。
大天使は何かしら反応を示してはいるが、器を破ってくることはない。もし目の前で暴走し始めたら、それだけで窮地に立たされるのだが――
(ここはやはり、兵器ってことだろうか。例外的な動きは多少あるにせよ、それは限られた条件下でしか発動しないと)
ユティスはそんな推測を行いながらも右腕に魔力が集まっていく。まだ時間は必要だが、それでも確実に最後の時が迫っている。
「……変化は、ないな」
ユティスは呟きながら大天使をどこまでも見据え続ける。今にも動き出しそうではあるのだが、準備完了まで悠長に構えているつもりか。
そうして、ユティスは魔法準備を完全に終える。圧倒的な魔力の奔流。右腕に収束した力は、オズエルの助けを借りてどうにか維持しているような状況。
「ユティスさん、いけるか?」
「うん……そちらは?」
「問題ない。そちらのタイミングで始めてくれ」
彼の言葉にユティスは小さく頷くと、一度深呼吸をした。次いで仲間達を見回す。全員がユティスに注目し、その時を待っていた。
「……よし、やろうか」
ユティスの言葉にオズエルは頷くと、さらに魔法を発動させる。そしてユティスはゆっくりと右腕を大天使へ向けてかざした。
今、大天使の首下に刃を突きつけた。相手は一切反応しない。ただ、ユティスはなんとなく理解する。
(魔力を多少なりとも解析はしているはず……反応があったということは、たぶんそうだ)
器の中で動けない中、どこまで大天使は抵抗できるのか。オズエルはその辺りのことを含めて準備を行ったはずだが、果たして大丈夫なのか。
押し寄せる不安をユティスは一度呼吸をして振り払う。そして精神を落ち着かせ、右腕に魔力を少しずつ流していく。
腕全体に収束していた力に形を与えていく。それは巨大な槍。ユティスの動きに合わせて射出され、大天使を射抜く――これもまた、魔法の兵器。
ユティスとオズエルが作り上げたこの魔法もまた、世界をひっくり返せるだけの力を持っている。ある意味、ユティス達もまた世界を壊せるだけの力を得た。
だからこそ、理解できることもある。これは、決して触れてはならない領域だと。絶対に、壊さなければならないと。
最後の最後。一歩手前でユティスは立ち止まる。魔法を射出すれば、残るのは生か死か。魔法が発動を終えた時、全てが決まっている。時間にして、数分程度のものだろう。
世界は、この数分に委ねられる――そう思うと緊張してくる。改めて全てを背負っているという事実が、肩にのしかかってくる。
「――ユティス様」
「ユティス」
ティアナと、フレイラが声を発した。名を呼ばれユティスはふと我に返る。
彼女達は、双方微笑でユティスに応じていた。大丈夫だから――そう呼び掛けているように感じられた。
それにより、ユティスの中にあった先ほどまでのプレッシャーが霧散する。そして後は、使命感だけが残る。
「……ありがとう、二人とも」
礼を告げる。同時、ユティスは意を決し――右腕の魔力を、解き放った。