不安と希望
少しずつ、着実に準備を進める中で、ユティスは時折大天使の姿を見据える。全ての元凶であり、二千年という人間にとって気の遠くなる歳月、崩壊を呼び込んできた敵。
目の前で封印されているその存在が――それを思う度に、ユティスは過去のことを想像する。
大天使が、文明を壊すために何もかも蹂躙してきた光景。ただ、そうした時を過ごしてきたからこそ、自分は転生しここにいる。
(……僕は)
ふと、思う。転生してフレイラとの記憶を取り戻し、異能者と戦い――その中で、自分のことを俺とは呼ばなくなった。
そんなことをふと考えた時、ユティスは休憩がてら砦の外を見回ることにした。時刻は夜で、根を詰めてやっていたせいか時間感覚が喪失している。
この場所もずいぶんにぎやかになったわけだが、夜は一転静かになっている――と、ユティスは視界に見知った顔を見つけた。
「……どうしたんだ?」
ティアナだった、月夜の下で歩く彼女の姿は、ずいぶんと美しかった。
「ユティス様? 私は気分を変えるために散歩を、と」
「そっか……僕もそうだ」
「そうですか……少し歩きませんか?」
ティアナの誘いにユティスは頷き、二人して月夜の下を歩く。
「今までのことを思い返していたんです……その、政争により記憶が戻って以降、なんだか思い出すことがなかったので」
「なるほどね……僕自身も、あんまり思い出さなくなっていたんだけど、大天使を見据えていると、なんだか色々と思い出される」
「……転生前の記憶も、ですか?」
問い掛けにユティスは小さく頷き、
「とはいっても、こちらの世界と比べればずいぶんと平凡な人生だったけどね」
「……ユティス様」
ふいにティアナが何かを訴えかけるような声音を発する。ユティスはそれで彼女へ首を向け、言葉を待つことにする。
「ユティス様は、この世界に来て良かったと思いますか?」
「僕が……か。そうだね……転生した経緯を考えれば、理不尽に思っても仕方がない話ではある」
そこまで語った後、ユティスは一時沈黙し、
「経緯が経緯だし、憤慨してもおかしくはないのかもしれないけど……僕もリザもそうだけど、転生する前の世界で僕らは一度人生を終えている。だから、未練があろうとなかろうと、僕らはどうすることもできない」
「もし戻れたら、戻りますか?」
「僕が? うーん、色々と思うところはあるけれど……僕は、戻らないかな」
そう告げた後、ユティスは笑う。
「例え理不尽であっても、僕はこの世界へ辿り着いて、良かったと思うよ。新たな人生で様々な体験を得た。苦しい出来事だってあったけれど……僕の人生は、決して悪いとは思わない」
「ユティス様……」
「ティアナは、何か引っ掛かったのかい?」
「いえ、思わぬ理由でこの世界へやって来てしまったので、不満を抱いてはいないのかと思いまして」
「僕自身は、ないかな……それに、だ。この世界へ来てしまった以上、理不尽を嘆くよりもどうすればいいか……今の人生をどうしたいか悩む方が、よっぽど建設的だと思わない?」
「そう、ですね」
ティアナは応じた後、夜空を見上げた。
「すみません、決戦前に突然こんなことを」
「決戦前だからこそ、じゃないか?」
「そうとも言えますね……私の思いを語っても?」
「いいよ」
「私は……ユティス様と出会えて、本当に良かったと思います。最終的に、私と一緒にいてくださることを選んでくれて……本当に、嬉しかった」
ティアナは夜空の下で笑う。それはユティスが今見る景色の中で、もっとも幻想的で美麗に満ちたものだった。
「この戦いが終われば……私は、ユティス様と共に、彩破騎士団に尽くすことを、約束致します」
「課題はたくさんある。たくさん仕事をしてもらうからね」
「はい、わかっています」
そんな会話を繰り広げながら、夜は更けていく――気付けばユティスはずいぶんと落ち着いていた。
「……さて、準備を進めることにしよう」
「大丈夫ですか? 今日はもうお休みになられた方がよろしいのでは?」
「まだ体調も問題ないし、進めることができるなら少しでも急いだ方がいいしね……ティアナはどうする?」
「ならば私もお付き合いします。といっても、私には専門的なことはわかりませんし、見守ることしかできませんが」
「それで十分だよ」
ユティスは彼女を伴って大天使が眠る地下へ向かうことに。その途中で、同じように休憩をしていたオズエルと遭遇した。
「そちらも休憩?」
「ああ……さすがに疲れてきたので」
「気分転換に外を歩いてみるといいかもしれない。僕は存外効き目があって驚いている」
「なら、少しばかり出歩くか……体を動かしていないことで、固まっているのかもしれない」
「その可能性が高そうですね」
ティアナの言葉にオズエルは頷き、
「それでは、少し歩いてくる……ユティスさんは戻るのか? 資材がそのままだが、ユティスさんがやる作業には関係ないから放置で頼む」
「わかった」
言葉を交わしオズエルは外へ。それを見送った後、
「今回、彼が一番の功労者だな」
「はい……オズエルさんがいなければ、今頃立ち尽くしていたかもしれませんね」
「特別賞与でも考えておこうかなあ……」
地下へ向かいながら、ユティスは未来のことを想像する。この戦いが終わったら――前世で言えば死亡フラグのようにも思えてしまう話だった。
(でも、考えてしまうんだよな……例え、叶わないかもしれないとわかっていても)
少しずつ、終わりが近づいている。ユティス達が放置していても、一年経てば目覚める存在。だからこそ、被害が生じる前に今ここで決着を付ける――間違っていないはずだ。
一瞬、敗北する未来を想像する。大天使に攻撃が通用せず、自分達は――もしそうなってしまったら、
「……ティアナ」
「はい」
返事と共に、ユティスは口をつぐんだ。言葉にすれば、本当にそうなってしまうかもしれないと、何気なく思った。
「……いや、何でもない」
そうした思考を振り払いながら、ユティスは進む。不安と希望。入り乱れる内心をよそに、夜は穏やかに過ぎていった。