渾身の罠
「……さすがに、内容については語るわけにはいかない」
やがて幻影は再びアルガへ話し始める。
「君にとっては業腹なことだろう……ただ、知る必要がないとも言える。何せ君は、ここで死に絶えるのだから――」
幻影は笑みを見せたまま消える。アルガは目を細めしばし立っていたが――やがて歩き出すと、目的の物を手に取った。それを懐にしまった後、
「まったく、ふざけた野郎だ」
槍を肩に担ぎ、元来た道へ戻ろうとする。
破壊の限りを尽くし、組織のアイデンティティすら崩壊させた。もはや組織の存続すら不可能だろう。さらに言えばもう大天使と戦う術すらない。にも関わらず、最後に自分を殺そうと笑みを浮かべ消えた。目の前の自分さえ始末すれば満足。そういう愚かな思考が透けて見えた。
「まあいい。目的の物は手に入れた。後は――」
この国に来ているはずの異能者達を潰す。そう決意し元来た道を帰ろうとして、気付く。
「……これは」
呆然と呟いた。敵がいない状況下で、初めて動揺を見せた。
アルガは振り返り、帰ろうとした。だが、道がなくなっていた。
「何だこれは……?」
早足で扉のあった場所へ近づく。そこは壁面になっており、手で触れると確かに壁となっていた。
「馬鹿な、道はどこに……」
そこで気付いた。もう一度振り返る。そこは先ほど見た広間ではなくなっていた、書斎のような空間――自分が転移したように錯覚さえするような、唐突な異変だった。
「……ああ、そうか」
そこでようやくアルガは理解する。幻影が施した悪辣な罠を。
アルガは手で壁に触れる。そこには間違いなく壁がある――が、少し意識して手を押し込めた。すると、手が壁の中に入り込んだ。
当然それは壁が壊れたためではない。確かに目の前には出口があるのだ。つまりこれは、幻術。
「なるほど、確かに俺はこういう魔法に弱いな」
あらゆる攻撃を受けきれる能力を持つアルガ。それは攻撃魔法に加え、精神干渉系の魔法も例外ではない。例えば洗脳させるような魔法など、基本的に通用しない。
そもそもアルガには大天使の力が宿っている。つまりアルガを洗脳させようとするということは、大天使を洗脳しようとしていることと同義である。いかなる異能を跳ね返すその特性を考えれば、洗脳魔法などを使用するというのは愚の骨頂だった。
だが、例外もある。それは幻術――というより、アルガに対し敵意がない魔法についてははね除けるような能力を持ち合わせていない。いや、むしろ普通の人と比べても掛かりやすいとさえ言える。
アルガは確かにいかなる魔法も通用しない。だからこそ、彼自身防御の鍛錬などはしなかったし、必要ないとさえ感じていた。マグシュラント王国を壊滅させただけの力なのだ。やるだけ無駄だという判断だった。
だが、今の状況は違う。あらゆる魔法を受け続けるしかない彼にとって、直接的な影響がない幻術というのは、彼が思っている以上に深く掛かってしまう。それが目の前の状況だ。
「ちっ、これは面倒だな」
意識してアルガは壁をくぐる。感触はない。よってアルガは広間を出たのだが――廊下も、複雑怪奇な迷路と化していた。
「この魔法……どこかで魔力を発している場所があるはずだ。それを探せば解決するか」
アルガは槍を振る。幻術による景色に変化はないが壁を斬りつける感触と音はした。つまり、間違いなくアルガは廊下に立ち施設内を破壊している。
ならば、破壊し尽くし魔力の供給源を立てばいい――そう思った矢先のことだった。
アルガはさらなる変化を感知する。魔力――それが徐々にではあるが、希薄化している。
「周囲の魔力が減っている……?」
と同時に、アルガ自身の魔力もまた吸われ始める。攻撃を受けないはずの大天使の体なのに、なぜ――
「……これは、攻撃ではないのか」
呟くと確信に変わる。
アルガ自身、これを攻撃と認識できていない。いや、おそらくこれも幻術の一種。本当に魔力を吸われているのか、それとも吸われていないのか――その感覚すら曖昧となる。
もし本当に吸われているのだとしても、到底全て吸うことができるとは思えない。施設を破壊し尽くしここから出る方が早い。それくらいの速度であるのは間違いない。
微量であり、幻術もあって攻撃と認識されないっため、魔法が通用している――アルガとしてはむしろ感心するほどだった。戦闘訓練を重ねた異能者であれば、余裕で突破できそうな内容ではある。だがアルガはそれに対し、苦戦を強いられることになる――
「はははは! 面白い!」
そこでアルガは、哄笑を上げた。
「どんな罠が待ち構えていると思ったら……なるほど、俺の特性を十全に理解した戦術か。しかし残念だな。幻術で足を止め、魔力を吸う……時間が圧倒的に足らない」
あくまで幻術は幻術。最悪この施設を破壊し尽くし、無理矢理外に出ればいいだけの話。
ならば最後は力押しで――そう思った矢先、さらなる変化がアルガの身に起きた。
最初、体に違和感が走った。動きが少しばかり鈍くなっている。
「……何?」
呟いた後、さらに何か仕掛けがあるのだろうと認識し、だがそれでも問題はないと判断する。槍を構え、周囲を破壊し突破する――そう決断した時、アルガの体は、突如膝をついた。
「か、は……!?」
声が漏れる。それと同時に何が起こったのか気付いた。
「これは……まさか……」
幻術、魔力吸収。それはアルガを容易に逃がさないようにするための処置。本命は、これか。
これはそもそも魔法ではない。魔力を伴った攻撃ですらない。施設内は密閉空間。入口も既に閉じているだろう。
その場所の――空気が、抜け始めている。
「人間である俺に対する処置か……!」
大天使であれば意味はない。兵器であるあの存在にこんなやり方は通用しない。
だが大天使の力を宿した人間のアルガには問答無用で通用する。真空状態になっても生きながらえるような処置は、魔法を使えばいけるが――アルガはその術を知らない。
だが、本能的に体が生きるために魔力で処置を施す――が、その魔力を少しずつ奪っていく。確かにこれは、アルガに対する有効な戦術だった――