騎士団の敵
詰所の出来事を思い出したフレイラは、敵の手の早さに驚きを禁じ得なかった。
先んじて動いたということは、徹底的に自分達に情報を渡さないつもりだろう。そして相手が何者であるのかまで把握できていない。詰所でその辺りを詰問する選択肢もあったが、下手に詰所で騒動を起こせば自分達を良く思わない一派がさらに妨害する可能性があった。加え――
(もしかすると……)
フレイラは胸中で見えない相手を考える。もし王の命であると押し通り、相手が『魔法院』の人間だとしたならば――彼らの場合王の威光が通用しない可能性が高く、相当厄介なことが起きる可能性があった。だからこそ、フレイラは断念した。
この件を早馬でラシェンに伝えてはいるが、結果が出るまで時間が掛かってしまうだろう。街で不死者に備え待機するにしても、詰所がああである以上介入は難しい。よって、今できることをする――懸念があるとすれば、目の前にいるティアナはどう考えているのかということ。
そもそも、彼女が自分達の味方である可能性は限りなく低い。単なる案内役というのもまだ楽観的な考えで、その目的はこちらの動向を探るための間者。ひいては彩破騎士団を分断する役目などを担っていてもおかしくない。
懸念ばかりだとフレイラは胸中思いながら――結局の所純粋な味方はユティスしかいないと悟る。オックスもただラシェンの依頼を請け協力するだけであり、依頼主によっては敵となる可能性だって存在する。
とはいえ一朝一夕でどうにかなる問題でもないため、ここは辛抱しなければならないのもまた事実であり――
「出てきたな」
ふいに、オックスが言う。フレイラは何事かと思い口を開こうとした時、馬車が止まる。
ティアナが御者に呼び掛ける。すると「魔物」という単語が聞こえてきた。
「フレイラさん、あんたの『目』は良さそうだが、もう少し気配探知訓練はしとくんだな」
オックスは気付いていないフレイラに指摘すると同時に、傍らに置いてある剣を手に取った。
「さあて、準備運動にもなりゃしないだろうが、ちょっとばかり戦ってくるぜ」
「……私も行く」
フレイラが反応。オックスにとっては予想通りだったのかすぐさま笑みを見せ、
「いいぜ。残る二人は馬車の中で待機していてくれよ。ま、心配するレベルじゃない。さっさと倒して先に進もう」
告げたと同時にオックスは流れる動作で外へと出る。フレイラもまた馬車を降り、
「気を付けて」
ユティスの呼び掛け。フレイラは小さく頷き扉を閉めた後、前方を塞ぐ魔物の存在を認めた。
狼や猫――それらは全て黒や灰色の毛並みを持っており、なおかつ動物とは違う不可思議な雰囲気をまとっている。これは魔力そのものが体である魔物の特徴であり、例え見た目ではわからなくとも、間近に迫れば気配でわかる。
また瞳の色が黒やら真紅などやらいるのだが――それがひどく虚無的で濁り切っているのも特徴的。そうした魔物は通常の動物と比べ体格も大きく、この場にいるのは総勢十体ほど。
「群れを成してるっていうのは、駆除されていない証拠だろうな。不死者の件で手が回っていない……って可能性もあるな」
オックスは剣を抜きながら呟く。その刀身は綺麗な白銀で、太陽光に反射してキラキラと輝く。
次いでフレイラも抜く。その時、
「フレイラさんは馬車に向かいそうな魔物を倒してくれ」
オックスは一方的に告げ、魔物へ足を踏み出した。
途端、魔物達が反応を示しオックスへと襲い掛かる。しかし彼は諸共せず手近にいた狼を一刀両断し、魔物は塵と化した。
魔物達は統率も無く散発的にオックスへと襲い掛かるが、一刀で全て斬り伏せられていく。
「おらっ!」
彼は声を荒げながら次々と魔物を屠っていく――その剣技を見てフレイラが感じるのは、彼の技は今まで辿って来た実戦経験を基にしているものだということ。
都にいる時何度か剣を合わせた。結果はフレイラの全敗であり、さすが三国の勇者と思ったが――剣筋に隙も多く、ユティスの兄であるアドニスと比べればまだ対応しやすい相手であった。その原因は騎士が学ぶような、型が整い確立された剣技でないためだろう。
だからこそ洗練されたものとは異なる、言わば豪放な剣。細かいことを考えない大振りな時もあれば、逆に相手をいなしカウンターに転じる時もある。感情やその時の体調によって激変しそうな振り幅の大きい剣技ではあるのだが、それでいて経験という確かなものに裏打ちされた強さが感じられる。
騎士であるならば、自身がいかなる状況であっても対応できるように訓練されている。けれど彼の場合は違う。剣の技術だけならアドニスの方が上回っているのかもしれないが、時の運などを含めた複合的な要因を味方につけることができれば、おそらく彼に打ち勝つことも難しくないのでは――
「おい!」
オックスが叫ぶ。気付けば一体、フレイラへ向け走り込んでくる狼の魔物。即座に剣を構えると、突っ込もうとする魔物に対し素早く踏み込み、
「ふっ!」
僅かな声と共に一閃。結果、魔物はあっさりと消滅した。その動きを見た勇者は、一瞬興味深い視線を投げる。
――フレイラが誰に教わったかを、純粋に訊きたそうにする顔。以前剣を打ち合った時も見せたが答えなかったし、訊かれもしなかった。とはいえ興味はあったはずだ。その時から時折、視線を投げているのだから。
やがて、目の前の魔物が全て消滅。一方的な戦いであり、傷一つ追わなかったオックスはフレイラに笑い掛けた。
「やっぱ、違うよな。土台は騎士の剣技みたいだが、軸となるものは違う」
「ええ、そうね」
フレイラは即座に応じる。とはいえ名を喋っていいものかと思う。悪用されるなどとは思わないが、何か気になっていることがあるのか――
「ああ、いや。別に訊くことに他意があるわけじゃない。何で良家のお嬢様が騎士からではなく、流れの剣士から教わったのか興味を持っただけだ」
「領内に適した人がいなかっただけ……オックスさんが言った通り基本的な部分は騎士のものだけど、そこからさらに技術を教えるには、足らなかったというわけ」
肩をすくめるフレイラに、オックスは「そうかい」と答え、
「ま、いいさ。詳しく訊くことはやめる」
「どうも」
「けど、一つ訊かせてくれ。その師匠は、今どうしている?」
――沈黙が生じる。フレイラは間を置いて嘘をついても仕方がないと思い口を開きかけて、
「いや、やっぱいいわ」
オックスは察したのか、剣を鞘にしまいながら語った。
「で、話は変わるが」
変わり身の早さにフレイラは多少戸惑ったが、どうにか相槌を打つ。
「え、ええ」
「場合によっては第二領域の魔物が出る可能性もある……戦えるか?」
問い掛けに――フレイラは魔物の階級を思い出す。
魔物の能力については内在している魔力の質がどれほどの領域に到達しているかによって決められ、第一領域、第二領域と単位は『領域』というものである。通常の魔物は第一領域であり、第二領域――つまり魔物が成長したもの――に到達するのは極稀。第三領域以降については、人為的でもなければまずお目にかかれない。
第四領域以降は討伐隊が必要なレベルだが、この場において出現する可能性は万に一つもないと言っていい。
「一応、訓練は受けているから」
フレイラは淡々と応じる。実際そうした相手との戦闘経験は一度きり――師の敵をとった魔物だけ。
その声音をどう読み取ったかはわからないが、オックスは「わかった」と答えた。
「それじゃあ改めて移動再開だな」
馬車へと歩み出す。フレイラも無言で同意し足を反転させようとした。
その時、どこからか馬のいななきが聞こえた――同時、重い車輪の音と遠吠えが響く。
「……今のは?」
「襲われている可能性があるな」
フレイラが疑問を口にした瞬間、オックスはにわかに殺気立った。
「フレイラさん、たぶん商人の馬車か何かだと思うが、援護に行くか?」
「……そうね。魔物から人々を守るのもまた役目の一つ」
「いい騎士さんだな……さて、馬車に乗り込んで全速力でいかないとな」
オックスは先んじて馬車へと乗り込む。次いでフレイラも入り込んだ後、
馬車は襲われている思しき場所へ向かって移動を開始した。
* * *
ラシェンが資料をめくる手を止めた時、傍らで書類整理をするナデイルが声を上げた。
「……いかがしましたか?」
「ん、資料を読んでいて厄介な記述を見つけたのでな……」
答えると共に、資料を机の端へ無造作に置く。さらに背もたれに体を預け、
「どうやら、スランゼルが動いているらしい」
「スランゼル……とは、魔導学院のことですか?」
「そうだ」
ラシェンは答えながら天井を見上げる――スランゼル魔導学院。単純に学院と呼ばれることも多く、またロゼルスト王国において学問の中心点として国内外認知されている。
場所は都から北。本来は国が管理する存在なのだが、近年学院出身者が王宮にも入り込み、その工作の成果により半ば放任同然となってしまっている。年々学院に対し予算を増大しているという事実も少なからず存在し、ラシェン自身良い印象は抱いていない。
とはいえ学院がこの国の宮廷魔術師を生み出す場所かつ、魔法に関する一大研究機関としての役割も果たしているため、重臣も大きな声で非難できない。王もまた現状下手に刺激するのは得策ではないとして、表立って干渉はしていない。
「ふむ……どうやらユティス君の存在を危惧しているのだな」
いち早く彩破騎士団に干渉してきた相手――原因はユティスだとラシェンは断ずる。戦争直後『聖賢者』入りするという噂が流れたため、警戒しているのだろう。
さらに言えば『創生』という異能は強大であり、それに対し自身の立場が脅かされないかもしれないと考えているのかもしれない。あるいは――
「相手を見定めないことにはわからないが……こうした事件を契機に魔術師の存在を一層知らしめ、さらに国の上層部へ食い込もうとしているのかもしれんな。ともあれ厄介な相手が出てきた」
「……フレイラ様達は、どう動くでしょうか?」
ナデイルが尋ねると、ラシェンはしばし黙考し、
「……彼らは既に城内で相当根を張っている。北部を担当する中央騎士を懐柔するくらいは容易だろう。そうなると、詰所にすら入れない可能性があるな」
「王への命、という名目で解決は難しいのでしょうか?」
「魔導学院……ひいては『魔法院』が相手である可能性が高い。あそこは陛下であろうとも反発するからな……王宮内における工作と、宮廷魔術師輩出の実績を彼らは盾にしているわけだ。実際、以前陛下相手でも物申した負の実績がある。今はまだ争わない方がいいだろう……フレイラ君達は賢明だ。回避してくれているとは思うが……」
そしてヒントは提示している――崩壊した村へ行けば打開できるとも思えないが、それなりに行動しているという所作にはなるだろう。仮に敵に手柄を取られたとしても、現状ならばまだフォローのしようもある。
ラシェンはふと、これを契機として学院をどうにかできないか思案してみるが――難しいと思う。相手が『魔法院』であるならば、ラシェン自身が保有する権力も通用しにくい。
「こちらで、動きますか?」
ナデイルが問う。ラシェンはさらに思考した後、視線を彼へと変え、
「……陛下に進言すれば処置はしてくれるだろうが……正直『魔法院』がどういう動きをするか予想もつかないため、難しいな。幸いなのは、敵方も妨害すると言っても直接的なやり方はしないだろう。危害を加えられるようなことにはならないだろうから、現状維持とするしかないだろう」
あくまで現状は――そうラシェンは心の中で付け加える。
おそらく他の事件に関わったとしても横槍を入れてくるのは間違いない。それが二度三度続いて功無しとなれば非難の声も上がるかもしれないが、今回だけならおそらく大丈夫だろうとラシェンは思う。
ただこれは好機とも言える――騎士団などには『魔法院』に反発する人間もいる。彩破騎士団が敵対していると暗に示すことができれば、協力を取りつけ援護を願うことも不可能ではない。
事件の流れによっては、もしかすると――学院側の勢力を城内から一掃できる可能性も――
「いや、さすがに空論過ぎるか」
呟き、再び天井を仰ぐ。
あの戦争で見せた清々しいほどまでの圧勝を間近に見て、ラシェンもユティス達に変な期待を抱く節があった。二人は現状何の政治権力も持たない人物なのはわかっている。けれどあれだけの絶望を前にして戦ったという事実は覆ることのないものであり、だからこそラシェンは思ってしまう。
二人なら、この逆境くらい跳ね返せると。
「……学院の仕業ならば、どういった人物なのでしょうか?」
ナデイルから質問が飛ぶ。そこでラシェンは口元に手を当て、
「明確に動いている一派がいるようだが……それはさらに調査を進めよう。それと城内に勇者シャナエルを招き入れたという話がある。おそらく兵力として迎え入れたのだろう。そして」
「そして?」
「資料には、他の勢力に関する記述もある……彼らも、一枚岩ではないようだ」
政治権力を握ろうと画策しつつ、なおかつ学院や『魔法院』で派閥争い。まったく、人間というのは度し難い。
そこでラシェンは思う。自分もまた一緒だ。
「ひとまず……そうだな、具体的に誰が動いているのかを調べよう」
決めるとラシェンは立ち上がる。そしておもむろにテラスの外に存在する青空を見て、ふと思う。
今回の件でユティス達が功を成す可能性は低い。しかし、ラシェンは心のどこかで思っていた。あの手紙の内容と、ユティスに眠る『異能』――この二つが間違いなく、彼らを激動に放り込み、またこの国にとって大きな存在となると。
それには障害もあるだろう。今回のケースもその一つであり、混乱が起きるのは間違いない。
まあ、できる限りのことはしよう――そんな風にラシェンは思い、動き出した。