真実
ラシェンが感じ取ったものは、目に見えた変化ではない。言ってみればそれは空気――取り巻く気配に変化が訪れた。
魔法を使ったならばラシェンであっても気付く。ならば異能かと思ったが異能は全て魔力を介して行われていた。とすれば当然、発動直後は気付くはずだ。
「これはレイテル王女の想定内なのか、それとも――」
そう呟きを発した時だった。
突如、ズグンと一度だけ室内が鳴動する。サフィが部屋を見回し、ラシェンはじっと窓の外を見やる。
果たして――次の瞬間、今度こそ魔力を感じ取った。言いようもない感覚が体を包み、絶句し立ち尽くす。
恐怖などの負の感情とは違うもの。違和感という表現もほど遠い。それは――それなりに長く生きたラシェンでさえも、ただ言葉をなくすような感覚だった。
そして気付く。思考ができなくなっている――
「記憶を奪うとは、こういうことか……!」
声を発したが、それでも違和感が消えることはない。サフィは不安なのかただひたすらに視線を空中へ漂わせ、ラシェンはここに至りただ信じるしかなかった。
クルズの策――それが成就するのを。
結果は、すぐに判明した。鳴動していた魔力が突如止まったかと思うと、一気にラシェンの体を突き抜ける――!!
「っ!」
サフィも同じように感じたようで、短く声を発した。何が起こったか。
しばし、沈黙が生じる。ラシェンもサフィも立ち尽くし、静寂が部屋の中を支配する。
変化はない。鳴動していたことが嘘であったかのように、部屋の中は魔力を感じ取る前から何も変わっていない。
だが、
「……馬鹿な」
ラシェンが呟く。そしてサフィもまた同じ表情。
息を吐き出す。間違いなくクルズの策は成った。成就したからこそ、彩破騎士団が勝利した事実を憶えているし、思考も滞りがない。
しかしクルズの策で、とうとう改変していたもう一つの記憶が暴かれた。
それは――ラシェンにとっても予想外であり、また恐怖すら感じるものだった。
* * *
演習場に、一時静寂が訪れた。
何が起こったのかは誰もが理解できた――異能が発動。しかしそれがどうやら失敗し、失われていた記憶――それが復活した。
復活した直後、しばし張り詰めた沈黙が生じる。ただリザやアシラといったこの国の人間ではない者達は何が起こったのかわからず右往左往するばかり。
やがて――生じた声は、ひどく掠れたものだった。
「馬鹿、な……」
それは騎士バルゴからもたらされた。次の瞬間、彩破騎士団と交戦していた騎士、兵士、魔術師に至るまでその全てがざわつき始める。
まさか、いやそんな――彼らはレイテルが保有していた異能については知らないはずだが、ユティスとフレイラの関係性について突然思い出した一件があるため、これもまた新たな事実として受け入れたようだが、何しろその真実の内容がにわかに信じがたいものであったため、誰もが動揺を隠せない。
ユティスもまた内心驚愕していたが、表情には出さない。一方でフレイラは重い表情を見せ、ティアナは口元に手を当てている。一方イリアは憮然とした表情。レイテルとほとんど関わりのなかったため、衝撃度はそれほど大きくないようだ。
リザ、アシラに加えジシスやオズエルは周りを見回し困惑している。この異能はおそらく大陸全体に跨がって使用されているもの――そうでなければつじつまが合わなくなる。ただこの国に住んでいなければ、王女のことなど知りもしないため、真実が解放されても反応が薄い。
ジシスは騎士であったため知識として頭に入っていてもおかしくないが、どうやらそういう様子はなさそうだった。
「……ロイ兄さん」
彼らに語る前に、ユティスは正面にいるロイへ問い掛ける。当の彼は俯き、肩を震わせていた。
「……笑うなら笑え、ユティス」
「兄さん……」
「異能という例外はあるにせよ、俺はあのお方と組むことが、のし上がるためには最善だと考えた。だからこそキュラウス家と手を切り、またその関係性も異能により封じ込めた……その結果が、これだ」
「……僕は決して兄さんを恨んでいたりはしないよ」
「そうお前なら言うだろう。だが、政争を仕掛け無用な争いを生んだのは他ならぬ俺だ。何かしら沙汰はあるだろうし、最早どうにもならないだろう」
顔を上げる。自嘲めいた笑みを浮かべていた。
「結局、俺はあのお方の手のひらの上……いや、もうこんな呼び方をする必要はどこにもないな」
「――結局、どういうこと?」
リザが問う。それにユティスは――改めて信じられないとでも思いながら、口を開いた。
「僕らの敵は、レイテル王女……そういう認識だったよね?」
「そうね。彼女の策略によって、こうして戦っていたわけだし」
「その根本をひっくり返す内容だったんだ……真実は」
「どういう内容なの?」
「いないんだ」
ユティスの言葉にリザ達は面食らう。
「どういうこと?」
「……レイテル王女なんて、存在しないんだ」
沈黙が生じる。言っている意味がわからないというリザやアシラ。
だがオズエルやジシスは理解し始めたか、目を見開き絶句する。
「この国に、レイテル王女なんて人間は、存在しない。異能によって僕らは……いや、この大陸に住まう人々は、レイテル王女という存在がいるということを、認識させられていたんだ」
「……は?」
リザがようやく理解し始めたか声を上げる。アシラも絶句し、事態のとんでもなさにただただ驚愕する。
「無茶苦茶だ……記憶を改変する異能だから、何でもありだとは思っていた。けれど、まさか王女という存在そのものが嘘だったなんて、想像もできなかった」
「……確かに、私達は王女が敵だと認識していたし、その存在さえないとは思わなかったわよね」
「異能により何かされていたと認識しても、そんな考えに至るのは馬鹿な話だろう」
オズエルが、声を発した。
「むしろ真実を告げられたとしても、俺達だって信じなかったさ」
「確かに、ね」
ロイ達の心情を、ユティスは彼らを観察しながら想像する――まったく立場がなくなってしまった状況。騎士の中には茫然自失となっている者もいる。
招集された『四剣』や『三杖』はどういう思いなのか――そうした中でユティスはヨルクへ視線を送った。
当の彼は何かを考えるように虚空を見つめている。今回の件、どのように感じるのか。ユティスは彼に話し掛けようとする。
その時、一人の騎士が駆け込んできた。
「ほ、報告! ま、魔物が……!」
「魔物? どうした?」
対応したのはヨルク。それに騎士は呼吸を整え、
「多数の魔物が出現しました……それらがこの演習場に向かってきています!」
「――レイテルの作戦、か?」
ヨルクの呟きに誰も応じない。だが状況的にそうとしか考えられないが――
「いや、待って」
ユティスは呟く。候補は――どうやらこのロゼルスト王国に入り込んでいる、ネイレスファルトで遭遇した一派。
ティアナの報告で彼らがこの国を訪れていることは把握している。まだこの国に留まっているのならば、仕掛けてくるのは理解できる。
「彼らはレイテルと手を組んでいた、ということか?」
オズエルの疑問。それにリザは口元に手を当て、
「どうかしら。むしろ混乱し始めたため国を潰すために仕掛けたってシナリオの方がしっくりくるわ」
「……どちらにせよ、僕らとしては動かないと」
ユティスの言葉に彩破騎士団は一同頷く。ただフレイラは相当消耗しているため、やや反応が弱々しかった。
「よし、それじゃあ――」
「まあ待て、ユティス」
ここで声を上げたのは、ヨルクだった。
「魔物の討伐は銀霊騎士団に任せておけ」
「ヨルクさん……?」
「おそらく攻撃自体はこれで終わりじゃないだろう。現在宮廷がどうなっているか……あっちで何か起きている可能性が高い。ユティス達はすぐに戻るべきだ」
そう言いながら、彼は肩をすくめた。
「ま、俺も同行するけど」
「大丈夫なんですか?」
「いやまあ、結構ダメージを受けているけど、移動の最中に多少なりとも体調は戻せるぞ」
あれだけの死闘を繰り広げたにも関わらず、まだ戦えると。ユティスとしてはやっぱり普通にやっていては勝てないと思った。
「騎士バルゴ」
続いてヨルクは彼へ呼び掛けた。
「呆然となっているところ悪いが、ここは任せてもいいか?」
「私がやっておこう」
反応したのは騎士シルヤ。彼女の傍らには勇者オックスを始め、騎士ロランもいる。
「魔物の出現に際し、騎士達は連携もとれている。殲滅にはそう時間も掛からないはずだ」
「よし、なら頼んだ……ロイ殿、あなたも彩破騎士団と共に行くか?」
問い掛けに、ロイは押し黙った。まだ頭が混乱しているようだ。
「……ふむ、ここで少し頭を冷やした方がよさそうだな。ならユティス、さっさと戻ろう」
「わかりました……ロイ兄さん」
ユティスは去る前に、口を開いた。
「確執はあった……けれど、僕としてはファーディル家の中で争いたくはないよ。事態も事態だし、何かしら温情があってもおかしくない……いや、僕としてはそういう風にしたい」
何も答えない兄。けれどユティスはなおも語る。
「僕は……それこそ、もう一度みんなで一緒にお茶を飲みたい。完全に水に流すのは難しいかもしれないけれど……大切な家族だから」
一方的に告げ、ユティスは兄に背を向ける。
「行こう」
彩破騎士団が動き出す――きっと時間が解決してくれる。そうユティスは信じ、新たな戦場へと足を向けた。