彼の願い
夜も更け、食事を終え眠る前に少し仕事をしていた時、ユティスの部屋を訪れる人物がいた。
ノックの音に返事をすると、現れたのはフレイラ。
「少し、話があるの」
抱きかかえるよう、剣を持っている。彼女の深刻な表情と剣を見て、ユティスは何が言いたいのかおおよそ理解しつつ「いいよ」と返事をした。
部屋にフレイラが入り、ユティスは丸テーブルに備えられた椅子を手で示す。対面する形で両者が椅子に座ると、先に口を開いたのはフレイラ。
「……まず、今回騒動に発展させてしまったこと、謝罪する。本当にごめんなさい」
「怪我はしたけど全員無事だったんだから、よしとしよう」
ユティスの言葉にフレイラは少し俯く。
「……それと、記憶を思い出して、あなたを斬ったことも、謝罪しなければならないと」
「うん」
「正直、謝って許されることじゃないと思う。今後私のことをどうするかは、ユティスに一任する」
そして彼女は、テーブルに剣を置いた。
「これも、返すよ」
「……この剣は――」
「わかってる。この剣が、私に贈るつもりだったものなのは、理解してる。けど、受け取れない」
首を振るフレイラ。そして、彼女は語り出した。
「私は……私を見返そうと魔術師となったユティスのことを、どこか嘲笑していた。そんなことは絶対にありえないって心のどこかで思って……そして、ユティスは『精霊式』の魔法を手にした。その時、私はなんて馬鹿な思いを持っていたんだろうって思った」
「……フレイラ」
「その中で、術中にはまったとはいえ……色々な感情を抱いて、あなたのことを斬ってしまった。証拠が無くてお咎めなしだと言われても、あなたを傷つけた事実は変わりない。そして、あなたの力までも奪ってしまった」
「だから……彩破騎士団を辞めると?」
どういう結論を抱いたのか推測し問い掛ける。するとフレイラは小さく頷いた。
両者が無言となる。ユティスは耳が痛くなるような静寂の中で、彼女に何を伝えればいいのかを、頭の中で思考し――やがて、言葉に出す。
「……フレイラが、考えていることはわかった」
ユティスは言う。そして、
「けど、この剣はフレイラに受け取って欲しいし、彩破騎士団の一員として、いてほしい」
フレイラは顔を上げる。それは無理だと言いたそうな、悲しそうな瞳をしていた。
「僕は……確かに小さい頃、フレイラに言われ、見返そうと思ったのは事実だ。けど、それだけじゃない……僕は、フレイラに今もずっと感謝している」
「え……?」
「フレイラがいなかったら、僕はこうして強くなれなかった。その事実はフレイラがどう思おうとも変わらない……フレイラがいなかった人生。それがどうなっていたかは、記憶を封印され鬱屈した生活をしていた戦争前の僕を思い出せば、はっきりとわかる」
「でも……」
「そして、僕はこうして彩破騎士団として戦うこととなった。そして――」
ユティスは真っ直ぐフレイラを見据える。
「僕は……強くなって、フレイラと共に並び立って、戦いたかったんだ」
「……私、と?」
「そう。それが目標で、僕は強くなった」
「でも……」
首を小さく振るフレイラ。それにユティスは小さな笑みを浮かべながら、テーブルの上に置かれた剣を手に取る。
「フレイラが、何かしら様子がおかしかったこと……気付ける可能性はあったのに、こうしてずっと悩ませていたことは、きっと僕にも責任がある。もっと早く、そういうことを伝えておけばよかったと思う」
「ユティス……」
「それと同時に、僕自身フレイラを恨んだことは一度もない。僕の思いは今も変わっていないし、共に戦いたいと思っている……フレイラ、彩破騎士団の副団長として、これからも共に戦って欲しい」
剣を差し出す。受け取る様子を見せなかったフレイラに、ユティスは席を立ち無理矢理彼女に剣を抱えさせる。
「フレイラにその剣を贈るつもりだったのは、僕なりにお礼がしたかったからだ。見返してやるなんて言って始まった関係だけれど、僕はそのおかげでこうして強くなれたことをすごく感謝している。だから受け取って欲しい」
「……でも、私は――」
「一緒に戦ってほしい。お願いだ」
フレイラはユティスと視線を合わせる。気付けば彼女の瞳はうるんでいた。
「……私」
俯く。とうとう彼女は、瞳から涙をこぼす。
「……ごめんなさい、ユティス」
「フレイラ……」
「ごめんなさい、本当に、ごめんね……」
泣きじゃくる彼女の頭を、そっと抱きしめる。それでも泣き続ける彼女に、ユティスは語る。
「もういいんだ……ありがとう、フレイラ」
どこまでも彼女は泣き続ける。そして、涙が止まるまで、ユティスはずっとフレイラの傍に居続けた。
* * *
ユティスの部屋を後にしたフレイラは、再度ユティスから贈られた剣を抱え、半ば呆然と歩き出す。
紆余曲折あり、これで本当に良かったのかと思う――けれどユティスは自分のことを必要としている。
なら答えは、一つしかなかった。
そのまま部屋に戻らずフレイラは剣を抱えたまま屋敷内を歩く。夏ではあるが夜はそこそこ涼しく、汗をかくような気温でもなかった。
少しすると庭園が姿を現す。暗がりで誰もいないはずの庭園――しかしその場に、夜空を見上げ佇む姿が一つ。
「……ティアナ?」
「え? ああ、フレイラ様」
にこやかに返す。彼女は体をフレイラに向けると一礼し、
「ユティス様とお話を?」
「え、あ、うん……よくわかったね」
「そうやって剣を抱えている以上、予想できますよ。突き返そうとしたんですよね?」
お見通しらしい。フレイラが小さく頷くと、ティアナは苦笑する。
「そしてユティス様に諭され、また剣を持つことになったと」
「そう、だけど……」
「ちなみにちょっと涙声なのは、自覚できていますか?」
問われ、フレイラは少し鼻をすすった。
「うん、まあ」
「これからもよろしくお願いします、フレイラ様」
「……なんだか、全てお見通しといった感じだね」
「どういう顛末なのか予想はすぐにできますよ……ところで」
ティアナは歩み寄る。なんだか迫られているような気がして、フレイラは半歩ばかり足を後退させる。
「これだけはお尋ねしておかなければならないと思いまして」
「何?」
「ユティス様のことをどうお考えなのか」
問われ、フレイラはドキリとなる。これは話すべきなのか、それとも――
沈黙していると、どうやらティアナはどういう結論なのか理解したらしく、笑みを浮かべた。
「ご心配なく、私自身フレイラ様に何かをするつもりはありません……というか、そのようなことで争っていては、魔法院に勝てないですし」
「それは、つまり」
「一時休戦……とはいえ、今後異能者との戦いがあることを考えれば、当面の間はこういうことで争うべきではないでしょうね」
「……そうだね」
ティアナの表情は笑み。その顔つきからは、どこか現状を嬉しく思うような雰囲気も垣間見れる。
「今後、よろしくお願いします。フレイラ様」
「……うん」
返事にティアナはもう一度笑みを浮かべると、立ち去った。それを黙って見送るフレイラ。
やがて姿が見えなくなった後、小さく呟いた。
「……なんというか」
それ以上何も零すことはなく、フレイラは歩き出す。色々と胸に内には感情がある。けれど、今考えていることは一つ。
ユティスのことを守る――ただ、それだけ。
剣を握り締める。それにより自身の決意が強く固まるのをフレイラは自覚し――部屋へと戻った。
* * *
城内の混乱が収束し、さらにララナス家の騒動の処理が一段落したのは深夜に入って。ロイが報告を聞いた後、部屋にはギルヴェが訪れた。
「色々と予定外のこともあったが、おおむね私達の想定通りに事が進んだな」
「はい。戦力はできる限り結集させました。あとは、彩破騎士団を打ち砕くだけです」
ロイは告げると、ギルヴェと目を合わせつつ、続ける。
「報告によると、少しばかり彩破騎士団も力をつけたようですが……大丈夫ですか?」
「ふん、問題はない。というより、そうした力を見るために色々と行動していたのではないのか?」
ギルヴェの問いにロイは無言だったが――その意味も十分あった。
戦力分析――ネイレスファルトで加わった人物達のことはある程度理解できた。ただララナス家当主との一戦については思うように情報がとれていないため、多少なりとも警戒しなければならないが――
「演習を行う旨は通達しました。もう後戻りはできませんね」
「わかっている……あの御方のために、負けられない」
強い口調。ギルヴェは笑みを浮かべ、次の戦いに烈気をみなぎらせている。
「それでは、私は銀霊騎士団の面々と話をしてくる」
「はい」
部屋を出るギルヴェ。それを見送ったロイは、小さく息をつく。
「――もし」
もし、彩破騎士団に敗れることがあったらどうするか。
できる限りの処置は行い、銀霊騎士団に追い風を与えられるだけ与えた。もしこれで負ければ、言い逃れはできない。
「……その辺り、あの御方も考えているか」
記憶を失わせる力――それを目の当たりにした時のことを思い出し、ロイは息を吐く。
証拠隠滅のために記憶を封じ――それまでユティスに見せていた態度を逆転させた家族には、ロイ自身思わず笑ってしまった。だが次に思ったことは、人の人生を激変させるだけの力をあの御方の異能は有しているという事実――だからこそ、ロイは――
「……さて、いよいよ大詰めだな」
ロイは呟く。策は全て打った。あとは成就することを祈るのみ。
夜が更けていく。ふとロイが夜空に目を向けると、綺麗な月が見えた。