戦地へ
全ての作戦が決議された時間は夜が始まろうとした時。けれどそれよりも前にユティス達は馬車に乗り、都の城門を抜けていた。
「フレイラ君の指摘通り、双方が戦う場所はカラシア平原だろう」
語るのは馬車に同乗し、ユティスと向かい合って座るラシェン。彼は無骨な鎧を身にまとい、さらに横にいるフレイラも鎧姿。加えユティスも黒のローブ姿と、全員戦地へ行く準備は整えている。
「とはいえ、相手は伏兵を隠している可能性もある。だからこそこうして私達は武装しているわけだが――」
「もし伏兵と交戦した場合、この兵力で足りるでしょうか?」
問い掛けたのはユティス――現在、馬車の周囲には護衛するように馬を駆る騎士や魔術師が、およそ二十名程。騎士には隊長クラスの者はいない。というより、彼らはラシェンの私兵に近い存在。魔術師は学院からの派遣者だが、ラシェンが信用に値するか厳選している。
結局、騎士団の兵などには頼らない形となった。騎士団長を含めた軍議参加者がフレイラの策に多少なりとも疑義を持っていることから、ユティス達と軍は分離して策を行うことにした。ユティスとしてもその方が良いと思っていた。さすがに戦争が差し迫る中で城内の人間といざこざがあるとは思えなかったが――万が一という事もある。それを避けるため、こうした形となった。
「敵は十万の兵を動かすことに集中しているはず」
ユティスの問いに答えたのはラシェン。
「なおかつ襲撃のことを考えれば……複雑な命令をこなす者を使役する場合、人数も限定される。今回は全員武装し警戒している状況だ。攻撃を受けたとしても、おそらく大丈夫だろう」
ラシェンは告げた後、ユティスと目を合わせながら続ける。
「そういったことは私に任せてくれ……ユティス君は、作戦まで心を落ち着かせていてくれ」
作戦――ロゼルスト王国を救うという大業を、この馬車内の面々で起こそうとしている。
ユティス達は本体が到着するまでにカラシア平原へ到着し、フレイラが提示した風の聖剣を生み出すべく準備を整える予定だった。
大地の魔力を吸い出すこと自体は、魔法陣を組むなどすれば可能ではある。けれど今回は聖剣を創るために膨大な魔力を必要となるはず。そうした膨大な魔力を制御し、聖剣を生み出せるのか――
「ユティス君」
ラシェンの声。気付けば考え込んでしまっていた。
「再度確認するが、まず大地から魔力を得るという手段自体は、問題ではない」
「はい」
「けれど今回の場合は魔力量が相当なものとなる……それらを束ね、自身の『創生』に利用することが、非常に難しい」
「その通りです」
ユティスは頷き――不安を抱く。
作戦としては、ユティス達が先行して平原へと赴き、次いでロゼルストの軍が到着――相手の行軍速度から、ほぼ同じタイミングで両者がぶつかりあうという予想が城では成された。戦いが始まる前に聖剣が完成していればなによりだが――間に合うかどうかはわからず、さらに言えばそもそもそれで勝てるかどうかもわからない。
だからこそ、不安が胸を押し潰そうとする――ユティスは一度深呼吸して、緊張を解そうとし、
「ユティス」
沈黙していたフレイラからの声が、聞こえた。
「作戦上、私達は要であるように考えられている……けど、そうではなく私達ナシで勝つ方策も、騎士団の人が考えている」
そう語る彼女――王やラシェンを除く面々は、最後までユティスの『創生』に懐疑的な見方をしていた。だからこそ彼らはユティス達を別にして十万の兵を切り崩す策を実行しようとしている。
けど、それは紛れもなく絶望的な作戦。だからこそ、自分達が奮起しなければならず――
「ユティス」
再びフレイラからの呼び掛け。
「あまり気負うようなことはしないで……体にだって差し障るし」
「そうだな。むしろ自分達は役に立たないこと前提で戦場に赴く、くらいの気持ちの方が良いだろう」
ずいぶんと呑気なラシェンの言葉。それはいくらなんでもとユティスは思いつつも、二人がフォローしてくれているのは明確に理解し、
「……ありがとう」
礼の言葉を述べる。それと同時に馬車がガタン、と一度揺れた。
「……戦いまではまだ時間がある。ユティス君、体調だけは気を付けてくれ」
「わかっています……フレイラ」
「何?」
「フレイラは大丈夫?」
「ユティスに比べれば何の事はないよ……あ、それと」
そう告げたフレイラは――次に、決然と述べた。
「もし作戦が失敗したら…………私が絶対に、あなたを守るから」
その言葉は、確固たる決意に満ちたものであり――なぜ、という言葉がユティスの脳内によぎる。
けれど、それを告げることはなんだか彼女の考えを無下に扱っているような気がしたため、言及を控え彼女と瞳を合わせた。
双方が無言――けれど嫌な沈黙ではなかった。先ほどのような不安は小さくなり、やらなければならないという使命感が、ユティスの中で強くなっていた。
* * *
圧倒的な敵の存在に対し、騎士団も少なからず衝撃が走った――しかし出発直前、落ち着きを取り戻し彼らは精悍な顔つきで出発の時を待っている。
「おい、アドニス」
そんな中、ロランは厩から馬を引っ張り出してきたアドニスへと告げた。
「どうした、ロラン」
「どうもこうしたもねえよ! 何で俺が城の守護なんだよ!」
「……お前とは部隊が違うだろう。私が任命権を持っているわけでは――」
「俺の隊の中で、俺と俺の部下が一番攻撃的能力が高い。普通なら俺が先遣隊に駆り出されてもおかしくないんだ。それがないのは……どう考えても、誰かが告げ口したとしか思えん」
語気を荒げて告げたことに対し、アドニスは閉口。その所作を見てやっぱりかと、ロランは思う。
「何で俺を守護役に進言した?」
「……もしもの時に備えてだ。緊急時の対応能力を含め、城はお前に任せるのが一番だと思ったからだ」
「俺より対応できる奴なんて騎士団にはいくらでもいるぞ? 他に何か理由があるんだろ?」
まさか功を横取りされるかもしれない、などと考えているとは思えないが――僅かな沈黙の後、アドニスはため息一つ。
「……単純に、お前のことが惜しくなっただけだ」
「……あ?」
「お前の技量は誰でも知っている。戦場に立てば十中八九最前線だ。今回の戦いは負け戦……だとすれば、間違いなく死ぬだろう」
「それが俺達の役目だろう?」
死ぬ、ということ自体、ロラン自身僅かながら恐怖を覚えているのは事実。
けれど、だからといって戦い自体を他ならぬ友人に阻止されるのは、不服だった。
「お前は何がしたいんだ? 俺を守護役にして、一体――」
「死んでほしくないからだ」
はっきりともたらされた言葉。それに、ロランの口が止まる。
「ただ単純に、そう思っただけだ」
恐ろしく、不器用な物言いだとロランは思う――つまり、アドニスは友人である自分の死んだ姿を見たくないために、守護役に回したということなのか。
「……お前なぁ」
今更そういうことを言われても、とロランは胸中思ったりもしたのだが、何も言わずにおいた。
「まあいいさ……それ以上訊くことはやめる」
「すまん」
「お前って、とことんこういう所では不器用だよな……わかったよ。親友である以上、おとなしくその言葉に従うとするさ」
どこかあどけて告げるロランに、アドニスは微笑を浮かべた。これから死地へ向かうという状況であるにも関わらず、彼の心は平常に保たれているようだ。
「……なあ、アドニス」
そうした態度だからなのか――ロランは一つ疑問を口にする。
「お前はこの戦……さっきも言った通り、勝てるとは思っていない」
「そうだな」
「そうした戦いに対し、両親とかは引き止めなかったのか?」
「事情はロクに話していない。ある程度情報統制も行われているからな」
「両親くらいには話すべきなんじゃないか? それに、兄妹なんかにも」
「規範となる騎士が、情報を漏らすのはまずいだろう。それにもし止められたとしても、行くつもりだ」
「隊長、だからか?」
ロランの問いに、アドニスは頷いた。
「そうだ。責務がある」
「とことん責任感の塊だな、お前は……ま、だからこそ隊長やっているのか」
「そういうことだ」
はっきり同意すると、今度はロランが笑みを浮かべる。
「お前は……まあいい。それで話を戻すが、この戦に勝ちの目があるとすれば……十万の大軍と対等に戦える策というやつだろう?」
――ロランは詳しく知らなかったが、いくつかの策を同時並行で行うということは聞いていた。その中に一つ、十万の大軍と対等に戦える対策があるとロランは耳にしていた。
その辺りの事情を、隊長であり軍議に参加したアドニスは知っているはずなのだが――
「私としては、成功しないと思っている」
否定的な言葉をアドニスは告げる――その時、ロランはあることに気付いた。
何か、その策を知り憂慮しているような態度。大軍を相手にできるかもしれない策だというのに、その顔は一体どういうことなのか。
大規模の魔法により兵達諸共――ということなのかとロランは思った。けれど――ロラン自身嫌な考えだったが、都に押し寄せられ多数の虐殺がある可能性を危惧すれば、むしろそのような策を取る正当性があるのでは、とも思っていた。
そのような策ならばアドニスも話しにくいとは思う。けれど、根拠は勘しかなかったが――ロランは彼が、そうした策に対し憂いているわけではないと思った。
「……実際、どうなるかは私にもわからない」
やがてアドニスは断じる。その顔は戦場へ出る時と異なり、険しいものとなっている。
何がそうさせるのか――ロランは皆目見当もつかなかったが、ひとまず友人ということで、無難な言葉と共に送り出すことにする。
「……ま、今はお前が生き残ることを精一杯願うことにするさ。そんでもって、ファーディル家の繁栄を願うことにしよう」
「すまんな」
穏やかな顔に戻る。ロランはその態度にどこか安堵し、さらに続ける。
「いいさ……ほら、色々とあった三男も王の命を助けただろう? その功もあるし、この戦いさえ切り抜けられれば家は安泰じゃないか。俺が祈らなくとも、大丈夫かもな」
どこか冗談っぽく応じたその瞬間、
アドニスの顔に変化。それは先ほど策に言及した時と、ほぼ同じ。
「……ああ、そうだな」
けれど今度はすぐ表情を戻し、騎乗する。
ロランはその態度が気になったが、無言でアドニスが去る様を見て、何も言えなくなった。
そうしてロランは親友と別れた。今生の別れにならないことを祈りつつ――けれど同時に、胸に違和感を残すこととなった。
「何だ……?」
湧き上がるのは疑念。けれど答える者は既にこの場にいない。
残されたのは馬の駆ける音。ロランはそれを耳にしながら、しばしその場に立ち尽くすこととなった。