新たな魔物
アリスが結界の外に抜け出た時点で――ティアナはフレイラやリザと無言のまま視線を交わす。フレイラは硬い表情のままであったが、リザは「あなたの指示に従う」といった雰囲気を出していた。
「……なら、私が参りましょう」
ティアナが宣言。するとマリードは嬉しそうに手招きする。
その態度に何かしら思わないこともなかったが、口を開くこともなく歩む。すると背後で結界が閉ざされる。
「律儀ですね」
その時、ティアナは結界の奥にいるマリードへ声を上げた。
「こんな風に毎回相手を変えるような必要はないでしょう?」
「生み出した魔物にも特性があるのよ。先ほどの『潜在式』の魔物はいわば汎用的な能力を持った魔物……例えばの話、あれを雑兵とすれば、いくら魔力を滅すことができるといっても、対応に限界があるでしょう?」
「……やはりあなたはこの場で叩き潰したい人物のようですね」
ティアナが言うと、マリードは心外だとでも言いたげに不満顔を見せる。
「これでも私はロゼルスト王国に忠誠を誓う者よ? 国のために役立つというのなら、活用するのもありではないの?」
「……あなたが本当にそのように使うかは疑問があります」
そう述べた瞬間、ティアナは眼光を鋭くする。
「それに……こうした魔法を頼りに戦った国々の末路を、あなたが知らないはずがない」
「自滅したって話でしょう? 確かに魔法に溺れ国を傾け、滅亡したケースはいくつもあるわね。国は人が全て……どこの偉人の言葉だったかしらね……けど」
マリードは妖しく笑う。
「私は、大丈夫よ」
「魔法を使う人間は誰でもそう言いますよ」
ティアナは剣を構える。さっさと来いと言わんばかりだったが、マリードは話し足りない様子だった。
「せっかちねぇ……まあいいわ。話を戻すけれど、私としては雑兵で彼女を倒せると思ったわけだけど、それは見事覆されたというわけ」
視線がティアナから一瞬逸れる。アリスのことを見たのだろう。
「これは私の見立てが甘かったことを認めるわ……さすがにこの状況下であの子に追撃をかけたとしたら、貴女達も黙って見ていないでしょう? それだと実験が中止になってしまうじゃない」
何が起こるかわからないことと、あくまで実験を優先する構え――その心情の中には紛れもなく、これから生み出す魔物に対し絶対の自信を持っていることが窺える。
「それじゃあ早速始めましょうか。次に生み出したのは、ティアナさん……あなたのような騎士を、叩き潰すための子よ」
魔力が胎動。それによって生み出されたのは――上背でティアナを一回りは上をいく全身鎧の騎士だった。
色は漆黒でアリスが戦ったものと同様だが、先ほどとは異なり棘のようなものも生えていない。フォルムは非常にシンプルで、顔を覆う鉄仮面もそれなりにデザインが施されており、かっこいいとすら思えてしまう。
武装は右手に剣、左手に盾。騎士を潰すということだったが、何か特別な措置を取られているようには見えない。
「デザインもそれなりに自信を持っているわ。他の子達がちょっと見てくれが悪かったから、その反動かもね」
「そうですか」
ティアナは呼吸を整え――走る。先手必勝。
相手が何かを仕掛けてくる前に、先んじてという目論見。
(最初の攻撃でその能力を見極める……!)
マリードが言う雑兵ですら魔力の質が大きく異なっていた以上、目の前の魔物もまた幻獣クラスだろう。となればまず必要なのはその特性を把握する事。
騎士は剣を構える。ティアナの反応を見て受ける構えか――いや、ティアナの動きに対し魔物もまた斬撃を放とうとする様子。
ならば――ティアナは腕に魔力強化を施しつつ、剣を薙ごうとする。相手もまたそれに応じる構え。このままいけば両者の中間地点で激突する。
見た目からしておそらく力は相手が上だろう。ならば剣戟を受け流し懐に飛び込み――そう考えた時だった。
突如、ティアナの背筋に悪寒が走る。
それが一体何を意味するのか――皆目わからないまま、ティアナは即座に剣を引きもどした。根拠はない。けれど魔物の斬撃を正面から受けたら、自分は死んでいたかもしれない――そういう推測が頭をよぎった。
魔物が放ったのは横薙ぎ。よって、ティアナは剣を戻しながら体を傾け剣戟を潜るようにかわす。相手の剣はひどく直情的でティアナの予想通りの軌跡を描いた。しかし、
直後、凄まじい剣風が巻き起こる。
「っ……!」
これだ、と理解した直後ティアナは素早く後退する。とはいえ結界内では立ち回るのに限界がある。相手の大きさや剣の長さを考えれば、数歩歩けばあっさりと間合いに到達してしまう。
風が止む。結界の外にいたリザも理解したようで「なるほど」という、重い呟きが聞こえた。
「今の動きは、何か確信を抱いたものだったのかしら。それとも、元聖騎士候補ということで第六感でも働いたのかしら」
マリードが語る。ティアナは何も答えない。
「途中まで真正面から受けようとしていたのに……惜しかったわね。あのまま切り結んでいたら勝負がついていたかもしれないのに」
「……強化に重点を置いたというわけですか」
推測だったが――マリードは満面の笑みを浮かべる。正解だったらしい。
「今ので理解するとは、驚きね。正解した暁に、説明してあげるわ」
そう述べ、マリードは嬉しそうに語り出す。
「通常、私達人間は魔力を利用して身体強化を行っている……やり方は様々あるけれど、ロゼルストの一般的に手法は筋肉を魔力でコーティングすることね。これにより筋肉を保護すると共に、魔力的に働きかけ身体能力を向上させる」
そこで、マリードは視線を移す。おそらくリザを見た。
「そちらの女性は闘士だったわね? だとしたら、この方法ではなく魔力を筋肉と混ぜ合わせる手法をとっているかしら。この場合筋肉を覆うわけではないから防御能力は低下するけれど、先ほど語った以上の力を得ることができる。とはいえ――」
次にマリードは魔物を見据える。
「こうした手法は、魔物には使えない。そもそも魔物は魔力の塊であり、疑似的な生物といったものだから、例え筋肉などの身体構造が存在していても強化するのは理論的にはあり得るけど、手法は確立されていない。まあ魔物に強化を行うなんて知能があるかも疑問だけれど」
「……だから」
ティアナが、発言する。
「あなたは魔物が身体能力を強化できるようにしたと?」
「少し違うわね。強化できるようにしたのではなく、魔力の質自体を魔力強化の効果になるよう調整したといったところかしら。本来魔力は何もしなければただそこに存在するものだけれど、その魔力に身体強化を施すという命令を強制的に付け加えてやる……その結果が、この子よ」
魔物は剣を素振りする。軽く振っただけなのに剣風が生じ、ティアナの髪が少なからずなびいた。
「元々持っていた身体能力に、さらに強制的に魔力が身体強化を施したことで、人間には成しえないような破壊力を得ることに成功した。この場は結界によって封鎖されているし、また床にも同様に結界があるから破壊するようなことはないけれど……もしなかったらこの広間が無茶苦茶になるわね」
「なるほど……よく理解できました」
ティアナは呼吸を整え魔物を見据える。特性はわかった。ならば――
「考えていることは理解できるわよ」
マリードが語る。彼女にとってティアナの考えは予想の範疇らしい。
「そう、私が行ったのはあくまで身体強化であり、先ほどの雑兵のように何もなくなってからの再生能力などは備わっていない。つまり剣戟を加えれば、倒すことはできる」
そこで、彼女は不満げな表情をする。
「本当ならいくつも能力を加えたいところなのだけれど、まだ開発段階で一つの能力しか付加できないのよね。まあ、貴女達の相手としては一つだけで十分だろうけれど」
「……言いましたね」
ティアナは左手に幻霊の剣を生み出しながら告げる。
「再生能力を持っていてもこの剣の前には無駄ですが……少なくとも、斬れば倒せるのは間違いない。それだけで十分です」
「ふふ、そうね。あなたのその魔力の塊なら決定打になるのは間違いない。けれど――」
と、マリードは魔物を見てから言う。
「この子に一太刀浴びせられるかしら?」
言葉と共にティアナは疾駆する。間合いを詰め、剣を構える魔物をしっかりと見据える。
攻撃を回避し、懐に飛び込んで幻霊の剣を叩き込む――やることは非常にシンプルであり、ティアナとしてもわかり易くてよかったとさえ思えた。
だが、目の前の魔物に対しては剣が触れてもいけない――最初の攻防も、おそらく剣が激突した時点でティアナの持っていた剣を易々と両断していただろう。その後どうなったかは推して知るべしであり、だからこそティアナは最大限の警戒を行う。
魔物から剣が放たれる。純粋な力による攻撃は確かに騎士クラスに対しても有効な攻撃手段となり得る。だが自分には――ティアナは思いながら剣戟をかわした。
剣風が吹き荒れる。魔物はすぐに剣を引き戻そうと動き、それが予想以上に早いと察したティアナは一度攻撃を中断する。
切り返しの攻撃。ならば――と、ティアナは差し迫る魔物の剣をかわしつつ、幻霊の剣を魔物が握る剣の刀身に叩き込んだ。
魔力を大いに削った感触――しかし剣は壊れず、むしろ相当な力によって守られているとさえ感じた。