過去――すべての始まり
幼少の頃、フレイラはずいぶんと泣き虫で、何かあったら姉の後ろに隠れていた――と、フレイラ自身親から聞かされていた。
その当時の記憶はフレイラ自身よく思い出せないが、幼少の頃の記憶は確かに泣いていた思い出が多いような気はした。しかしそれは物心がつき本を読むようになってからは変化することとなる。
ただ、親としてはそれが良かったかどうかわからない。何せフレイラは騎士の本を読み、見事に感化されて色々と無茶をやるようになったからだ。
騎士に憧れ、小さいながら棒切れを振り回す様は微笑ましい光景に見えたかもしれない。だがフレイラの胸の内は早くも将来それになると固まってしまい――今思えば、その時から両親に呆れられていたのかもしれない。
その夢はフレイラにとって精神的に大きく貢献した。棒切れを振り回して転んでも、夜暗い廊下を一人で歩いた時も、騎士になるのだから泣いてはいけないのだと自分を鼓舞し、涙を見せることがなくなった。
両親としては早い段階で棒切れを取り上げていれば――もしくは他の趣味を与えていれば解決したかもしれない。だが次女という境遇故か、それとも放任されていたためか、ついぞ騎士の夢を改めることはなかった。
そして、騎士という夢を得て棒切れを振り回して自信がついたフレイラはお転婆になった。当時の事を振り返れば相当親も手を焼いただろうとフレイラは思う――それは領内の屋敷にいる時だけではなく、外に出かける時ですらもいかんなく発揮された。もちろん親の叱りを受けて猫を被ることもままあったが、同年代の子供と対峙する時は親の目も離れ、制御が効かなかった。
その一番の標的となってしまった不幸な人物は、フレイラが小さい頃からずっと関わりのあったファーディル家の子息。キュラウス家としては王家の遠縁と繋がりを見せることによって、少しでも上の待遇を得ようとしていたのかもしれない。娘が二人というキュラウス家の都合上、良い縁談が決まればそれだけで一族としての株も上がる。子息の多いファーディル家と結びつくのには、それ以上の理由はいらなかった。
だが子供のフレイラはそんな考慮など一切なかったし、また把握できるだけの知識もなかった。だからこそ、子息――ユティスに、喧嘩を売るような真似をしてしまった。
『なら、僕は絶対にフレイラを見返してやるからな!』
そうした言葉がユティスの口から放たれた。その瞬間、フレイラもまた騎士になるため本気になった。
それまではどちらかというと憧れの感情が強かった騎士だったが、そこからフレイラの明確な目標となった。幼少の頃から剣を握り、やがて師を迎え、花嫁修業などすることなくただ剣を振り続けた。
両親は何も言わなくなっていた。きっとユティスを挑発するような真似さえしなければいいだろうという考え――長女の縁談が決まった時も、次はフレイラの番だというのに見向きもされなかった。
ただ騎士として活動するフレイラとしては好都合だった――けれど、悔やむべき事件が起こった。師が自分のせいで――
それからフレイラは『強化式』の力を手に入れた。体に刻み込んだ紋様はフレイラに力を与え。それでいてもう二度と騎士以外の道はないと決められた。けれどフレイラはどうでもよかった。その時は復讐だけを考え、それを成し遂げた。
その後、フレイラはファーディル家を訪れ――あるものを目にすることになる。
「――フレイラ」
黒いローブ姿のユティスは、屋敷を訪れた時快く出迎えてくれた。対するフレイラは黒い騎士服姿であり、どこか暗く映ったことだろう。
「その、お師匠さんのことなんかは聞いているよ」
「……そう」
師が死んでから初めて来訪だった。半年も前に亡くなったというのに、復讐に憑りつかれまるで昨日のことのように思えてしまう。
「それで『強化式』の魔法を手に入れたという話だけど……」
「……うん」
袖をまくり紋様を示す。その瞬間、フレイラの心は僅かながら痛んだ。
なぜかと自分でも疑問に思う。けれど同時に見せたくはなかったんだと気付いた。
そう思った原因は――考えながらフレイラはユティスに口を開こうとする。だが、
「ユティス」
後方からアドニスの声。視線を転じれば、フレイラ達に近づいてくる彼の姿。
「今日は客人が訪れるということで、訓練は中止だと連絡したんだが、いいか?」
「あ、うん。でも――」
「数日くらいは待つとのことだ……可愛い弟子だそうだからな」
アドニスは去る。フレイラは今の会話に疑問を感じ、問い掛ける。
「ユティス、今の話は?」
「あ、うん」
ユティスはちょっとばかり複雑な顔をしつつ、返答する。
「その……フレイラが来ない間に、僕は魔法を習得したんだ」
「魔法?」
「うん……『精霊式』の魔法を」
言葉にフレイラは驚き目を見開く。
「あの魔法って、かなり手順が複雑じゃなかった?」
「うん。僕自身リスクのあることだとわかっていたけど……こうして魔法を手に入れたから、良かったかな」
そうは言うものの、ユティスは苦笑する。
「特定の魔力を体の中に入れた以上、いくつか問題も生じたけどね」
「問題?」
「魔力的な相性なのか、例えば氷の属性については『精霊式』を入れる前より威力が下がったんだよ……僕自身氷をメインに魔法を組み立てているわけじゃないから、良かったんだけど」
確かに言われてみれば、ユティスは氷系の魔法をあまり使用している記憶はなかった。苦手というよりは、それをメインに使っているわけじゃないというくらいのものだったはずだが――
「もうそうした系統の魔法は使わないと?」
「うん。それを補強するより手に入れた力を有効活用する方がずっといいだろうから」
笑みを浮かべ語るユティス。それがどこか眩しく思え――フレイラはなんとなく嫌で、話題を戻す。
「えっと……それで、大丈夫なの? 訓練とか言っていたけど」
「平気だよ」
「ちなみに、訓練って?」
問い掛けた時、思いもしなかった――ユティスから放たれた返答を、聞かなければよかったなんて考えるのは。
「えっと、『精霊式』の魔法を手にしたためか、なぜか聖賢者のヨルクさんがちょっと指導してくれることになって――」
フレイラはどこかで思っていた――ユティスは病弱な体を頑張って動かし、見返そうとしている。馬鹿にしているわけではないが、無理だろうと心のどこかで高をくくっていた。
それは余裕なのか、見下していたのかフレイラ自身もわからない。けれど『精霊式』の魔法を行使し、さらに討伐隊に参加し魔術師として認められるようになったユティスのことを聞いて、胸がザワついたのは事実。
原因は何なのか――それは、今のユティスを見れば一目瞭然だった。
(……私は)
認めたくはない。けれど、最初からそうだったのかもしれない。
ユティスに喧嘩を売るような真似をした子供の時、あれはもしかすると自分なりにユティスと関係を持ちたかったからなのではないか。
それ以降事あるごとにユティスを尋ね色々張り合っていたのは、彼と話をするためなのではないのか。
力を手に入れ、文字通り見返しそうな状況になっているユティスと自分は、もう関係なんて断たれているのではないのか。
(……ああ、何だ)
キュラウス家の領内、自室で一人外を眺めながら、フレイラは思った。
(どういう経緯であれ……私は、ユティスの事が好きだったのか)
ずいぶんと簡単に受け入れた自分の感情。けれど同時に、これが芽の無い恋なのだと自覚する。
当然ながら喧嘩を売り続けた形となっているフレイラを、ファーディル家に迎えるなどという真似はしないだろう――そもそも姉の縁談がまとまっている。相手が次男のロイとなれば、ユティスとは義理とはいえ兄弟関係となる。なおさら可能性はない。
両親も放任でフレイラに関心を持っていないのは間違いなく――ゴリ押しすれば通るなんて馬鹿なことを考えて、ユティス自身が首を縦に振ることなどしないだろうとフレイラは心の中で確信する。
「こんな女性……さすがにいらないか」
苦笑しながらフレイラは自身の腕を見やる。紋様が刻まれた自分の体。これを行ったのは自分であり、決して後悔はしていない。けれど――
「……私は」
呟いたと同時に、手で目元を覆う。泣きはしなかったけれど、瞳が少なからずうるんだ。
ユティスは優しい人物だから、フレイラの所業を馬鹿にしたり、ましてや非難したりはしないだろう。けれど、わかり切ったことが一つ。ユティスはきっとフレイラの手から離れてしまった――もとより手の中になんていたのかわからないけれど――ユティスはきっと、然るべき場所に立ち自分とは違う場所で活躍するだろう。
フレイラは確かに騎士に憧れ、剣を振り『強化式』の魔法まで得て強くなった。でも、それだけやっても聖騎士になれるようなこともないし、ましてや国の精鋭と肩を並べる実力を有したわけではない。どれだけ剣を振ろうとも一番にはなれないし、自分よりも才覚を所持している人物だっていくらでも見てきた。
才能なんて言葉、フレイラは信じたことはなかった――けれど、結局フレイラがやってきたことは騎士となる以上当然のことであり、決して特別なわけではない。だから平凡なフレイラは、特別なユティスからは見放される――
その時、フレイラの部屋にノックが。返事をすると侍女が入ってくる。
「フレイラ様に贈り物が」
「贈り物?」
「はい。なんでも、フレイラ様の師匠から頼まれたとか」
そんなことは一度として聞いたことがなかったのだが――フレイラは興味を抱き部屋を出る。
そして客室には商人がいて、剣を差し出し帰って行った。お代も既にもらっているとのことだった。
「これは……」
剣を少し抜いて息を呑んだ。刀身が気味悪い程に緑色に輝いており、特殊な金属であるとわかる。なおかつ柄から魔力を感じられる。その力は、少なからずフレイラを高揚させる。
「……ありがたく、使わせてもらおうかな」
フレイラは呟き、剣をしまう――もしこの時この剣の事を詳しく調べていれば、悲劇は回避できたかもしれない。
やがてフレイラはある光景を見た。ユティスともう一人――聖騎士候補の女性騎士が、聖賢者と戦う光景。誰かが力量を見たいと言い突然組まれた公開試合にフレイラも偶然立ち会った。その結果、フレイラは――
――そして時は現在に。フレイラは日が出た直後に目をさまし、一筋、涙をこぼした。
「……ユティス」
名を呼んだ瞬間、幼少の頃のように泣き出したい衝動に駆られた。そして贈られてきた剣を思い出し――立ち上がる。
「……私が」
言葉を漏らす。無謀だとわかっている。けれど、
「私が……やらないと」
準備をし始める。まだ外に出るには早い時間。だがフレイラは構わず支度を始めた――