始まり
「見つからない?」
ロランが城中で報告を聞いたのは、式典も佳境に入り兵士達の集中力が途切れ始めた時だった。
「はい。どうも賊は逃げているらしく」
跪き応じる兵士に対し、ロランは少しばかり頭を捻る。
城から出た騎士に反応して逃げ回っているというのは理解できる――のだが、追っている騎士は街の地理を知りつくしている人物であり、地の利を生かせばあっさりと捕らえることも可能なはず。
「相手はこの街出身ということか……? どちらにせよ、対処法を改めないといけないかもしれないな」
場合によっては、自ら――しかしそれは城の警備が薄くなることを意味する。
「……外に出ている騎士に、怪我とかはないのか?」
「大丈夫とのことです」
明瞭に答える兵士。ならばと、ロランは決断する。
「一度呼び戻せ。わざとこちらに見つかるように動き、城の警備を手薄にするつもりなのかもしれない」
「わかりました」
承諾した兵士はすぐさまその場から離れる。見送ったロランは一度頭をかいてから物憂げに呟いた。
「どうも……良くない兆しだな」
この街出身か――あるいは、敵にはこちらの動きを捕捉できる可能性もある。それは間違いなく魔法であり、相手は城に何かをしようとしているのは間違いないだろう。
「宮廷魔術師は……城中で仕事している面々は結界管理なんかに回っているからな……そういえば『聖賢者』の面々も不在だったか。西側の魔物退治に釘づけ状態……」
そこまで言って、ロランは息をつく。
宮廷魔術師は都にもいるのだが――魔導学院の関係者が式典に入り込んでいる余波で、彼らもまた多くが会場入りしており、魔法封じのブレスレットにより戦うことができない。よって襲撃に対抗できるのは騎士や兵士が大半。無論騎士の中にはロランのように魔法の使い手はいるが――
「……もし式典会場を狙っているとしたら、まずいかもな……と、いけない」
とめどなくあふれ出てくる懸念をロランは振り払いつつ、目先にある問題を片付ける決心をする。
「とりあえず、警備の強化だな……おい!」
通りがかった兵士に呼び掛け、ロランは指示を行う。それと同時に嫌な予感が胸中で渦を巻き始め、
複雑な感情の中、ロランは同僚の帰りを待つことにした。
* * *
「……引き上げる、か」
相手は引きこもる構え――陽動という理由を勘付かれた可能性が高い。
「ま、それは仕方のないことか……あれだけ騎士がいる以上、状況把握できる人間だっていくらでもいるだろう」
しかし――彼自身、大して心配はしていなかった。なぜなら、
「ま、どの道今戻ったとしても遅いが」
その顔には笑みが浮かんでいた。既に作戦開始の連絡を受けている。
「このままいくと、外に出ている騎士と別働隊が遭遇する可能性があるな……まあ、騎士達に会場へ踏み込まれる時間を遅らせた方がいいだろうし、時間稼ぎをするか」
彼は自身の意識の中で『異能』を使用――傍目から何も起こったようには見えない。しかし――
「さあて、いよいよだな。作戦開始から、そうだな……」
と、彼は暗闇に染まる空を一度仰ぎ、
「……長くて十分くらいかな」
城に戦力を投入し、内通者の手引きに従い会場へ踏み込み、王をこの手で抹殺する時間。それが十分程度であると推測する。
それだけの時間で世界が変わる――彼はさらに笑みを張り付かせながら、それを間近で見れないことを少しばかり悔いつつ、城を眺め続けた。
* * *
フレイラがラシェンに再度呼ばれたのは、最初の話し合いをした時からおよそ一時間が経過した時だった。
式典自体もそろそろ佳境を迎え、貴族達の会話も落ち着いてきた頃――王自身も客人の挨拶がなくなり周囲に人が少なくなった。それを見計らっての行動だった。
(さて、どうなるか……)
まだ敵は来ない。直に式典が終わりを迎えようとするような時間であるため、結局デマだったのかと胸中思ったりもしつつ、ラシェンと共に歩く。そして、
「陛下」
王の傍へと到達する。目の前には、椅子に座りフレイラ達を見据える男性。
蓄えられた白いひげと王冠は威厳を引き立たせるアクセントとなり、その顔には髪色と比較して若々しい面が存在している――名はディウルという、ロゼルスト王国の紛れもない王。
傍らには王妃であるネイファの姿。年齢は王とほぼ同じのはずだが、それでも皺がほとんどない白い肌と綺麗な金髪は、非情に艶やか。
「陛下、こちらがお話させて頂いた二人です」
「そうか。二人とも、よく来てくれた」
微笑を浮かべる王に対し、フレイラとユティスは同時に跪きそうになった。
「礼は良い。ここは式典の会場だ。玉座とは違うからな」
そう言うと、子供のような邪気のない笑顔を示す王。フレイラはその態度に当てられ毒気が抜ける――
「それでは、私はこれで」
ラシェンは唐突に告げ、その場を後にする。どうやら案内するだけで、後は二人で――ということらしい。
「此度の申し出、大変申し訳ありません」
彼が立ち去った後、ユティスが王に呼び掛けた。けれど、王は不快に思っていないようで、穏やかな顔を見せる。
その表情に緊張を示すユティス。フレイラとしては内心この会話で倒れないでくれと思いつつ、
「彼は何も咎はありません。むしろ、私が無理に押し入ったばかりに――」
「そう自身を卑下する必要などないさ」
王は、フレイラの言葉に対しやんわりと応じた。
「確かに……そうだな、今こうして話をしているが、色々と視線を向けてくる者はいる」
その言葉で、フレイラはふと横手に目を向けた。そこにはやや距離を置いた貴族や大臣らしき人物。フレイラ達を注視し、粗相がないのか監視するような素振りを見せている。
気付けば、王の周囲にはフレイラ達以外いない状態。邪魔が入らないようラシェンが何かやったのかもしれない。
「それはフレイラ君……そなたの行動を見てのことだが、私としてはそう咎める必要はないと思っている」
「は、はあ……」
「思えば、私とネイファも相当無茶したからな」
「そうですねぇ」
おっとりとした口調で王妃が応じる。フレイラとしては多少驚いたりもしたが訊くことはせず言葉を待つ。
「どちらにせよ、二人には色々障害があり、動く必要があったというわけだ……私としては認めて良いのではないかと思う」
そう言うと、今度は少し声のトーンを落とした。
「二人も、しがらみがあり大変だろうと思う……私も経験したことがあるため理解できる」
「理解、ですか」
フレイラが聞き返すと、王は頷く。
「そうだ。そなた達の取り巻くしがらみは厄介で……それを打破するのは非常に難しく、二人がしてみせているように絶対的権力者に仲立ちして認めてもらうか、しがらみを捨て駆け落ちでもするしかない」
――ずいぶんととんでもないことを言うものだと、フレイラは思った。
いや、この会話自体王が戯れだと思っているのなら、こういう言動だってアリかもしれない。
「そして二人は私と出会うことを選択した……これはおそらく、しがらみを捨てるよりも苦難に満ち溢れていると予想する」
「大丈夫です」
そこで答えたのはユティス――どこか、確信を伴った声。
「そうか。その強い瞳があれば、大丈夫だな」
王は優しい笑みを浮かべる。
「……ユティス君。君の両親には私やラシェンから伝えておこう。心配いらないと」
「ありがとう、ございます」
「そして、また二人がこうした式典に参加してもらうことを願うが……良いか?」
言葉に、フレイラとユティスは同時に頷く――王もまた、納得したように頷いた。
「よし、ではフレイラ君。これで目的を果たしたと言えるだろう」
「はい……ありがとうございます」
短い――とは思ったが、やはり一介の貴族が王と話ができるのはこの辺りが限界だった。
質話を引き伸ばすことも可能だったが、無理をすればさすがに遠巻きの貴族達も妨害しに来るだろう。どちらにせよ、離れる他ない。
だからフレイラは一礼して、引き下がることにした。
そこで視線を一瞬ユティスへ向ける。目が合い、これでいいのかと視線で問い掛けている。だがフレイラは何も応じず、そのまま振り返り王の近くを後にしようとした。
その時――変化が起きた。
突如、入口の扉が盛大に開かれた。静まり始めていた会場にとってはひどくうるさいものであったため、大半の面々がそちらへと視線を注ぐ。
フレイラもまた視線を送った。目に飛び込んできたのは、全身黒ずくめかつ、覆面を被った人間。当然こんな姿騎士や兵士ではありえない。そして、その手には短剣が握られており――
(来た――)
フレイラは胸中呟いたが、その姿を見て本当だったのかと、半ば信じられないような心境となる。
見張りの騎士はどうしたのかとフレイラは思ったが、扉の外には一人もいない。倒したのではなく、おそらく騎士のシフトを調整し空白の時間を作ったのでは――
考える間に黒ずくめが疾駆する。周囲にいたドレスを着た婦人が悲鳴を上げ、貴族服の者達は狼狽えながら道を開ける。敵はそうした人間達を人質にするつもりすらサラサラないらしく、真っ直ぐフレイラを――いや、その後方にいる王へ向かって突撃を敢行する。
だが、遠い。敵の目の前にはそれこそ数限りない障害が存在し、その中には――
「させん!」
割って入るように、アドニス他騎士の面々が躍り出た。丸腰であったが彼らは臆することなく襲撃者を捕らえようとする。
そして――フレイラは視線を転じようとした。
王へ向かってくる黒ずくめ。彼は勢いよく扉を開き、会場の者達は唐突な侵入者に戸惑い、注目する。さらに言えば会場の空気は冷え切ったものへと変貌しており、襲撃者を押さえる騎士以外の面々は凍りついたように動かず、木偶に成り下がっていた。
その中でフレイラは思う。陽動――思考を奮い立たせ、反射的に目をつけていたテラスへ視線を移し――
窓から静かに、そして速やかに会場へ入り込む黒ずくめを視界に捉えた。
あちらが本命――テラスの方が実際に王を殺めるための刺客だと断定できた。
あまりに静かな上気配を殺しており、視線にしっかりと入れなければ気付かなかっただろう。そして黒ずくめは無人の野を駆けるように素早く走る――
だからこそ、フレイラは自分が動かなければならないと悟る。
反射的に、テラスの刺客に対し足を前に出した。この時自身がヒールであることに気付いたのだが、脱ぐような暇もないと思いこれで戦うと決断する。
同時に、ユティスが動いているのか不安に思った――目は一片たりとも敵から離してはならないと思い、彼の状態を確かめる余裕が一切なかった。
(お願い――)
こればかりはフレイラも祈る他なく、ひたすら刺客を見据え続ける。
一歩、刺客が距離を詰める。跳ぶようなその動きは数秒で接近されてしまうことは明白だった。
二歩。ここに至りフレイラは自分の身を挺してでも王を守ることを覚悟する。他に騎士がいればと思ったが、式典も終わりに近く、騎士が王から遠ざかっていたことが運の尽きだった。
三歩――そこで、フレイラはこの状況自体が何よりまずい状況になっていると悟る。周囲に人がいないのは、本来なら誰にも邪魔されず王と話せる絶好のシチュエーション――それが、仇となっている。
これは――危機感を抱きながら刺客がさらに歩もうとした次の瞬間、
横から、剣の柄が突き出された。
フレイラは反射的にその剣を握る。同時に力が湧きあがり、ユティスがやったのだと理解しつつ、事前に打ち合わせた能力を思い起こし、
ヒールを潰すような勢いで、足を前に踏み込み叫んだ。
「――守れ!」
絶叫に近い声音と共に、フレイラの正面に結界が形成される。対する刺客は止まれなかったのか、それとも突破できると踏んだのか――突進を仕掛け、結界に衝突。だが、結界の強度が勝り押し返す。
その間にフレイラはさらに踏み込み横薙ぎを放つ――自身の放った剣が、敵の腹部に入ったのを視認。
剣戟が決まり、斬撃と結界衝突の反動によって刺客は元来た道をすっ飛んでいく。フレイラ自身『強化式』の能力は魔法封じのブレスレットがある以上最低限しか使えないのだが――それを用いなければ吹き飛ばない距離。
(ユティス――!)
おそらく剣に筋力強化の力でも組み込んだのだろう――推察しつつ刺客に視線を送り、
半開きになった窓に叩きつけられ、盛大にガラスの割れる音が周囲に満ちる。
そしてガラスの飛散したテラスから、新たな刺客が出現したのを視界に入れた。