彼女への要求
――式典が終わり、さらにそこから続いたウィンギス王国との戦争が終了した後、ティアナは城内のとある一室を訪れた。ずいぶんと冷たい表情の侍女に案内され通されたのは、とある文官の部屋。
「待っていた」
その人物――ロイはティアナと目線を合わせ、穏やかな表情を伴い告げた。
対するティアナは多少なりとも委縮する。エゼンフィクス家は確かに貴族としてこの国に存在しているが、内実は弱小であり権力者から圧力の一つでも加わればあっさりと潰される。式典に参加できなかった程度に城との繋がりも希薄であり――いや、元聖騎士候補だったティアナならばあの式典に参加することは十分できたはずだった。
しかし、それを放棄したのはティアナ自身。無論、理由があったとはいえ――
「申し訳ありません、このような衣服で訪れてしまい」
まずは謝罪。都にある小さな屋敷に滞在している時呼ばれたため、ドレスとはいえ普段着る地味な配色の物を着ている。みずぼらしいわけではないが、それでも王家の遠縁でありなおかつ文官として確固たる地位を確保している相手に接するには、不十分に思えた。
「いや、こちらが勝手にあなたのことを呼んだんだ。そこは気にしなくていい」
手で制したロイは、机越しに立ってティアナを一瞥する。
「今回呼んで、まず戸惑っていると思う……ちなみに、今回呼ばれた理由は推測できるかい?」
「いえ……皆目見当がつきません」
首を振るティアナ――元聖騎士候補という情報は、聖賢者ヨルクを始め極一部の人間しか知らない。聖騎士であると公表する前、ティアナ自身の実力を図るという名目で他の騎士と討伐隊に参加した事はあった。それは式典から見ておよそ一年ほど前。だがその時は事情を知るヨルクが同行し、なおかつ全身鎧で女性だとわからないように配慮した。それに、ヨルク自身が色々配慮(きっと、女性であると驚かせる意味合いがあったのだろう)したため、ティアナに関する情報封鎖は完璧だったはず――だがそれでも、ロイはどこからか話を聞いたのかもしれない。
そう思える程に、目の前の人物には底知れない気配がある。
「うん、ならそこから説明しよう……と、その前に確認だ」
ロイは前置きをした後、ティアナに問い掛ける。
「エゼンフィクス家は商家であり……なおかつ、とある問題を抱えている」
「……はい、そうです」
頷くティアナ――討伐隊に参加した後、実力として申し分ないとヨルクからお墨付きを得られ、聖騎士候補であることを大々的発表する予定だった――しかし、その寸前で候補であることを辞退したのは、ティアナ自身。
その理由は、ロイが問い掛けた問題に由来する。
「その辺りの事情はこちらも理解している……さて、ここからが本題だ」
「はい」
「ここで一度大きく話題が変わるのだが……ウィンギス王国との戦争で『彩眼』を持つ異能者の力は誰もが理解できた……君もその力は、理解しているだろう?」
「はい」
異能者――彼の弟であるユティスのことを言っているのは間違いない。
「そこで、国としては彼らを中心に異能者対策の組織を編成するということに決定した。しかし宮廷内の人間は色々と面倒で、彼らのことを認めたくない者もいたりする」
「それは、なんとなくわかります」
「うん、そうだね……で、話を戻すが」
右に左に話がいってしまうため、ティアナも戸惑いながら話を聞く。そこで、
「私には、君の家が保有している問題を解決する術を持っている」
「……え?」
目を白黒させるティアナ。心の中に生じた感情は、戸惑い。
「君を含め、エゼンフィクス家は生じた問題を解決するため奔走しているそうじゃないか。私達ならそれを是正することができる」
「……つまり、エゼンフィクス家に助力してくださる代わりに、私が何か仕事をすると?」
「理解が早くて助かるよ」
微笑を浮かべるロイ。ティアナも「はい」と返事をしたはいいが、まだ完全に話は見えてこない。
「それで、話とは何を?」
「……ここでさらに確認だが、君は『顕現式』の魔法により戦闘手段を持っているということだが、本当かい?」
「はい」
それに関しては即答。口上から聖騎士候補であることを知らないようにも思えるが――
「そして君は」
ロイは、さらに尋ねる。
「少し前まで、騎士として活動していた」
(――やはり、知っているのか)
「……はい」
頷くと、ロイは再度微笑を見せる。
「良かった。それなら今回君にお願いできる」
「何か、異能者に関する任務を?」
「さすがに君にそれをやらせる気などとは言わないさ。君にやって欲しいのは、先ほど語った新組織に関すること」
「え……?」
聞き返すティアナ。それにロイはあくまで声色を変えずに語る。
「そうした騎士候補であったという事実は大きい……異能者に対する新組織は、私の弟であるユティスも入る。そこで、君にしばしユティスのことを見守っていて欲しいわけだ」
一瞬、ティアナとしては理解できなかった。なぜ自分に話を振ってきたのか。適任者は他にいくらでもいるはずだ。
ティアナとしては、ロイの言っていることが「監視をしてくれ」と言っているようにも聞こえた。それならもっと他に人物がいるはずなのに――そうティアナが思った直後、恐ろしい可能性に気付いた。
理解した直後、ティアナの体は一瞬硬直する。
(……この人は)
この人は――自分のことをどれだけ知ってこの話を行っているのか。いや、全てを知った上で話をしていたとしたら、彼は――
「請けてもらえるかい? ああ、ただし騎士をやっていたことは隠してもらいたい」
当然、ティアナに拒否権などあるはずもない。
「……騎士であったことを隠す、ですか」
「表向きはエゼンフィクス家が新組織に対し色々干渉することで、城に入り込もうとしている――そんな感じで頼む。そして騎士候補であることは、こちらが話すと指示するまでは絶対にバラさないように。もし破れば――」
そこから先は言わなかった。とはいえ、ティアナにもどういうことが起こるのかなんとなく理解できたので、黙ったまま頷いた。
「よし、それでは簡単ではあるが説明しよう。まず――」
そこからティアナは段取りを説明された――が、ここでも奇妙な点を発見する。
こうやってユティス達の組織に近づく以上、諜報活動の一つはあってもおかしくない。だが、ロイの口から情報を受け渡すという点については一切言及されず、むしろ「その必要はない」とニュアンスから伝わってくる。
ならば自分の目的は一体何なのか――疑問に思っている中で、それに気付いたロイは発言する。
「疑問に思うのは致し方がないだろう……この行動理由を話すことはできないが、いずれ、君の行動の意味がわかる時が来るよ」
ティアナとしてはその辺りの理由を聞きたかったが、興味を示しただけで何をされるかわからない。疑問を抱えながらも頷く他なかった。
ティアナは再度ロイに目を向ける。武芸に秀でた才を持っているティアナだが、相手の心情などを推し量る能力というのはあまり鍛えていない。よって微笑の奥に隠されたロイの真意を読み取ることもできないが――少なくとも、謀略の気配がすることだけはわかる。
(……私は)
もしユティス達と敵対するのであれば、どう動くべきなのか。
ロイに「ユティスを斬れ」などと指示されれば、どうすればいいのか。彼に従うのであれば当然指示に応じるべきだが、ティアナの本心としては――
「そう硬くならなくていい」
ロイは告げる。ティアナを極力安心させるように。
「当面の間、新組織と共に活動して欲しい……建前上の理由などはこちらが用意するから、それに従い彼らと共に行動するようにしてくれ」
「……はい」
間を置いてティアナは返事。それから多少の説明の後、退出することになった。
部屋を出て、ティアナは小さく息をつく。これから新組織――『創生』異能者であるユティスと行動を共にすることになる。それは――
胸に手を当てる。自覚はあまりないが、心なしか鼓動が速くなっているような気がした。
「……大丈夫、かな」
自ら話さない限り、聖騎士候補だったことが露見することはないだろう。とはいえ、ユティス達だって自分達が簡単に認められないとわかっているだろう。接近したとしても、警戒されるのではないか。
その辺りの演技は、正直自信がなかった。体面を取り繕う術は幼少の頃よりしっかりと学んできたが、嘘をつくのが好きではなかったティアナはその辺りのことについて苦手意識があった。警戒している相手ならば、その辺りを察する可能性が高いのではないか。
ただ、ロイは策があって取り入ろうとする点についてもバレてもいいという雰囲気ではあった。重要なのは指示があるまで聖騎士候補であることを露見しないようにすること――意味不明な指示ではあったが、そう言われた以上従うしかない。
ティアナはそこで息をつく。そして、無言のまま城を出ることとなった。
* * *
――そして現在、ロイは一人自室で資料に目を通す。直にユティス達がネイレスファルトから帰ってくるとのことで、その準備をしなければならない。
ロイはまず執事を呼んだ。部屋に来たその人物に対し、指示を出す。
「ティアナ=エゼンフィクスを部屋に連れてきてくれ。都に到着する前に連絡するようにしてくれ」
「承知致しました」
一礼し、執事は去る。そして沈黙が生じた室内で、ロイは机の上に置かれた資料を目でなぞる。
「……ユティスは、あちらでも相当面白いことになったようだな」
呟いたロイは、端にある資料を手に取り、さらに言葉を発した。
「少々予定外……だが、これは大いに利用できる。目的のために障害となる存在……そして彩破騎士団。利用させてもらおうじゃないか」
ロイは告げた後、資料を置いて立ち上がる。その表情は余裕を滲み出してはいたが、決して侮っている様子はない。
「さて、魔法院の方にも連絡しておかなければな……」
ロイはさらに呟き部屋を出ようとする。その時点で表情の中に余裕は隠され、ただ油断なく策を遂行するという意志だけが、明確に宿っていた――