会場内で
ファーディル家と交流のある家柄の中で、ウェッチェン家という名が存在する。
その子息の名はフリード=ウェッチェン。銀髪ツリ目が特徴の、黙っていれば常に不機嫌に見える顔ということで近寄りがたい雰囲気を持っているのが欠点なのだが、それでも彼の周りには多くの人が詰めかける。
理由は一つ――『詠唱式』の魔法における才能だ。
「いはやは、フリード君が宮廷魔術師になるとしたら……私としても鼻が高い」
魔導学院で師事していた魔術師と式典で遭遇し、フリードは頭を垂れつつ話を聞き入っていた。
「私としてはまだまだだと思っていますので……」
「謙遜する必要はない。魔術師最高位である『聖賢者』の最有力候補だとさえ言われているではないか」
そう告げる彼であったが――フリードの胸中は、少し違っていた。
才能――確かに魔法における才能を開花させただけあり、フリードは当代きっての魔術師として名を馳せている。しかし権力レースに関して言えば、同じ魔術師であるファーディル家四男に対し後塵を排しているのが実情だ。
結局の所、太平の世に優れた魔法の才などいらず――求められるのは、伏魔殿であるこの王宮を渡り歩く能力と家柄だった。ウェッチェン家は確かに貴族ではあるが名門には程遠く、自身の魔法の才を使ってもまだ王家の血が流れるファーディル家には追いつけないというのが実際のところ。
(それを変えるには……まず、あの家を追い落とす)
宮廷魔術師の中で最高位として存在する『聖賢者』――フリードはそれを狙っている。だからこそ、余計な存在は排除しなければならない。
そして、何よりの材料がこの式典には存在している――彼にとって学院の同期生である、ユティスの存在だ。
「……できれば現在の聖賢者にお目通り叶いたかったのですが、今回は出席されていないそうですね」
フリードは師と話をしながらホールにいるはずのユティスを見つけようと視線を向ける。
「うん? ああ、そうだったね。西側の件にかかりっきりということだ」
「西……魔物討伐の件ですか。現状、どうにか対処できているのですよね?」
「うむ、そうだな……とはいえ陛下としては有事に備え、是非とも才ある者を迎え入れたいと考えているらしい」
師は言いながらフリードへ視線を送る。
「その候補は……フリード」
「私にはまだ荷が重すぎますよ」
「そうは思わない。類まれなその力があれば、可能だ」
師は嬉々として話す――彼としても最高の弟子を育てたという功績が欲しいのだと、フリードは悟る。
「……しかし、私は家柄としてもあまり良くはありませんし――」
「そんなものはとうとでもなる……とはいえ、不安があるのは良くないな。もし良ければ、私も協力しよう」
――師の協力を手に入れどれほどの効果があるのかフリードとしては悩みどころだったが、ないよりマシだろうと胸中思い、再度頭を垂れ「お願いします」と返した。
それから彼と離れ、フリードは動き始める。
ユティスとならば、学院の同期生ということで上手く接触することができる。話によると今回はフレイラという女性に連れられて行動しているとのこと。それを上手く誘導し、王の前で盛大に倒れでもしてもらえれば――
内心ほくそ笑むと共に、フリードはそれを押し隠しながらひたすら歩く――その時、見覚えのある人物と目が合い、
「よう」
すこぶる不機嫌な物言いで挨拶をされた。こうなってはフリードも応じる他なく、ユティス探しを中断しそちらへ歩む。
「どうした? 不機嫌そうだな、ベルガ」
――フレイラに負け、ふてくされているベルガの姿。今立っている場所は会場の中でも端に近い所だが、功績の多い彼は本来、こんなところに突っ立っている人物ではない。
「陛下へ挨拶は行かないのか?」
「行ったさ。しかしその後他の貴族共から嫌な目で見られたからな」
――お前がなぜ、陛下の前に立てるのか。
そういった貴族達の心の声が、フリードには聞こえた。何か弱みを公に出してしまうと、今目の前にいる憐れな男のようになる。
「……まあいいさ。俺にも用があったからな。それより、そちらはどういうつもりだ? 陛下に挨拶は?」
「私はそもそも陛下と間近で接見したことなどない。少しすれば誰かと共に行くだろう」
「ああ、そうか。お前はウェッチェン家だったな」
だからどうした――などとフリードは返すつもりもなかったが、それでも勘に障る物言いだった。しかし溜飲を下げるために言っているのだと納得して自制しつつ、用件を伝える。
「ユティスを見なかったか?」
「ユティス……? ああ、お前あいつとは学院の同期だったか」
「ああ。来ているのなら挨拶くらいはと思ってな」
「一計を巡らせる、の間違いじゃないのか?」
さすがにこの程度の考えは読まれる――とはいえ、今更フリードは中止する気もない。
「ともかく、見なかったか?」
「俺は知らないな。会場は広いが、五分も歩けば見つかるんじゃないのか?」
「実際そう思い歩いているのだがな……まあいい。ひとまずこれで退散しよう」
「ああ、達者でな」
ベルガは追い払うように手を振る。フリードは何も反応せず黙って背中を向け、またも内心ほくそ笑んだ。
(奴は終わりだな……)
出世レースというのは一度でも経歴に傷がつけば致命的となる。変人扱いされる女騎士に負けたとあらばそれが噂によってあることないこと言われるだろう。果ては今までの功績すら疑われる可能性もあり、そうなれば身の破滅とはいかないが、望んだ将来を手に入れることなど不可能になる。
それはファーディル家であっても同じこと。だからこそアドニスを始めとした家の人間がユティスの登場に気を揉んでいる。何か問題が発生したら――王家の遠縁であろうと、権力争いに参加する貴族達は牙を剥く。
だからこそフリードはユティスを利用する腹積もりで、会場中央へ足を向けようとした
そして、彼を見つける――しかし、話し掛けられなかった。
ユティスと、フレイラと思しき女性。二人と対峙している男性が一人――王の側近とも言える、ラシェン公爵だった。
* * *
「さて……ここからは神経を尖らせないと」
小声でフレイラが呟く。ユティスはそれに小さく頷きつつ近くのテーブルからパンを手に取り、食べる。
立食形式なのだが、式典開始直後ということもありあまり手を付けられてはおらず、もっぱら貴族達は会話に華を咲かせていた。踊りのできる空間は存在しないため舞踏会になるようなことがなかったのはユティスにとって幸いだった。あんな動きをすれば、間違いなく倒れてしまう。
「それで、ユティス……再度の確認だけど大丈夫?」
「今のところは。まあ、式典中くらいはどうにかなるよ。明日は寝込むこと確定だろうけど」
ユティスはここに来る時点で明日一日寝込むくらいの覚悟で立つことに決めていた。敵と交戦した場合――不安もあったが、大丈夫だと内心で自身を鼓舞する。
「それより、いつ陛下の所に行くのか……どうする――」
「楽しんでいるかい? 二人とも」
そこで聞き覚えのある声。視線を転じると、黒い貴族服に姿を変えたラシェンが立っていた。
「どうも、ラシェン公爵」
まずはフレイラが丁寧な挨拶。本来王の側近とも言える彼と話をする機会などないはずなのだが、ベルガの件で立ち会ったのが彼であるということもあってか、周囲からこの取り合わせについて言及もないし、興味の視線すら送られてこない。
「ふむ、双方とも威風堂々としているな」
「……ありがとうございます」
ユティスが礼を述べると、ラシェンは二人を一瞥。
「それで、いつ陛下の所へ行くか算段は決まったのか?」
そして問い掛ける――対するフレイラは、言葉を濁した。
「いえ、それが……その、ラシェン公爵に話を通して頂いてありがたいとは思っているのですが、まだ――」
「ならばここも、私が協力しようじゃないか」
そして次に放たれた言葉に――フレイラの目が見開いた。
「……ラシェン公爵?」
「礼だよ。ああして二度も面白いものが見られた。陛下に伝えるだけでなく、私が君達を案内しよう」
――ユティスは決闘の件だと思いつつ、なぜここまで肩入れするのかと疑問を持ち始める。
「……ん?」
考えていた折、ラシェンの瞳がユティスへ向けられる。
「なんだかずいぶん、私を警戒しているようだね」
――こういう心情を察することのできる能力が、面倒事しかない王宮の中で立ち回れる理由の一つだろうとユティスはなんとなく思う。
「いえ、そんなことは……」
「そうだな……君達二人からすれば、私がこうして接触し続けることが意外に思われるかもしれない。ならば、理由を伝えよう」
「理由?」
問い返したのはフレイラ。途端に瞳の色が疑義に染まる。
「一体、何を――」
「そう難しい理由などないよ。食べながらでも話そうじゃないか」
ラシェンは応じつつ手近にあった取り皿をユティス達へと渡す。そして適当な料理を皿に載せ、三人で壁際まで移動した。
「それで……理由とは?」
フォークを握りつつ、フレイラは問う。
「口調から、何かしら考えがおありのようですが」
「そう身構えなくてもいい。別に君達を政争に巻き込むような真似はしないさ」
と、ラシェンは笑いながら語る。ユティス達の緊張を解そうとする所作にそれは見えたが――
「簡単に言うと、フレイラ君に協力して欲しいことがあるのだよ」
「……協力?」
「その腕を見込んで、ということなのだが……私の主催する『決闘会』に出場して欲しいのだよ」
「そういうことですか」
フレイラが納得の声を上げる。さらにユティスも彼の言動に合点がいった。
厄介なことに、彼自身様々な人間を集めて決闘を行わせる、といったことをしている。だからこそフレイラを勧誘するためにこうして交換条件を提示しているというわけだ。
「それなら私も問題は……ですが、それは釣り合いますか?」
「対価として、ということか? 私としては十分すぎる報酬だよ」
笑みを浮かべて返答するラシェンの顔には邪気がない。というより、ユティス自身彼が嘘をつく理由が思いつかなかったし、何より意味がない。
(ま、信用しても大丈夫か)
事実上王の側近という地位を所持している彼にとって、嘘をつくメリットなどないと思った。だからユティスも乗っかるのが無難だと思い、
「わかりました」
フレイラもまた了承。それにラシェンは小さく笑い、
「よし……では、私としても二人が邪魔をされない最高のタイミングで引き合わせることにしよう……私が陛下に話を通しているとはいえ、君達が独断で動くより私が仲介した方がよいだろう?」
「そう、ですね」
「では、そのように……決闘会、楽しみにしているよ」
嬉々とした表情を見せながら彼はユティス達から離れていく。
それを見送りつつ、ユティスは一言。
「こういう場でも、ラシェン公爵はブレないみたいだ」
「そうだね」
とはいえこれで王と接する算段は立った。後は無理せず場の流れに沿い注意を払い続けるのが最も良いのだが、
「……ユティス、ご両親に挨拶でもする?」
フレイラの提案。しかしユティスは首を左右に振った。
「……こんな状況で接見したら無理矢理連れだされるかもしれない。まあ、混乱に陥るようなことはしないと思うけど、念の為避けよう」
「了解」
「で、確認だけど……襲撃が起こった場合の段取りは?」
「臨機応変に対応すること」
それだけだった――そもそも、綿密な作戦を立てることが難しいのも事実。
(彼女の言う通り、神経を尖らせて対処するしかないな)
ユティスは胸中断じつつ――思案する。
入り口は一つ。侵入できる経路はテラスからか入口だけ。とはいえ入口から一番奥に王はいるため、入口からの侵入であれば『創生』の魔法を利用し対応することは容易だし、そもそもアドニスを始めとした面々が阻むだろう。
「やっぱり一番注意するべきなのは、テラスか」
ユティスの呟き。それにフレイラは同意するように小さく頷いた。